一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

靖国参拝問題 続き (日中関係 その6)

2005-04-30 | 日中関係
靖国参拝問題の続きです。

今回は、何で中国は靖国参拝にこだわるんだろう、ということをちょと調べて&考えてみました


中国側の靖国参拝批判は1978年にA級戦犯を合祀したことに端を発していて、「戦争犯罪人であるA級戦犯が祀られた靖国神社を日本の政治指導者が参拝することは許し難い。」というのがその理由。


でもちょっと待てよ。
サンフランシスコ平和条約の第11条「日本国は,極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し,且つ,日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)」
とはあるけど、死刑執行後の扱いや懲役刑を終えた人や、刑期中に亡くなった人の取り扱いまでは決めていない。(普通そうだよな)


では中国側が、何でA級戦犯にこだわっているかというと、
そもそも「日本の侵略戦争は、一握りの軍国主義者が引き起こしたものであり、日本人民も戦争の被害者である。」といういわば「A級戦犯戦争責任論」は、東京裁判の際に、国民党の蒋介石がこの「A級戦犯戦争責任論」に基づいて日本に対する戦時賠償請求権を放棄した、というところに遡るようだ。


毛沢東・周恩来も日中国交回復時にそれにならい、当時の中国国内にあった「賠償金を求めるべき。」とする意見に対して、「同じ戦争の被害者である日本人民に賠償を求めることはできない。」として、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)の中で明確に賠償請求権を放棄した。

「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」


毛沢東・周恩来は、日本に復讐主義的な賠償金を科して両国間に過痕(第一次大戦のドイツに課された多額の賠償金がナチス台頭の遠因になったことなど)を残すことがないがように、「A級戦犯戦争責任論」を使って賠償金を放棄する形で戦争責任の決着を図ろうとしたのではないかと言われている。


そしてこの「A級戦犯戦争責任論」は中国側において今の指導部に至るまで日中間の前提条件であり続けてきた。

したがって、A級戦犯を合祀している靖国神社に参拝するということは、中国側から見れば日中友好の前提条件を覆す行為と受け止められることになる。


一方日本側も、中国は戦時賠償請求権を放棄したことに感謝し、それが1979年から開始された中国向けODAとなった。
※これは、もともと裏の約束があった、という人がいるかもしれないけど、そのあたりはよくわかりません。
※ちなみに、日本は韓国に対しても「日韓基本条約」とは別に「日韓請求権協定」を締結し、「賠償金」ではなく「経済協力」という形で財政的支援を行っています。

なので、現時点で既に3兆3千億円(!)を超える中国向けODAは、形を変えた戦後賠償だ、十分戦争の補償をしたじゃないかという見方もあながち間違ってはいない。


ところでこの日中国交回復時の「A級戦犯戦争責任論」は時の周恩来が自国民向けの説明に用いたもので、日中共同声明には条項として盛られていない。

したがって、日本側政府としては「A級戦犯戦争責任論」を公式に認めてはいない。


そして今回の反日騒ぎは、最近の中国国内における

①指導者のカリスマ性の低下

「中国権力者たちの身上調書」にあるように、小平までの指導者に比べ江沢民はかなり小粒で自らの権力の維持に汲々としていたし、胡錦濤らの「第四世代」(これもそもそも小平が登用をはじめた)の真価はこれから、という状況らしい(著者はそもそも江沢民に批判的なスタンスです)。

②反日ナショナリズムの存在

小平没後の中国では、「共産党による一党独裁の正統性強化」のために抗日歴史教育を中心とするナショナリズム教育が積極的に行われた。
特に江沢民政権時代は(天安門事件で失脚した先輩指導者がトラウマになってか)さらにそれが助長されたらしい。
そのためわずかなきっかけで反日運動がに火がつきやすい状況にある。

③中国政府への国民の不満

経済成長の不均衡、沿岸部・内陸部の所得格差、役人の汚職、失業問題、共産党の一党独裁への不満、(特に富裕層の)
更なる政治参加への欲求等の諸問題は、現代中国の抱える重要な政治問題となっている。

という背景事情があって、

このような状況で、中国政府が安易に小泉首相の靖国参拝を容認したとすると、反日ナショナリズムの怒りの矛先が「弱腰」の現指導部に向けられる危険性が大きく、
さらには
「そもそも「A級戦犯戦争責任論」はおかしいのではないか(日本人はすべて戦争責任があるのではないか)」
「戦時賠償を請求すべきではないか」
などとエスカレートした場合共産党政府の従来の方針、基盤となっている論理自体を覆す方向に働きかねないと危惧されているんじゃなかろうか。


というわけで、中国政府は靖国参拝には(日本から見ると)過剰反応するのだろう。

こう考えると、過去の経緯から配慮しなければいけない部分もあるけど、筋違いじゃないか、という部分もありますね。



じゃあ、日本はどうすればいいか、ということですが、

① 日本の戦争責任についての見解を明確にする(これは事あるごとにしているわけですので、これ以上はいいのでは)
② 靖国神社でなく、宗教性(宗派性?)のない戦争犠牲者慰霊施設を作る。
※そこにはA級戦犯も、非戦闘員である一般市民も全部まとめて慰霊するのがいいんじゃないかと思う。
※中国の「A級戦犯戦争責任論」はわかるとしても、日本は、成仏できないように敵の死体を切り刻んだり豚に食わせるというような徹底した報復をする文化(これは中国人が野蛮だ、といっているわけではなく、死者に対する日本独特の考え方があるのでは、と言っているだけですので誤解のなきよう)とは違うということを説明して理解してもらうしかないでしょう
※もっとも、日本人の中での戦争責任の総括(これも必要だと思う)の結果、「A級戦犯はけしからんから決して許すな」となったら別です(そうはならないと思うけど)。

まあ、結論からいえばありきたりだけど、この程度しかないのではないでしょうか。


こっちが筋的に文句を言われる隙を与えなければ、中国も上の②のような日本をスケープゴートにするようなことを安易に続けられないんじゃないか、と思います。

※ それでも過去の残虐行為を云々というなら、共同で歴史検証でもしますか?
  いや、政府間の公式研究だとどうせもめるからしないほうがいいかな?
  でも、民間レベルだと当事者によっては「自虐史観」派云々(レッテル貼りはいかがなものかと思うが、客観的な事実の検証を冷静にできない人は適任ではないと思う)の問題もあるか・・・
  となると、これは現実的には難しいかもしれないですね。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国あなどれじ

2005-04-29 | ネタ


といってもデモとか外交問題ではありません


キーウィーフルーツってもとは中国産の果物だったってご存知でした?


もとは"Chinese gooseberries"(中国すぐり?)という名前だったのが、ニュージーランドの農家が輸出を試みた1960年代は"Chinese"と言う言葉にはマイナスイメージがあったので、「ニュージーランド特産」をアピールしようと"Kiwifruit"という名前にしたのだそうな。

※"Kiwi"というのは「ニュージーランドの」「ニュージーランド人」という意味です。


中国も広東省とかは温暖だし、南の方(雲南省のようなラオス・ミャンマーの国境のあたり)は気候も亜熱帯なので、いろいろな種類の植物があるのでしょう。

実はもとは中国産、という果物や野菜はほかにもけっこうあるのかもしれない。


Kiwifruitsの由来について、詳しくはこちらをごらん下さい。


同じページに"Kiwi(bird)"というニュージーランド固有種の飛べない鳥(けっこう愛嬌がある)の解説もあります。



このKiwibirdはKiwifruitsに外見が似ているので、僕は"Kiwifruits"から来た名前なのかな、と思っていたのですが、全然違いました(上のサイトでも「関係ない」って念を押してます)

余談ですが、Kiwibirdはニュージーランド海軍のマークにもなっていて、軍艦の艦橋に絵が描いてあるんだけど、全然強そうに見えません
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家として、個人として (日中関係 その5)

2005-04-28 | 日中関係
ここのところの日中関係の記事に関しコメントやTBをいただいて、改めて考えたのが、中国(人)の日本の戦争責任への言及に対して、国家として対応するか、個人として対応するか、ということ。


TBいただいたjack_fujiiさんの記事への僕のコメント(2回分)を僕自身の備忘のため再録したので、文脈がわかりにくいかもしれませんがご容赦ください。


************************

「戦争中とはいえ中国人を殺したことに対して、(中略)日本人は反省し続けねばならない」というところ、については、やはりちょっと違和感があります。

たとえば個人の日本人犯罪者が中国人を殺したからといって、日本人として(恥ずべきではあれ)謝罪することにはならないと思います。
やはり基本は国家の行為として侵略戦争を仕掛けた、その中で非戦闘員に対する残虐行為を行った、というところを反省すべきなのだと思います。

そして、国家としての行為の反省(または反省が不十分)というのは、(国民の感情は斟酌するにせよ)最終的には国家同士で手打ちをすべき問題だと思います。

その意味で、小泉首相のAA会議での演説は適切だと思います。

逆に、今回に限らず中国政府が「国民の反日感情」を外交カードや国内のガス抜きに使っていると思われる点には、個人的にはいかがなものか、と思います。

中国の人々が個人的な歴史に対する感情まで捨てる必要はないと思いますが、それが「反日デモ」という組織的行動になってしまうところが、(それは当局の誘導なのか、歴史教育の所産なのか、根深い反日感情なのかわかりませんが)残念です。
確かに相手の感情を逆撫でする行為をあえてするのは愚挙(そういう日本人が多いのも確かです)ですが、かといって日本国または日本人として中国人ひとりひとりの納得を得るまで謝罪・補償をしつづけることはできない以上、気に喰わない事があるとすぐに反日デモ、というような対応をされると、日本としてもお付き合いしにくくなってしまいます。

少なくとも民主主義国家においては国民の理性に働きかけ、無意味な軋轢を起こさないようにするのが政府やマスコミの役割だと思うのですが。

*****************************

国家としての責任、個人としての責任についてですが、私自身、国家としてけじめをつければ、個人としてはどうでもいい、と思っているわけではありません。
ただ、日本としてどう対応するか、を考えるに、まず国家としてのけじめを考えなければならないのではないかと思います。

TBさせていただいた私の記事とコメントに書いたのですが、まず最初の問題は、日本が自国内で戦争責任についてのけじめをつけていないところにあるのではないか、と今は考えています。

結局ここの部分の基本線の胆が据わっていないので、日本の国としてのスタンスが対外的にも認識されておらず、個人の感情レベルの応酬になってしまいがちなのではないでしょうか。
また、日本人自身「戦争被害者」という意識が残っている
のも(確かに被害者と言う部分もあるのですが)誰と誰の関係において誰が被害者で誰が加害者なのかをはっきりさせていないことが原因なのではないかと思います。


引き合いに出すのは申し訳ないのですが、先日のJRの事故で、遺族に謝罪したJR幹部に対して「子供(妻/夫)を返せ!」と言う遺族の叫びが報道されていました。
その気持ちはわかるのですが、JRとしてできること(すべきこと)は、遺族への補償と安全運行の徹底であって、たとえば遺族の人がJRを利用するたびに駅員が深く頭を下げること(を義務付けること)ではないと思います。
それは、個々の駅員が、そのような事情を知ったときに、改めて哀悼/反省の意を表すべき問題だと思います。

>国家がその責任を負うか、個人が責任を負うか、という問題であり、過去のことを過去のこととしてみるか、自分たちとリンクさせるべきものであるかという違いがあるのだと思います。

というjack_fujiiさんのコメントについては、私はそれらは両立しうるものだと思います。
ただし、国家間の議論においては、まず、国家としてのスタンスをはっきりさせることが問題なのではないかと思います。

個人同士の関係についてはお互いの立場に共感できるかどうかと言う部分もあり、一概にべき論でくくるのは難しいですね。

**********************

PS 改めて読み直すと、コメントの文章とはいえ「・・・と思います。」で終わっている文章ばかりで、リズム感がなく平板ですね。
反省
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

列車事故の教訓

2005-04-27 | 天災・人災
昨日の夕方地下鉄銀座線に乗っていたら、虎ノ門駅に着いたところで「車両点検のためお待ちください」とのアナウンスが流れた。

しばらく待っていても一向に発車する気配がない。

もうしばらく待っていると、いきなり「この電車は回送になりますので、全員降りてください」と言われ、電車は無人で走り去ってしまった。

ホームに下りて聞いたアナウンスによれば、社内に異臭がしたという通報があったので原因を確認しようとしたが、原因がつかめなかったので安全を優先し回送としたとのこと。


福知山線の事故の影響か、地下鉄も安全第一を改めて徹底しているようだし、乗客側も文句を言わずに指示に従っていた。


事故が起きて見ると、我々はダイヤの正確さやスピードと引き換えに、自分の安全をリスクにさらしていたということに改めて気がつく。

「速さ」「正確さ」「安全」を同時に実現するには、今のダイヤは限界で、何かをプラスして得るためには何かを失うことを覚悟しなければいけない、という臨界点に達しているのかもしれない。


少なくともあの電車の運転士は、「正確さ」を実現するのに必死でそれが「安全」を損なう事だという意識を(少なくとも急ブレーキをかける直前までは)もっていなかったのだろう。


確かに評価基準としては「速さ」と「正確さ」は客観的に計測可能なので、まずはそれを実現するように組織としてはプレッシャーをかけがち、という構造は理解できる。


それは、目標管理制度、成果主義が全盛の今の企業の姿にも共通する落とし穴かもしれない。

そしてまた、個人にとっても、目に見える指標を得るために、眼には見えにくいが重要なものを損なっていることはないだろうか。


今回の事故を教訓に、ちょっと幅広く身の回りを見直してみようと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靖国参拝問題 (日中関係 その4)

2005-04-26 | 日中関係
昨日の続きです。

今回は靖国参拝問題。

靖国問題はいくつかの議論が錯綜しているように思う。

① A級戦犯を合祀している靖国神社に首相が参拝するのは、戦争責任を自覚していない
② 靖国神社は1宗教法人であり、公式参拝は憲法の政教分離の原則に反する
③ 公式参拝でなければ信教の自由だ
④ 戦争犠牲者を慰霊すること自体悪くはないはず 
⑤ そもそも東京裁判自体が正統性がないのでA級戦犯というくくりはおかしい

で、僕の考え


1 戦没者の慰霊と靖国神社
戦没者を慰霊するというのはあった方がいいだろう。戦争自体は国民にとっても不幸な歴史であるし、それを繰り返さないためにも、戦争犠牲者に思いを致すというのは必要だと思う。
もっとも、それは宗教的な祭祀では信教の自由との問題が出ると思う(強制的に埋葬するとかはやりすぎ)

靖国神社の問題はただ、特定の(しかも軍国主義体制の一翼を担った)宗教法人が慰霊者というのはよくないと思う。
政教分離という憲法問題だけでなく、国民のガバナンスの効かない特定の法人に委ねるのはそもそもおかしいのではないか、と思う。


2 公式参拝の問題点
なので、靖国神社が当然に戦後も国民を代表して戦没者慰霊をする権利を独占するのはおかしいし、したがって首相が公式参拝するのは国内的にも適当でないと思う。
私的な参拝、信仰は自由(ブッシュの教会での礼拝と同じ)だとしても、小泉首相は以前は参拝していなかったのだから、それはやはり言い訳に過ぎない。


3 中国との関係
したがって、中国やその他アジアの国が批判するしないにかかわらず、首相の靖国参拝はやめるべきだと思う。
そして、中国に対しては、日本国としては戦争責任は認識している事、一方で(靖国参拝は政府としても不適切だと思うからやめるが)国家としては戦没者を慰霊する意思のあること、を表明すべきだと思う。


4 では、「慰霊」の対象は?-将来に向けて
つまり、個人的には靖国神社に代えて将来公営の「戦没者慰霊館」のようなものがを作る必要があると思うが、それができた場合に、「戦没者」の対象をどうするのかが問題になる。

ひとつは戦争責任の問題
極東軍事裁判の正統性は議論があることは承知しているが、じゃあ、日本人は誰も悪くなかったのか、というと、さすがにそうは言えまい(一方で今更昭和天皇一人に責任を押し付けるわけにもいかない)。
この点、ナチスという「絶対悪」があったドイツは明快に処理ができたわけだが、極東裁判(=戦犯の戦争責任)も天皇の責任も否定する(または全面的にそれらの人々の責任にすることはしない)場合、国家としてあらためて歴史を総括する必要が生じる。
ここは個人的にも考えが整理できていません(でも、「一億総懺悔」は違うと思う)

次に、「合祀」の対象の問題
靖国神社でも問題になった台湾・朝鮮人軍属の問題や、日本人においても、非戦闘員の犠牲者と軍人・軍属・公務員はどう違うのか、ということも問題になると思う(軍人・公務員だけなら、軍人恩給や公務員共済の予算から出せ、という主張もありえよう)。


うーん、そう考えると、結局戦争責任を国内的にもどう総括するか、という問題になるんですね。
これは日本政府としても正面から向き合ってこなかっただけに、難しいですね。


※ つぎには安保理常任理事国入り問題の順番ですが、元をたどると中国と戦争補償とサンフランシスコ平和条約あたりまで遡りそうなので、ちょっと時間がかかると思います。
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと踏み込んで・・・まずは尖閣諸島 (日中関係 その3)

2005-04-25 | 日中関係
このblogであまり政治的な議論はしたくないのですが、中国との問題を考える上でいくつか整理しなければいけない問題があると思いますので、ちょっと踏み込んでコメントします。

僕の今の時点での考えは

1 尖閣諸島は日本の(固有の、とか古来の、ではないが正式な)領土である。

2 小泉総理は靖国神社に参拝すべきでない

3 日本の国連安全保障委員会常任理事国入りについてはよくわからん(知識不足で判断保留)

というものです。


(途中で挫折しなければ)何回かに分けてUPしたうえで、その後、なんでいつも日中関係がこんなに感情的になるんだろう(国内で意見表明する自体でも上のような注意書きを書きたくなるような雰囲気って何なんだろう)、ということについても考えてみたいと思います。



まずは尖閣諸島問題

これは僕の知識では、国際法上は比較的明快に日本の領土であるはずです。

1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを確認したうえで沖縄県に編入した。国際的にも異議は申し立てられておらず、日本の領土と認められてきている。

 「固有の領土ではなく」と留保をつけたのは、「固有の領土」という言い方が北方領土問題とリンクされ、感情的なトーンが出ているから。(そもそも領土って共有ってないわけだし)

また、古来の、ではないというのは、そもそもこの辺はそれ以前は琉球王国の支配地域だったことにある。
琉球王国は17世紀から江戸幕府の許しを得た薩摩藩に侵攻され、江戸幕府に使節を送ることを義務付けられるようになった(実質上の属国)。一方で中国の清朝に対しても朝貢貿易を継続し(これを実質的にコントロールしていた薩摩藩の大きな収益源だったという事情もあるのだろう)、形式的には朝貢国を2つ持つ王国という状態だった。

しかし、日本の明治政府は近代化を目指し、国際社会の仲間入りをもくろむ中で、国際法上の手立てをきっちり打つことの必要性を意識したのであろう、最終的に琉球王朝を日本国に編入した。
これについて清国は反撥し、日清戦争、その講和としての下関条約につながる。

このように日本は、明治時代に沖縄やその他周辺の島々(竹島など)も日本の領土として着々と宣言し、国際的な承認を得ていた。
(このあたり詳しくはWikipediaなどをご参照ください)

そこは近代国家として日本は同時代の清朝よりはしっかりしていたし、力があったわけだ。

その後、沖縄と南西諸島についてはサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの信託統治となり、その後日本に返還されてしまった。


結局中華人民共和国にしてみれば「琉球王朝は日本と中国に朝貢していたのに、結局ちゃっかり日本国に・・・」という不満もあるのだろう。


しかし、先に囲い込んだ方がズルイ、とかルールを勝手に作ったのがずるい(これは「グローバル・スタンダード」について日本のマスコミがよく言う文句でもあるのだがそれはここではおいておく)といっても、国家間の約束事はどこかの時点を基準にしなければならないし、歴史的には加速度的に国際関係が緊密になっている以上、「気に入らない」からといって過去の条約などの国家間の決め事を無視するというのも通らないと思う。


そもそも中華人民共和国も
① 清国の英国への99年間の香港租借の約束の効力を認め、しかも自らをその正当な承継者として認めて、香港の返還を受けた。
⇒ならば、他の清国の締結した条約を認めないのは筋が通らない。

② チベットは1912年に清国勢力を掃討して以来、チベット王国の統治下にあったにもかかわらず、国家として国際的に承認される手続き(条約の締結や大使の交換など)を怠っていたのをいいことに、中華人民共和国はチベット王国に武力侵攻し、チベット政府の外交団と無理やり(本国政府の承認なく)『チベット解放十七箇条協定』を締結させ、以来「固有の領土」と主張している。
※ この辺は「ダライ・ラマ自伝」やジル・ヴァン・グラスドルフ「ダライ・ラマ その知られざる真実」に詳しい。
⇒ならば、国際的に承認手続きを取った先後で、文句を言うのも筋違いではある。


話がそれてしまったが、尖閣諸島自体は日本の領土であると主張する根拠が十分にあると思います。

いろんな問題にかこつけて(多分ここのところが日中関係の一番のポイントなのだろう)言われたとしても、この点については毅然とした態度で臨むべきでしょう。

逆に他の問題を、きっちりしないといけないですね。


※ 長くなってしまったので、続きは明日以降。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人の話し合いができたと思います。(日中関係 その2)

2005-04-24 | 日中関係
アジア・アフリカ首脳会議での演説で、小泉首相は村山首相の1995年の談話を引用し、反省と謝罪の意を表した。
具体的には以下のとおり。

我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。(外務省HPからの引用)

基本的にはこれが正しい方向だと思う。
以前の記事でも書いたが、過去の話は過去の話として総括した上で、今後の友好関係について前向きな姿勢を見せる、というスタンスが大事ではないか。
※ 「経済大国になっても軍事大国にはならず、」というのはちょっと自慢/恩着せ風なので余計だと思うけど、過去のどこかの国の発言に対応するように外務省が周到に用意したという可能性もあるので、その辺は本職のセンスが正しいのでしょう。


その後の日中首脳会談もお互いのスタンスを確認しあった、ということで成果があったと思う。

胡錦涛主席の声明は
(1)日中双方が日中共同宣言など3つの文書の原則と精神を厳格に尊重する。実際の行動でもって21世紀の友好関係に資する。
(2)歴史を鑑とし、未来に向かうという精神を堅持する。侵略戦争に対して表明した反省を行動に反映させる。中国とアジアの人民の感情を傷つけるいかなる行動もとらない。
(3)台湾問題を正確に処理する。実際の行動でもって1つの中国政策を体現し、台湾独立を支持しない。
(4)日中両国間の問題や意見の違いを平等、協調の精神で処理する姿勢を堅持する。
(5)幅広い領域での交流を拡大するとともに、民間の交流をさらに促進する。
Nikkei Net(4/23)による)

(3)はどんな局面でもデフォルトで入ってくるのでおいとくとしても、(1)(4)(5)は結局「日中間の密接な経済関係を勘案し、将来に向けての発展的な問題解決が必要」と言う事だと思う。

個人的には、中国側からは公式にはもっと木で鼻をくくったようなセリフが出てくると思っていたので、ここは意外。
中国も国際社会を今まで以上に意識している、という証拠だろう。

多分一番大事なのは(2)で、ここには

①なんだかんだ言っても、今後の(両国の)経済発展が大事だよね
②サンフランシスコ平和条約と日中平和友好条約の中で、戦争補償についてあいまいにしてあげてることもちょっと考えてよね。
③国内を統一するために反日教育してきちゃったというウチの事情もちょっとは理解して欲しいな。あんまり逆撫でされると困るんだよね

という含意があるように思う。

*************************
【4/28補訂】
その後よく調べたら日中共同声明の第5条に
「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。 」
とあります。
なので、②は誤りですね、訂正します。
*************************



また、新華社通信も「日本が歴史問題や台湾問題で過去の約束に背いたことは、中国やアジアの国民の感情を傷つけ、大きな不満を引き起こした」との中国側の主張を報道。一方で、胡主席が「中日関係の悪化は両国に不利なだけでなく、アジアの安定と発展にも影響する」などと述べたと強調、全体としては日中関係改善に力点を置いた伝え方になっている。(サンケイ新聞(共同通信配信)による)というように、かなり配慮している。


つまり、中国は「政権の権威が傷つくようなことをされると困るけど、多少の民衆の騒動はコントロールするよ」というサインなのではないか。

基本的にはこの線に乗っていくのが正解だと思うし、中国政府が過剰にdemandingになってきた場合には、都度しっかり釘をさせばいいと思う。

これに関して、町村外相が「反日教科書」に改善求めるというような発言をしている。
小泉首相との不仲も噂されているが、まあ、これくらいのジャブは必要だと思う。


こうなると、小泉首相の靖国参拝問題が焦点になってくる。


※以後(気が向いたら)次回へ続く(続かなかったらごめんなさい)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Shot Beer

2005-04-23 | 飲んだり食べたり
昨日はここ一週間のバタバタと、とどめのような前日の3時間睡眠の反動が来て、爆酔してしまった(一応今週は仕事です)

ベッドに倒れこむ前にひとくちだけ飲んだのが(そんな状態で飲むなよ・・・)、最近お気に入りの銀河高原ビールのShot Beer

160mlと丁度グラス1杯分。

普段は、これで軽く喉をうるおして、次にメインのお酒(焼酎・日本酒・ワイン)に。
これくらいの量なら腹もふくれないし、丁度いい感じ。

スタウトと白ビールがあって、メーカーのお勧めは、Half & Halfらしいけど、2本飲んじゃうとビールがメインになってしまうので、僕はもっぱら白ビール。


もともと銀河高原ビールは単品種だったころから独特の香りが結構好きで、たまに飲んでいた。

そして、1ヶ月ほど前、スーパーで銀河高原ビールの
「おやすみビール」という同じ160mlの缶を見つけて買おうと思った。



でも、缶のデザインが問題





なぜか、みのもんたの顔が・・・


「おやすみ前」に見たくない顔の筆頭じゃなかろうか・・・



Shot Beerが出てよかった・・・
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口は悪いが、歯は丈夫。

2005-04-22 | よしなしごと
今日は歯科検診と歯石の除去

数年前から半年に一度行っている。
今回は歯垢もたまっておらず、なかなか優秀、とほめてもらい、簡単に歯石を除去しておしまい。


そもそものきっかけは、数年前に、「永久歯になって以来虫歯には一度もなったことがない」と歯医者の友人に自慢していたら、「虫歯にならない奴は歯槽膿漏になって歯が一遍に抜けるんだ」と言われた。

唾液の成分が違うために口中の雑菌の種類・分布(「菌相」という)が人によって異なる。虫歯菌の繁殖を抑える口は歯周病菌が繁殖しやすいらしい。

それとは別に、以前左下の親不知が痛んで歯医者に行った(20年ぶり!)時、この親不知は横に深くもぐっているので抜くとなると相当難儀するから、上の親不知を抜いて当たらないようにしましょう、といわれたこともあり、ちょいと歯茎の健康にも気をつけたほうがいいかな、というところもあった。

そこで、永久歯になって初めて、本格的な歯石除去をすることになった。

何しろ20数年手付かずだったため、歯垢・歯石がたまり放題。
特に下の図のBのところに根雪のように歯石がたまり、Aの部分が歯肉炎を起こしていた



深いところはは超音波も効かず、いちいち器具でほじくり出さなければならないので、5回くらい通院した。


歯科衛生士はすごく真面目な人で、「これだけたまっているとやりがいがありますよ」と一生懸命歯石をとってくれた。

耳掃除をして、大きな耳垢が崩れないで取り出せたときの快感に近いんですかねぇ、と聞くと (聞くなよ、そんなこと・・・)、
苦笑しながら、「この塊をどう崩していこうか、というチャレンジ精神みたいなものですね」と言ってくれた。なかなかいい人だった(残念ながら今は辞めちゃったけど)


5週目の仕上げの段階になると、歯石を除去した歯茎の色は健康的に見えるし、何しろ、舌で歯を触ると、きっちりエッジが立った感触がするのが新鮮でうれしかった


ということで、以来半年に1回歯科検診をしている。


他にも半年にいっぺんくらい、たまったヨゴレを落としたほうがいいものがいっぱいあるんだけどな、と思う。


机の上や引き出しにたまっている書類とか
時間があったら読もう、と思っていてそのままの本とか
内蔵の周りにたまった中性脂肪とか
慢性肩こりの原因のうっ血とか
脳味噌のシワにたまった惰性的な考えとか

何かうまい方法はないものだろうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメント冷遇について

2005-04-21 | よしなしごと
ずっと文句を言わずに来たんだけど、最近のgoo blogの混み具合はかなりひどい。
特に深夜しか更新できない僕のような人間には致命的といえる。

スタッフblogを見ると、それなりに一生懸命やっているようだし、月300円足らずで文句を言うのもちょっと気が引ける部分もある(だったら無料にすればいいのに、とも思う)。

そんな中で、昨日から「最近のコメント」が表示されなくなった。

個人的にはトラックバックよりも、記事を見ての感想を書いていただけるコメントの方が、いろいろ参考になるのでありがたいのだが、サーバーの負荷的には厳しいのだろうか。ちょっと残念。

また、よくおじゃましているhbikimoonさんのblogのあるYahooでは、一昨日からYahooの登録をしていないとコメントができなくなってしまった。
これはサーバーの負荷が理由なのか、スパム的な書き込みを排除するためなのかわからないが、いろいろ参考になるサイトなので、TBだけでなくひとことコメントしたいのに残念だ。


個人的にはトラックバックだけだとちょっとコミュニケーションに欠けるなぁと思うので、コメント軽視の風潮はちょっと残念です。


まあ、25日までの辛抱だと思いましょう。


PS 昨日の夜にはYahooは元に戻っていたようです。
  とりいそぎご報告。
  gooもがんばれ!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「○○に××」、ホリエモンに1,500億 (フジテレビvsライブドアその16)

2005-04-20 | M&A
昨日の続き

今日は、ライブドアの今後について


ライブドアはニッポン放送株の売買代金 670億+363億=1,033億
とフジテレビからの第三者割り当て増資払込金 440億
の合計1,473億円のcashを手にすることになる。

これは結局、800億のMSCB発行と440億の第三者割り当て増資というエクィティファイナンス分が資金使途を特定されずに手元に残ったことになる。

これはホリエモン得意の「想定内」だとすると、
①フジテレビの経営に関与できる
②ニッポン放送株をフジテレビに高値で買わせて売買益を得られる
の次くらいのシナリオとして
③投資を回収して、手元に使途自由のcashを持つ
というのがあったのだろうか

※だとすると、やっぱりグリーン・メイラーじゃないか、ということはさておきます。この点については、売却益を享受できるスキームで当初から買っているじゃないかという47thさんの指摘をご参考にしてください(そのほかにも勉強になることがいっぱいです)



問題は今後1,500億円の現金をどのようにして投資し、利益を上げていくか。
しかも、新株発行により発行済み株式総数も増えるので、株価を維持・上昇させるためには、
より一層の企業価値・株主価値の向上をしなければならない。


では、つぎにホリエモンはどうするか、だが

<シナリオ1> 自己株式の消却
これは余剰資金がある場合の教科書どおりの選択だが、定款に基づく利益消却、自己株式の取得・消却とも、配当可能利益の範囲内という制限がある。
ライブドアは資本準備金と利益準備金を法定ぎりぎり(資本240億円の1/4を超える部分)まで取り崩したとしても230億円にしかならない。なので、これはあまり効果がない

*************

ところでこう考えてみると、逆に今のライブドアこそ「過小資本、過大現預金、無借金」というM&Aのターゲットになる要素を満たしていることになる。

株式の時価総額が約2,200億円。
一方で、資産は今回の売却益がゼロとしても、H17年度第1四半期の現預金390億+自己資本570億にMSCB800億とフジテレビの増資440億を足すと 390+570+800+440=2,200億とほぼ同じ。

つまり本業から来るcashflowが全然評価されていないので、本業が黒字なら(※)割安ということになる。
※ことほど左様に、ライブドアの本業って何やってるんだか話題にならないですよね・・・

*************

<シナリオ2> 1,500億を持って大暴れ
となると、今回のM&Aを「失敗」と位置づけられたり、グリーンメイラーとみなされないないために、ホリエモンが必死になって次の買収案件を見つけようとするだろう。

幸い手元には1,500億円のcashがある。

M&Aの理由としては、IT系であれば何でも「シナジー」とか「ポータルサイトのコンテンツの充実」が理由になるだろうし、一般企業だって「ネットとの融合」を言えば妙に説得力が出るかもしれない。

たとえば ネットとメディアの融合、ネットとスポーツの融合、ネットと金融の融合、ネットと保険の融合、ネットと家電の融合、ネットと物流の融合、ネットと住宅の融合、ネットと自動車の融合、ネットと芸能の融合、ネットとペットの融合、ネットとポットの融合(象印?)・・・


また、もともとライブドアは個人株主の比率が高く、「ホリエモン・ファン」も多いらしい。(いろんなblogの記事を見るとそんな感じもしますね)
彼らに対して「旧態依然とした年寄り経営者のムラ社会にホリエモンが1,500億持って殴りこみ」というシナリオは、投資採算性議論よりもウケるかもしれない。

ただ、それが
「株主無視の経営をしていた年寄り経営者に対して、個人株主を代表しての物言う1,500億を市場に投入することは、コーポレート・ガバナンスの健全化に資する」と前向きに評価されるか
「投資採算性を(あまり)考えない、ウケ狙いの1,500億が市場をウロウロして迷惑」と捉えられるかはホリエモンの振る舞い次第だろう


さらに、現金を持って投資意欲満々の人というのは、基本的には(外資系)証券会社や(インチキ?)アドバイザー・コンサルの餌食になるというのが世の常

そうでなくても何でも買いあさる人はやっかみ半分で買い物下手と言われやすいので、そこは注意だろう。
※ソフトバンクの孫氏も、買ったもので黒字になったのはYahooしかないと揶揄されているが、でも100件買ってYahooを1発あてることができれば、立派なものだと思うけどね。



ということで、今後のホリエモンの行動次第で、表題の「○○」と「××」に何を埋めることになるのかが決まることになる(「〇〇」に入るのは「鬼」?「猫」?はたまた「きちがい」?)


皆さんは何を入れますか?
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくできた和解条項だと思います (フジテレビvsライブドアその15)

2005-04-19 | M&A
フジテレビとライブドアの和解が公表された
両社連名のリリースによると、骨子は以下のとおり

(1) ライブドア・パートナーズの全株式のフジテレビへの譲渡
(2) フジテレビによるライブドアへの資本参加
(3) フジテレビおよびニッポン放送とライブドアとの業務提携
(4) 産業活力再生特別措置法の認定を前提とするフジテレビによるニッポン放送の株式交換の実施

(1)ライブドアグループが保有する株式16,400,180株のうちライブドア・パートナーズ(LP)が保有する10,627,410 株をLP株式の取得と言う形で670億円で取得(670億円÷10,627,410 株=@6,304.45円)
残り5,772,770株は(4)により現金交付の株式交換@6,300⇒36,368,451,000円

ライブドアの取得簿価は不明だが損得はチャラらしい。


(2)フジテレビへのライブドア株式の第三者割り当て 440億円@329円
これについては「フジテレビは、平成19 年9 月末日までは、ライブドアの自己株式取得による場合、ライブドアの事前の書面による同意がある場合を除き、第三者に譲渡せず、貸株その他の処分を行わないことに合意しております。」とあり、2年半は440億を「人質」にとったといえる(これは(3)で効いてくる)。


(3)これについては「フジテレビおよびライブドアは、放送・通信融合領域での個別の業務提携に向けて友好的な協議を開始します。この協議には、ニッポン放送の参加を求め、ニッポン放送とライブドア間のかかる業務提携の可能性も協議する予定です」「放送・通信融合領域での個別の業務提携の方向性を探るため、「業務提携推進委員会」を設置し、プロジェクトチーム毎に定期的な協議を行ってまいります。」
とある。

これを、ライブドアの「ネットとメディアの融合」の足がかりとみるか、喧嘩別れに終ったとしてもフジに契約上の義務はないので、空文化できる、とみるか評価がわかれるところだろう、そうであればこそ(2)の440億の「人質」が効いてくると思う。


(4)産活法による支援措置として、金銭交付による簡易株式交換等を内容とする計画を、フジテレビおよびニッポン放送は認定申請する予定であり、また、本株式交換に際してニッポン放送株主に対して交付される金銭の額は、ニッポン放送の少数株主の利益に配慮し、1株当たり6,300 円となる予定。

これは
① ライブドアの資本参加が死んでもいやだったんだなぁ
② なので、通常の株式交換でフジの株を割り当てるのはいやだった
③ 一方で、ストレートにライブドア株を買うのはTOB規制にかかる
※LP株式を取得するのは法的にはTOB規制にかからないのですが、立法論的にはどうか、というもがします。
④ おまけに、ライブドアに対する買戻し価格をその他の株主にも適用することで村上ファンドなどの批判を黙らせたかった(のかなぁ。もっともこれは副産物でしかないでしょう)
※TOBに応じた株主に不公平、という議論もあるが、個人的にはTOBに応じなかった株主は(フジテレビへの第三者割り当て増資が実現したら)上場廃止になるリスクも負っていたわけで、そこのリスクを回避して「今日の100円」を取りに行った株主にまで「有為転変の末の120円」を与えるまでの必要はないと思います(最初から意図してのものなら別ですがそこまで結果の均霑をする必要はないのでは)。


こう考えると、今回の和解条項は、ここ1週間くらいのマスコミ報道(リーク)で言われていた
①ライブドアはニッポン放送の株式を売却する(か少なくとも経営に関与しない)
②ライブドアは経済的に損をしない
③お互いのイメージアップのために何らかの業務提携(に向けての努力)をアピールする
というお互いの面子と実利を保つという基本線に沿って、スキームを十分に練ったうえでのよくできたものと言えるのではないかと思います。

意外性はないですけど、双方が合意するものって、結局穏当な線で落ち着くんですよね。


では、それぞれの今後の課題、というところで、行数制限にひっかかりそうなので、フジテレビだけ

まずは
ライブドアとの提携をどこまで本気で考えるのか、というのが第一でしょう。
ホリエモンはひょっとするといろいろ期待しているのかもしれませんが、フジテレビにはその気はなさそうです。(多分440億を2年半寝かして紙くずにしても、サボるんだろうな。)

せいぜいまた悪者にならないように頑張って欲しいものです。


あと、青臭い議論を最後にさせていただくと、今回ぜひけじめをつけてほしいのは、
①ライブドアの時間外取引に文句を言った割に、間接取得によりTOB規制を回避したとか、
②今回の問題がきっかけで立法化が先送りになった現金での株式交換を産活法を使ってやったとか
③噂ではこの辺のスキームをゴールドマン・サックスにアドバイスを求めた、
とか、この和解案を見ると、結局あのフジテレビ(や経済界)のヒステリックなライブドア批判はなんだったんだ、ということ。

これは、マスコミも含めて総括して欲しいと思う。

これでは結局救われたのは敵のロジックのおかげだったという。『ヴェニスの商人の資本論』の寓意そのままではないか(こちらの記事参照

では、明日はライブドアの今後について書きます。

続きはこちら
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「勝利宣言」にしては余裕が・・・ (フジテレビvsライブドア 番外編その6)

2005-04-18 | M&A
ライブドアとフジテレビが和解した。

時間の余裕がないので内容の分析は明日にするとして、ライブドアのHPにこれのパロディがのったそうな。

フジテレビジョン、ニッポン放送、ライブドアの3社が会見で資本・業務提携について基本合意したことを発表した18日夕、ライブドアは同社のホームページのオープニングムービーに、会見と同じ服装の堀江貴文社長が登場。フジのキャンペーン「きっかけはフジテレビ」をCM通りの振り付きで踊って、提携合意を祝った。ライブドアのホームページに飛ぶと、自動的にアニメーションGIFムービーが開始。フジ社屋が映ったテレビ画面に「パン、パン」の文字が出た後、頭の上に手を回した堀江社長が画面から飛び出すという内容。





でも、今回は、エイプリル・フールのときの「開幕5連勝!! 宿敵ソフトバンクに10-0で圧勝!」のようなユーモアが感じられない。


多分、野球ネタは、球団を買えなかった自分自身をも笑う余裕があったのに比べ、今回は必死でギャグにしようとしているような感じがする。

昨日の記事ではないが、自分を客観視するところにギャグの面白さがあるにもかかわらず、ちょっと視聴者(HP閲覧者)に媚びすぎの感じがする。

(明日upしようと思いますが)今後の展開が難しいホリエモンだけに、ここはもっと余裕をかましてほしかったと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾妻ひでお『失踪日記』(後編)

2005-04-17 | 乱読日記
昨日は話が横道にそれてしまったので、今日は肝心の『失踪日記』について

この本には、失踪やアル中の原因、なんでそうなったかについては詳しくは書いていない。
それが、暗さや自己憐憫に陥らずに、でもそうなってしまった自分を見つめる飄々とした凄み、を感じさせている。

巻末のインタビューで、本人は
「物描きはみんなそうだと思うんですけど、自己模倣をやっていることに気づくと限りなく落ち込んでくるんです。特にギャグ漫画は、前と同じことをやってもウケないから。(中略)常に新しいギャグを考えようとすると、だんだんと精神が病んでくる・・・」と、そのへんの事情をちょっとだけ語っている。

そういえば鴨川つばめも、『マカロニほうれん荘』がヒットしすぎて、結局そのあとは何も書けなくなってしまった。
江口寿志も、漫画のなかで「白いワニ(埋まっていない原稿用紙)が来る~」と言いだして、連載を落としまくっていたな・・・


内容は、路上生活やアル中での入院生活と、そこでの妙な人々の話が、4頭身のキャラと美少女キャラで描かれていて、その悲惨な現実と表現のギャップがちょっとこわい。


特に面白かったのは、路上生活ですることがなく、スカウトされたガス配管会社で仕事するうちに、ガス会社の社内報の漫画に投稿してしまうところ。
(載せたほうは気がつかなかったらしい)
ただ、表現者の性を感じて、素直には笑えなかった。


この本はアル中での入院記で終わるが、続編があるらしい。
期待しよう。

失踪日記

イースト・プレス

このアイテムの詳細を見る


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾妻ひでお『失踪日記』(前編) または宮澤賢治「眼にて云ふ」

2005-04-16 | 乱読日記
吾妻ひでおという漫画家をご存知だろうか?
1980年代のコミックに美少女と不条理とSFを持ち込んだ「天才」と言われていて、今でもカルト的な人気がある(らしい)。
昔「少年チャンピオン」などの連載を読んでいたことがある。
確かにあのころ少年漫画に「美少女」を持ち込んだのは最初だったかもしれない。
また、当時「少年チャンピオン」は山上たつひこの「がきデカ」や鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」というパワーのあるギャグマンガが牽引していて、どちらかというとそれらの陰でこっそり好きなことをやっている、というイメージがあった。

その吾妻ひでおが、失踪(89年と92年、89年は自殺未遂も)・路上生活・肉体労働、アルコール中毒・強制入院までをノンフィクションで綴ったマンガ『失踪日記』を読んだ。

「本当に悲惨なところは書いていない」らしいが、本人独特のコミカルなキャラデザイン(それに、通行人まで登場する女の子が全部美少女キャラ)と飄々とした視線が、悲惨な状況をかえってリアルに描く事に成功している。

この手の告白本は「本人の内面の叫び」が前面に出てしまうのが多いが、そこがギャグ漫画家としての面目躍如。
なかなかの傑作だと思う。


ふと思い出したのが、宮沢賢治の「疾中」にある「眼にて云ふ」という一遍を思い出した。
*ちくま文庫 宮沢賢治全集(2)に収められています。

もともとは、坂口安吾『堕落論』の中の「教祖の文学」という小林秀雄論の中で引用されていて知ったもの。

没後50年以上経っているので著作権の問題もないでしょうから引用します。

*****************

 眼にて云ふ

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

********************

坂口安吾は、小林秀雄を批判して「何をしでかすかわからない人間が、全心的に格闘し、踏み切る時に退ッ引きならぬギリギリの相を示す。それが作品活動として行なわれるときには芸術となるだけのことであり、よく物の見える目は鑑定家の眼に過ぎないものだ」という。
※ 余談ですが、僕は「堕落論」より、この「教祖の文学」の方が好きです。

そして、この詩を引用してこういう「半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当たりの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の眼で書いたと(go2c注 小林秀雄の)言う物の実相と、この罰当たりが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違うのだ」

確かに、悟りとも諦念とも異なる、一種迫力のある透明さが伝わってきます。
自然や宇宙を自分の世界に取り込んだ賢治のなせるいのちの表現方法なのだろう
(表現力が乏しい・・・)


吾妻ひでおの『失踪日記』も、こんな「罰当たりの視線」が共通して感じられる。

と前置きだけでこんなに長くなってしまったので、2回に分けることにします

失踪日記

イースト・プレス

このアイテムの詳細を見る



宮沢賢治全集〈2〉

筑摩書房

このアイテムの詳細を見る



堕落論

角川書店

このアイテムの詳細を見る


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする