一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

米下院、金融安定化法案否決

2008-09-30 | よしなしごと

以前どこかの国で見たような光景ではあります。

米株式が急落、ダウの下げ幅は過去最大
(2008年9月30日(火)07:14 ロイター)



29日の米株式相場は急落し、ダウ平均の1日の下落幅は過去最大となった。世界的な金融市場の混乱を収束させるために不可欠とみられていた米金融安定化法案が下院で否決されたことで売りが膨らんだ。ダウ工業株30種は777.68ドル(6.98%)安の1万0365.45ドル。


どうせなら7が5個そろえば見事だったと思うのは僕だけではないはず・・・

共和党・民主党の首脳部は賛成を働きかけたにもかかわらず、民主党の4割、共和党の6割(!)の議員が反対票を投じたそうです。 

「税金での金融機関救済」というのがストレートに受け入れられないのは洋の東西を問わないようです。

朝のBSでのABCニュースで、金融関係者が国民のほとんどが直接的・間接的に株式市場にかかわっており今回の急落の影響を受けている(1日で失われた時価総額は公的資金注入予定額より多い)、というようなことを言っていましたが、日本の経験では「俺たちを助けなきゃ困るのはお前たちだ」というような言い方は逆効果にもなりえます。
しかも、日本市場の場合は「外国人株主が売りに回っている」というように他人の目を気にすることがある意味判断のバランスを取る効果もある(往々にしてバランスを崩すことも多いですが)のですが、アメリカはそうじゃないでしょうから、自分自信で納得するまでかえって時間がかかりそうです。


PS
中国政府は、新たな(そしてリアルタイムの)勉強材料ができたと喜んでいるかもしれませんね(そんな余裕はないか・・・)。

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ヤマダ電機

2008-09-30 | あきなひ
昨日取り上げたヤマダ電機、電車の吊広告に「9/26渋谷店オープン」と大々的に宣伝してました(参照)。

この場所ってスルガ・コーポレーションが地上げしたとこですね(しばらくスルガの仮囲いがありました)

いや、別にヤマダ電機がスルガを使った、というつもりはないのですが(そもそも今の所有者が誰かも知りません)、ヤマダ電機の出店先はけっこう濃い目の有名物件が多いような気がします。
今の池袋店も、もともと競輪の場外車券場の計画があったものを地元の反対で断念したあとですし。
(別にトラブってはいませんが、新橋の十仁病院跡のビルもヤマダ電機ですね)

元々の買値がすごく安ければ別ですが、収支的にギリギリの場合は投資家か融資する銀行かお金を払う人(ビルの場合はテナント)の誰かがアグレッシブでないと成り立たちません。
ヤマダ電機はそういう物件に突っ込んでいくからこそ後発ながら都心部での出店が可能になったのかもしれません。


でも、一般的には破格の条件を出すplayerはどこか無理をしているので中期的な相場変動の中で破綻するリスクが大きいというのが(今般のアメリカの金融機関に限らず)歴史の教訓でもあります。

ただ、私は誰に組するわけでもないので、ヤマダ電機にはがんばって日本経済を支えてもらえればと思います。
(それにもう少しきちんと店員教育をしていただくと、よりいいかと)


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池袋三越閉鎖

2008-09-29 | あきなひ

昨日久しぶりに池袋に行ったので、先週のニュースを思い出しました。

ヤマダ電機、三越池袋店跡に出店へ 国内最大級
(2008年09月26日 16時17分 ITMedia News)

三越伊勢丹ホールディングスは25日、傘下の三越の池袋店や鹿児島店など6店舗の閉鎖を発表。このうち池袋店については来年5月6日に閉鎖し、同店の土地と建物などは不動産投資信託を手掛けるシンプレクス・リート投資法人に750億円で売却することになっている。  
ヤマダはシンプレクスが買収した店舗を賃借。約50億円を投じて改装し、都市型量販店の「LABI」として、2010年の開業を目指す。  

ヤマダの08年3月期の連結売上高は約1兆7000億円で、セブン&アイ・ホールディングス、イオンに次ぐ小売業界3位。規模は大きいものの、主戦場である東京都内での家電シェアは1割ほどしかない。そのため、これまでに東京・秋葉原や新橋などに都市型店舗の「LABI」を出店。池袋にもすでに出店しているが、2店体制にして業界5位のビックカメラなどとの“家電池袋戦争”を戦い抜く考えだ。

池袋はものすごい人出でしたが、若者が多く、三越の客層になるような人は少ない感じでした。
そして西武百貨店と東武百貨店の巨艦店に比べ規模も小さいので独自性も出せなかったのかもしれません。


最初にニュースを見た時、池袋には既にビックカメラ本店の隣(駅からは奥のほう)にヤマダ電機の大型店があるので、こちらはどうなるんだろうというのが真っ先に浮かんだ疑問だったのですが、前の店も残すんですね。
ビックカメラはもともと池袋が発祥なので池袋だけで5店舗もあるのですが本拠地になぐりこみというところでしょうか。

ヤマダ電機は最近都心部への出店を加速していて、噂では周辺相場に比べるとかなり破格の賃料を払っているらしいのですが、よほど儲かるみたいですね。

老舗百貨店のリストラの跡地に量販店、というのもなにやら象徴的ではありますが、もとはといえば三越の前身の越後屋呉服店も「現銀掛値無し」を売り物に繁盛したのですから、長期的な目で見れば同じサイクルの繰り返しなのかもしれません。


あと、三越から不動産を買ったシンプレクス・リート投資法人は多分シンプレックス・インベストメント・アドバイザーズが運用している未上場のリートだと思うのですが、シンプレックス・インベストメント・アドバイザーズはもともと日興コーディアルグループが大株主の上場企業だったのがシティグループの傘下入りに伴いゴールドマン・サックスとエートス・ジャパンという不動産ファンドがTOBで取得し非上場化した会社です。

このご時勢になかなか大きな投資ですが、ファイナンスがどうなっているのかとか、非上場リートの出口のシナリオとしてどのようなことを考えているのか興味があります。

 

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中山国交相辞任

2008-09-28 | まつりごと

所管の政策以外に関する失言で辞任するというのは異例ではないでしょうか。

「問題発言」の全文は知らないのですが、マスコミ報道を見ると、不用意でメディア・リテラシーがないことと戦後教育に批判的だということはわかります。

中山国交相、辞任 在任5日、麻生政権ダメージ
(2008年9月28日(日)10:16 朝日新聞)

「日教組が強いところは学力が低い」などの一連の発言に対する批判が広がり、国会審議や総選挙への影響を最小限に抑える必要があると判断した。在任期間は5日間。88年12月にリクルート問題で辞任した竹下内閣の長谷川峻法相の4日間に次ぎ、戦後2番目に短い。

ただ、今読んでいる本が、客観的には不合理に見える行動も当事者は合理的に判断した結果である、ということを言っているので、中山国交相の発言も本人にとっては合理的なのかもしれません。

たとえば次の総選挙で当選が困難な事情があるとか、総選挙で自民党が勝ったとしても内閣改造時に留任できないなど、大臣になるのはこれが最後のチャンスで、世間の耳目を集められるうちに持論を展開しておきたい、というような事情があったとか。



それともやはり単なる○○なんでしょうか。
一時期「身体検査」が話題になりましたが、その前に能力検査と性格(適性)検査をしたほうがいいかもしれません。

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リプラス破産

2008-09-26 | あきなひ

株式会社リプラスが破産しました。

上場会社がいきなり破産というのも珍しいのですが、破産管財人就任のごあいさつ(平成20年9月24日)によると  

リプラスからの破産手続開始申立書等によれば、リプラスは、回収可能な資産に乏しく、一般債権に優先する公租公課や多額な労働債権があることから、破産債権に対する配当財源の確保が難しい状況です。このため、本件破産手続は、配当には至らず、異時廃止で終了する可能性があり、そうなると残念ながら破産債権者の皆様に対する配当はできないこととなります。  
そこで、債権届出に関する破産債権者の皆様の費用と労力を省くため、裁判所と協議の上、本件破産手続については、当面、破産債権の届出をして頂かない方法で手続を進めることと致しました。  

となかなかいさぎよい(?)ご挨拶をされています。  

リプラスは破産直前まで自分がスポンサーになっていたリートについてはオークツリー・キャピタルからの出資を受け、また、本業の家賃保証事業を会社分割で別会社にして存続を計ろうとしていました。
リートのほうは生き残りそうなのですが(オークツリー社による株式会社リプラスの破産手続開始に関する報道発表についてなど参照)、会社分割期日の10月1日の前に資金繰りが行き詰ってしまったので本体は破産してしまったようです。  

リプラスの本業は入居者が賃貸マンションを借りる際に連帯保証人を立てるかわりに保証委託契約を結び、オーナーに対して入居者に賃料滞納があった場合にそれを補填するというビジネスです。  
ここ数年は、不動産ファンドの運用会社から賃料滞納リスクをヘッジできると評価され、ファンドブームにのって急成長しました(そこで自らもリートを立ち上げたり中国での事業を始めたりしたところに市況の悪化がきて致命傷になったようです)。


知り合いの不動産ファンドの運用会社の人間は、リプラスの破産で賃料滞納リスクが顕在化して収益性に悪影響が出たり、ただでさえ厳しい金融機関がより厳しくなるのではと心配しています。  


でも考えてみると、リプラスの存否に関わらず入居者自身の賃料滞納リスクは変わらないはずです。
逆にリプラスの審査を通った分だけ一般の入居者よりは信用力が高いかもしれません。 もしリプラスが事業の拡大のために審査を甘くしていたとしたら、そもそも家賃保証事業というもの自体が遅かれ早かれ破綻するはずで、そうだとすればそもそも最初からリスクはヘッジされていなかったことになります(実際は本業の家賃保証事業は順調だったけど、リートへの物件売却や中国での事業などでつまずいたと聞いています)。

また、家賃保証会社を使わずに普通に入居者が連帯保証人を立てた場合は、回収作業にコストがかかりますし、実は連帯保証人が無資力だったとか死亡していたなんていうこともあります。

「賃料滞納リスクをヘッジしていた」という考え自体が誤りで、そもそもリプラスの信用リスクの見極めを誤っていたのが顕在化しただけなのではないでしょうか。
さらに、不動産ファンドの入居者のうちリプラスの賃料保証のシェアが大きいほど、本来は破綻した場合のダメージが大きくなるので損害の期待値も高くなるはずなのですが、それも計算に入れていなかったことになります。


結局、サブプライム(というかCDS)問題同様、リスクの正確な評価というのがいかに難しいか、また、その時点でうまく行っている仕組みに対しては評価が甘くなるものだ、という実例がもうひとつ積みあがっただけなのかもしれません。


ファンドマネジャー氏には申し訳ないのですが、事業の仕組みの中にリスクの過小評価のうえに成り立っていた部分があって、そこのお化粧がはげたというだけのことで、バブルの崩壊というのはいつもそういうもの、ともいえます。
件のファンドマネジャー氏はそうではないとは思いますが、賃貸管理はプロパティマネジャー(不動産会社)にまかせ、家賃の滞納はリプラスなどに保証させ、金融機関も融資に積極的ローンはつくし投資家も集まりやすいという中であまり考えずに「右へならえ」で楽な商売をしていた人には厳しい状況が続きそうです。

バブル崩壊局面では、今までのリスク評価への信頼が揺らいだ反動として過剰な信用収縮が起きるのもつきものですが、今回は既に起きている金融機関の信用収縮
に加えて上にあげたような、他の要素も大丈夫かなると、負の循環が加速していく可能性があります(プロパティマネジャーの信用リスクとか)。


お金の世界の人が読み違えてお金に裏切られる、というだけならまだ仕方のないことかもしれませんが、今回はコトが賃貸マンション・アパートということがらだけに賃貸借契約のあり方など日常生活に影響が出るかもしれないところもちょっと気になります(少子高齢化の中で連帯保証人制度というのが機能しづらくなってきているという構造がある-そこにリプラスの事業のcutting edgeがあったわけですが-のも事実だと思うので)。


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牛の受難

2008-09-25 | ネタ
東京駅から日本橋にかけての風景


東京駅周辺では2年ごとのイベントCow Parade Tokyo Marunouchi 2008が開催されています。

こんな感じでアーティストがデザインした牛のオブジェがビル街に置かれています。



これは、丸の内のはずれ、東京駅の日本橋口の近くにある牛





場所的に言うと、この写真の左の矢印のビルの陰にあります。









実は写真の右側の矢印のところにもう一頭牛がいます。









こちらはcowでなくメリルリンチ日本証券のビルについているトレードマークのbull






遠くで見にくいのですが、正式なのはこんな感じ








残念ながら、メリルはbullからbearになってしまいましたし、
(でもBear Stearnsまではいかなかったのが不幸中の幸い?)

cowも中国産乳製品のメラミン混入で大騒ぎになっています。




今年は子年なのですが、どういうわけか牛が受難の年回りのようです。



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『学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常』

2008-09-24 | 乱読日記
東京大学には2年の教養課程を終えた時点で志望の学部を変更する「転類」ができるのですが、最近転類の制約が緩くなり文科と理科の間の転類も比較的容易になったそうです。
その結果理科Ⅰ類の転類先として経済学部が一番になったとか。

メーカーの技術者になるより金融機関に就職したほうが手っ取り早く金を稼げる、というような考えがあるのかもしれません(憶測ですが)。

ところがそうこうしているうちに、高給取りの象徴たる米国の投資銀行の名門2社が商業銀行持ち株会社化して投資銀行の看板をおろすということになってしまいました。

別に学生の軽挙妄動(そもそもそうだと決め付けることもできませんし)を揶揄するつもりはなく、また、人生自分の選択だけでなく時代の流れに左右されるもの、ということは早めにわかったほうがいいです。
転類先も学問分野として全く興味がないわけではないでしょうから、一生懸命勉強して欲しいと思います。


さて本書は「わだつみのこえ」に代表される学徒兵たちの軍隊(戦場でなく主に兵営での)経験についての日記や戦後に発表された手記などをもとに、彼らが一般の兵士からどう見られたか、彼ら自身が自分やお互いをどう見ていたか、そして軍隊の制度が高学歴者をどう扱ってきたか(帝国陸軍も単純な学歴平等社会ではなかった)を詳しく検証することで旧制高校という当時のエリートの世代を浮き彫りにしようという力作です。

本書を読むと、改めて旧制高校というエリートの仕組みが日本の成長過程での微妙なバランスの上に成り立っていたことがわかります。
一例で言えば、ある程度の高等教育の大衆化がなければ試験での選抜は不可能であったし、逆に高等教育が大衆化した瞬間に旧制高校自体が「エリート」でなくなってしまうわけです。
その意味では、第二次世界大戦がなかったとしてもいずれは維持できなくなるものだったのかもしれません。


つぎに印象に残るのが、学徒兵の世代(1920年代=大正10年代生まれ)が「貧乏クジ」「ロストジェネレーション」世代であったということです。

彼らの父親の世代(1880年代生まれ)が学生の頃は日露戦争があったものの、学生には徴兵猶予の制度があり(なので明治の文学に戦争体験に関するものがほとんどない)、またそれ以後は戦争がなかったために一つ前の世代の兵役生活は非常にのんびりしていたそうです。
そして戦争後はいわゆる「戦後派」の若者(大江健三郎、石原慎太郎、江藤淳などの1930年代生まれ)に「戦中派」の戦争体験への固執を批判される側に回ります。

そして学徒兵の世代の子供たちが経済成長を謳歌した「団塊の世代」にあたります。
さらに「団塊ジュニア」の世代はバブル崩壊後の経済低迷の下でまた「ロストジェネレーション」のめぐり合わせになっています。


本書でもあとがきで「論座」で話題になった赤木智弘の「「丸山眞男」をひっぱたきたい」に言及しています。
著者が言うように学徒兵たちについての世代論は、当時の旧制高校出という孤立したエリートの問題、いわば「コップの中の嵐」なのに対し、現在は産業構造の変化に伴う社会全体の問題であるところに根深さがあります。

「中学も出ていない一等兵が東大出のエリートである丸山眞男をひっぱたく」というエピソードがこの論文の題名の由来になっています。
しかし東大生がエリートではなくなった(依然として入るのは困難ですし学生や教育のレベルは高いとは思いますが、旧制高校-帝国大学のような社会的優遇は受けていない)現代においてそれを再現することの意味が薄まってしまっているところに問題の根深さがあるように思います。(そして、帝国陸軍でさえ平等な社会でなかったことを考えると、戦争になった場合に「格差」が助長・固定されない保証がないところにも。)

そして、一部のエリートがいればどうにかなる時代でもないでしょうから、なおさら人材の流動化の仕組みが大事になると思います(既に僕自身も世代的には既得権に胡坐をかく側に近くなりつつありますけど(汗))。



話がだいぶ本書の内容からはそれてしまいましたが、旧制高校と学徒兵という歴史の「実験室」を検証した面白く、また最近のブームに乗った新書と違い骨太の本です。



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入口と出口

2008-09-22 | よしなしごと

AO入試の前に基礎テスト案 大学生の学力低下対策
(2008年9月22日3時1分 朝日新聞)

推薦入試や人物本位の選抜をする「アドミッション・オフィス(AO)入試」で大学に入る人を対象に、センター試験より基礎的な内容のテスト(高大接続テスト)を実施する――。政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は22日、大学生の学力低下対策として、こうした方針を打ち出す。  
文部科学省の調査では、07年春の大学進学者のうち、推薦入試やAO入試での進学者は全体の4割を超える約25万8千人。一部の大学では、全く学力検査なしで受け入れている。  
懇談会では、こうした現状が「大学生の学力低下につながっている」と指摘。進学者の学力を担保するため、推薦入試やAO入試で学力検査を課さない場合でも、最低限、新たに設ける高大接続テストを入学者選抜に利用するよう推奨し、一定レベルに達しない場合は入学させないように求める。

問題は入学者のレベルの問題ではなく、卒業者のレベルの問題だと思うのですが。


おそらくAO入試の目的は学力テストだけでは拾いきれない多彩な能力を持った学生を集めることを目的としているのでしょうが、彼らの学力を大学卒業程度に引き上げることは、大学側の教育という本業のはずです。

これはAO入試に限らず、少子化が進む中では大学入学のハードルがだんだん低くなってきている中で大学全般について言える問題です。

逆に言えば、一部の人気高・名門校は入学試験で優秀な学生を選抜しさえすれば教育内容に関わらず一定レベルの学生が育つわけで、結局このへんの構造は塾や予備校の「実績」と同じなんじゃないかという感じもします。


卒業した学生を新卒で採用する企業側も、現在は4年生の春先には内定を出していて、大学の成績は事実上不問にしています。また、大企業でもソニーが始めた「大学名を聞かない」という採用方法も流行しています。
これは

① 企業は大学卒業者であれば一致の学力レベルを期待している
② そもそも企業は新卒の大学生に一定の学力レベルを期待していない

のどちらかだと思うのですが、①であれば、そのうち採用方法も大学4年の後半に成績(と当然大学名)を確認して行うようになると思います。

そしてそのほうが大学も淘汰されないように学力強化に力を入れたり独自性を追求したりするし、就職の青田刈りのために優秀な学生が大学院などへの研究者の道を選択しにくくなる(それは結局日本の基礎研究力の低下につながります)という弊害も解消することにつながります。


AO入試+センター試験より簡単な試験、というのは大学側の教育の努力の向上にもならないし、あまり有効な改善策とは思えません。

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社会保険庁のその後

2008-09-21 | よしなしごと

自民党総裁選、汚染米騒ぎなどですっかり影が薄くなった感のある社会保険庁問題ですが、相変わらず末端ではゴタゴタが続いているようです。

実家に顔を出したところ、父親宛に6月頭に「あなたの需給記録に不備があったようなので正確な記録を確認したい」という手紙が来て、早速返事を出したものの、その後なしのつぶて。
1ヶ月たっても返事がないので問い合わせ先に電話したら「大量にあって間に合わないんですよね」といかにも定形の謝り文句を繰り返すだけで話にならず。
そして3ヶ月経った後も音沙汰なしだそうです。

もっとも、母親のほうは父親と比べて加入期間や標準報酬の割りに受給額が多い(自営業だったので比較が簡単)らしく、まあ、放っておこうということのようです。

一方で標準報酬月額の改ざん問題については両親はけっこう鷹揚でした。父親が昭和20年代に勤めていた会社は社会保険料などまともに払わないのは日常茶飯事だったらしく(ウソかホントか銀行がうるさいので温泉宿に逃げて決算作業をやっていたとか(笑))、社会保険庁がそそのかすのは論外としても、昔はそんなに珍しいことではなかったそうです。
(ちなみに今ではその会社は東証一部上場、それも時価総額ではけっこう上位の企業です(汗))


別の話としては、社会保険庁は現役世代への「ねんきん特別便」の配布・回収をそれぞれの企業に事実上強制的に依頼しているそうです。

事業主の皆様へ~従業員の皆様の「ねんきん特別便」の配付・回収について~
(社会保険庁HP)

「ねんきん特別便」は年金加入者の皆様に確実にお届けし、必ずご回答をいただくことが重要ですので、会社にお勤めの方につきましては、できる限り事業主の皆様のご協力をいただき、「ねんきん特別便」の配付及び年金加入記録回答票の回収を行っていただくこととしております。  
ご協力をいただく事業主様には、大変お手数をおかけいたしますが、6月23日から9月下旬にかけて、従業員の皆様の「ねんきん特別便」をお届けしますので、配付や回収について、何卒宜しくお願いいたします。

と、言葉遣いはていねいなのですが、けっこう取扱には(自分のことは棚に上げて)うるさいことを言っています。


おまけに、これと示し合わせたように、配送業者から「ねんきん特別便は『信書』にあたるので、支店・営業所従業員への配布に業者を使う場合には許可を受けた信書便事業者でないとダメですよ」などという売り込みのDMが届くのだそうです。
要するに普段使っている社内連絡用のクーリエとかメッセンジャー業者は使えないかもしれないよ、ということです。

この手回しのよさは、社会保険庁とつるんでいるんじゃないか、などと人事関係者は怒っていました。


コストと責任を転嫁するにはいい方法なのでしょうが、あまり調子に乗ると事務処理機能だけなら民営化したほうがいい、という話になってしまうと思うのですが。

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amazonの裏蓋広告

2008-09-19 | あきなひ
Amazonで注文した本が届いたので箱を空けたら、内側にこんな広告がありました。



これはキリンとのタイアップ広告ですね。
("Smooth"というのがどんなものなのかは知らないですが(汗))
多分初めての試みではないでしょうか。


ところで、広告を箱の内側に印刷するということは、普通の配送用のダンボール箱に「Amazon」などと印刷してある面の裏面に印刷する必要があります。
ダンボールの両面に同時に印刷できるような機械は(多分)ないので印刷する工程が倍になります。

さらに印刷をよく見ると、表面の「Amazon」などのロゴよりも薄いことがわかります。

とすると、普通の「Amazon」のロゴ入りの箱はどこかで大量生産しておいて、広告部分だけは別に期間限定でスポンサーを募集して、スポンサーがついたつど印刷しているのかもしれません。

ところでダンボールの印刷にはフレキソ印刷という技術があるようです。
これは凸版印刷の一種で、ローラーに取り付けたゴムにインクをつけて印刷する方法で、柔らかかったり不定形なものに印刷することができます。

Amazonの箱を見ると、箱の組立ては糊付けでされているので、商品を入れて自動で組みあがる方式のようなので、組立て直前の工程で展開図の状態になっている箱に印刷することができます。
そうすれば広告期間の設定なども自由度が効きます。

さらに、発注者の嗜好に応じて印刷ラインを複数作れば、ターゲットの属性に応じた広告の印刷が可能になるかもしれません。
やる気になれば注文した書籍の内容を点数化して効果的な広告を印刷することもできるでしょうし、それではコスト的に間に合わないとしても、男女別とか年齢別くらいの分けは可能だと思います。


将来はインクジェットプリンタのように1枚1枚内容を変えることができる印刷方法が利用できれば、注文データのバーコードと連動してネット広告のようにピンポイントに広告掲載ができるようになるのかもしれません。
(実はもうなっていたりして(汗))


素人考えですが、ひょっとするとこれは画期的な技術なのかもしれません。

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最初はみんなこう言うようで

2008-09-18 | あきなひ

リーマン・ブラザースの破綻やAIGの救済の話は、アメリカのことは詳しくないし、日本のことは生臭いのでスルーしようと思っていたのですが、そういえば自分自身AIGグループのアリコの生命保険に入っていたなぁ、とHPを見てみました。
(呑気なのは株式投資などと違い生命保険はおいそれと換金するわけにも行かないし得でもないのでどうしようもない、というだけなのですが(笑))

2008年9月17日

お客様各位

AIG, Inc.に対するFRB(米国連邦準備制度理事会)による資金供与について この度の米国金融市場を巡る各種報道に関しまして、皆様にご心配をお掛けしておりますことを心よりお詫び申し上げます。

本日(米国東部時間9月16日)、米国連邦準備制度理事会および米国財務省の支援によりニューヨーク州連邦準備銀行からAIGに対して最大850億ドル(約9兆円)の融資枠を設定することが公表されました。これにより、AIG, Inc.の短期資金調達に関する懸念は解消されることとなりました。

アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(通称アリコ)は、AIG, Inc.傘下の保険会社ですが、米国デラウェア州より免許を受けた保険会社として世界55以上の国と地域において各国当局の監督のもと生命保険事業を営んでおり、AIG, Inc.とは独立した会社として運営しています。アリコジャパンはアリコの日本支店として日本政府から免許を受け、金融庁の監督のもと保険業法等関連法令に基づき日本における生命保険事業を行っています。

また、アリコジャパンは2008年6月末時点での純資産額1,801億円、ソルベンシー・マージン比率809.6%と強固な財務基盤を維持しており、当社のご契約者様への保険金のお支払いについては問題ございませんので、何卒ご安心いただきますようお願い申し上げます。

アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー


アリコは救済されたので破綻したわけではないですし、最悪の場合もアリコも生命保険契約者保護機構に入っているのでゼロにはならないだろうと思っていたのですが、ここまで「大丈夫」と言われると天邪鬼としては逆に疑りたくなります。

アリコはAIG,incと別法人でソルベンシーマージン809.6%と言っても、アリコが資産運用先としてAIG(の組成するファンド)に投資していたりすると、そもそもの純資産の存在自体がどこまで根拠があるのかも怪しいです。
持株会社であるらしい(参照)AIG,incが運用している資産って、子会社と切り離されているとしたらどこから調達してきたものなのでしょうか?
(この辺、先のバブル崩壊局面において信託銀行をつぶすことができなかった状況と似ているかもしれません。)

同じくAIGグループの損保会社AIUのHPを見ると

ニューヨーク発、2008年9月16日-AIGは本日、米国内及びアジアを含む全世界でのAIGの生命保険、損害保険とリタイアメントサービス業務は引き続き正常に業務が行われており、十分な資本力により保険金支払い等に影響が無いことを発表しました。

AIGは、持ち株会社において、引き続き短期流動性を増加させるための選択肢を追求しています。これらの計画には、保険子会社の資本を減少させたり、アジアの子会社の流動資産を利用することは含まれていません。

世界中のAIGの保険会社が引き受けた保険契約は、それぞれの地域での保険会社が直接支払い責任を負います。これらの保険会社の資本力は、それぞれの地域の法令の定める基準を十分に満たしております。

最初はみんなそう言う、というような科白ではあります。
多分みな、「現時点では」という留保がついていると考えたほうがいいかもしれませんね。


また、別の(ちょっと楽観的な)見方をすれば、今回AIGグループの世界中の保険契約を反故にして各国の個人にまで迷惑をかけるようなことになれば、各国で(少なくとも日本では)米系の保険会社が「所払い」にあったり、支払能力の確保や資金の国際運用に厳しい制限が科されてしまうので、結果的にアメリカの金融ビジネス全体に大きな影響があるという判断をしたうえでの公的資金注入だとすれば(素人としてはそれくらいしかリーマンとの違いが思いつかない)、既存の保険契約自体は安心できるとも考えられます。


しかし、保険会社の方が自分より先に死ぬとはねぇ・・・(あ、死んでないか) 

社会人になったときに義理で入った朝日生命(あ、言っちゃった)も半病人のままだし。
 

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『神罰』

2008-09-17 | 乱読日記

今年は手塚治虫生誕80周年だそうです。

だから、というわけではないのですが


副題に「田中圭一最低漫画全集」とあるようにお下劣下ネタ満載の短編集です。
(出版自体は2002年)

表紙にあるように手塚治虫の画にそっくりのキャラクターが、お下劣ネタを繰り広げる、というものです。
手塚治虫のほかにも藤子不二雄や本宮ひろ志のキャラが出てきます。
確かに作者は芸達者なのですがその才能をパロディにぶつけているところが潔くもあります。

後半には作者のオリジナルの作品もあります(タイトルは紹介がはばかられるようなものですが(笑))。

作者の田中圭一氏は会社員と漫画家の二足のわらじをはいていて、会社員としては玩具業界・ゲーム業界で(それなりに)活躍している人のようです。
また、漫画家としても劇画村塾出身という本格的な経歴です(巻末のしりあがり寿氏との対談によると泉昌之の『かっこいいスキヤキ』(参照)に影響を受けてギャグの世界にはいったそうです)。


僕は作者と同世代のためか、お下劣ネタが高校生の頃に戻った感じがしてとてもツボにはまってしまいました。
(同年代の男性に限定ですが)平日就寝前に読むと、あまりのおバカ加減にストレスが吹っ飛ぶこと請け合いです。


ちなみに上の表紙の帯は手塚治虫の長女手塚るみ子さんの直筆だそうで、裏側にはこうあります。

ライオンキングは許せても田中圭一は許せません!!



漫画好きを自称する麻生太郎氏は、この本を受け入れる雅量があるでしょうか。
(でもそうだとしても、表立っては言わないほうがいいとは思いますが。)

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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』

2008-09-16 | キネマ
(若干ネタバレあり)


1900年代初頭のアメリカ、皆が石油採掘で一攫千金を夢見る中で成功をつかんだ男の物語。
解説では、主人公の野心と欲望とその陰影というような説明がされています。

でも映画を観たあと、ひょっとしたら主人公は最後まで幸せだったのでは、と思いました。

主人公は事業の成功による巨万の富という世俗的な成功と人間関係の蹉跌というこれまた世俗的には失敗に分類される事象を経験しますが、主人公の根底には「世俗的な価値」、具体的にはスタンダード・オイルのような大資本やキリスト教的救済の世界観への反発心があったと思います。
主人公は結局それらを打ち負かしたわけで、世間はそれを狂気と評価するかもしれませんが、主人公は最後に心の平安を得たようにも思えます。

ラストシーンや、スタンダードオイルの人間や牧師の戯画化した描き方からそんな印象を受けました。
最大公約数的な、または期待値が最大になるような行動が求められる現代への監督の問いかけ、といってはうがちすぎでしょうか。


それから音楽がとてもいいです。


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『ノーカントリー』

2008-09-15 | キネマ
現代は"No Coutry for Old Men"(邦題は省略しすぎ)。

コーエン兄弟の作品。
マンハントの映画としてもよくできている。大げさでない恐怖の演出が見事です。
それぞれの登場人物や風景との微妙な距離のとり方もコーエン兄弟らしくていいです。
あとは映画を見ていただければと(人がいっぱい死ぬのでそれが苦手な人にはお勧めしませんが)。

そして、トミー・リー・ジョーンズ(今日が62歳の誕生日)が"No Coutry for Old Men"を体現する保安官役を演じます。


町山智浩氏の解説によれば、このタイトルはイエイツ詩からの引用だそうです。
最後のトミー・リー・ジョーンズの語りの意味がなんとなく言いたいことはわかるもののしっくり来なかったのですが、これを読むと多少はわかったような気分になります。


ところで借りてきたDVDにはおまけとしてアメリカのTVシリーズ『デクスター』の第一回が入っていたのですが、これは相当イカレたドラマです。
こんなのTVで放映していいのか、というくらいイカレた主人公と殺人(死体)シーンの連続です。

『ノーカントリー』の舞台設定1980年代なのですが、No Coutry for Old Menと言っていられたのはその頃までだった、既に今やOld Menの価値観を持った人間自体もいなくなってしまった、という含意もあったのかと改めて考えてしまいました。


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『仕事道楽―スタジオジブリの現場』

2008-09-14 | 乱読日記

この本、前回の最後にふれましたが、早速読みました。

スタジオジブリのプロデューサーで、高畑勲・宮崎駿とは徳間書店時代から30年来の関係にある著者鈴木敏夫氏がスタジオジブリの内側、というよりもっぱら高畑・宮崎両氏の個性的なキャラクターを中心にそれを支えてきた自分の仕事をふりかえっています。

支えている、というよりは3人が一体となってスタジオジブリを形作っている様子がよくわかります。
本書の中での宮崎駿の言葉

「おれとパクさん(高畑勲)と鈴木さんがずっといっしょにやってこれた最大の理由がわかった」
「何なんですか」
「お互いに尊敬しあってないこと」
・・・「尊敬していたら、いっしょに仕事できない」というのは僕もまったく同感でした。えんりょ会釈なく、存分に言いあうことで仕事が成立しているんですから「尊敬」という言葉は入り込む余地がない。「尊敬」すると「遠慮」gは生じますからね。
 ただ重要なのは、言いたいことを言って、それがそのまま受け取られること。不信感を持って聞かれると、違って伝わってしまう。そのまま受け止めてもらうための信頼関係は必要です。

さらっと言っていますが、これはかなりすごいことだと思います。
一般には仕事上のコミュニケーションとか意思決定には、能力に限らず地位とか権限とか資格とかに対する尊敬(または尊重)を前提にしていることがけっこうあります。
そのほうが楽だし、責任の所在が明確になるというメリットもあるでしょう。
そして「言いたいことを言って、それがそのまま受け取られる」というのは、より難しいことだと思います。
逆に所属する組織や役職など議論のテーマをめぐる利害関係を念頭において発言を受け止めるというほうが普通だと思います。

その意味では、3人の関係は極めて稀有なものといえましょう。

これは宮崎駿の「映画作りの3原則」

おもしろいこと
作るに値すること
お金が儲かること

という根底の目標に揺らぎがないからかもしれません。

きわめて個性的な3人がぶつかりながら(決して一致団結などはしない(笑))映画を作っていく様子がよくわかります。


くしくもこの本には逆に押井守氏に言及した部分があります。

 ぼくにはもともと「わからないものをわかるものに置き換えたい」という欲望があります。その手段として言葉が必要だと思っている。
 そのことのあらわれかと思いますけど・・・押井守に言わせると「鈴木と出会ってから宮崎駿は作るものがつまらなくなった」。ぼくが関わったことで、宮崎駿の作る映画に社会性が出てくるようになってしまった、それがどこかでうさんくさくて嫌である、というわけです。

として、2004年の読売新聞紙上での対談からの発言を引用しています。

押井 うさんくさいと思っていたんです。大上段に振りかぶった言い方や考え方が。
押井 〔鈴木について〕映画を作る人間は、どこかしら無意識でやっている部分があるから、それを言葉にして、意義付けしてくれる。ただ、同時に危険な面もあってね。映画を語ることはその映画を決定づけることに等しい。

前回紹介した本で押井守は、何でも簡単な言葉で片付けてしまう風潮に危機感をいだいていましたが、鈴木氏が優れていればいるほど、その反面危さも感じるということでしょう。
それが押井氏の

例えば、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは友人としてはともかく、仕事というフィルターを通すと、これほど面白い人間はいない。  

映画を作った党の監督が驚くような・・・評論にはめったにお目にかかれない。それが今、できているのはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーぐらいだろう。

という鈴木評につながっていたんですね。

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