一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

杉並区立和田中学の「夜スペ」

2008-01-31 | よしなしごと
教室が「塾」に…東京・杉並の和田中で有料授業スタート
(2008年1月26日(土)14:06 読売新聞)

賛否両論いろいろ報じられ、例によって「格差を助長」などという批判もでていますが、「和田中と地域を結ぶページ」 を見ると、①下位グループ(いわゆる「落ちこぼれ」)の集団を減らすための「50分で週28コマ授業」を改め「45分で週32コマ授業」への移行、②中位グループの底上げのための自主学習「土曜寺子屋」の実施、という従来の取り組み(参照)に続いて、③公立校の弱点である「吹きこぼれ」を出さないため、都立の進学重点校や私立の中上位校を狙う特別コースを作ったことがわかります。

つまり中学校としては極めて真っ当に満遍なく生徒の学力の向上に取り組む中の一環のように思います。

下位の生徒を教えもせずに上位の生徒を優遇するなら「格差の助長」という言い分もありうるかもしれませんが(それでもそれを「格差」というのかは個人的には疑問です)、学習意欲や能力のある子供に機会を与えることは、特に少子化の進む日本では重要です。


向上心のある人間の足を引っ張って引きおろしている余裕があるほど、今の日本の立ち位置は高くないと思うのですが・・・


家が貧しくて「夜スペ」が受けられない生徒を救うのは、奨学金とか社会保障の別の仕組みであって、彼ら(彼女ら)が授業を受けられないので特別授業をやめるべきだ、ということにはなりません。

もし結果としての格差を前向きに是正するのであれば、奨学金の財団などへの寄付の所得控除を上限なしで認めるなどの、「税金-予算配分-予算執行」のメカニズムを通さないで重点的に資金配分するようなしくみを作るなどの別の手立てを議論すべきだと思います(道路特定財源よりもそっちの方が重要かも。)。

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診療報酬改定

2008-01-30 | よしなしごと

昨日の日経の1面の囲み記事です。
診療報酬改定、勤務医対策に1500億円・開業医向け移譲
(2007年1月29日 7:00 日本経済新聞)

厚生労働省が検討中の病院の医師不足解消対策の原案が28日、明らかになった。2008年度の診療報酬改定で勤務医に関する報酬を総額1500億円規模引き上げる方向。財源は診療報酬本体の引き上げによる収入増に加え、開業医向けから400億円程度を移譲する。

ネットでは書いてなかった具体策の部分を引用すると

対策のうち800億円分は手術などの技術料を引き上げる。病院の手術医の負担に報いる。産科・小児科には200億円程度を充てる。救急搬送に応じた病院、小児科医を手厚く配置した病院に報酬を加算。勤務医を助ける事務職員配置にも300億~400億円を充てる。

とあります。

「小児科医を手厚く配置した病院に報酬を加算」という部分は(加算額次第では)人数については直接的な効果がありそうですが、勤務医の給与増につながる保証はありませんし、報酬の引き上げが勤務医の待遇改善や(超過勤務が問題だとするなら)各病院における人数増に与える効果は間接的でしかないのは「タクシー運転手の待遇改善のための値上げ」同様この手法の限界ですね。

即効性を上げるには病院の報酬額を大幅に上げる変わりに病院の認定基準に医師数や給与の項目を入れるくらいのはっきりした対策でも取る必要があります。

ただ、ちょっと前までは病院に患者が集中して開業医が成り立たない、というような問題もあったと思うのですが、「かかりつけ医」と専門病院の役割分担というのはどうなったんでしょうか。

また、救急医療の問題については、国民全員がいつ何があっても万全な救急医療を受けられる体制を整えるのは不可能なので、どのレベルの救急体制を整備するかというのは医療制度の問題というより社会保障のレベルの問題という割り切りも必要だと思います(自分が救急搬送患者になったとしたらそんなことは言っていられないとは思いますけど)。

自分が全体像がよく理解できていないためでもあるのでしょうが、あちらを押せばこちらが出っ張るという、空気を完全に抜いていないビニール袋をたたむような感じが残ってしまう問題です。

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「店長」いろいろ

2008-01-29 | あきなひ

『マック店長は非管理職』 東京地裁判 決残業代支払い命令
(2008年1月28日 夕刊 東京新聞)

斎藤裁判官は「管理監督者は、経営者と一体的な立場で活動することを要請されてもやむを得ない重要な職務と権限を付与されている立場にある」と指摘。その上で高野さんについて「労務管理の一端を担い、売り上げ計画なども一定の決裁権限を持っているが、権限は店舗内に限られ、企業全体の経営方針などの決定過程に関与している事実は認められない」として、管理監督者には当たらないと判断した。

社長ですら母親の言いなりの船場吉兆まで行かなくともワンマン社長の会社とかイエスマン役員ばかりの会社は世の中に数多くあるので「企業全体の経営方針などの決定過程に関与している」ことが基準だとしたらほとんどの役員・従業員が管理監督者じゃなくなってしまう会社もけっこうあるんじゃないかと思います。

「○○氏が企業全体の経営方針などの決定過程に関与している事実は認められない」

などというフレーズはしばらく流行るかもしれません。


冗談はさておき、たとえば店長と言ってもコンビニの店長のように他の店員とほとんど同じような仕事をしているような人を管理監督者と言わないのは当然だと思います(仕事の実態をよく知らないのです誤解かもしれませんが)。
今回も

高野さんは一九八七年に入社し、九九年の店長昇格後は、月に百時間以上残業しても残業代はつかなかった。就業時間の大半は調理や接客に費やされ、売上金の管理や店員教育などの店長業務もこなした。

というあたり、要するに勤務の大半が調理や接客でその勤務をするしないの裁量の余地がない(好きで接客や調理をしていたり店長業務に手間取って残業していたわけではない)という実態が考慮されたのではないかと思います。
「店長」といっても大半はバイトと同じ仕事をしてるんだから管理監督者じゃないよねということなんでしょう。

上のような総論的基準をあまり強調しすぎると、また形式的に逃れようとする(たとえば独立採算の擬似FC的な建付けにしてしまうとか)企業も出てくると思うので、「実態を見て払うべきは払う」基準というのは真っ当な形だと思います。


肩書きだけで判断してはいけないというのは何につけてもいえることです。


ところで、この種の訴訟で企業側の敗訴が確定して、しかも他に該当者が多数いる場合、業績への影響の適時開示のタイミングって難しそうですね。

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勝間和代『効率が10倍アップする新・知的生産術』

2008-01-27 | 乱読日記
小飼弾氏のブログ404 Blog Not Found - あなたはなぜ勝間和代に勝てないのかを見て買ってみました。

書名にあやかり、スポーツクラブでマシンをこぎながら読みました。
全体で約300ページですが非常に読みやすい本で、特に速読でない僕がウォーミングアップのバイク15分、トレッドミル40分で190ページほど進んだので1時間半くらいあれば読めます。


内容は非常に真っ当なことが書かれています。
 ①自分の関心・テーマを持ち
 ②枠組み、原理原則から考え
 ③とりあえずやってみて試行錯誤の中で取捨選択する
ということを徹底してやりなさい、ということです。
詳細は本書を読んでください。

各論の中には僕自身やっていることもいくつかあるのですが、著者のすごいのは「徹底」の度合いが半端でないところです。

小飼弾氏が「健全なあさましさ」と評したように、すべて著者を見習うにはには抵抗を覚えるのも事実です。
「私はここまでして効率を追求したくない」と思わせるくらい鬼気迫るものがあります。
ただこれは日常生活の効率性をとことん追求しなくても困らない余裕のある立場からの感想で、筆者の勝間和代氏のように成果主義の職場、子育てと仕事の両立という必要に迫られればこういうスタイルは必然なのかもしれません。
(そこが日本のホワイトカラーの生産性は低い、と言われる所以かもしれません)


著者は「日常生活の効率性を上げる」という成果を得るためには、①適切な方法で②実行し③習慣として定着させるという三段階が必要だ、と言います。

この部分が「効率的に努力する方法(=楽して結果を出す方法)」をうたい文句にする他のノウハウ本との最大の違いです。


どこまで取り入れるかは読者の覚悟次第、というところですが、生活全般を変えるのでなく何か特定のことについて取り組もうとする際にも方法論としては参考になると思います。







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見てくれも芸のうち

2008-01-26 | まつりごと
首相、ダボス会議で講演 CO2削減、国別総量目標を(朝日新聞)

さっきテレビで演説とそのあとの壇上でのインタビューを見たのですが、国会での演説、もっと遡れば官房長官のころの話し方と変わらないメリハリのない話し方で、ぱっとしない演説という印象を受けました。
(そのうちYouTubeに載るんじゃないかと思いますがいまのところは出ていませんでした)


経済問題にしろ環境問題にしろ劇的な特効薬はないので内容的には総論的になるのも仕方くても「なんとなく日本はやりそうだ」とか「日本の株は買っといたほうがいいかも」と思わせることが大事だと思うのですが、印象的にはあまりリーダーシップを感じさせない話しぶりだったと思います。

日本語で話したので会場の人は同時通訳を聞いているからいいやと思ったのかもしれませんが、雰囲気は伝わっちゃうと思います。

演説の内容も、30分ほどもらった時間をちょっともてあました感じで、もうちょっと盛り上げるような原稿を書けたのではないかと思います。

インタビューでも、いつものクセのどうでもいい早口の言い直しが出たりしてました(テロとの戦いについて「支援は今一時中断してますが」と言ったあとに早口で「法律の関係で・・・」などとはさだり)。
少なくとも同時通訳されることを意識して話したことはないようですね。
まあ、これをマイペースというか芸がないと評価するかは人によると思いますが。


せっかく遠いところまで行ったんだから、日本をもっとうまくPRして欲しかったと思います。

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女殺油地獄国会

2008-01-25 | まつりごと
テロ特措法にしろガソリン値下げ隊にしろ、油は臨場感を際立たせるための道具立てであって、問題の本質ではないことは似ているのではないかと。


原油価格が下げ基調に転じた中で、道路特定財源という税制がいけないのか、道路という使途がいけないのか、物価対策なのか。その中の問題の優先順位は何なのかをきちんと議論しないと話が空回りするだけだと思います。


油まみれになって阿鼻叫喚、ではホントに近松の世界になっちゃいますよね。
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『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』

2008-01-24 | 乱読日記

ひきつづき投資の本。
今回は『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』というちょっとキワモノ的な書名です。

1983年にシカゴ商品取引所の伝説のトレーダー2人が「トレーダーを育成することが可能か」という賭けをし、「タートルズ」という養成塾を作りました。
大々的な広告をし、高倍率から選抜された塾生「タートルズ」は2週間の教育のあと100万ドルずつの運用資金を任されます。
タートルズは4年間の運用期間で抜群の成績をあげ、卒業生の多くはトレーダーとして成功を収めます。
しかし「タートルズ」の教育内容は今まで謎につつまれていました。

本書は若干19歳で塾生に選ばれ、しかも運用期間中最高の成績を出した筆者が「タートルズ」の秘密を明かす、というふれこみです。


しかし、当然のことながら「これを知れば100戦100勝」という秘術が記されているわけではありません。

タートルズの戦略の基本は、相場変動を予測するのでなく、相場変動に対し確率的に優位な取引ルールを作り、それを強い意志を持って貫徹する、と言うことに尽きます。
問題は市場も常に変動するわけで取引ルールに完璧なものというのがないことです。本書でもいくつかの基本的考え方が示されていますがそれが常に打倒するわけでもないということも言及されています。 

本書で参考になるのは「ルールを貫徹する」という考えの大事さとそれを妨げる人間の心理についての考察です。
これはトレーダーや投資のみならず、仕事でも役に立つ部分があります。

一部を抜粋

  • 現在形で取引せよ過去にくよくよしたり、未来を予測しようとしたりしてはならない。前者は非生産的で、後者は不可能だ。
  • 予測しようとせず、確率で考えよ市場を予測して当たりを取ろうとするより、長い目で見て成功する確率の高い手法に集中すべし
  • 取引には自分で責任を取れ自分の過ちや失敗を、他人や市場、ブローカーなどのせいにしてはならない。過ちは自分で責任を取り、そこから何かを学ぶこと


「実生活でも役に立つ」と書こうとしたのですが、実生活に生かすのはほどほどにした方が人生楽しいかもしれませんねw






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『魔術師は市場でよみがえる』

2008-01-23 | 乱読日記

最近株も為替も大荒れですが、この本は1980年に創設され急拡大をしヘッジファンドとして頂点に君臨した後2000年に生産に至ったタイガー・マネジメントとその総帥ジュリアン・ロバートソンの伝記です(原題は”Julian Robertson:a Tiger in the Land of Bulls and Bears”)。

内幕ものかと思いきや、ジュリアン・ロバートソンやその関係者への綿密なインタビューと、投資家へのレポートを中心に経済雑誌の特集記事のように(それ以上に)淡々としかし綿密にタイガー・マネジメントの軌跡を追います。

ひとびとがわかっていないのは、資産運用で一番難しいのは実際に資金を運用することではなく、運用すべき資金を調達することであるという点だ。資産運用業務で成功する鍵の35%は堅実な運用成績を長期間にわたり維持することにあるが、65%は顧客関係の管理にある。

事実テクノロジー株のバブルの中、「オールド・エコノミー」の会社の割安な株を見つけるというタイガーの従来からの戦略は裏目に出て、投資家が次々と資金を引き上げたことがファンドの清算の引き金になりました。
結果から見れば、中期的にはそこでテクノロジー株にシフトするよりはタイガーの戦略に乗っていた方が運用成績はよかったわけですが。

結局ヘッジファンドですら「素人は一番高値で買って一番高値で売る」という投資家の行動の影響を受けてしまった、というのは皮肉でもあります。


現在ロバートソンは自らの資産を運用するとともに、慈善活動にも積極的に取り組んでいます。
慈善活動はタイガーのころから部下のファンド・マネジャーにも奨励していたことです。
ロバートソンの慈善活動は、自分の寄付が有効に活用されることになるか徹底して検証することにも特徴があります。
寄付した資金が正しく使われて、プログラムが約束した人々のところに実際に確実に届くかを見極めるるため、現場に出かけていって理事と面談し、団体の規約を読み、職員、顧客、参加者と話をしてから判断をくだす、という企業に投資する場合と同じプロセスを踏みます。


こういうことは、日本の企業も見習った方がいいと思いました。
CSRだ社会貢献だと言いながら、自分の行為の最後まで見ずに免罪符のように寄付をするだけでは、長続きしないと思います(景気が悪くなれば「背に腹は変えられない」となったり最悪は「NGOゴロ」のような人々の跳梁跋扈を招きかねません。)。
一方で、日本では寄付金控除の対象が官公庁や関連の法人(とか政治的に影響力のある団体)等に偏って限定されているのも問題だと思います。
「脱税の温床になる」といってもその法人の活動をしっかりモニターしていればいいわけで、「認定は厳しいが一度認定を受けたら勝ち」という役所が楽をするための仕組みはいかがなものか、と思います(あ、これって大学入学なんかもそうですね・・・)。


そうそう、年金についてはその運用や使途に疑問を持った加入者が不払いをした結果、自ら検証を余儀なくされたわけで、国民の権利であり義務として、まず税金の使途をきっちり確認することが必要ですね。
それから政府も(給油した油の使い道だけでなく)ODA資金の使途などもきちんと検証したほうがいいでしょう。



本のレビューから大きく話がそれてしまいましたが、アメリカならでは、という人物像でもあり、いろんなことを考えるきっかけになる本だと思います。







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被害者国選弁護?

2008-01-22 | 法律・裁判・弁護士

被害者国選弁護 費用返還求めず 法務省案を自民了承
(2008年1月19日(土)04:15 産経新聞)

刑事裁判に犯罪被害者らが参加する「被害者参加制度」をめぐり、法務省は18日、公費で選任される弁護士費用については原則、被害者側に返還を求めないなどとする原案を自民党司法制度調査会などの合同会議に示し、了承された。同省は総合法律支援法などの改正案を通常国会に提出する方針。

久しぶりにものすごい違和感を感じた報道です。

法律の改正案がすぐに調べられなかったのですが、被害者参加制度の概要は、殺人や業務上過失致死傷などの犯罪において被害者や遺族が一定の制限付きで、被告人質問や量刑に関する意見陳述などをすることができるというもののようです。

違和感の中身は

① なぜ被害者の意見陳述に代理人として弁護士が必要で、弁護士に限らないといけないのだろうか。
被害者の気持ちを伝えるのならマスコミやジャーナリストでもできるのではないか。弁護士に限定する理由は何か?
刑事訴訟制度上被害者は被告人に対峙する立場ではないので、法律紛争の代理人ではないし、弁護士法上も弁護士の職業独占にする必然性はないのではないか
(あくまでも国選弁護人を選べるということで弁護士の職業独占にはしていないのかもしれませんが)

② 弁護士が被害者の代理人になったとして、刑事訴訟法上は推定無罪の被告人に対してどのようなスタンスで被害者の心情を伝えるのだろうか。
もし弁護士に限るとするなら誰かの法律的権利を保護する必要があるからでしょうが、被害者は意見陳述をするだけなのでこれ以上権利を侵害されるおそれは少ないように思います。
そうだとすると被告人の人権を保護する、ということになるのでしょうが「あなたのせいでこうなった!」という発言は弁護士としては職業倫理上言えない(言うべきでない)はずで、「もしあなたが犯人だとしたら、(または、あなたかどうかはわからないが犯人のせいで)私はこのような苦しみを受けた」としかいえなくなります。
でもそれは被害者にとって歓迎されることなのでしょうか。

弁護士を代理人として選任することは、制度自体の矛盾点を浮き彫りにする感じがします。
 
日弁連からは昨年の3月に会長声明として被害者の参加制度新設に関し慎重審議を求める会長談話が出されているようです。

 これまで、犯罪被害者等が、経済的補償の面でも、また医療・精神的ケアの面でも、十分な支援を受けられずにいたことについて、われわれは真摯に反省し、当連合会は、犯罪被害者等補償法の制定及び公費による被害者の弁護士選任制度の導入が早急になされるよう強く要請するものである。

(中略)

被害者参加制度には、以下に述べるような裁判現場での影響を考慮すべき様々な問題点がある。

まず、犯罪被害者等の生の声を被告人に伝えることの重要性は理解できるが、既に被害者等の意見陳述制度が導入されている。さらに被告人に対し、直接法廷で犯罪被害者等の生の声を尋問や求刑という形で対峙させるよりも、検察官や弁護人を介して伝える方が被告人に冷静に受け止められて反省を促すには有効であり、実際そのような努力がなされている。

また、本来刑事手続が予定しているところとは異なり、結果の重大性に圧倒され、検察官の主張に対して言うべきことが言えない被告人は少なくない。特に、正当防衛の成否、被害者の落ち度、過失の存否という重大な争点について、結果が悲惨であればあるほど、これらの点を主張すること自体が心理的に困難な状況に置かれている。法廷で犯罪被害者等から直接質問されるようになれば、被告人は沈黙せざるを得なくなる可能性がある。

そのほか、被害者参加制度が現行の刑事訴訟法の本質的な構造である検察官と被告人・弁護人との二当事者の構造を根底から変容させるおそれがあることや、犯罪被害者等の意見や質問が過度に重視され、証拠に基づく冷静な事実認定や公平な量刑に強い影響を与えることが懸念される。

これも若干違和感があります。
反対の論拠としては「そのほか」の部分が一番大事なんじゃないでしょうか。
一番最初に「犯罪被害者等の生の声を被告人に伝えることの重要性は理解できる」と言ってますが、推定無罪の被告人に被害者の声を伝えることにどのような意味があるのでしょうか。
そのこと自体が「精密司法」を追認しているのではないでしょうか。
個人的には精密司法にもそれなりのメリットはある(応報刑的考えよりはある意味健全)と思うのですが、少なくとも日弁連が追認しちゃまずいんじゃないでしょうか。


また、日弁連会長声明の言う「公費による被害者の弁護士選任制度」というのは、ざっと検索した範囲では「犯罪被害者補償法」というのはドイツの「暴力犯罪被害者補償法」という国が被害者への経済的補償をする制度を手本にしているようです。
またドイツの刑事訴訟手続きでは、①被害者の手続参加(異議申立、忌避、陳述権など)や、②被害者の情報取得(記録閲覧)、③弁護士の付添い・支援、④被害者のプライヴァシー保護などが認められていて、さらに2004 年の「被害者の権利に関する法律」で公費により被害者弁護人(付添人)をつける権利が認められたそうです。(参照

このような背景(と私は考えたのですが)のなかで「犯罪被害者等補償法の制定及び公費による被害者の弁護士選任制度の導入が早急になされるよう強く要請するものである。」といっておきながら「慎重審議」というのもちょっと説得力に欠ける感じがします。

ビジネスチャンスが増えるとすれば、反対もしづらい、ということなのでしょうか。


上のドイツの例による被害者の「異議申立」「忌避」(それぞれ何に対してなのでしょうか?)とか被害者のプライヴァシー保護という部分については弁護士の選任というのも意味があると思います。
ただ、ドイツ流に刑事訴訟制度を大きく見直すのではなく、被害者の意見陳述を認めるだけなら国選弁護人を雇うまでのこともないように思います。

また、ドイツではボランティア団体が被害者支援を行っているということで、国選弁護制度が導入されたとしても、弁護士法の職業独占を認める必要はないのではないでしょうか。


依然としてよくわからない問題なのですが、このまま進むのはなんとなくよくないのではないかという感じがしているので、折を見てフォローしたいと思います。
また、単に私が良く調べもせずに脊髄反射的に文句を言っているだけなのかもしれませんので、制度の概要や論点などをご存知の方がいらしたら教えていただけると幸いです。



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擬態うつ病

2008-01-21 | よしなしごと

医学都市伝説のエントリー「うつ病本三冊」から。

最近新聞か雑誌で「擬態うつ病」について見かけた記憶があるのですが、火付け役になった精神科医林公一氏の『擬態うつ病』その他2冊の書評です。

私はこの本は未読なのですが、最近(効果の高いはずの)抗うつ剤が効かずなかなか治療しない「うつ」症状の患者が増えていることを、著者は本当のうつ病でなくうつ病に成りすましている「擬態うつ病」と分類できるのではないか、と主張しているようです。

医学都市伝説のwebmaster氏も精神科医と推測されるのですが、

多分一種のレトリックなのだろうと思うが、そこで林医師が主張するのは、単純化するなら「治らないうつ病」はその多くが「擬態うつ病」であって、正常の悲哀反応や気分変調の持ち主が、氾濫する医療情報を逆手にとって、うつ病という逃げ込みやすいアジールに安住しようとしているだけだ、というのである。

林医師が「擬態うつ病」としているのは、古典的診断では「抑うつ神経症」とか「神経症性うつ病」、中には「抑うつ性人格障害」などを主に含むものだと思われるが、明らかな詐病ならいざ知らず(中にはホントにあるけれど)、治る病気だけ診ていればいいというのは、ちょっと違うような気がする。本気でそう言っているわけではないのだろうが、それ以外に受け取りようがない。

と切って捨てています。

精神科医療というのは素人も聞きかじりの知識で物を言いやすいという点があるので、専門家である医師が(素人ウケを狙って)学問的根拠の乏しいことを言うのはよろしくない、医師として新たな病気や症候群を分類するのであれば、きちんとした定義が必要であり、ひとつの仮説であるなら、素人向けに大々的にアピールすることは誤解を生むことになる、とwebmaster氏は言いたいのではないかと思います。

確かにトラブルの渦中にある某有名人の主治医など、ただでさえ(素人目には)胡散臭そうな精神科医もいますよね。

同書のamazonのカスタマーレビューでもセンセーショナルに言い立てていることについては多くの批判がされていますが、評価はけっこう高い点がついています。


この議論で気になるのが、職場などでのメンタルヘルスが重視される中で注目されてきたうつ病やうつ症状の人が、「擬態うつ病」の名の下に「甘えてる」云々と手のひらを返したように批判されることになりはしないだろうか、ということです。

このへん、「格差」や「自己責任」をめぐる議論と似たような危さを感じます。


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裁判員の辞退事由に関する政令

2008-01-20 | 法律・裁判・弁護士

裁判員の辞退事由に関する政令が出たのでメモ代わり

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第十六条第八号に規定するやむを得ない事由を定める政令

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下「法」という。)第十六条第八号に規定する政令で定めるやむを得ない事由は、次に掲げる事由とする。

ちなみに法16条は辞退事由として70歳以上、学生などをあげているほか第8号で

八  次に掲げる事由その他政令で定めるやむを得ない事由があり、裁判員の職務を行うこと又は裁判員候補者として第二十七条第一項に規定する裁判員等選任手続の期日に出頭することが困難な者 

イ 重い疾病又は傷害により裁判所に出頭することが困難であること。 
ロ 介護又は養育が行われなければ日常生活を営むのに支障がある同居の親族の介護又は養育を行う必要があること。 
ハ その従事する事業における重要な用務であって自らがこれを処理しなければ当該事業に著しい損害が生じるおそれがあるものがあること。 
ニ 父母の葬式への出席その他の社会生活上の重要な用務であって他の期日に行うことができないものがあること。

とあり、今回この「その他政令で定めるやむを得ない事由」が決まったというわけです。
その内容は

一 妊娠中であること又は出産の日から八週間を経過していないこと。
二 介護又は養育が行われなければ日常生活を営むのに支障がある親族(同居の親族を除く。)又は親族以外の同居人であって自らが継続的に介護又は養育を行っているものの介護又は養育を行う必要があること。
三 配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)、直系の親族若しくは兄弟姉妹又はこれらの者以外の同居人が重い疾病又は傷害の治療を受ける場合において、その治療に伴い必要と認められる通院、入院又は退院に自らが付き添う必要があること。
四 妻(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)又は子が出産する場合において、その出産に伴い必要と認められる入院若しくは退院に自らが付き添い、又は出産に自らが立ち会う必要があること。
五 住所又は居所が裁判所の管轄区域外の遠隔地にあり、裁判所に出頭することが困難であること。
六 前各号に掲げるもののほか、裁判員の職務を行い、又は裁判員候補者として法第二十七条第一項に規定する裁判員等選任手続の期日に出頭することにより、自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由があること。

と、病気、介護関係などに限定されていて「仕事が忙しい」というのは辞退事由にはされませんでした。
その他の理由で辞退しようと思えば6号にあるように裁判所に出頭して「相当の理由」を説明する必要があります。実際はこれが多くなるのかもしれませんね。

ところで官報の末尾に  

附 則
この政令は、法の施行の日から施行する。
  法務大臣 鳩山邦夫
  内閣総理大臣 福田康夫

とあったのでふと思ったのですが、


「友達の友達がアルカイダだ」 というのを辞退の理由にしても、認められないんでしょうか?


多分だめだろうな・・・
(もともと国会議員や国務大臣は上の裁判員法15条でなれないんですけど)

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出会い系サイト規制法改正

2008-01-19 | よしなしごと

出会い系サイト、届け出制に・規制法改正へ
(2008年1月17日 12:28 日本経済新聞)

出会い系サイトを介した児童買春などの事件が後を絶たない状況を受け、警察庁の研究会は17日、サイト事業者の届け出の義務付けや、利用者の年齢確認方法の強化などの提言をまとめた。届け出義務化や罰則強化が実現すれば、違法業者の強制捜査も可能となり、児童の被害拡大に強い歯止めとなりそうだ。  

同庁は18日召集の通常国会に出会い系サイト規制法の改正案を提出、成立を目指す。

出会い系サイトを規制する法律と言うのがあったこと自体知りませんでした。
 「出会い系サイト等に係る児童の犯罪被害防止研究会」の報告書はまだアップされていなかったのですが議事要旨を見ると (こちら)

    • 「出会い系サイト」の定義:メッセージの交換ができるという意味ではmixiやモバゲータウンなども対象になるかどうか、というあたりが問題なのでしょうか
    • 海外にサーバーを置いている業者は規制対象外になってしまう
    • サイト管理者の負担が大きくなりすぎるおそれがある

などというあたりが議論されたそうです。

でも又聞きによれば、いわゆる「出会い系サイト」のビジネスモデルは、ソフトウエアによる「サクラ」で自動的にメッセージを入れて料金を浪費させたり、「無料」をうたい文句にしているところは広告料収入をメインにしているそうです。
つまり「実際に出会い系サイトに登録する本物の女性」というのは業者にとっては想定外で、いわんや未成年を組織的に勧誘するなどというコストがかかって収益に関係のないことにはまったく関心がないのだそうです。
(昔ピンクレディの『透明人間』に♪現れないのが透明人間です~♪というフレーズがありましたが、「出会えないのが出会い系サイト」のようです。)

となると、ますます悪質な業者(「良質な出会い系サイト業者」というのがいるとも思えませんが)は海外のサーバーに移ってしまうように思います(既に移っているのかも)。
逆に、「出会い系サイト規制防止法により本人確認をします」などといって、登録した男性の方から個人情報を取得して転売するというような新たな商売を始めかねないようにも思います。
まあ、出会い系サイトを会員側で利用する人はそれなりのリスクを承知で「出会おう」という目的があるのでひどい目にあうのは自業自得ともいえるのですが(決め付けすぎ?)

児童の犯罪被害をなくすという目的に対してはこの規制は費用対効果はあまりよくないように思います。上の記事にあるように「強い歯止め」になるのでしょうか?

児童に対する犯罪行為に対しては相手の精神的未成熟や社会的知識の不足につけこむものなので、児童側の出会い系サイトへのアクセスをコントロールする(それはまた別のアクセスルートを提供する業者が現れます)よりは、加害者(予備軍)側に抑止力を働かせるような仕組み、たとえば法定刑を上げるとか強制わいせつ罪などのように構成要件を変えるなどで厳罰化をするほうが効果的なようにも思います。
すべて厳罰化をすればいいとも思いませんし、新たな刑罰をつくると危険運転致死傷罪の「正常な運転が困難な状態」のように実際の適用が難しいというような問題が出てくるかもしれませんが、この問題への対策の実効性をあげるには効果的だと思うのですが。

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恵比寿ガーデンプレイス

2008-01-17 | うろうろ歩き
映画を観に恵比寿ガーデンプレイスに行ったところ、そこかしこに禁止事項のサインがありました。

入り口広場には



商用撮影禁止、ゴミのポイ捨てするな、自転車乗るな、キャッチボールやスケボーもだめetc.

中に入っても



鳥に餌をやるな、構内禁煙、犬の放し飼い・糞尿禁止

とうるさいくらいに表示があります。
下のサインはそれぞれの柱にひとつずつと、すべての柱の根元の角には犬のサインが貼ってあります。


恵比寿界隈の住民ってそんなにマナーが悪いのでしょうか・・・?
それとも遠くから犬を連れて来る人が多いのかな?

恵比寿ガーデンプレイスはサッポロビールの子会社が保有しているのですが、昨年モルガンスタンレーが15%出資したのでうるさくなったのでしょうか(そんなことないかw)。






ところで、この出資はスティール・パートナーとの買収騒動の中での「漁夫の利」という感じです。
一方でモルスタも不動産投資という小さい井戸の中では大物になってしまったので、いざ売りに回るとなると相場を崩さずに売るのが難しいという局面になりつつあります。


一方でサッポロ飲料の社長に鈴木氏 穀物メジャー系から
(2008年1月15日(火)16:42 朝日新聞)
などという話もあり、このへんのもろもろは今年は展開がありそうなのでそのときにまた。



(誰ですか?鳩に餌をやるのを禁止しておいて自分が餌になってどうするんだ、などというのは・・・)

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『再会の街で』

2008-01-16 | キネマ
正月休みに久しぶりに劇場で観た映画です。


NYで繁盛している歯科医・アラン(ドン・チードル)は大学時代のルームメイトのチャーリー(アダム・サンドラー)に再会します。チャーリーは9.11の飛行機事故で妻子を失くし、歯科医もやめて何もしないで暮らしています。アランはチャーリーをセラピーに連れて行こうとする一方で、彼の自由な生活を羨む自分に気がつき・・・

という話です。

ドン・チードル(←お気に入り)は相変わらずいい味を出しています。
またアラン役のアダム・サンドラー(今まで知らなかったのですがサタデーナイトライブ出身のコメディアンで、アメリカでは人気のようです)が好演しています。

原題は"Reign over Me"。過去にreign overされてしまった主人公の葛藤と、それを象徴するようにThe Whoの"Love, Reign O'er Me"が(映画中に数々出てくる70年代ロックの中でも)この映画の主題曲になってます(Pearl Jamのカバーですが)。
オフィシャルサイトにある予告編はちょっとネタバレ(最後のキーになるセリフが出てきてしまっている)なので(前もって見なくてよかった^^)、
英語の予告編

Reign Over Me Trailer


のほうがお勧めです。
また、この映画をバックにしたMusic Videoも映画の雰囲気がよく伝わります(長い分ちょっとストーリーがばれちゃいますが)。

Reign Over Me - Music video



あまり語りすぎてネタバレになってしまう前にやめておきますが、ちょっとだけ感想を。

二人の青春時代だった70年代ロックがモチーフになっていることもあってか、アダム・サンドラーはボブ・ディランを意識した髪型・風貌の役作りをしていて、それがまたいい雰囲気を出しています。
(そういえば「昔の頃に戻りたい願望」って男のほうが強いのかもしれませんね。)
それから最近息子のほうが24で稼いでいますが、父親のドナルド・サザーランドが美味しいところでいい味をだしてます。


特にThe Whoにピンと来た年代の方は(映画は劇場が限られているのでDVDになってからでも)ぜひ観ていただければと思います。

コメント (2)
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ネタ?

2008-01-15 | 乱読日記

次回の通勤用図書は『金融システムを考える』にしました。

まだ、まえがきを読んだだけなのですが、著者の語り口が役人の友人と飲んでいる時のそれと似ていて、中身も歯に衣着せぬ本音がそこかしこに出ていそうで期待が持てます。
※本書は既にtoshiさんがブログで紹介されていますので、概要はそちらをご参照ください。

ということで、今日は本のレビューではありません。





さて、今日の本題






まえがきを読んだところでしおりをはさもうと探したら






 




短い・・・




購入時は折りこんであるので気がつかなかったのですが、これでは下に出てきませんね。

まあ、この程度で乱丁といって交換するのも面倒だな、などと考えながらふと浮かんだのが

下から出ていなくても本の上側を見ればしおりの位置はわかるだろう、すなわち「ルールは作るからあとは民間がちゃんとやれよ」という裁量行政から事後監視型行政への転換(と、場合によってはその「帯に短し」度合い(^^;)を象徴したネタなのではないか

という疑問。



それくらいの茶目っ気はありそうな感じの前書きではありましたので、内容にも期待しながら読もうと思います。

 

コメント (2)
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