一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『リーダーシップ アメリカ海軍士官候補生読本』

2012-04-30 | 乱読日記

アメリカの海軍兵学校の生徒を主な対象として1959年に書かれた本を野中郁次郎氏らが共訳して第一版が1981年に出版されたもので、本書は2009年に出された第二版。

1981年当時はともかく、今となっては特にものめずらしいことは書いていないのですが、心理学を含めた理論編からリーダーシップのみならず人間関係や組織管理、カウンセリングや面接の方法に至るまで網羅的に書かれていて、しかもそれが1959年に著された、つまりそれ以前から問題意識と研究が積み重ねられていた、というところに、アメリカ(軍)の(少なくとも当時の)底力を感じます。

とにかく具体的に、平易に、を心がけていて、その分冗長になるところもあるのですが、軍隊、人間の特性や欠点・限界も冷静に見ながら、何一つ所与の前提としたり神格化することなく淡々と語っているその語り口に好感を覚えます。

たとえば軍隊という存在自体の特殊性について

強制集団の重要な特徴は、個人の成員が脱退できないということである。このような集団のリーダーは、いかにいやなことをしても技術的にフォロワーを失うことはない立場にある。成員が離脱できない場合には、リーダーが自分は有効なリーダーシップを促進しているという錯覚を抱きやすい。

そして気風の変化について

・・・二十世紀中期の士官は上司たる上級者であって、もはや「優越者」ではなく、二十世紀中期の応募兵は「部下たる下級者」であるが、劣等者ではない、といえるだろう。
 次に、水兵も兵曹もおしなべて、分別に基づいて旅に立つ用意があり、避けられぬ不自由と不便を甘受する意思があるけれども、本質的に独裁的な軍人社会、専制的な編成組織の内部でさえ抵抗する代表的なアメリカ人であると認められる。

責任回避について

責任をとりたがらないことは、精神的勇気の欠如を示すものである。たえず非難されることについて恐怖の念をもっていることは、士官のイニシアチブを大いに阻み、兵曹をして「命令待て」をなさしめる一番強い原因である。軍隊に最も共通に見られる恐怖の形態は、身体的損傷の恐怖ではなくて、むしろ非難の恐怖である。

これらは現在の日本企業(特に「強制集団」のマインドが残っている人がいるところ)においても、心すべき点でしょう。


最後に、「人間関係(presonal relations)」の章から、『合衆国沿岸警備隊マガジン』からの引用による、人間関係についての「13の過失」。
1950年代からこういうことが関心を持たれていて、雑誌の記事にまでなっていた、というところが印象的ですし、現代にも当てはまって苦笑させられます。

(1) 自分勝手な善意の規準を設けようとすること。
(2) 他人の楽しみを自分自身の物差しで測ろうとすること。
(3) 世間の意見の画一性を期待すること。
(4) 無経験を酌量しないこと。
(5) すべての気質を同じ型につくり上げようとすること。
(6) 重要でない、ささいなことがらについて譲歩しないこと。
(7) 自分自身の行動に完全を求めること。
(8) つまらぬことに自分自身また他人についてくよくよ思い悩むこと
(9) 場所のいかんを問わず、助けることができるときにだれも助けないこと。
(10) 自分自身が実行できないことを不可能と考えること。
(11) われわれ有限の心で捉えうるものだけしか信じないこと。
(12) 他人の弱点を斟酌しないこと。
(13) その人をつくり上げるのが内部の質的基準であるのに、外部の質的基準で評価すること。


冒頭にも書いたような理由から万人にお勧めできる本ではありませんが、組織とかリーダーシップとかをゼロベースから考えてみる、または、古今東西似たような問題に直面してきたんだなということを知るには面白い本だと思います。

 

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被災地再訪(その4(完))

2012-04-26 | 東日本大震災

最後は石巻市 (昨年の状況はこちら参照)


日和山から石巻私立病院方面を望む

もともと眺望の名所で、ちょうど桜の開花の時期でもあり混雑していました。
市民病院の周辺・海岸沿いの地域はまだ建築制限がかかっているのだと思います。
海沿いに自動車のスクラップが積みあがっているのは昨年7月と同じ。

 

反対側(旧北上川)

 

中洲にある宇宙船のような建物が石森萬画館



日本製紙の工場

 

工業港の側は比較的復旧が進んでいて、日本製紙だけでなく飼料会社や合板会社などの工場が稼動していました。
港にも大きな貨物船が接岸していたので、港の復旧を優先して進めていた感じです。



工業港の先では瓦礫の焼却炉を建設中

 

焼却炉24日から稼働 宮城県受託がれき処理(河北新報 2012年03月07日)によれば  

がれき量が県内最大の石巻地区(石巻市、東松島市、女川町)では4月中に、整備予定の5基のうち1基を稼働する。

とのことです。

石巻は他の自治体と比べて圧倒的な瓦礫の量なので(参照)焼却炉の建設は重要です。



 旧北上川の東側にある漁港

 



市場は再築されていました。

 



ただ、市場の裏手の水産加工工場のあたりは、まだ壊れた建物を撤去して整地した状態。 





中央分離帯にひっくり返っているタンクもそのままです。




このタンクは震災のモニュメントとして残す予定とか。



確かに近くで見るとポップアート風でもあります。
周りに飾りつけの展示もされてたりします。



駅近くの商店街では日常風景が復活しつつあります。



でも閉めている店も多く、全体としてはシャッター街の印象です。



総合運動公園にある仮設住宅
石巻市は宮城県第二の人口の市なだけに仮設住宅の規模も大きいです。

隣棟との間隔が想像以上に狭いのに驚きました。

海沿いの地区から内陸部にある三陸自動車道インター近くへの集団移転の計画があるようで(参照)、移転先となっている蛇田地区を見てきました。
インター近くは田んぼが多く、地主の同意さえ得られれば受託を整備するハードルは低そうです。
しかも、インター付近は既にロードサイド型店舗が多く集積しているので、住むにも便利そうです。

逆にこうやって内陸部への移転が進むと、震災前から押され気味だった中心部の商店街がより空洞化するのではないかと心配です。
石巻市、商店街の再興を加速 復興まちづくり会社を活用(2012年4月25日 日本経済新聞)によれば市も同様の課題認識を持っているようで、  

市立病院を比較的被害が軽微だった駅前に移転。周囲に訪問介護の拠点や薬局、飲食店、小売店などを配し、「高齢者が歩いて暮らせる街づくり」を目指す

としています。

うまく両方が棲み分けができて活性化できれば理想的なのですが。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
被災地再訪(その2)
被災地再訪(その3)

 

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被災地再訪(その3)

2012-04-25 | 東日本大震災
南三陸町の志津川地区に入ります。
(昨年の状況はこちら参照)

まずは高台にあるベイサイドアリーナへ



ここは震災直後から仮庁舎やボランティアセンターができ、救援の中心になっていました。


当時ボランティアのバスの駐車場になっていたところに、町役場(右)と診療所(左)が建てられています。




ボラセンのテントはまだ残っています。
当時は大きなテントに思えたのですが・・・




南三陸町は震災の前からこの高台地区の造成を進めていて、住宅地や水産加工工場が進出していました。
そこに仮設住宅を作り、水産加工工場も移転して稼動を始めていました。


南三陸町の復興計画は住宅と水産加工業の高台移転を軸にしています。
既にある程度宅地造成がされていて、水産加工場なども立地していたので、市民にも抵抗は少なそうだし、造成費用もそれほど大きくなさそうなので、計画の実現可能性は比較的高いように思います。

対照的に現状は山のところを一から造成して高台移転をしようという自治体は、造成費用は復興交付金から出るとしても造成には数年単位で時間がかかるので、それまでの経済や住民の生活をどう支えるかが課題になりそうです。


そうはいうものの、旧市街地はまだ瓦礫の集積・分別がやっと終わったという状況です。



まだ、建物の上に車が・・・


防災庁舎



祭壇ができていて、訪問者がたくさんいました。
左奥に見える志津川病院も瓦礫だけ撤去したそのままの状態でした。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
被災地再訪(その2)

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被災地再訪(その2)

2012-04-24 | 東日本大震災
気仙沼から南三陸町へ向かいます。


気仙沼市本吉町の小泉大橋の上をまたぐ気仙沼線の高架橋(陸前小泉駅の近く)。



昨年7月に行ったときは橋げたの上に引き波で運ばれてきた民家が乗っかっていて津波の大きさを実感したのですが(参照)、さすがに片付けられていました。
ただ、橋や駅舎の復旧工事は始まっていません。


南三陸町に入り、歌津地区へ。

歌津大橋は未だ復旧しておらず、国道は街中の旧道を迂回していきます。



迂回路がある以上、復旧の優先順位は低そうです。


歌津の仮設商店街





小泉大橋だけでなく気仙沼線はいたるところで駅舎や線路が流されたり橋が落ちたりしています。
地元は復旧を希望している一方で、JRは多額の復旧費用と復旧した後の採算を理由に難色を示しているそうです。

寸断されている現場を見るとJRが二の足を踏むのもよくわかります。
橋は橋げたごと作り変える必要があるものが多いでしょうし、線路の土盛りも改めてやらなければいけなそうです。

ただ、本吉町や歌津地区のように三陸自動車道から距離があり内陸部に向かう道路も弱いところでは沿岸部を走る鉄道の需要が高いのもわかります。

輸送力だけをとってみると路線バスに代替することは可能だと思いますが、地元住民は反対しているようです。
僕も直感的には(資金の面を無視すれば)鉄道の方がいいと思います。

その理由を考えてみると、「列車」と「バス」という車両・運行システムの違いではなく、「駅」と「バス停」の違いが大きいように思います。


乗り降りのしやすさや荷物の持ち込みやすさなどは、バスも車両を改造すればかなり改善できると思いますし、運行時刻の正確さも列車よりバスの運行本数を増やすことでカバーできそうです。

ただ、駅はバス停に比べて
・待合室で雨にぬれずに座って待つことができる
・駅員がいて、いろいろ尋ねることが出来る
・駅前にちょっとした広場があって、送り迎えや短時間の駐車ができる
という旅(移動)の快適さの部分ではるかに優位にあるように思います。

バス停にぽつんと立ってバスを待つのは、高齢者でなくても心細く苦痛でもあります。

それならば、バス停を駅と同じ機能を持つようにすれば、鉄道を路線バスで代替してもそれほど不便にはならないのではないでしょうか。

具体的には鉄道駅と同じ程度の主要なバス停に次のものを設置します。
・屋根つきの待合室
・送迎用の駐停車スペース
・バスの乗降、荷物の積み下ろしが容易なような専用の車路
・駅員の代わりの案内要員

上3つは200坪くらいの土地があれば設置可能でしょうし、コンビニや郵便局、地元商店などに隣接すれば案内要員を委託することもできます。

そうすればその停留所は、地元のコミュニティの一つの核にもなると思います。


「鉄道かバスか」でなく、その間のものを考えてみてもいいのではないでしょうか。



(前のエントリはこちら)
被災地再訪(その1)
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被災地再訪(その1)

2012-04-22 | 東日本大震災
昨年の7月以来の被災地再訪です。
(前回については被災地に行ってきました(まとめ)をご覧ください。)

今回は駆け足で陸前高田から石巻までを回ってきました。



まずは陸前高田。
(昨年の状況はこちら参照)


市街地の中心部にあった市庁舎付近からの光景。



きれいに瓦礫が撤去され、残っているのは市庁舎やスーパー、病院などの3,4階建の鉄筋コンクリート造の建物くらいです。

しかも瓦礫はきちんと分別され、処理を待っている状態です。






コンクリートのガラ




鉄くず




後で他の町と比較して後で気がついたのは、陸前高田は建物の基礎まできっちりと処理していること。
そのために、平坦な市街地が津波でほぼ全滅してしまったことが強調されています。

さらに陸前高田はもともと大きな漁港や工場がなく人口も少なかったので、平坦な光景が復興のエンジン役を見つけにくいという悩みを象徴しているように感じました。



次は気仙沼
(昨年の状況はこちら参照)

三陸道から市街地に入っていくと、鹿折歩道橋の近くに鹿折(ししおり)復幸マルシェができていました。



そもそもは塩田さん(うどん屋のご主人)の発案で、商店主に声をかけ、土地探しと地主との交渉を行い、行政の補助が出ない整地作業は自ら重機の免許を取って作業をし、側溝の掃除はボランティアの協力を得て、と、プレハブの建物以外は行政の援助をほとんど受けずに立ち上げたそうです。

鹿折復幸マルシェ完成までの道のりをご参照)


熱く語る塩田さん。




昨年7月の時点では鹿折歩道橋の交差点から南は通行止めになっていて、迂回したのですが、この鹿折歩道橋に流されてきた家や瓦礫がひっかかって火のついた瓦礫をせき止める役目を果たしたそうで、そのうちに風向きが変わって、延焼が食い止められたのだそうです。

歩道橋の階段に焼けた跡が残ってます。




気仙沼の中心部では
復興屋台村 気仙沼横丁が出来、気仙沼 お魚いちばも営業再開していて、にぎわっていました。


気仙沼は魚市場の建物が残っていたので、比較的早くから水揚げが再開し、取扱高は大きく減ったものの、昨年のカツオの水揚げは日本一を維持したそうです。

問題は冷蔵倉庫などが被災したために、水産加工業の復興が進んでいないこと。

昨年の7月の時点では市場から南は地盤沈下と津波で堤防が壊れて浸水が激しく、通行止めでした。
(当時の写真。運河ではなく道がつながっているはずのところです)




現在は、護岸の仮復旧も終わり市場の区まで通行が可能になっていました。
一番南には大型の冷蔵倉庫が集中していますが、それぞれ復旧工事が進んでいました。



南の部分は不思議なことに、埠頭の先端部分はよりも手前の方が道路も含めて地盤の被害が大きいこと。
場所によって被害が違うのは新浦安の液状化と同様で、埋め立ての時期によるのでしょうか。
そのため、埠頭の先端部分にある大型の冷蔵倉庫は比較的復旧が早いかもしれません。

逆にその手前の、おそらく昔からある中小業者の加工工場のところは、被害が大きく建物も残っていないので、復旧には時間がかかりそうです。

こんな感じ。




地盤の安定していた方のところに立っている宮城県合同庁舎
(上の昨年の写真の左隅の建物)



建物の左側、2階と3階の間にある青い印は、津波がここまで来た、という印。
気仙沼市内の主だった建物(取り壊さないで使う建物)にはこの印がつけられていました。

将来への教訓としても、また観光資源としてもいいアイデアだと思います。


漁港の対岸にある造船所。



火災の原因になった重油タンクが高台に移されています。



気仙沼は震災前から日本有数の漁港で被害も比較的少なかったことと、水産加工業や冷蔵倉庫には大手企業もあるので(ほてい、ヨコレイなど。地元でも阿部長商店という会社が水産加工業やホテル観洋など売上200億円規模の会社がある)、民間の力でも復興が進んでいるようです。

あとは市の復興計画がどれくらいのスピード感で進むかが、中小事業者や被災者の住宅問題のポイントになりそうです。


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「農役」のススメ

2012-04-15 | よしなしごと

前のエントリ で高齢者雇用安定法改正案は大企業・高齢者優遇に偏っているのではないか、といったのですが、60才といえばまだまだ元気なので、年金支給年齢の繰り下げまでの期間、その力を若者の職を奪わない形で有効利用する方法として「徴兵制度」ならぬ「徴農制度」または「農役」を検討してはどうでしょうか。

Wikipediaによると、いままで徴農制度は  

いわゆる制度としての「徴農制度」として話題となる議論は21世紀の日本で取り上げられることの多いニートや若年労働者の失業、非正規雇用の問題、あるいは農業従事者の後継者不足や高齢化、食糧自給率、食育に関する論題についてであり、あるいは俗流若者論として「近頃の若い者に性根を入れ叩きなおす、鍛え上げる」ための制度として徴兵制度の代替案として話題に挙げられることが多い。  

という取り上げられ方をしていたようですが、これでは懲罰・苦役という感じで、若年層のやる気をそいでしまうように思います。  

逆に定年を迎えた高齢者であれば、会社で「法律で決まっているから」とお荷物扱いされるよりは楽しく働く人が多いと思います。

そして、減少傾向にある農業従事者を補完するとともに、農業に従事することで「第二の人生」のスタートにあたって食料自給や食の安全について考える重要な機会にもなります。

TPPの議論で、日本の農業のコスト競争力のなさが反対理由に挙げられますが、消費者が自ら農業に従事することで「安全かつ上質な農産物を適正価格で買う」という消費者教育・マーケティング効果にもつながるように思います。
さらには農業をとりまく流通システムや認証などの諸制度のムダを検証することにもなると思います。(このあたりは『日本の「食」は安すぎる』参照)  

また、身体を動かすことは健康にもいいし、長期的には医療費削減にもつながるので、「農役」中の食・住を国が負担したとしても、トータルでは安くつくかもしれません。  
農業なら「食・住」のコストは安いですし、手当ては「農役」なので最低賃金程度にすれば(細かく言えば+前年の住民税相当は必要でしょう)雇用者である企業が負担しても抵抗はないと思います。
高齢失業者も失業保険支給の代わりに「農役」を義務付ける一方で、失業保険が切れた失業者にも従事の機会を与えれば失業対策にもなります。

農業従事者の平均年齢は66歳なので年金支給年齢が繰り下げられてもまだまだ「若手」ですし、機械化もされているので十分役に立つはずです。  


「農役」後は、農業が肌に合ったらそのまま農家(農業法人)で雇われてもいいし、やる気がある人は第二の人生として農業を始めてもいいです。
「農役」経験者には農地法の譲渡・賃借の要件を緩めるというのも一法です。
また、趣味として家庭菜園を楽しむ場合にもノウハウを得ることもできます。  


いかがでしょうか?

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高齢者雇用安定法改正案

2012-04-12 | 法律・裁判・弁護士

消費税法案と同時に「社会保障と税の一体改革」(以前は「社会保障・税・財政の一体改革」だったような・・・)関連法案のひとつとして、高齢者雇用安定法の改正案があります。

厚生労働省のサイト
~「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律案要綱」~
によるとポイントは次のとおり。

【法律案要綱のポイント】
1.継続雇用制度の対象者を限定できる仕組みの廃止   
 継続雇用制度の対象となる高年齢者を、事業主が労使協定で定める基準によって限定できる仕組みを廃止する。
2.継続雇用制度の対象者が雇用される企業の範囲の拡大   
 継続雇用制度の対象となる高年齢者が雇用される企業の範囲を、グループ企業にまで拡大する仕組みを設ける。
3.義務違反の企業に対する公表規定の導入   
 高年齢者雇用確保措置義務に関する勧告に従わない企業名を公表する規定を設ける。
4.「高年齢者等職業安定対策基本方針」の見直し   
 雇用機会の増大の目標の対象となる高年齢者を65歳以上にまで拡大する。  

マスコミ的には65歳まで雇用 企業難色というような取り上げられ方をしています。  

実際、直感的には雇用延長の義務化が若年層の雇用の縮小につながるのではないかと思います。  

ただこの辺は労働政策審議会職業安定分科会雇用対策基本問題部会(長っ!)でも議論されていて、ここの関係資料(p10)では  

なお、高年齢者と若年者とでは労働力として質的に異なるという意見や、新卒採用の数は高年齢者の雇用とのバランスではなく、景気の変動による事業の拡大・縮小等の見通しにより決定しているという意見があった( 「今後の高年齢者雇用に関する研究会」の企業ヒアリング) 。 また、若年労働者は単純には高齢労働者の代替にはならず、高齢者の早期退職は若者の 社会保障負担・租税負担を増やすといったILO・OECDの報告*がある。
(* ILO「Employment and social protection in the new demographic context」(2010)/OECD「Off to a Good Start? Jobs for Youth」(2010))  

などと理論武装?がされています。  

この点はいろいろなところで議論されていますし、私がそれに付け加える知見もないのですが、個人的に一番違和感を持ったのが上の2.の部分  

これは具体的には、現行の高年齢者雇用安定法では、定年まで高年齢者が雇用されていた企業での継続雇 用制度の導入を求めている(運用により一部例外あり)ものを、今回の改正で、一定の要 件を満たす子会社及び関連会社(20%以上出資)を継続雇用制度による雇用先の特例として認めることになりました。  

でも、この恩恵を受けるのは、子会社などを多数持つ大企業の労働者に限られ、継続雇用を受け入れる子会社の従業員にとっては雇用や給与原資の圧迫要因にしかなりません。

この結果、高齢者と若年層の格差だけでなく、大企業の労働者ととその子会社や子会社を持たない中小企業の労働者の間の格差が広がることにならるように思います。  

このへん、格差是正を課題としてあげている民主党の政策にも合わないように思いますが、主要な支持母体の連合の意向などが反映しているのでしょうか。  


それから、細かい突っ込みをすると、

50%未満出資の会社に対して継続的に高齢者従業員の継続雇用を求めた場合に、「意思決定機関を支配していることが推測される事実がある」として支配力基準から連結対象にされるんじゃなかろうか。

とか

会社法改正で議論されている親子会社間の利益相反取引にあたるんじゃないか(形式的には子会社と労働者との雇用契約なので「親子会社間の取引」にはなりませんが、だからといって野放図に子会社に人件費の負担を押し付けるのはまずいのではないか)  

という議論に波及するんじゃないかと思います。  

年金支給年齢の引き上げや高齢者雇用という時代の流れにへの対応としては、ちょっとオールドスタイルのような気がします。

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「お薬手帳」の義務化

2012-04-10 | よしなしごと

花粉症のクスリを処方してもらい薬局に行ったら、「4月からお薬手帳が義務化された」といって渡されました。

以下薬局との会話

薬局 「東日本大震災で服用中の薬がわからなくなって困った例が続出したので義務付けられました」
私 「はあ、そうするとこれからはお薬手帳を持って行かないと処方薬は出してくれないのですか?」
薬局 「そんなことはないと思いますが。シールを渡されて後で手帳に貼ってくださいと言われると思います」

ならズボラでそもそもめったに処方薬を飲まない私のような人間にはあまり意味がないなと思いながらいまひとつ腑に落ちなかったので検索したところ下のYahoo!知恵袋がヒット。

調剤薬局のお薬手帳シールの発行は義務化され、薬剤服用歴管理指導料が自動的にこ...

以下回答から抜粋。

改訂前は薬剤服用歴管理指導料30点と薬剤情報提供料(手帳)15点がありました。

改訂後は15点が廃止され、薬剤服用歴管理指導料に組み込まれたということです。(30点→41点)
そして薬剤服用歴管理指導料は患者が断れる点数ではありません。病院に行くだけで発生する料金と同じ考え方です。

今まで手帳を持っていた人にとっては45点から41点になったのでお得になりました。なのでその方たちにとっては値下げです。

また、改訂されたので手帳を断っても30点になりません。そもそも改訂で30点という点数がなくなったのです。

なので今まで別料金だった手
帳が別料金ではなくなり、薬局にいくと発生する基本料金に組み込まれたと思ってください。 手帳以外にも残薬の確認の有無、後発品の情報提供も含まれました。それに伴う薬歴の充実化も今回の改訂です。それも全て含めた基本料になっています。

要するに薬剤師が調剤するときに「薬剤服用歴管理指導」を充実させるために保険点数をあげる一環としてお薬手帳を発行することにしたようです。
ただ、僕のような幸い今のところ慢性病を患っていない者には「薬剤服用歴管理指導」のメリットがないので単なる値上げになってしまうから、上のような説明をしたのかもしれません。
領収書を確認すると「薬学管理料」の項目で確かに41点加算されてました。


ということで初めてYahoo!知恵袋が役に立つという経験をしました。
一次情報をあたるほど興味がないもので、それなりの説得力のある説明があると便利ですね。
こういう経験を積み重ねると、試験の解答を聞きたくなってしまうのかもしれません。気をつけねば...


ところで、引き合いに出された被災時における服用履歴の把握ですが、大震災のときにお薬手帳を持ち出せる余裕があるとは限らないわけなので、「お薬手帳」というなくしてしまったら役に立たなくなる物ではなく、健康保険証の番号をIDにしてクラウド化したらどうでしょうか。
そうすれば、かかりつけ以外の医者にかかった時も診断の役に立つと思います。

履歴の管理を「手帳にシールをはる」という形で素人の患者に任せるよりも正確だし、個人情報の問題も、専門の資格を持つ医師と薬剤師に限定すれば責任を持った管理ができると思います。

問題は予算かもしれませんが、そもそも薬局はデータ管理をしているし、保険請求もデータなのでしょうから、素人考えではそれらをつなげれば比較的安価にできるのではないでしょうか。

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妻による経営監視

2012-04-08 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

日本の監査役制度のモデルとなったとされるドイツにおいてもこんなことが。

ピエヒ夫人、VW監査役に就任(日経ビジネスonline)

記事の元はFINANCIAL TIMESですが、「同族経営」に対する正面からの批判というよりは、多少の皮肉をこめてお手並み拝見というトーンです。

日本がいつの時のドイツ法を参考にしたのかは不勉強で知りませんが(明治時代?)、現在のドイツの会社法制では株主総会で選出された監査役で構成する監査役会が取締役を選任する権限を持っているので、現在の日本の制度とは違います。

その意味ではドイツにおける監査役に取締役の近親者が就任するというのはかなりの影響力を持つことになるにもかかわらず非難ごうごうにならないのは、業績が好調な会社に対して形式論だけで異を唱えるのは難しいというのは彼の地でも同様なのでしょうか。


以前のエントリでは社外取締役ですら経営者の交代については意見を言いにくいと言う話を紹介しましたが、考えようによっては「妻が経営者である夫を監視する」というのが実は一番強力だったりして...


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「目をつぶる」ときは、あまり理論武装をしない方が後々のためによい

2012-04-01 | まつりごと

(今年はネタがなかったのでエイプリル・フールではないです)

昨日の朝日新聞のオピニオン面「耕論 選挙が無効になる日」の福田博元最高裁判事の「違憲状態解消へ時間はあった」という記事が、選挙制度とは別のところで面白かった。
(朝日新聞デジタル版をご購読の方はこちらから。)

私は1995年に最高裁判事に就任、参院の定数訴訟で「一票の格差の存在は・・・民主的政治システムと相いれない」という反対意見を書こうとしました。ところが最初にその原稿を提出したところ、「確立した最高裁判例に反します」と調査官から言われ、反対意見を書くだけでもずいぶん苦労しました。

「確立した最高裁判例」を変更するのはまさに最高裁判事しかできないのに、それに対しても現状維持の「慣性」が抵抗する力として働くのですね。
調査官としては、判例に反した見解を書くには身長に理論武装しないといけない、というアドバイスだったのかもしれませんが、職業裁判官がなる調査官としては自らが裁判官に戻ったときや下級審の同僚のことを考えると、「素人(福田氏は外交官出身)があまり混乱させるなよ」という気持ちが働くのかもしれません。

官僚が閣僚の秘書官になっている構図と似ているところがあるのかもなあ、などと思ったりして。

最高裁がなぜ国会に広範な裁量権を認めてきたのかを考えると・・・厳しい東西冷戦の時代で、東アジアで唯一の民主主義国だった日本で保守主義が続くためには安定した基盤が必要だと考え、そのために多少の投票価値の不平等には目をつぶったのではないでしょうか。「目をつぶる」ときは、あまり理論武装をしない方が後々のためによいのですが、無理に色々な理屈をつけた判例の蓄積は、後の裁判官たちの判断に大きな重しとなってしまいました。

タイトルにもしたのですが、太字の部分は大事で、これができないことが「マニフェスト政治」の弊害ですね。
選挙においては「公約」と言おうが「マニフェスト」と言おうが当選したら何をするという意思表示は必要だし、当選後にその内容を変更するには前提条件がどのように変わったかという説明責任が伴うわけですが、マニフェスト作成時に前提条件を網羅することはできないわけなので、状況の変更や想定外のことに対して「政治判断」ができなくなるなら政治家はいらない、ということになってしまいそうです。

マニフェストの実行を金科玉条とする(またはそれをしないことをもって批判する)のであれば、決められたことを実行する官僚の採用数を減らすよりは、やることを決めた以上はその後の仕事は減るはずの議員定数を減らす方が先だとも思うのですが。

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