昨年83歳で亡くなった伯父(厳密に言うと伯母の旦那)がいました。
子供心に不思議だったのは、その伯父が仕事をしているところを見たことがなく、遊びに行くと必ずパチンコ屋にいるか、家で友達と麻雀を打っていて、何で稼いでいるのかとんとわからなかったことです。
一応店は構えているものの、客を見たことがなく、多分外商がメインだったんだろうと思います(伯母の言うには苦労しっぱなしだったとかですが)。
その伯父は、一兵卒として中国で終戦を迎えました。
しかも本隊からはぐれてしまっていたので、終戦を知るまでに2,3年かかったそうです。
本隊もどこにいるのかわからず、しかも上官もいないので、とりあえず食べ物もないので、昼は川で魚を取って、たまに飛行機が来ると身を隠すという、呑気な生活だったとか。
今となってはもう少しその頃の話を聞きたかったのですが、もともと見栄っ張りな人だったのでどこまでホントのことを言ってくれたかはわかりませんし、そこは後悔しても仕方ないことではあります。
日本の戦争映画は、国や愛する人々のために必死に戦って悲劇的な死を遂げるというパターンか、そうでなければ軍隊の中での上官の不当な仕打ちに反抗する正義感というパターンが多いと思いますが、実際はやる気のない兵隊もいっぱいいたのではないかと思います。
でも、その辺をリアルに描いた作品というのは、ほとんどないですね。
まあ、アメリカ映画にもそういうのはないですが。
本では
水木しげるのラバウル戦記などが臨場感あふれているのですが、こういう映画があってもいいように思います。
でも興行的には難しいのでしょうか。
(以下ネタバレありです)
さて、この映画は、朝鮮戦争を舞台にしています。
まず最初に、米軍パイロットの操縦する国連軍の偵察機がトンマッコルという村に不時着します。
その後、敗走する途中で仲間からはぐれた(北)朝鮮人民軍兵士と、避難民が渡っている最中の橋を爆破する命令に背いて部隊から脱走した韓国軍兵士が村にたどり着きます。
ところがトンマッコル村の人々は、アメリカ人や飛行機はおろか銃も知らない純朴な人々で、兵隊が村の中央で武器を構えて対峙していても、きょとんとしている始末です。
この辺の村人の純粋さと、それに感化されていく兵士たちが非常に上手に描かれています。
※米軍パイロットのスミスというファミリーネームを「ス・ミス」という名前と思い「変な名前!」と村人が盛り上がる場面があります。残念ながら私はハングルはわからないのですが、ハングルで「ス・ミス」というのは何か意味があるのでしょうか?
面白かったのが、夜、車座になって、村人が「戦争ってどこの国が攻めてきたのか?日本か?中国か?」と訊くところ。
これに対して韓国軍と朝鮮人民軍はお互いに答えに詰まった後に「お前が先だろう!」と責め合います。が、「じゃあ、あの背の高い人(米軍)は?」という村人のつっこみにまた説明に窮してしまいます。
こんなところで東西冷戦下の朝鮮戦争の位置づけをうまく表現しています。
ところが平和は長続きせず、国連軍は行方不明になったスミス大尉を救出すべく部隊を村に送り込み、さらに村を爆撃することになります(国連軍(≒米軍)の「米兵1人の命は他国民全体の命より重い」という発想(空爆に最後まで反対する唯一の指令部員は韓国軍兵士です)が象徴的に描かれます)。
これに対して人民軍と韓国軍兵士が協力してして村への爆撃を防ぐべく戦うことに
なります。
設定も、演出も、俳優の演技も見事で非常に面白い映画だと思います。
ただ欲を言えば、最後は普通の戦争映画と同様のマッチョな展開になってしまったのが残念です。
監督の、朝鮮戦争や米軍や戦争それ自体への批判は十分伝わってきますし、それに対比するトンマッコル村も非常に魅力的に描かれているので、最後は戦闘で終わらせずに、何か戦争自体を無力化してしまうようなあっという仕掛けがほしかったなあと思います。