一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『「私」はなぜ存在するか』

2010-08-30 | 乱読日記

『自己創出する生命』を読んで、書棚の奥に積読だったのを発掘(3度の引越しを生き延びたということはいつか読もうと思っていたんでしょう)。

1994年に出版された、多田富雄氏(1993年『免疫の意味論』で大佛次郎賞、今年4月にお亡くなりになられました)、養老孟司氏(『唯脳論』が1989年)と中村桂子氏(上記『自己創出する生命』で毎日出版文化賞受賞)のいわば旬の3人の対談本。
その後文庫化されたようですが現在は絶版。

3人の対談と、多田-中村、養老-中村の二人同士の対談が収められています。
テーマはは「自己」「生命」とは何か、人間と自然、「人工」との関係などを中心に。3人の専門である免疫学、生命科学、解剖学の視点を交差させながら進んでいきます。
対談なので話が飛び飛びになるのですが、今でも興味深い切り口がたくさんあります。

以下はネタ帳代わりのメモ。

 

(養老)
実は「他人が見る自己」というものを保証することが、日本の社会制度が持っていたある種の意味ではなかったか。それを明治以降組織的に壊していく。壊していった結果が何になるかというと、大正頃から出てくる「自我」の問題になってくる。



(中村)
Y染色体を調べるともののあわれを感じる。X染色体には大切な機能がたくさんあります。私たちは二倍体、つまり同じ染色体を二本ずつ持っているために、二本のうちで何か機能が欠けてしまうことがあっても、もう一本で働いていれば個体としては、問題ないわけです。女性はX染色体についても二本ありますからそのどちらかに欠損があっても大丈夫。しかし男性はXが一本しかない。一本足りないのです。ですから持っているXに欠損があるとそれが直接病気などになって出てしまいます。
(多田)
Y染色体なんてなさけないですね。小さいし、遺伝子は少ないし、少ない遺伝子の一つに精巣決定因子があることが分かってきましたが、そのはたらきなどで、やっとのこと無理やり男にひきもどしているわけです。
   (中略)
(多田)
ですから男は簡単なことで女になってしまいますね。アンドロジェンレセプターがないXYの人なんて、女性よりももっと女性的ですからね。だから私は女というのは存在だが、男というのは現象に過ぎないなどといっています。つまり、さっきの言い方を使えば男という「もの」があるのではなくて男という「こと」がある。



(養老)
私のところに中国人の留学生がいまして、二年になりますが、先週「先生、ネズミと人間は同じですね」というんです。中国人はネズミと人間は異質な存在だと思っている。彼女は中国で解剖を教えていたんです、看護婦さんに。ン間の解剖の教科書を持たせて、これでネズミを解剖してごらん、これで十分間に合うはずだから、といったんです。「人間と動物は同じですね」と言うところに行くのに二年かかったんです。
   (中略)
中国は非常に先進国だ、という気が最近ますますするんです。あまりにも先進国であるために完全に人間社会になってしまった社会があるとすれば、中国のようになる。そこでは自然の概念がない。自然の概念がないところで自然科学が育つわけがない。科学技術になってくると違う。人間のためだと、いうわけですから。
(多田)
普通だったら科学があってそれから科学技術がその応用というふうに行くんだと思いますけど、科学技術から始まるから、それはスピーディーですよね。
(養老)
ええ、かつてヨーロッパ人が、日本人を見てそう言ったんだと思います。
   (中略)
(養老)
そういう人たちは、ネズミと人間とは異質だと思ってるんです、どこかで。それがつながってくるまでは、日本が通った道を通るのか、あるいは通らないのか。僕はひょっとして通らないんじゃないかと思うんです。というのは中国は、そういう段階を、既に諸子百家の時代に通っちゃっているので。・・・社会と言うものが成熟してくると、ある特定の思想を作りあげて、そこから出なくなってしまう疑いがある。それを訂正してくれるのが自然です。ところが自然が消失して行く。外から自然が無くなって行くのと、頭の中なら無くなって行くのはパラレルじゃないか。それは原因と結果の関係じゃない。中国を見るとよくわかるけれど、中国には自然がない。
   (中略)
(養老)
どの発展段階で(科学技術が)入ってくるかで、どこが侵食されるかが違ってくる。だから、同じヨーロッパでも、環地中海地方は、なぜか知らないけれど、同じ段階を通ってしまった。スペインまではハゲちゃった。中世以降に、いわゆる西ヨーロッパがハゲて行く。近代ヨーロッパの成立とは、森林の喪失と並行して十九世紀に進行して、ポーランドまで行く。
(多田)
再生力の強いイタリアだけが自然を守った。そしてヨーロッパでは後進国になった。
   (中略)
(多田)
イタリアはまた不思議な国で、超先端科学は、それはそれで先端を走るわけですけれど、国民は無関心なんですね。
(養老)
それで変な迷信じゃないけれど、いっぱいあるんでしょ。ちょうど中国の紀行とか漢方とか太極拳とかのような。
(多田)
あれと同じようなものありますよ。太陽信仰とか奇跡の水とか。
(養老)
行きつくところまで行ってしまった社会というか、歴史が循環していません?ローマが無くなってしまって以降は、まあこんなもの、という感じ。ちょうど中国がこの二千年、まあこんなものであったように。

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『マイレージ・マイライフ』

2010-08-29 | キネマ
企業のリストラ対象者に解雇通告をする仕事をしている主人公(ジョージ・クルーニー)は年間322日も出張し、ほとんどを機内とホテルで過ごす。目標はマイレージ1000万マイルを達成すること。
しかし会社は優秀な女性新入社員の提案により出張を廃止しようとし、主人公はそれを阻止すべく新入社員に現場の厳しさを知らしめるべく出張に連れ出す、という舞台設定。
そこに、主人公の妹の結婚、出張先でしか逢わない割り切った関係の女友達などがからんでいきます。

「普通」と違ったライフスタイルを送ろうとすると、説明、言い訳、理論武装が必要になるのはアメリカでも同じなようで(かえって「クラス」ごとにロールモデルがあるから厄介なのかも)、その理論武装が崩れたときに自我の危機に直面する主人公をジョージ・クルーニーが肩の力を抜いて好演しています。
それまで「人とのつながり」を「しがらみ」としてとらえ、またリストラ対象者にはそうやって身軽になることで前を向くように話し続けてきた主人公は「人とのつながり」を改めて考えるようになるのですが、完全に悔い改めたり逆に意固地になったりせずに、気の利いた落着点になっています。


余談ですが、今度長めの出張があるので荷造りのノウハウなど参考になるかと思ったのですが、あんまりなりませんでした(笑)
アメリカの空港のセキュリティチェックをすばやく済ますためのコツ(列の見極めも含めて)とかは面白かったけど。


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山田風太郎『戦中派虫けら日記』『戦中派不戦日記』

2010-08-28 | 乱読日記

同じ山田風太郎の『同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』の後に断続的に読んだまま積読になっていたのを再読。

戦時中、医学部を目指し東京でアルバイトをしながら浪人生活をしていた山田風太郎の日記。
『戦中派虫けら日記』が昭和17年~19年、浪人から医学生になる一方で戦況が悪化に転じていく頃を、『戦中派不戦日記』は昭和20年、東京大空襲から終戦、そして戦後までの日記になっています。

当時の庶民の暮らしや雰囲気、一学生にも伝わってくる戦況の噂、そして人生の悩みなどが、青年山田風太郎の世の中を見る少し覚めたまなざしから描かれます。
それでも熱く愛国心などを語っているところこそ、時代背景を映し出しているともいえます。

日記に敗戦の可能性が始めて触れられているのが昭和19年5月7日。
既に戦況は悪化する中で、インパール作戦が3月に開始され、連合軍のノルマンディー上陸を6月に控えた時期です。 ただ、その根拠は物資の不足です。

政府のやり方がまずいために国民が苦しむと国民が考えている間はまだ希望が失われてはいない。手腕如何にかかわらず、政府にそれは不可能であると考えるようになったら恐るべきことである。現在の食糧問題に関してはこの傾向に移りつつある。日本は敗北するのではないか。

昭和20年になると、東京大空襲の様子を、逃げ惑いながらも冷静な観察眼で描いています。

そして敗戦。
学生達の中で、山田風太郎の気持ちはは冷静な観察者と敗戦国の若者の間を行き来します。

余は日本人なり。天皇に対する敬意に於いて一般日本人に劣るとは思わず。しかるに日本精神を讃仰する友人の論の矢表に立ちて、つねにこれに対する破目に陥るは何ぞや。
(昭和20年9月22日)

また、この本は日記を一切の修正なく書籍にしたので、端々にこういうリアリティがあります。

解剖実習室に屍体二十余来る。すべて上野駅頭の餓死者なり。それでもまだ「女」を探して失笑す。
(昭和20年11月28日)

そして占領軍になじんでいく日本人について、このように観察しています。

 明らかに、進駐軍を見得る土地の日本の民衆はアメリカ兵に参りつつある。軍規の厳正なこと、機械化の大規模なこと、物資の潤沢なことよりも、アメリカ兵の明朗なことと親切なこととあっさりしていることに参りつつある。
 吾々は、この民衆を嘲笑したい。ただ時勢のままに動く愚衆の波を笑いたい。--しかし笑うことは出来ない。この愚衆こそ、日本人そのものだからである。吾々はたしかに米国人に劣っていることを素直に認める必要がある。それは主として社会的訓練であり、公衆道徳である。
 本音を吐くと、天皇制を護るというわれわれ友人のだれ一人も、天皇制以外の政体というものを知らない。従って天皇制が他に勝っているゆえんを、真に万人に納得出来る説明の出来る者がない。それは過去の教育から来た信仰と、占領軍に対する反抗に過ぎないところがある。
(昭和20年12月1日)


貴重な記録であるとともに、青年山田風太郎を追体験できる本です。

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『自己創出する生命-普遍と個の物語』

2010-08-25 | 乱読日記
分子生物学の第一人者で「生命誌」の提唱者でありJT生命誌研究館の館長の中村桂子氏が「生命誌」の考えについて語った本。
単行本は1993年初版ですが、2006年の文庫化にあたり補遺がついています。

本書の冒頭にも上のリンク先のJT生命誌研究館のサイトのにある「生命曼荼羅」のような図があって、その道の大家が神がかってしまうというパターンかと一瞬引いてしまったのですが、中身は真っ当かつ壮大な構想を語った本でした。

分子生物学の進展により、DNAの解析まで可能になった現代でも、それで生命の機能がすべて解明されたかというとそうではない。DNAは自己を複製する機能しかなく、多様な種が生まれてきたこと(これを著者は「自己創出」といいます)を説明するには生物を総体として見るとともに進化の歴史という視点から見る必要がある、と主張しています(これが正しい要約か、てんで自信はないですが)。

本書の中では、生物学の研究成果だけでなく、免疫学や脳科学そして哲学に至るまで幅広い言及がなされているとともに、生命を巡る言説や研究の問題点も語っています。

たとえばドーキンスの「利己的遺伝子」
ドーキンスは集団遺伝学、行動学、生態学などのマクロの生物学に対して、分子生物学の成果であるDNAをメンデル的遺伝因子(表現系から類推される遺伝因子)を意図的に混同することで、種や個体にこだわっているマクロ生物学にミクロの生物学の視点を入れるべきことを一般向け書物に書いたところ、「利己的遺伝子」と言う言葉だけが独り歩きしている、そもそも「自己の存続にしか意義を見出せないDNA」というのはDNAの機能に他ならないのでその擬人的表現のほうが流通してしまっていると著者は指摘します。


また補遺では、ヒトゲノムも解析されたものの、ゲノム(遺伝子を含むDNAの総体)の中で遺伝子(タンパク質を指定する部分)の占める割合は1.2~1.5%に過ぎないことが明らかになったことが語られます。そこで著者はゲノム総体としての働きを調べる方向に進むべきにもかかわらず、「ヒトゲノム解析プロジェクト」が結果を出したがために同様に多額の費用をかけて端から解析しよう、具体的には遺伝子の作るタンパク質をすべて解析しようというプロジェクトに多額の費用がつぎ込まれることを批判しています。(有用性はともかく結果の出やすいものにお金が集まるというのはどこも同じなんですね)


どうもうまくまとめることができませんが(「浅学非才」を実感します)、いろいろ示唆に富む本であることは間違いありません。



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質問は無料

2010-08-24 | 法律・裁判・弁護士

たまたま見つけた小飼弾氏のブログ国破れて冗句あり - 書評 - 日本人の戦時下ジョーク集からのまた引き

●弁護士気質
依頼人「質問だけなら、別に料金は要らないでしょうね」
弁護士「左様、質問は幾らでも無料ですが、返答には料金が要りますぞ
(『富士』第日本雄弁会講談社、昭和二〇年四月号)  

今では「弁護士会の無料法律相談」などというように、弁護士に相談するのは有料というのは常識になっていると思いますが、この当時はこれがジョークとして成立していたということは、まだまだ事件を解決したり交渉したり契約書を作ったりという結果が伴わないとお金を払うというのは特殊だったのでしょうか。  

そのために「顧問弁護士」というしくみができて、「こんなのにもお金払うの?」というちょっとした相談も月々の定額に換算するというしくみができたのかもしれませんね(筋の悪いクライアントをスクリーニングするという意味合いもあるでしょうけど)。

しかし、弁護士が急増した現在は、大概の(顧問料を払うような余裕のある)企業のは先輩方がおさえてしまっているし、既に数人の弁護士と付き合いのある企業はこれ以上顧問弁護士は必要としていない、という事情があると思います。(新しく付き合うならcommonな弁護士でなく専門分野に詳しい人のほうが入りやすいという意味でも「コモン弁護士」は飽和状態なのかもしれません。)  

それで貸金業の過払い訴訟など手っ取り早い漁場に殺到しているひともいるようですが、それでは全体のパイが長期的には増えないわけです。
「顧問弁護士」という制度についての上の私の仮説は見当はずれかもしれませんが、何か今まで報酬を払う対象でなかったものから報酬をとれるようなしくみを作るというのは一つの突破口かもしれないなぁ、と思った次第。
(それがなにか、というアイデアがないままの思いつきですが。それにアイデアがあったとして、無資格者の僕がビジネスにしようとすると弁護士法違反を問われるリスクがあるというあたりも・・・)

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八方池

2010-08-23 | うろうろ歩き


先週ちょっと涼しくなったので朝のジョギングを木金とやったらいきなる筋肉痛だし、金曜は呑みすぎで土曜は半日使い物にならず、あげくの果てにじゃんがららーめん全部のせ+替玉とかをやっていて胃もたれになってしまいました。

体力だけでなく気分的に夏バテ気味ではないかと思い、昨日は気分転換に朝3時に出発して八方尾根まで行ってきました。

写真は八方池。ここまでが本格的な登山装備なしで軽装でいけます。


長野ICまで2時間半、そこからオリンピックのときにできた道を通れば1時間で八方尾根に着きます。
スキー場のゴンドラとリフト2本を乗り継いで第一ケルンまで行きます。

昔よく行ったスキー場を夏に見るとちょっと不思議な感じです。



これはゴンドラの終点から黒菱ゲレンデに向かうリフト。



ゴンドラから見た名木山の壁。夏に見てもかなりの急斜面です。


帰りの渋滞を避けたかったので、7時のゴンドラの始発に間に合うように行ったのですが、6時半に到着したときには既に列ができていました。
登山道もこんな感じ



下山中も続々と人が上がってきました。
さすがにトレッキングブームですね。


早起きした甲斐があって、早めに下山、温泉に入ってから帰りも渋滞知らずで、3時には家に着いて、途中の道の駅で買った枝豆をつまみにビールを呑んでました。


おかげさまでいい気分転換になりました。
(さすがに眠くて昨晩は熟睡できたし。)

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個人バブル対処法

2010-08-19 | よしなしごと

内田樹センセイのブログでウチダバブルの崩壊というエントリの余波が面白い展開を見せている。  

ブックファーストの川越店の店長さんが、「池上バブル」について書いている。 http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html

というネタなのだが、そこで取り上げられている勝間和代氏や茂木健一郎氏も自分のブログで反応している。(ウチダblog「バブル」後記経由)  

茂木健一郎 当事者として  

ぼくは、今まで通りのやり方を変える気はないし、刊行点数を絞ろうとか、そんな知恵を働かせるつもりもない。本の出版は、出版社の方々の企画や、編集者の創意工夫、その他のパラメータで決まっていくもので、著者が意図して仕掛けられるものではない。ある時ぴたりと企画がなくなるかもしれないし、そうでないかもしれない。本が出なかったら、やることはたくさんあるから、別にそれで構わない。

勝間和代 書籍バブル論について~私も当事者の感想を入れます  

バブルと呼ぶ人が多いかもしれませんが、こういった一時期の加熱した人気・ブームについて、実は私は過去に同じようなブームを作った人たちに合計5人の方に詳しくインタビューをして、どのような行動を取ればいいのか、収束後にはどのようにすれはいいのか、というのを聞いて、準備をしてきました。  

まとめると、こんな感じでした。  

「このようなブームは数年と続かない。また、自分が下りようと思った瞬間、ブームはおわる」 「ブームの後には、ブームのときに培った人脈や資金、知恵をどんどん再投資して、次の展開に供えよ」  

茂木さんも指摘されていますが、市場のブームや人気は当事者がコントロールできるものではないし、コントロールをしてもいけないと思っています。  

当事者としては、せっかくいただいたチャンス、それをどうやって最大限に生かすか、考えるのみ、です。今も同じ気持ちです。そして、株価と同じく、さまざまなものは常に、本来価値に収束しようとしますので、淡々と、自分の本来価値を上げることにみなさんと協力しながら務める、それに尽きると思います。

当のウチダ先生は  

バブルがはじければ(いずれ必ずはじける)、そのときは「善意の編集者」のみなさまもみな「ババ」をつかむことになる。何を措いても「バブル」だけは回避せねばならない。というわけで、この稿の結論はもうご理解いただけたであろうが、「ゲラは編集者のみなさんの手元には、ご期待の期日までには決して届かないであろう」ということである。


と、それぞれがそのひとらしいコメントをしています。  
ウチダ先生は例によって問い自体をひねることで視点の転換をしてます。
茂木氏は研究者が本業という矜持をみせています。
勝間氏はいかにも勝間和代で、「今のチャンスを永続的な成功にいかに繋げるどうすべきか」というホンネ一直線です。(上で引用したエントリは人生訓風ですが、下のような執着こそ本領と言う感じでもあります。) アマゾンのレビューが荒れやすい理由への考察~そしてアマゾンの対応についての報告  



3氏の共通点は、今の状態を維持しようと守りに入らないのか売れ続けるための努力を定式化するのかというアプローチの違いはありますけど、今を人生のピークにしない、ということをように意識しているところのあるのかな、と思いました。
  

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『建築家 安藤忠雄』

2010-08-18 | 乱読日記
究極の受注産業に身をおきながら究極の肉食系であり続ける強烈な個性の自叙伝。

建築家は有名人ほど多弁な人が多い。
職業柄、土地と資金を出す施主に、数ある同業者に中から自分に発注してもらうためにアピールしなければならないという事情もあるだろうし、何より無から有を生み出し続けるエネルギーがないと凡庸な雇われ建築家になってしまうからだろう。

それにしても安藤忠雄の語りのエネルギーは尋常でない。
以前取り上げた遠藤楽が自由学園というクライアントを父親から受け継いだのと対極の場所から建築家としてのスタートを切ったということもあるのだろうが、有名になってからも世間が期待する過去の作品、つまり「安藤忠雄らしさ」の安住せず、常に新しいものを造り続けてきた軌跡が語られている。
 
今や大御所になっているので、斜めから見ればきれい事や大風呂敷を並べているとも読めるが、それ以上に過去のプロジェクトで施主・パトロンを得たという経験を、どんなプロジェクトにもパトロンがつきうるという信念に変え、さらに大きな創造力の原動力にしているように思える。

語りで施主を魅了して建築を決意させ、受注してからも自分の意見を通し、最後は施主に感謝させてしまうためには、単なる語りの上手さでなく、並外れた情熱・信念・覚悟が必要ということを本書で身をもって示しているように思える。
(そして、このことはコンサルタント業などにも当てはまるんですよね。)


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『「普天間」交渉秘録』

2010-08-17 | 乱読日記

収賄の容疑で訴訟中の守屋元防衛事務次官の回想録  

普天間基地移転問題の経緯について当時の日記を元に細かく振り返っています。
前に読んだ『この1冊ですべてがわかる 普天間問題』はもっぱら軍事・安全保障問題を中心にした解説ですが、政府内部での意思決定の(防衛事務次官から見た)過程が詳細に書かれていて読み応えがあります。  

本書で一番印象的だったのは、国の意思決定も断片的な情報を元に当事者が右往左往しながら決まっているということ。 
「も」といったのは、企業も大きな意思決定になればなるほど外部や内部の関係者が増え「雑音」が意思決定の過程に影響を及ぼして内部はドタバタだったりするのとどっこいどっこいだなと。


基地問題についても沖縄自体、基地周辺住民、公共工事を期待する建設業者、環境保護派と意見がわかれ、国会議員、県知事、市町村もそれぞれの支持母体の影響を受けていて、必ずしも一枚岩でなく、それらの人々が意識してか無意識にかいろいろなルートで政治家や記者に働きかけ、彼らも得た情報を断片的に官邸に伝えて官邸が混乱する様子がよくわかります。



・・・との記者情報が入る。官邸はこうした情報に関しては各省庁やマスコミから聞いている。経済人や国会議員も沖縄からのこの手の情報を鵜呑みにして官邸に伝えていた。しかし、官邸は確認のしようがなく、多くの筋から同じ情報が入ってくると、本当なのかもしれないと誤解する。沖縄側はそういう情報操作にも長けていた。


守屋氏も、官僚としてそこの部分は百も承知です。 



国会対策の基本は、無駄を承知で弾を数多く撃つことである。政局は時々刻々と変わるから、決め手は存在しない。丁稚のように低姿勢で、あらゆるところに頭を下げ続けることである。  

「あまり焦らない。忍耐力がいる。嫌だと投げ出さない。怒っただけ損をする。そう覚えておいたほうがいい。固めたつもりが固まっていないというのは世の常だ。イライラしない。沖縄も手数を出しているのだから、こちらもいろんな案を考えて手数を出して対応していくのがベスト。いつ終わるかわからない戦いだよ」
(これは大蔵官僚OBの助言)  


本書では前言撤回・意見不統一・政府内への切り崩し活動などを繰り返す沖縄に右往左往する官邸と、毅然として対応する守屋事務次官の奮闘、そして一貫してぶれなかった小泉総理の存在感が(後任者のぶれまくり度合いとのコントラストもあり)際立ちます。 
著者の視点からの回想であること(執筆者バイアス」)を差し引いても、けっこうリアリティがあります。 

特に小泉総理の発言をみると、この人は、おそらく総理大臣にのぼりつめる過程でトップが「ぶれない」ことが、多少強引に受け取られようとも政治においては強みになることを自覚したのだと感じます。  


企業でも、大規模な案件では、競合先との情報戦、JV相手との意見調整や社内調整においてはさまざまなレベルで玉石混交の情報が飛び交ったり、社内の「廊下とんび」が出現する(会社によるかw)のと似てます。 
そして、その中でTOPの意思決定の指針がぶれないところが強いというのも同じかですね。








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『第9地区』

2010-08-14 | キネマ
DVDのジャケットから宇宙人ものか、というくらいの先入観しかなかったのがよかったのか、意外と楽しめました。

(以下若干ネタバレあり)


近未来、南アフリカのヨハネスブルグ上空に突如巨大な宇宙船が現れ、中には瀕死の宇宙人が大量にいた。「人道的見地」から地球人は宇宙船から宇宙人を助け出し、足元に避難所(=第9地区)を作って生活の拠点を提供した。

それから20年後、第9地区から新たな居留地へ宇宙人たちを移転させるというプロジェクトが開始されたが、それが思わぬ展開になる、という話です。


宇宙人ネタというのは昔から数多く取り上げられているので、ストーリー的には少しは昔の作品とかぶってしまうので、結局SFX勝負になるのが多いのですが、これは現在社会の人種問題を投影している点で面白く、本当に近未来にありがちな感じです。

舞台が長年アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカというのも皮肉が利いていますし、そこでは黒人も白人も宇宙人(これが結構原始的な性格に設定されています)に対して馬鹿にし下等生物(実際人間ではないんですが)と見下して、共同で排斥運動を起こしたりします。
そして、居留地の強引な移転はパレスチナを想起させます。
また、ナイジェリア人のギャング(これは悪者にしちゃってPC的にはいいのでしょうか?)とかも登場します。


このように舞台設定はオリジナルなんですが、モチーフは過去のいろんな映画のコラージュのようになってます。
ただ映像は手持ちカメラでドキュメンタリー風に撮っているので、意外と破綻なく展開します。
本歌取りしている映画としては『インデペンデンス・デイ』(ジャケットからそうだし)『ブラックホーク・ダウン』『48時間』『ザ・フライ』『E・T』『MIB』『トランスフォーマー』などなど、設定やシーンや小物をいろんなところからとっています。(ほかにもあると思うけど)


エンターテインメントとして面白いと同時に、「エイリアン」として認識した相手(異人種、他国民、「よそ者」)に対する人間の行為を描いている佳作です。



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『ゴールデンスランバー』

2010-08-12 | キネマ


最っっ高!

 

 

 

(追記:以下ネタバレあり)



と見た直後に興奮して書いて寝てしまったのですが、最近見た邦画の中では出色のできばえでした。

現代の日本を舞台にした映画というのは、日常を知っているせいかどうしてもうそ臭いところが気になってしまうのですが、この映画は細かいところで不必要に大げさになることもなく、リアリティと、映画という「つくりごと」の役割分担がとてもよくできています。
細かいセリフがすべてきちんと伏線になってもいて、脚本かまたは原作(未読)の出来がとてもいいのだと思います。

ストーリーは、首相暗殺犯の濡れ衣を着せられた主人公が警察の追跡から知人・友人のつながりに助けられながら逃げるというものです。
この手の設定の場合、主人公が黒幕を見破って逆襲するところまでいくのがハリウッド映画の定番ですが、この映画ではうまく逃げおおせるところにクライマックスを持ってきています。
その分妙な黒幕が登場したりしないのでトンデモな設定にならずに済んでいるという部分もあるし、ストーリーが密度が濃くなっています。


お勧めです。

 


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所在不明高齢者問題つづき

2010-08-11 | よしなしごと

最初は年金受給目当てに家族が死亡を隠蔽しているのが多いと思って、この際一定期間に申し出れば刑事責任は問わず、不正受給の返還も1年分だけでいいなどのリーニエンシー(減免制度)を導入したらいいんじゃないかと思っていたのですが、身寄りがなくてほんとに所在不明という人も多いのかもしれません。

【所在不明高齢者】「国内最高齢」114歳以上が18人も
(2010年8月11日 00:39 産経新聞)  

神戸市で100歳以上の高齢者105人が所在不明となっている問題で、不明者の中に、本来なら「国内最高齢」となる114歳以上の不明者が18人、現在最高齢と同じ113歳の高齢者も3人含まれていることが10日、同市への取材で分かった。各区の担当者レベルでは、居住実体がないことは“周知の事実”とされ、市に報告する「100歳以上の高齢者」にも含まれなかったという。  

同市高齢福祉課は10日午前、不明者の最高齢について東灘区に住民票がある125歳の女性と発表したが、123歳(男性)、122歳(女性)、120歳(男性)がそれぞれ1人ずついることも判明。それ以外に114歳以上が14人もいた。  

市によると、各区役所の市民課でも職権で住民登録を抹消できるが、居住実体のない高齢者については担当者間だけで、申し送りのような形で代々引き継がれていたという。長年引き継ぎが行われた結果、住民登録の中だけで年齢を重ね、大量の“国内最高齢者”を生み出したとみられる。  

住民票の制度もいちばん基本のその人が所在するかどうかということを確認するしくみがないうえに、他の行政サービスとも連携がされていないわけで、住民基本台帳のネットワーク化というのも不完全な仕組みをネットワークで繋いだことにどれだけ意味があるのかということになりそうです。  
そもそも神戸市自身が住民登録がありながら国内最高齢を届け出ていなかったということは、行政も不備があることを知っていたわけですよね。

歴史的にはいろんな反対があったようですが、戸籍制度や行政サービスの享受、納税など一つにまとめることを考えたほうがいいと思います。  

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上機嫌なう?

2010-08-09 | よしなしごと

職場のPCではツイッターにアクセスできないこともあり、あまりまじめにやってないのですが、ツイッターについての医学都市伝説経由のネタ  

米合衆国のツイッターユーザーは、全般的に言って西海岸在住者の方が東海岸に比べて幸せで、時間的に言えば日曜の朝がもっとも幸せで、木曜の夜が一番不幸せであるそうだ。  

そんな研究結果を発表したのは、ボストンにあるノースウエスタン大学とハーバード大学医学部の研究者である。彼らは米国から発信された3億のツイッターメッセージを解析し、国全体の幸福度を測定しようと試みていた。  

研究者たちはオンラインで得られたツイッターメッセージに使われている単語に対して、気分のレベルを反映したレートをつけて幸福度の尺度とした。例えば、“love” とか”triumph”は高い点数で、“hell” や“death”は低得点になる。

それを動画にしたのがこれ。

 


面積の大小がTweet数を、緑が良い気分、赤が悪い気分を表しています。  

全体的に赤が多いのが気になりますが、西海岸とフロリダ半島あたりは東部・中部に比べると全体的に気分がいい感じです。 

また、東西で3時間の時差はあるもののの、一日のトレンドは大体同じ。
朝一番は機嫌がよく、昼過ぎから機嫌が悪くなって、夕方(アフターファイブ)から夜にかけて気分が回復するものの、深夜になるとまた機嫌が悪くなります。  

朝は気分よく出かけるものの、午後になると仕事の文句などが増え、仕事が終われば気分は回復するけど、帰宅して落ち着いたり深夜残業していると、論争や言い争いが起こりがち、というところでしょうか。  
(詳細はこちらをご参照)  

日本でも誰かこれやると面白そうです。
Tweetの数と地域の関係なども興味あります。

でも、言葉の選定が難しいかな。

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ウェブ・マーケティングのちょっと困った弊害の実例

2010-08-07 | よしなしごと

ウェブ・マーケティングの進化に伴い、個人のサイトの閲覧履歴やネットショッピングの情報などの個人情報が広告に利用されていると言われていますが、実際に困ったことになる可能性がある、という実例を見つけました。

みんな! 楽天の広告に注意だぞ!  

とまぁそういうわけですので、男性読者の皆様方におかれましては、恋人と一緒にネットを見る際には楽天の広告に十分ご注意くださいますよう、この記事で啓蒙させていただく所存にございまする。  

ということで僕も勝間和代女史のサイトにアクセスしてみたら、楽天の広告は酒と本ばっかりでした(苦笑)

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二者択一の陥穽

2010-08-06 | よしなしごと

日本のことかと思った。

A pain in the pocketbook

According to Ryan, the fundamental question would be, "Do we want to have an opportunity society with a safety net or a cradle-to-grave society with a welfare state?"  
ライアン氏(ウイスコンシン州下選出の共和党下院議員)は、つきつめれば「我々はセーフティネットつきのopportunity societyとゆりかごから墓場までの福祉国家のどちらを求めているか」という問いが根本だという。  

Put aside the fact that Republicans are voting en masse against a safety net -- even unemployment insurance -- for the "opportunity society," or that Democrats are a far remove from proposing a cradle-to-grave welfare state. The problem with Ryan's formulation is that it reflects an old, outmoded debate, not the reality facing us now.  
共和党が"opportunity society"のセーフティネットをひとまとめにして反対している--失業保険ですら--ことや、民主党がゆりかごから墓場までの福祉国家から遠く離れていることはひとまず置いたとしても、ライアン氏の定式化は、古く、時代遅れで、我々の置かれている現実と離れているという点で問題である。  

What we need is a fundamentally new strategy for the United States in this global economy. We've had a bipartisan consensus on embracing the transition to an information-and-service economy -- letting manufacturing be shipped abroad, ignoring unprecedented economic inequality and unleashing financial and corporate power. The result has been stagnant incomes for most Americans, rising insecurity, a declining middle class and the prospect of chronic high unemployment. The "opportunity society" offers less and less opportunity; the "welfare state" less and less welfare.  
我々にとって必要なのは、現在のグローバル経済における合衆国の抜本的に新しい戦略である。両党派とも、情報・サービス経済--製造業は海外に移転し、過去にはなかった経済格差に目をつぶり、金融機関や企業により大きな自由を認める--への移行を受け入れることには合意してきた。その結果が、大半のアメリカ国民の収入の伸び悩み、不安定性の増大、中流階級の減少と慢性的な高失業率である。"opportunity society"がもたらす機会(opportunity)は日に日に少なくなり、福祉国家のもたらす福祉は日に日に乏しくなっている。  

What we need is an adult debate addressing those things vital to a successful, high-wage economy with a broad middle class. This would surely include dramatic reforms and investments of our education system, modernizing our decrepit infrastructure for the 21st century, investing in science and technology, regulating finance, doing a forced march to recapture a lead in the emerging green industrial revolution, and ending the offshoring of trade policy to global corporations.  
我々に必要なのは、繁栄し、賃金の高い経済を多くの中産階級を維持しながら実現するために必要なことは何かについて、大人の議論をすることである。これは間違いなく教育システムの大幅な見直しと投資、老朽化したインフラの21世紀対応、科学技術への投資、金融規制、環境ビジネスの革新において主導権を取り戻すための、そして多国籍企業に対するオフショア貿易への規制を含む。
(※ 和訳は我流ですので正確性は保証しません(^^;) 

日本における与党と野党の景気刺激か財政再建かについての議論を思い起こさせます。 
二者択一の選択肢自体が現状に合わなくなっているにもかかわらず旧態依然とした議論の枠組みから抜け出せていないではないか、という批判は日本にも当てはまりますね。 
経済学の世界でも、依然として「○○派」という(自称?レッテル貼り?)のがあるようですし、議論だけをするなら論理の立脚点が明確なほうがやりやすいので、自然と「AとBの優劣」という議論になりがちなのかもしれません。  

達成すべき目的を合意したうえで、さまざまな施策を試行錯誤しながら検証していくというやり方は、入り口の議論に時間をかけすぎたり、逆に一度始めた方針が間違っていたと思っても意地になって続けるよりは現実的だと思うのですが、不安定な政権だとそもそもの目的が玉虫色だったり、悪い結果が出るたびに揚げ足取りにあって試行錯誤ならぬ迷走に陥ってしまうので、今の日本の政治情勢を考えると難しそうでもあります。
今の日本で手っ取り早く政権の安定をもたらす方策としては民主・自民の「大連立」という手がありますが、権力闘争やポスト争いをせずに経済と財政の建て直しにfocusした政権運営ができれば、という条件付ですね。


ただ、記事の最後の段落の"a successful, high-wage economy with a broad middle class"という目標は日本についても同様だし、しかも日本はつい20年前まではそれを実現していたわけですから、アメリカよりもゴールに近いところにいると思えば少しは気が休まるかもしれません。 
もっともアメリカと比べて少子高齢化が進んでいるので、そちらのハードルは高くなりますけど。

シンガポールや中国が上の目標に向けて比較的安定的な経済運営ができているのも、主義主張レベルの議論をする手間を省いていることが大きな理由になっているかもしれません。  

日本でいえば「1950年体制」がそのスタイルに近いですが、当時戦後復興・経済成長というわかりやすい目標(「坂の上の雲」)を目指すのと違い、五里霧中の雲海からどうやって無事に抜け出すかという状況では、政治家と官僚の従来の役割分担は若干変えたほうがいいと思います。
もっともそれは細かいところ(にこそ)政治家が首を突っ込むという今の「政治主導」ではなく、政治には試行錯誤・仮説検証の舵取り(go/stopの判断)、官僚には仮説の提示とその実行、検証可能なデータの収集・分析が求められるのではないかと思いますし、本来それは官僚や行政機関の得意技のはずですよね。 

 

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