一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『無葬社会』

2017-03-31 | 乱読日記

『寺院消滅』の続編。

今回は葬儀と墓に焦点を当て、少子高齢化の中での孤独死や厄介者扱いされる遺骨の問題、また、最近の新しい葬儀や墓の姿とそれにとまどいつつ試行錯誤する寺院を描いている。(ハイテク納骨堂の固定資産税課税問題(参照)などについても触れられてる)

前著とも通じることだが、寺院が「葬式仏教」と化し、死と向き合うことに対して頼るべき存在でなくなっているというところが根源にある。
「葬式仏教」の寺院が葬儀の変質で消滅の危機にあるのか、寺院の求心力の喪失が葬儀の在り方に影響を与えているのか、これはニワトリと卵の関係なのだろう。

本書では僧侶の国際ボランティア団体の創設者の言を引いている。

・・・ところが、江戸時代は、お寺の機能が檀家との関係に縛り付けられて、活力をそがれていったのです。さらに、近代とくに現代になって都市集中や都市化が起きたり、<遅延共同体>というのが壊れてきます。それと同時に、寺というものが機能を果たせなくなったのです。
 でも、こうなったのは、お坊さん自身が、僧侶である以前に、一人の人間としての市民意識を持っていなかったからなのです。そのために安住した共同体の崩壊と一緒に役割を見失ってしまったのです。お寺をどうするか、仏教をどうするかということはどっちだっていいのです。永遠に続くものは、この世の中には一つもないというのが、お釈迦さんの教えなのです。とすると、仏教も世の中に役立たない、存在意義を失っているとするならば、無常の流れの中で消えていくのはきわめて当然でしょう。
 大事なのは、宗教者の一人一人が時代の苦悩というものを、自分の課題としてどう受け止めるのか。それが問われているのだと思います。

この考えを極端にすすめて、もはや寺院には期待できないと考ええるのが『0(ゼロ)葬--あっさり死ぬ』のスタンスになろう。


一方で著者は(寺の出身ということもあってか)一縷の希望を持っているように思える。

 鎌倉新書(注:葬儀、仏壇、お墓のポータルサイト運営会社、マザーズ上場!)の総裁担当者は、「それでも葬式と仏教(寺院)が切り離されることはないと思います」と指摘する。同社によれば、現在、葬儀の九割が仏式、あとは神式やキリスト教式で、無宗教式はまだわずかだという。
  「死に対する説明ができるのは、宗教家だけです。遺族としっかり向き合い、感動する葬式をお坊さんが取り仕切れば、結果的に寺と葬儀社の両方の評価が上がります。逆に、お坊さんがいい加減だと、業者の責任にもなり、顧客離れにつながっていきます」(同社)
 死は逃れようがないが、僧侶が死の意味を説くことができれば、寺院も仏具店も葬儀社もきっと蘇る。1500年、日本仏教の歴史とともに歩んできたモノづくりやサービスの現場にも活力が生まれる。ひいては地縁の回復にもつながる。 

最後は贔屓の引き倒し風ではあるが、それに代わるも何かが登場するまでに寺院自体も変わらなければ、本当に消滅の道を歩むことになろう。

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『傷だらけのカミーユ』

2017-03-29 | 乱読日記

『その女アレックス』の続編でカミーユ警部が主人公の3部作の3作目。

1作目の『悲しみのイレーヌ』でカミーユ警部の亡き妻の物語が語られているので、それ読むとより主人公への思い入れと行動の背後への理解が深くなると思うがそれがなくても楽しめる。
「楽しめる」というのは語弊があるくらい、本作では主人公は精神的にも組織的にも追いつめられて、さらに最後に著者お得意の読むのもつらいどんでん返しが待っているところも前作同様。

ただ、『その女アレックス』の方がインパクトは大きかった。

間に『天国でまた会おう』も含め、こういう作風の作家はなかなかいない。



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『罪の声』

2017-03-27 | 乱読日記
面白かった。

グリコ・森永事件は証拠の多さや犯人(グループ?)の行動の特異さから、格好の小説の題材になりそうだが、実際には高村薫の『レディー・ジョーカー』くらいしかないのは、陳腐にならない犯人像の造形が難しいということもあるのかもしれない。

本書は、身代金取引の声が幼少期の自分の声であることに気づいた男性と、事件特集の企画に駆り出された畑違いの文化部の新聞記者が31年前の事件の謎を追う、という構成で、事実関係や証拠を一つ一つ辿りながら犯人像に迫る、という構成をとっている。

証拠に現れた犯人の行動の不自然な点から、犯人グループの全体像を導くところは圧巻の迫力がある。

電子書籍で通勤の合間に読もうと思ったが一気読みしてしまった。
各賞やランキングで上位に入るのも納得。


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『フリー』

2017-03-25 | 乱読日記
かれこれ10年前の本だが、今になって読み返すと、ここで取り上げられた企業の「その後」、この本が書かれてから生まれた企業がどうなったかを見る視点としても面白い。

この10年間でそれらのビジネスは生活様式を変えてきたことは確かだが、時価総額や買収価格だけでなく、利益も上げられている会社はいまだ一握りに過ぎないのも事実。

日本では軒並みキュレーションサイトに走って、ライターの賃金だをFREEに近くしながら広告料を稼ぐというのは筋悪な方向へ行ってしまったわけだが、なかなか著者のいう方向性でのビジネスが生まれてこないようだ(自分が知らないだけかもしれないが)。

たとえば鳴り物入りで始まったソニー不動産も鳴かず飛ばずだが、(参照:ヤフーとソニー不動産の新サービスが伸び悩む理由)本書の文脈でいうと「アトム」の世界をデジタルの世界に置き換えるようなビジネスモデルではないというあたりに問題があるんじゃなかろうか。


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『野村證券第2事業法人部』

2017-03-01 | 乱読日記
珍しく話題の本を早速読む。

オリンパス事件に関する潔白の主張が著者の出版の動機なのだろうが、それでは一般受けしないだろうと考えて、タイトルも含め著者の野村證券在籍時のエピソードを中心にした編集者の意図は見事に当たっている。

証券会社が「金融商品取引業者」でなく「株屋」でなんでもありだった頃の話が極めつけに面白い。
『狭小邸宅』のような「決め台詞」が随所に出てくる。

野村證券時代は相当無茶をやったが、窮地に立っても細部をきちんと詰めながら結果を出してきたことを前半部で誇る著者ではあるが、野村證券を退職した後のオリンパス事件がらみになると、一転して「~だと思ってた」などと急に脇の甘いことを言い出す(一方で関係者の証言の矛盾点には舌鋒鋭い)というコントラストが印象に残る。



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