一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

今年もお世話になりました

2006-12-28 | Weblog
一年経つのは早いもので、イナバウアーもトストネットもアルティメット・ペアレントも遠い昔のことのように思い出されます(って自分が歳をとっただけかもしれませんがw)。

本日で仕事納めとさせていただきます。

今年も拙blogにおつきあいいただきありがとうございました。

よいお年を!
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年の瀬

2006-12-27 | よしなしごと
昨日はまるで夏のような降り方の大雨で、深夜にはものすごい雷までおきました。
最近の異常気象を象徴する一年の締めくくるにふさわしい天気だったといえるかもしれません。


ニュースも12月になってから今年一年の締めくくりと来年へのネタだしのようなものが増えています。


日興コーディアル証券の話は、内部統制とかリスクマネジメントとか連結基準とかいろんな切り口がありそうです。
報道を見る限りは、SPCの損失はNPIの利益とちょうど対称になっているようですが、直感的には子会社とのこのような「行って来い」の取引で利益だけを取り込んで損失は連結外にするというような単純な粉飾を(ライブドア騒動などが出る前の2005年3月期とはいえ、数年前の損失先送り商品(CSFBが業務停止になった)よりも単純な仕掛けですよね)大手証券会社がやるのかなぁという素朴な疑問があります。

実際はもっと複雑な仕掛けだったのか、単純な仕組みだとすると動機は何だったのかに興味があります。
isologで言われているように「親会社が儲かるに決まっている仕組み」(後日SPCへの信用供与の対価という点での留保がありますが)というものだったとすると、NPIの裏に匿名組合出資か何かで利益を享受した第三者がいた(単なる粉飾でなくそちらへの利益供与が本丸だった)のでは、などと想像を逞しくしてしまいそうです。

詳しくは調査委員会や追加報道待ちですね(と年末モードw)。



石原知事については3選を前にした恒例のマスコミによるあら捜しだと思っていましたが、四男問題を初めとして次から次へとネタが出てくるので(特にここ2週間は夕刊紙の見出しに「石原」という文字が(「真理子」も合わせて)連日出てましたね。)、求心力自体も落ちてきつつあるのでしょうか。
でも、有力な対抗馬は出るのでしょうかねぇ。


本間税調会長とか佐田行革担当大臣の話とか、安倍政権周りでもいろいろ出てきています。
APA問題の時に見せつけたような安晋会(or清和会?)の神通力はどこかにいってしまったのでしょうか。
はたまた小泉人気の反動による支持率低下は承知の上でいまのうちに復党問題の決着や派閥横並び人事の膿み出しをしようとしているのでしょうか。

でも昨日のTVで昭恵夫人(「アッキー」って言うらしいですね)が人気回復にブログを開設したとか言っているくらいですからそんな深謀遠慮があるようにも思えないのですが。
(参照:安倍昭恵のスマイルトーク
※ちなみに、大学時代に知り合いにアッキーに似た顔立ちの女性がいたのですが、私はどうも苦手でした・・・


そんなこんなの年の瀬であります。
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「免除」の方向性

2006-12-26 | あきなひ

事務職の労働時間規制除外など提言…規制改革会議(読売新聞)

最近「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」(これもまた「日本版」!)などという言葉が盛んに言われていて、年収ナンボ以上は残業代を出さないぞ、というような話がとびかっているのですが、実のところどうなんだろうと改革・民間開放推進会議の最終答申規制改革・民間開放の推進に関する第3次答申を読んでみました。

該当箇所の記載(P.86、下線筆者)は

 (2)労働時間法制の見直し等
 労働時間法制の見直しについても、労働契約法制の整備と平行して、労働政策審議会における検討が精力的に進められている。その見直しに当たっては、これまで当会議が繰り返し指摘してきたように、労働時間規制の適用除外制度の整備拡充が中心的な課題となる。
 経済社会環境の変化に伴い、多様な働き方を選択する労働者が増えるなか、ホワイトカラーを中心に、自らの能力を発揮するため労働時間にとらわれない自律的な働き方を肯定する労働者も多くなっており、自己の裁量による時間配分を容易にし、能力を存分に発揮できる就業環境を整備するためには、そうした労働時間にとらわれない自律的な働き方を可能にする仕組みが強く求められている。
 具体的には、このようなホワイトカラーの従事する業務のうち、裁量性の高い業務については、労働者の健康確保に留意しつつ、労働時間規制(深夜業規制を含む)の適用を除外する制度の新設に向けて検討すべきである。また、現行の企画業務型裁量労働制についても、見直しに向けた検討を行うべきである。
 以上を踏まえ、検討結果を早急に取りまとめ、次期通常国会に法案を提出する等所要の措置を講ずべきである。【次期通常国会に法案提出等所要の措置】
 なお、以上のほか、事業場外労働に関するみなし労働時間制度についても、事業場外労働の実態を踏まえ、制度の運用の見直しの検討を行い、結論を得るべきである。【上記法案の施行までの間に検討・結論】

今までも労働時間規制の例外として専門業務型裁量労働制(研究開発・出版・「士業」などの専門職対象)と企画業務型裁量労働制(事業運営上の重要な意思決定を行う業務)の二種類が認められていたのを広げようというものです。


本来はexemption=免除ですから、一定以上の地位にある従業員は出退勤や勤務時間の拘束から自由だ、ということなのでしょうが、逆に労働時間の制約がなくなると長時間働くようになることが前提になっているあたりが「日本版」なのかもしれませんね。


でも、下線部はなんとなくきれいごと、というか本末転倒じゃないでしょうか。


裁量労働時間制というのは
使用者側の「これだけ払ってるんだから残業代などとつべこべ言わず働け!」

労働者側の「給料に十二分に見合った仕事してるだろう、文句言うならやめてやる!」
との緊張関係があるところに初めて成立すると思います。

この緊張関係は、①前述のように歩合給が高いか、②雇用の流動性が高くかつ十分固定給が高いところで初めて成り立つのではないでしょうか。


もともと歩合制の営業で「固定給月20万、一発当たれば年収1000万以上」というような職種は職種は昔からあったわけで、これらの人は(その適法性はさておき)残業代などお構いなしに夜昼なく働くわけですし、逆に成績が充分に上がる人は勤務時間は短くて済むわけです。
バブル期などは、証券会社の店頭で(自分のための)売買注文を出す合間に客に電話で営業して仕事をしていたという剛の者もいました(で、本業は3000万稼いで株で1000万損したらしいですw)。
こういう人たちの流動性は高く、業種自体が稼げないとなると大規模な転職が起こったりします。


でも、単に年収700万とか900万とかもらっているからといって、好きで(覚悟して)ハイリスク・ハイリターンの職業を選んだわけでもない人が、上から与えられた目標をクリアするために必死で働くことが「自律的」な労働とは思えないんですよね。

一時期の流行もあり、成果主義賃金体系とか目標管理制度はかなりの企業が導入していると思います。
その場合、「成果」や「目標」が他律的に設定される中で(その設定や達成度の評価が合理的にできないところが成果主義の問題点と言われています)それを達成しようと「自己の裁量により能力を発揮」するために労働時間の規制を緩和する、ということが「労働者に肯定」されるためには、成果達成の場合のインセンティブが相当程度大きくないとダメなのではないでしょうか。

雇用の流動性が低く、「リセールバリュー」が低いマーケットでは現状の給与を転職によって維持することが難しい人が多いとすると「泣き寝入り」が増えることにもなりかねません。多分700万のラインを400万にしても、若手を除く多くの人は裁量労働制の適用に反対はできないと思います。


逆に使用者側からは、パフォーマンスの著しく低い従業者でも解雇することは事実上不可能、という現在の労働法制・判例が足かせになっています。
なので、能率が悪くダラダラ残業をしている人(ホワイトカラーでは工場のように生産ラインを止めて残業をコントロールするというようなことができない)の方がきちんと仕事をしている人より給料が高い、ということもおきてしまいます。
全社的な労働分配率を適正に保ったとしても、総人件費に占める残業代という法定の部分の割合が多いと、優秀な人材への配分を十分にできなくなってしまいます。企業としてはそういう「横になったもの勝ち」を横行させるのは望ましくないと考えるのも当然です。

しかし、解雇の要件の緩和は、それだけが先行するとかえって悪影響が大きいでしょうから、まずは企業側からカードを切って「当社は○○職以上は労働時間規制の適用を受けない」と宣言して、その体系が労働市場の評価にさらしてみるのがいいのではないでしょうか。採用を2,3年続ければ結果はでると思います。
一方で、今度は残業どころか「遅出・早帰り」という形で開き直る人も出るかもしれませんが、もともと大して働いていない人であればコスト増にならないだけまし、と考えられますよね(「早く帰る人はやる気がない」という風潮ができちゃうとそれはそれで困りものですが・・・)。


今の議論のように厚生労働省が「年収○○万円」と線引きをしてしまうと、個別の企業や業務の特性にかかわらず横並びで実施されてしまって、結局それぞれの企業の賃金体系のゆがみが是正されるどころか拡大することになってしまいかねないと思います。

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いいことだと思うんですが

2006-12-25 | よしなしごと

井村氏「日本のため」強調も…
(2006年12月25日(月)06:13 スポーツニッポン)

シンクロナイズドスイミングの前日本代表ヘッドコーチで、来年1月から08年北京五輪までの中国代表のヘッドコーチ就任が決まった井村雅代氏(56)が24日、都内のホテルで記者会見を行った。9月に就任を要請され、11月末に受諾。日本の水泳関係者から猛反発を浴びながらの決断だったが、「(五輪開催国の代表を任されることが)日本の評価を高めることになる」と持論を唱えた。

本人が言い訳しなきゃいけない、というところが水泳関係者は狭量ですよね。

日本チームに必要な人なら日本チームのヘッドコーチに据えておけばよかったわけで、他の人を適任者として選んでおいて(または慰留工作をしないで)後で文句を言うのは妙な話です。


大事なのは日本チームをどう強化するかです。
他国のチームに指導者を出さないことで保てる優位性というのはとても少ないと思います。


そもそも日本だって外国人のコーチや監督はいっぱい使ってますよね。
サッカーの全日本の監督は外人が多いし、フィギュア・スケートのコーチはロシア人とかが多いです。
逆に、この前日本が初めて負けた剣道世界選手権のアメリカチームのコーチは日本人でした。
指導者の側も、評価されるところでやりがいのある仕事をしたいでしょうし、外国でのコーチ経験を将来日本で生かしてもらえばいいだけだと思います。

もっと視野を広くしてみてもいいのではないでしょうか。


野球のオリンピック代表チームの監督も、王さんや星野さんのような健康に不安のある人でなく、外国人も含めて候補にしたらどうですかね。ここ2年は外国人監督が日本一になっていることですし。

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Merry Christmas!

2006-12-24 | よしなしごと

 

 

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取るか、取らないか

2006-12-23 | よしなしごと
昨日昼休みに、丸の内OAZOの丸善で本を買ったら、抽選券をくれました。

ちょうど店を出たところが抽選会場で列もほとんど並んでいなかったので寄ってみました。
ところで私はとことんくじ運の悪い人間で、パーティーのビンゴゲームですら当たったことがありません。
まあ、ハズレのティッシュをもらうつもりで(この辺で既に気持ちが負けていますねw)並びました。

クジは箱の中からピンポン球を取り出して、その色で何等か決めるもの。

ところが僕の順番になって箱を見ると、手を入れる部分の穴にあるギザギザの隙間から中がちょっと覗け、大半の白い(=はずれの)ピンポン球の中に1個赤い玉が見えます。

商品を見ると、赤は1000円分の図書カードか5000円分の食事券かのどちらかのようです。
(あまり金をかけてないイベントらしく、クジの設計もことほど左様にいい加減だし、案内表示もわかりにくい。)

赤い球を取ればどちらかは当たるな・・・





一瞬考えたのですが、
結局見えない奥のほうに手を突っ込んで案の定白い球を3つ拾い、ティッシュを3個もらって帰りました。


なんかこういうの、嫌なんですよね。

不正をするのがいやだ、というよりは、こういう小さなズルをすることでツキを無駄遣いしたくないと。


どうせズルするなら、もっと大きなものでやりたいものですw


「幸運の女神の前髪は短い」とも言うので、こういう小さいチャンス(?)をこまめにモノにしていくことが大事という考えもあるかもしれませんが、まあ、そのへんは人それぞれかと。


それに、クリスマスのゴーストの悪戯にしてもセコいですよね。

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タクシー難民

2006-12-22 | よしなしごと
昨日は忘年会で遅くなりました。

タクシーを呼ぼうと電話をしても電話がつながらりません。
仕方がないので外で拾おうとしても空車がまったくいない状態で、逆にタクシー待ちの人々が路上にうようよといました。

なんかバブル期のようです。
当時は「それなら時間つぶしにラーメン」などとやってたのですが、さすがに最近は良識をわきまえてそんなことはしませんでした(魅力的だったけどw)。


タクシー待ちの人たちは、都心に戻る車を少しでも早くつかまえようと、車道に身を乗り出しながらぞろぞろと歩いていくので、ゾンビの行進のようでもありました。


20分くらい待っても全然空車がなく、こんなことで風邪を引いてしまうのもしゃくですし、家まで2000円(=5,6km?)くらいの距離だったので、空車が見つからなければ家まで歩けばいいさと開き直って歩き始めたところ、10分くらいして空車を見つけることが出来ました。

運転手さん曰く、今日明日が一年でのピークとのこと。普段は全然で、景気がいいといっても実感はないとか。
「都心に向かっているのにUターンするのはいやだったので無視しようとしたけど、お客さんよさそうな人だったのでね」というのが乗せてくれた理由。

まあ、乗車拒否をするわけにもいかないのでリップサービスだったのでしょうが、あきらめて歩いていたので他のタクシー待ちの人々よりは殺気立っていなかったのかもしれません。


道中もタクシーをつかまえようと手を上げるゾンビの群れが至るところにいました。



今日は電車で帰るようにしようっと。



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ホテルの寿命

2006-12-21 | あきなひ
先日紀尾井町に行ったら、ホテルニューオータニの本館の外装をリニューアルしていました。

薄茶っぽい石と緑がかったミラーガラス(隣のオフィスビル、ニューオータニ・ガーデンズコートと似た感じ)の外装に変えていました。
屋上の回転する展望レストラン(いまや都内最後?)もついにやめるみたいです。

清水谷公園側から見ると赤坂見附側の半分をの工事を先行して仕上げていて、今は残りの半分に取りかかっているようです(写真を撮らなかったので詳細はニューオータニのHP参照)


同じ赤坂界隈では、先月はキャピトル東急ホテルが閉館しました。こちらは建替えて複合ビルにし、その中に新しいホテルとして2010年にオープンするようです。(参照

くしくもキャピトル東急ホテル(当事は東京ヒルトンホテル)とニューオータニの開業はともに1964年です。
当時は東京オリンピックをあてこんだホテルラッシュで、1960年にホテルニュージャパン(火事により閉館)、1962年にはホテルオークラが開業しています。

また、その後のホテルラッシュといえばバブル期の「新御三家」(フォーシーズンズ、パーク・ハイアット、ウェスティン)の登場がありました。

そしてここ1,2年のラグジュアリークラスのホテルの建設ラッシュです。
マンダリン・オリエンタル、グランド・ハイアット、コンラッドはすでに開業し、来年はリッツ・カールトンとペニンシュラのオープンが予定されています。


「旧御三家」(帝国、オークラ、ニューオータニ)の建築と増築・リニューアルを時系列で一覧にするとこうなります。



オークラは比較的早めに改装を実施し、帝国は建物自体が比較的新しいので昨年本館を改装、それに対してニューオータニはずいぶん古い建物でがんばってきたことがわかります。

また旧御三家は、新御三家の登場に対しては改装という形での対策はどこもとっていなかったんですね。
新御三家の計画当事はバブル期で客の奪い合いを予想せず、新御三家開業後のバブル崩壊局面では収益的に旧御三家にも体力がなくなってしまったのでしょうか(旧御三家はバブル期に大阪や地方都市で系列ホテルをオープンしてましたからね。)。

ところが今回のホテルラッシュに呼応したかのように帝国とニューオータニは改装をしています。
これは新御三家の登場よりも大きな危機感を持っていることのあらわれなのでしょうか。
それともちょうど建物・設備の耐用年数とも一致したということなのでしょうか。

確かに最近オープンしたラグジュアリーホテルは、あまり部屋数も多くなく、旧御三家のように大きな宴会場もあまり持っていないので、直接の競合はあまりないのかもしれませんね。

この辺、旧御三家のブランド力はまだまだ健在なのかもしれません。



ところで、ホテルが新規開業しても宴会場が増えないので困っているのが株主総会の会場を探している企業だそうです。
特に近年上場企業が増えたため、会場の確保がより困難になってきたとか。

株主総会の集中日を避ける企業も増えたものの、大概の企業は準備と予備日を含めて3日くらい会場を押さえるので、1日、2日程度のずれでは需要の緩和効果はなく、かといって決算スケジュールを前倒しにするのも限界があるので、会場の受給バランスに対しては劇的な効果とまではいかないようです。


一方で、ニューオータニで築42年、オークラで築44年です。いずれもさすがにあと20~25年後くらいには耐用年数が来ると思います。
ところがキャピトル東急のようにホテルグループのひとつであれば建替えも可能でしょうが、売り上げの維持や従業員(このみち何十年のドアマンとか)の離散防止を考えると御三家は全面建替も難しいと思います。
かといって1970年代に増築をしてしまっているので、それぞれ敷地に空きもなさそうです。

となると、新館や別館を残して本館を建替え、ということになると思います。

でもそうなるとますます宴会場が減ってしまいますね。
もっともその頃は株主総会はweb上で開催しているのかもしれませんが・・・
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朝のホーム

2006-12-20 | よしなしごと
最近よく見られる光景です。



引っ張り出そうとしているのでなく、ドアを押さえている間に乗客を押し込もうとしています。


毎朝、急行にむりやり乗り込もうとしている人がいて、結局急行自体が遅れるという現象が起きています。

でも、本人にしてみれば無理やりでも乗り込んだほうが、後の電車に乗るよりは早く着くから合理的な行動ではあるんですよね・・・


私はここのところ忘年会が重なり、呑みすぎ(そんなに飲まなけりゃいいんですが・・・)と寝不足(わざわざつまらんエントリを更新しなけりゃいいんですが・・・)なので、混んでいる急行は必ず乗り過ごして空いている各駅停車に乗っています。


「各駅停車のご乗車にご協力いただきありがとうございます」という駅のアナウンスに「いえいえ、とんでもございません」と心でつぶやく今日この頃です。
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こんなことを言っているようでは・・・

2006-12-20 | 余計なひとこと

教員人事権移譲に懸念表明 全国31府県の教育長
(2006年12月18日(月)20:19 共同通信)

都道府県が持つ公立小中学校教職員の人事権を市区町村に移譲すべきだとした昨年の中教審答申に対し、全国31府県の教育長が18日、「人材の偏在化を招く」などと懸念する声明を伊吹文明文部科学相と政府の教育再生会議の野依良治座長に提出した。教育長の連名による声明は異例。

声明は、人事権を移譲した場合の問題点として(1)優れた教職員が財政力のある自治体に偏りバランスのとれた採用ができなくなる(2)人事の停滞が進み市区町村間に教育水準の格差をもたらす-などと指摘。「現行制度を生かし都道府県と市区町村が工夫改善すべきだ」と現行制度の維持を求めている。

文科省内で記者会見した小関洋治和歌山県教育長は「(人事権を移譲すれば)大都市による人材の囲い込みが起き、教育現場に混乱が生じる。地方の実態をよく見てほしい」と話した。

朝のニュースを見て、がっかりしました。

自分の権限を守りたいという本能は誰にでもあると思うので、それ自身は今さら非難しても仕方ありませんが、反対する大義名分があまりに情けない。

上の教育長の発想は、豊かな都市部の市などには進学校ができ、町村レベルの教育が荒廃する、というところにあると思います。
でもこれは公共工事の予算配分などと同じ論理です。

「公共工事の均霑」という主張の背景には、少なくとも国内での最低限のインフラ整備はどの自治体にもなされるべきだという考えがあるとは思いますが、それを敷衍するなら、必要なのはどの自治体でも最低限の教職員のレベルを確保することであって、優秀な教員を均等に配置することではないはずです。

「普通の教員」だけでは最低限の教育を与えることができないのであれば、教員資格のレベルを見直して基準に満たない教員は職務を停止するとともに、国全体で教職員の給与や福利厚生(休日や労働時間などの)水準を上げて職業として魅力的にすることが先決のはずです。

それが先決問題だ、というのならまだわかります。


都道府県の教育長が人事異動の裁量権を持ちそれに従わなければならない(確か教員は都道府県単位の採用なので)という現在の仕組みであれば、優秀な教員ほど私立学校や予備校に流れていってしまうだけではないでしょうか。
「職業選択の自由」を教えるべき教員の自由を教育長が当然に制約できると思うところがおかしい。


ところでそもそも「優秀な教員」というのはなんでしょうか。
以前何かの記事で、学習塾の営業に一番大事なのは優秀な生徒を集めることで、そうすれば授業は普通でも自ずから合格実績があがり、自然に優秀な生徒が集まるようになるという話がありました。

進学校なども同様で、教師が優秀だから進学実績があがるのか、厳しい入学試験をクリアした優秀な生徒が多いから実績が上がるのか、といえば、後者のほうが要因としては大きいのではないでしょうか。


また、受験指導とは関係ない局面での優秀な教師、たとえば授業についていけない生徒をフォローするのが上手だったり、生活指導に熱心だったり、受験テクニック以外の学問の楽しさを伝えるのが得意だったりする教師は、それぞれ生徒との相性によって適性が生かされるわけで、一箇所に集めたからといって相乗効果を発揮するとは思えませんし、各学校に一人ずつ配置したからといってうまくいくわけではないと思います。

そういう個性ある優秀な教師は、個々の教師にとって魅力ある環境(校長や教員間の関係、生徒の人数、父母や地域の尊敬etc)があれば、市町村レベルの誘導策だろうと県の教育長の指示だろうと喜んで働いて成果をあげるでしょうし、逆であれば全然ダメな結果になるのではないかと思います。

問題の中教審の答申自体は読んでいないのですが、現在の「教育長が優秀な教員を適正に配置できるはず」という一極集中型の人事考課・人事異動システム自体がうまくいっていないからこその改正案だと思います。
それに対する反論としては、現状への反省や自らの今後の取り組みについてのアピールもなく、説得力がなさすぎると思います。

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税引前、税引後

2006-12-19 | 余計なひとこと

本間税調会長、宿舎入居問題で進退論強まる
(2006年12月19日(火)03:08 読売新聞)

政府税制調査会の本間正明会長が常勤の国家公務員ではないのに公務員宿舎に入居していた問題で、政府・与党内で18日、本間氏の進退を問う声が強まった。  

自民党の中川政調会長は18日、「政策以前の問題だ」と本間氏を批判した。石原伸晃幹事長代理も、「本間氏が適切に判断することを望む」と自発的な辞任が望ましいとの考えを示唆した。公明党幹部は「対応が遅れれば、世論の批判が強まる。早く辞めさせてしまった方がいい」と強調した。  

また、政府関係者は同日夜、「自分で考える問題だ」と述べ、本間氏が自発的に辞任する場合は容認する考えを示した。  
これに対し、安倍首相は18日夜、「批判は承知しているが、本間氏は職責を果たすことで責任を果たしてほしい」と首相官邸で記者団に述べ、本間氏を擁護した。

要するに週刊誌報道の愛人問題に端を発しているのでしょうが、それをストレートに問題にすると事実関係の争いになって更に傷口を広げるのを怖れて奥歯にもののはさまったような言い方をしているのでしょう。

でも「公務員宿舎に入居していた」 といいますが、宿舎を管理している役所の責任者が許可しなければ入居はできないですよね(勝手に入り込んだのなら単なる不法占拠者ですw)。
「不適切入居」の責任を問うべきは本間氏ではなく、まずは管理責任者のはずです。そうすると本間氏の不当な要求をどうしてのんでしまったのか、または入居を許可するよう指示をしたのは誰なのかという話になり、かえって波紋(関係者orとばっちりを喰らう人)が広がるだけのような問題の立てかただとおもいますけどねぇ。


「納税者の男性」として税調会長に(political correctnessを無視して)言わせていただければ、

税金を払った後の金で遊べ

というだけの話かと。

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ノロウイルス

2006-12-18 | よしなしごと

ノロウイルス流行ピーク 26都府県、警報水準超す
(2006年12月17日(日)02:57 産経新聞)

ノロウイルスは感染力が強く、せっけんやアルコールを使った清掃でも死滅しない。吐瀉(としゃ)物を掃除するときに手についたウイルスが、蛇口やドアノブなどに付着し、次々トイレを使う人に感染するのが感染拡大のパターンだ。  

厚労省は、今月上旬、「ノロウイルスに関するQ&A」を改定しホームページに掲載。二次感染防止に焦点を置き、患者の便や吐瀉物に直接触れずに処理し、汚れた場所を塩素系殺菌消毒剤で消毒することや、徹底的な手洗い、調理器具の洗浄・殺菌、食品の加熱など感染防止策を示した。

【用語解説】ノロウイルス  
人だけに感染し、腸管で増殖、下痢や嘔吐(おうと)を引き起こす小型球形ウイルス。手や食品などを介して経口感染する。24~48時間の潜伏期間後、突如発症する。健康な人は1~2日で治癒し軽症ですむが、子供やお年寄りでは重症化したり、吐瀉(としゃ)物を誤ってのどにつまらせ死亡することも。効果のある抗ウイルス剤はなく、治療は水分と栄養の補給といった対症療法しかない。  

まだ周りに感染者がいないのであまり切実な問題として意識してはいないのですが、今週は忘年会が続くので気をつけたほうがいいかもしれません。

生もの系はできれば避け、お店のトイレも清掃の行き届いてなさそうなところは要注意ということでしょうか。
でも出されたものを残すわけにもいかず、トイレも使わないわけにもいかないし、難しいところであります。


あ、その前に飲みすぎに注意するのが大事か・・・


<参考> 厚生労働省「ノロウイルスに関するQ&A」

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大小の重さ

2006-12-17 | 自分のこと

といっても「武士の魂」の話ではなく「塊」の話です(「団塊」の逆ですが)。


昨日掃除をしていて行けなかったので、今日は朝一番でスポーツクラブに行こうと早起きをしました。

ところがトイレに入ったところ、トイレットペーパーを切らしていることに気がつきました。

まだスーパーは開いていないし、コンビニもスーパーと同じくらいの距離で、言って戻るのも面倒くさい・・・ということで、とりあえずスポーツクラブ(スーパーより近い)に行ってそこでトイレを借りよう、という外部不経済な行動を選択することにしました。
このスポーツクラブは比較的住宅街の近くにあるので、平日の帰宅後に遅い時間に行くと、閉館近い時間に洗顔セットなどを持った女性が入館するのとすれちがいます。月会費を払えば何回利用しても無料なので銭湯代わりに使っている人もいるようです(サウナやジャグジーもあるし銭湯よりいいですね)のでまあ、それくらいはいいだろうとか言い訳を考えながら歩いていたるとふと、更衣室に50g単位まで計れる体重計があることを思い出し、

「使用前・使用後の体重差をはかれば、排出した重さが分かるはずだ」

と出来の悪いアルキメデスのようなことを思いつき、早速実行にうつしてみることにしました。

結果は

△650g

これがどういう意味を持つのかはわかりませんがw


ちなみにジムでの運動後に測ると、更に250g減っていました。
運動中に1リットルほど水分補給しているのですが、かなり汗をかいているようです。

更にサウナでしぼって、風呂上りの計量では、更に△650g。

ところで脂肪1kgには9000kcalの熱量が含まれているそうです。
今日の運動は650kcalなので、脂肪の燃焼分はそのうち72gに過ぎません。

「大小」は別にすると運動の収支は以下のようになります。

水分補給         1000g
運動による水分喪失   1178g
運動による脂肪燃焼     72g
サウナetcによる水分喪失  650g

結局運動による一時的な体重の減少はほとんどが水分の喪失によるもので、脂肪を減らそうとするなら継続的な運動とそれによって筋肉をつけて基礎代謝を上げないといけない、ということですね。それに水分補給は大切です。

学生の頃ボクシングをやっていた奴の

「減量ならカロリーよりグラム」

 というのは至言だと思いました。
まさに力石徹の世界です。

無理なダイエットは身体に悪い、大事なのは日々の努力、ということですね。



ああ、でも今週も忘年会が・・・

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小掃除の掘り出し物

2006-12-16 | おイヌさま
今日は小春日和だったので、やる気を出して大掃除ならぬ小掃除をしました。

要らないものを片付けていると、大概妙な物を見つけるものですが、今日見つけたのは買いだめしておいたドッグフード。

ところが、先週お店で「パピヨン専用」なるドッグフードを見つけ(いろんな犬種ごとに配合を変えているらしく、10種類以上あるのですが価格も他のドッグフードとあまり変わらないので採算はとれるのでしょうか?)切り替えようとしていたところでした。

いきなり切り替えると下痢をするので、徐々に新しい方の比率を増していて、ちょうど50:50になったところなのですが、新しい方が気に入ったらしく、最近は古いのを選り分けて残すようになっています。
そして、おなかが減ると古いものをいやいや食べるという感じです。


そろそろ新しい方の比率を上げようとした矢先の掘り出し物。
気の毒ですが、当分50:50の食事が続くことになりそうです。


本人もちょっとがっかりしているようです。

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Winny事件判決について(つづき)

2006-12-15 | 法律・裁判・弁護士

昨日の消化不良のエントリの補足です。

asahi.comに詳しい判決要旨が載っていました。  

●被告の行為と認識

結局、外部への提供行為自体が幇助行為として違法性を有するかどうかは、その技術の社会における現実の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的態様によると解するべきである。
 

被告の捜査段階における供述や姉とのメールの内容、匿名のサイトでウィニーを公開していたことからすれば、違法なファイルのやりとりをしないような注意書きを付記していたことなどを考慮しても、被告は、ウィニーが一般の人に広がることを重視し、著作権を侵害する態様で広く利用されている現状を十分認識しながら認容した。  

そうした利用が広がることで既存とは異なるビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーを開発、公開しており、公然と行えることでもないとの意識も有していた。  

 ●幇助の成否  

ネット上でウィニーなどを利用してやりとりされるファイルのうち、かなりの部分が著作権の対象となり、こうしたファイル共有ソフトが著作権を侵害する態様で広く利用されている。  

ウィニーが著作権侵害をしても安全なソフトとして取りざたされ、広く利用されていたという現実の利用状況の下、被告は、新しいビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーが上記のような態様で利用されることを認容しながら、ウィニーの最新版をホームページに公開して不特定多数の者が入手できるようにしたと認められる。
 

これらを利用して正犯者が匿名性に優れたファイル共有ソフトであると認識したことを一つの契機とし、公衆送信権侵害の各実行行為に及んだことが認められるのであるから、被告がソフトを公開して不特定多数の者が入手できるよう提供した行為は幇助犯を構成すると評価できる。  

これを読むと幇助行為の違法性とか構成要件などはかなりわかりやすく整理された判決だと思います。  

これに対して Impress Watchの「Winny」開発者の金子勇氏が会見、本日中に控訴へ によると  

金子氏は有罪判決について(中略)
「私は何をすればよかったのか、何が悪かったのか。未だによくわかっていない」と述べた。

うーん、事実認定が誤っているといいたいのかもしれませんが、「何が悪かったのか」については上の判決骨子にも書いてあるように思うのですが。  

また、著作権法違反の幇助とされたことについては、「開発するだけで幇助になる可能性があるということは、日本の開発者にとっては足かせになると考えている」  

これも判決は「開発するだけで幇助になる可能性がある」とは言っていなくて「犯罪行為を幇助する可能性を認識していること」がポイントだと指摘していますよね。  

弁護団の事務局長を務めた壇俊光弁護士は、(中略)
今回の裁判所の判断については「誰かが、不特定多数の人が悪いことをするかもしれないとを知っていて、技術を提供した者は幇助なんだということを、裁判所が真っ向から認めてしまった。これは絶対変えなければならない。高速道路でみんなが速度違反をしていることを知っていたら、国土交通省の大臣は捕まるのか」とコメント。  

上の批判は、この判決が中立的行為による幇助の構成要件としてあいまいすぎる、ということなのかもしれませんが、そうだとしたらもう少し具体的な指摘をしたほうがよかったのではないかと思います。例示としても極端ですよね(個別に文句はつけませんが) 。 

有罪とされたことに対しては、「ファイル共有というものに対する偏見だと思う。 P2P、ファイル共有の技術は出てから数年しか経っていない。まだ黎明期の技術。裁判官はそこを理解していない。将来ファイル共有の技術がインフラになったときに、同じことが言えるのか」と訴えた。

下線の部分は、ソフトウエアの共有が送信化可能権の侵害になるのか、という議論だと思います。
確かにファイル共有技術が普及して、インターネット上でダウンロード可能な状態にあるということ自体がファイル交換を容認していると言われても仕方がないと言えるような状況になって、しかも逆にASP(っていうんだっけ?)のように、ソフトウエアをクライアント側のPCに置かずに利用できる技術がある、という時代であれば、裁判所の判断は変わっていた可能性はあると思います(またはすでにそういう時代になっている前提で裁判所を批判する方もいるかもしれませんが、それなら被告人弁護団の主張立証の力不足ですよね)。  

そもそも猥褻図画とか麻薬のようにそもそも頒布することの悪性が高いという社会的コンセンサスがあるものは個別に犯罪として規制されているわけで、「幇助」でしか立件できないのは犯罪としては微妙な位置にいるわけです。
ITに限らず昔から新しい技術はすぐには世の中に受け入れられず、世の中の進歩によって境界線にあったり「黒」だったものがやっとこさ「白」に変わるということはよくあることです。なのでWinnyが有用な技術であれば「もう既に時代は変っているんだよ」と正面から陽の目を見させるように働きかけをしていくことは大事だと思います。
(でもそうだとすると「黎明期の技術」と言ってしまうことはマイナスのような感じもしますが・・・)

結局この問題は

① 金子氏がWinnyが著作権侵害に使われることについてどの程度の認識があったかという事実認定の問題
② Winnyの提供のような中立的行為が幇助になるための基準という法律論
③ ファイル共有自体は「送信化可能権の侵害」ではないという立法論なり社会的議論

に分けられるように思います。

逆にその辺を分けないで被告側(web2.0側??)から「検察ファッショ」(今回は警察か)、とか「裁判所の横暴」 とか言うだけではなかなか世の中は変っていかない(そう変るのが正しいのであれば、ですが)のではないでしょうか。

その意味では、上の金子氏の会見の記事の写真に「不当判決」という張り紙を貼ったり、感情的なコメントを出すことが有効なのかは個人的にははなはだ疑問です。
コメントを見るかぎりでは、控訴審で覆すような反論をロジカルな形でしていない(上の①②の部分)のでが気になります。
「自分はジャンヌ・ダルクだ」と言って今回は犠牲者になる形で次のビジネスチャンスにつなごう(=弁護士は広告効果、金子氏は回顧録で稼ごうとか)というなら別ですが・・・


 

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