一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

金融商品取引法施行

2007-09-30 | 法律・裁判・弁護士
本日9月30日から金融商品取引法が施行されます。

いままでのいわゆる証券会社だけでなく、ファンドの販売勧誘や運用を業としている者は「金融商品取引業」として、金融庁と財務局の監督下に置かれることになります。
そして、広告や勧誘時に商品のリスクを十分に説明することが求められたりと投資家保護がはかられます。
(詳しくはいわゆるファンド形態での販売・勧誘等業務について(金融庁HP)など参照)


一方でファンド側にとっては、販売等に関する規制において、投資家の属性により投資家保護に関する規制が柔軟化されます。



いわゆる









プロ(特定投資家)














アマ(一般投資家)






の区分です。


特定投資家(プロ)に対しては投資家保護の規制が緩やかになるのですが、一定の要件を満たせば、特定投資家のなかでも一般投資家扱いを求めることができたり、逆に一般投資家のなかでも特定投資家扱いを求めることが出来たりと、なかなか手続き的にはやっかいな部分も増えます。








なので、







金融商品取引業者としては







「素人専門」






などといううたい文句をゆめゆめ真に受けないようにしないといけません。


あ、逆ですね。

注意すべきはアマをプロと勘違いしてしまいう方がより問題です。
「未成年とは知らなかった」では済まないということです。







8月9月と大忙しだった方も沢山おられることと思いますが、息抜きになりましたでしょうか・・・



そして、来年の4月1日には足袋の画像だろ、と突っ込まれた方、これからもがんばってください。

コメント (2)
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相変わらずgooブログではYouTubeが埋め込めない

2007-09-29 | よしなしごと

編集画面では埋め込みができたので

「いつのまにかgooブログでもYouTubeが埋め込めるようになっていた記念」

というタイトルにしてアップデートしたのですが、やはりだめでした。
gooはNTTのグループ会社がやっているので、著作権とかには神経質なのでしょうか。

ということで上のタイトルに修正しました。



さてブリトニー・スピアーズについては「お騒がせ芸能人」くらいの知識しかないのですが、ここまで書かれていると興味がわきます。

B・スピアーズのダンス、「振り付けに対する犯罪」と酷評
(2007年9月28日(金)11:43 ロイター)  

英国で28日に発表された調査で、米音楽チャンネルMTVのビデオ・ミュージック・アワード授賞式で復帰を果たした人気ポップ歌手ブリトニー・スピアーズのパフォーマンスが、「振り付けに対する犯罪」と酷評され、最も見苦しいダンスに選ばれた。
(中略) 
スピアーズは同授賞式の開幕パフォーマンスで、スパンコールが散りばめられた黒のビキニに黒のロングブーツというストリッパーのようなコスチュームで登場し、新曲「Gimme More」を披露した。

で、この写真



なかなか悪意のあるショットですねw


一方こちら
B・スピアーズの復帰パフォーマンスに不評の嵐
(2007年9月11日(火)15:53 時事通信)

一応写真はパフォーマンスっぽいのですが

ピープル誌(電子版)は「失敗に終わったブリトニーの復帰」の見出しで、「趣味の悪い衣装と活気のないショーで新曲を披露したが、もっと練習して臨むべきだったろう」と批評。
ワシントン・ポストは、崩れた体形でためらいがちに舞台を歩き、口パクで歌う姿には失望したと書いた。また、スパンコールがちりばめられてきらきら光る黒のビキニという好色な衣装も、ボストン・グローブなど数紙の批判の的となった。

と、記事は酷評です。



ということで、YouTubeでパフォーマンスの映像を探してみました。

Britney Spears - VMA 2007 - Gimme More

確かに太っている(昔はそうでもなかったんでしょう)のもそうなのですが、ダンスというにはあまりにも身体が動いていないです。
それに、曲自体がボーカルにエフェクトをかけすぎているライブには向かない曲なのでそれっぽくマイクをつけているものの口パクはみえみえです。

結局踊ってないわ歌ってないわというパフォーマンスになってしまってます。

たまに写る観客も「イタいなぁ・・・」という表情を浮かべているところなども哀愁を誘います。


一方で、実はヒールが緩んでいたのでベストのパフォーマンスが出来なかったのでは、という検証映像もあります。

Updated again! Version 3: Britney Spears VMA Truth
(Version3とあるようにかなりの力作です。なるほどYoutubeはこうやって盛り上がるんだな、と実感)


この作者も「でも、口パクは別の問題だけどね」、と言ってますがw

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いずこも会議が多すぎる

2007-09-28 | まつりごと

政府 官邸の政策会議を削減へ
(2007年9月27日 6時28分 NHKニュース)

総理大臣や官房長官がトップを務める政策会議については、前の安倍内閣が「教育再生会議」や「集団的自衛権の行使をめぐる有識者懇談会」を新たに設置するなどして数が増え、官邸によりますと、福田内閣が発足する直前の段階でおよそ80に上っていました。これについて、政府高官は、26日、「省庁などに任せられるものは任せないと官邸がいざというときに機能しない」と述べるなど、数が多すぎて十分に機能していない会議もあるという指摘が出ています。
このため、政府は、福田内閣が26日に正式に発足したのを機に政策会議の数を削減することになりました。具体的には、会議としての報告や意見をまとめた「アジア・ゲートウェイ戦略会議」や「『美しい国づくり』企画会議」などはすでに廃止されたことから、役割を終えている会議や長い間開かれていない会議などについては順次廃止していきたいとしています。

政策会議は小泉内閣において官邸主導を実現するために多用されたのがはしりだと思うのですが、あまりに官邸主導が多くなりすぎると結局官庁の仕事を肩代わりするだけ、場合によってはもっと悪い屋上屋になってしまいます。

また何を「主導」するかのメリハリがなくなると、そのうち政策会議同士のつばぜりあいなどがおきて、結局もうひとつ官僚機構を作ったと同じことになってしまいますね。

80もあったらそれらの中の優先順位を考える政策会議が必要になりそうです。


一気に10くらいに減らしてしまえば、福田内閣が何を課題と考えているかがわかりやすくなっていいと思います。

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駆け込み乗車をする人は、自分の後に駆け込んでくる人のことを考えないことについて

2007-09-27 | よしなしごと
昨日の朝の通勤電車で、発車ベルがなっている中で駆け込み乗車をしようとしたところ、私の前を走っていた女性が自分の身体を電車に滑り込ませた瞬間そこで立ち止まり、後から来た私が「着地」するスペースが残っていませんでした。
そこで自分の身体を押し込んだところ、先の女性は「何するのよ!」的な目で私を睨みました。

多少の想像力があれば、自分の後の人のことを考えて、一歩奥につめるくらいのことは出来るはずですが・・・


といいながら、その日の午後、応訪先のビルのエレベーターの閉じかけの扉に無理やり手を入れて扉を開けさせた挙句、自分が乗ったらいきなり「閉」ボタンを連打していたのは、ほかならぬこの私です。


自らの狭量さを棚に上げるつもりはないのですが、規制緩和を叫んで業界に参入した会社が、いきなり業者保護を訴える気持ちというのはこんなものなのでしょうか。

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李白(下のエントリと同一内容です)

2007-09-26 | 飲んだり食べたり

※ goo blogの設定でカテゴリがひとつしか設定できないので、後日の検索の便宜のため同じエントリを別のカテゴリで立てたものです。

島根県松江の李白酒造の「李白 純米吟醸 超特選」です。

李白、といえば中国の詩人

 

ですが、この酒蔵の名前は李白酒造のHPによれば同じ松江出身の若槻礼次郎が命名したそうです。

松江が生んだ政界の巨星、故若槻礼次郎氏は、また“詩を愛し酒を愛し”とりわけ松江のお酒、李白を愛されました。昭和五年、晴れのロンドン軍縮会議にも、李白の菰樽をたずさえて朝夕愛飲されました。清酒李白の名は、克堂こくどう若槻礼次郎氏がみずから酒仙李白に因んで命名された由緒ある酒名です。

なるほどラベルには

李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠

という漢詩の一部が印刷されています。


肝心の味は、非常に木目細やかでなおかつあっさり過ぎず濃すぎず、淡麗と濃醇の間の微妙なバランスを保った非常に美味しいお酒です。
一時期の「淡麗辛口」ブームでは、あっさりりしているほどえらい、という時代があったのですが、最近は焼酎やワインブームに押された結果、逆に玄人(というか単なるのんべ)好みの香りや味わいのある酒が評価されていて、うれしい限りです。

実はこれ、デパートで駐車場の無料券目当てに酒蔵の人がキャンペーンをやっていたところを見て試飲もせずに買ったのですが、クリーンヒットでした。
売り子さん曰く、酒蔵の規模があまり大きくないので、限られた店にしか置いていない由。確かに飲み屋でも見たことがなかったので、掘り出し物感が強い買い物でした。


ところで上のラベルの漢詩は李白の作でなく、同じく中国唐代の詩人杜甫が李白を評した詩(八仙に因んで当代の名だたる酒客八人を選んで作った『飲中八仙歌』の一部)です。

そこで思い出して本棚にある『李白と杜甫』(このブログを始める前に読んだのでエントリはありません。)をパラパラとめくってみました。
僻地に生まれ、立身を目指しついには玄宗皇帝に召抱えられながらも自由な創作を求めた李白と、下級官吏の家に生まれ出世を目指しながらも最後まで縁遠かった杜甫という同時代(李白の方が11才ほど年長だが一時期交流があった)の代表的な詩人の人生と詩作を対比させながら描いている著作です(著者は別のエッセイでひとことで「ネアカの李白とネクラの杜甫」と言っていますが。)。

そして、杜甫の「李白一斗詩百篇」についてこう言っています。

李白の詩の九割がたは酒と女だ、と誰かが悪口を言ったように、確かに李白には酒の詩が多い。しかし・・・この詩を作ったのは李白の精神にたくわえられたエネルギーであり、酒はそのきっかけを作ったにすぎない。たとえて言えば李白の精神はダムの貯水池にたくわえられた厖大な量の水であり、酒がその水門の戸を引いたのである。
 (中略)
杜甫が<飲中八仙歌>で「李白一斗詩百篇」と言ったのはそこのところである。李白は酒一斗飲んで詩百篇作る。一斗はおろか十斗飲ませても一篇の詩もできぬやつもいる。水門をいっぱいに開いてもちょろりの水も流れぬからっぽのダムであり、つまり只の酒食らいである。李白のばあいは、ひとたび一斗の酒を与えて水門を引けば、言語は壮大なエネルギーを荷って奔騰し、詩百篇すなわちここに成る。文学にとって甚だ飲ませがいのある酒なのである。さすがに杜甫は李白の創作のからくりをよくのみこんでいた。

酒は「場」や「機会」を提供する、それをどう生かすかは個人の器次第ということですね。
この「李白」は凡人を安楽にさせるに足る十二分な魅力を持っています。
その魅力に安住するという楽しみ方でいいのか、それとも己がこの酒をきっかけに解き放つべき何かを持っているかが問題ということです。

酒飲みとしては耳に痛い問いかけであります。



 






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李白

2007-09-26 | 乱読日記

島根県松江の李白酒造の「李白 純米吟醸 超特選」です。

李白、といえば中国の詩人

 

ですが、この酒蔵の名前は李白酒造のHPによれば同じ松江出身の若槻礼次郎が命名したそうです。

松江が生んだ政界の巨星、故若槻礼次郎氏は、また“詩を愛し酒を愛し”とりわけ松江のお酒、李白を愛されました。昭和五年、晴れのロンドン軍縮会議にも、李白の菰樽をたずさえて朝夕愛飲されました。清酒李白の名は、克堂こくどう若槻礼次郎氏がみずから酒仙李白に因んで命名された由緒ある酒名です。

なるほどラベルには

李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠

という漢詩の一部が印刷されています。


肝心の味は、非常に木目細やかでなおかつあっさり過ぎず濃すぎず、淡麗と濃醇の間の微妙なバランスを保った非常に美味しいお酒です。
一時期の「淡麗辛口」ブームでは、あっさりりしているほどえらい、という時代があったのですが、最近は焼酎やワインブームに押された結果、逆に玄人(というか単なるのんべ)好みの香りや味わいのある酒が評価されていて、うれしい限りです。

実はこれ、デパートで駐車場の無料券目当てに酒蔵の人がキャンペーンをやっていたところを見て試飲もせずに買ったのですが、クリーンヒットでした。
売り子さん曰く、酒蔵の規模があまり大きくないので、限られた店にしか置いていない由。確かに飲み屋でも見たことがなかったので、掘り出し物感が強い買い物でした。


ところで上のラベルの漢詩は李白の作でなく、同じく中国唐代の詩人杜甫が李白を評した詩(八仙に因んで当代の名だたる酒客八人を選んで作った『飲中八仙歌』の一部)です。

そこで思い出して本棚にある『李白と杜甫』(このブログを始める前に読んだのでエントリはありません。)をパラパラとめくってみました。
僻地に生まれ、立身を目指しついには玄宗皇帝に召抱えられながらも自由な創作を求めた李白と、下級官吏の家に生まれ出世を目指しながらも最後まで縁遠かった杜甫という同時代(李白の方が11才ほど年長だが一時期交流があった)の代表的な詩人の人生と詩作を対比させながら描いている著作です(著者は別のエッセイでひとことで「ネアカの李白とネクラの杜甫」と言っていますが。)。

そして、杜甫の「李白一斗詩百篇」についてこう言っています。

李白の詩の九割がたは酒と女だ、と誰かが悪口を言ったように、確かに李白には酒の詩が多い。しかし・・・この詩を作ったのは李白の精神にたくわえられたエネルギーであり、酒はそのきっかけを作ったにすぎない。たとえて言えば李白の精神はダムの貯水池にたくわえられた厖大な量の水であり、酒がその水門の戸を引いたのである。
 (中略)
杜甫が<飲中八仙歌>で「李白一斗詩百篇」と言ったのはそこのところである。李白は酒一斗飲んで詩百篇作る。一斗はおろか十斗飲ませても一篇の詩もできぬやつもいる。水門をいっぱいに開いてもちょろりの水も流れぬからっぽのダムであり、つまり只の酒食らいである。李白のばあいは、ひとたび一斗の酒を与えて水門を引けば、言語は壮大なエネルギーを荷って奔騰し、詩百篇すなわちここに成る。文学にとって甚だ飲ませがいのある酒なのである。さすがに杜甫は李白の創作のからくりをよくのみこんでいた。

酒は「場」や「機会」を提供する、それをどう生かすかは個人の器次第ということですね。
この「李白」は凡人を安楽にさせるに足る十二分な魅力を持っています。
その魅力に安住するという楽しみ方でいいのか、それとも己がこの酒をきっかけに解き放つべき何かを持っているかが問題ということです。

酒飲みとしては耳に痛い問いかけであります。



 






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疑惑のプリンタ

2007-09-25 | よしなしごと
キ○ノン製のプリンタを数ヶ月前に買いました。

最近起動するとインクカートリッジのひとつが「認識されません」とエラーメッセージが流れるようになりました。
どうやら取り付ける部分がカチッとはめてもあとで緩んでくるようです。

そうこうしているうちに、そのカートリッジのインク残量が少なくなったという表示がされました。

そこで、交換用のインクカートリッジを買いに行ったのですが、純正品が1050円に対し、サードパーティーのカートリッジは790円、カートリッジはそのまま使いインクだけ交換するサードパーティの製品はカートリッジ3個分のインクが入って760円でした(いずれもビッ○カメラ価格)

そもそも今のカートリッジがしっかり固定されないという症状が出ているので、インクだけ交換するタイプは候補から除外します。
つぎに純正品にするかどうかで迷ったのですが、万が一サードパーティーのものでまた同じ症状が出た場合に面倒くさいし、純正品で同じ症状が出た場合にはプリンタ側の故障かも知れないので修理に出そうと考え純正品を選びました。

価格差も25%と考えると大きいのですが、ヘビーユーザーではないので260円と考えると面倒や手間隙を避けるためのコストとしては大したことはないですし。



で、家に帰って考えてみたのですが、僕はエラー表示が出なければ、多分サードパーティーのものを買ったと思います。
(インク交換式は残量がわからなくなりそうなので選ばなかったかもしれませんが)
メーカーとしてはそのような不埒な(?)ユーザーに、純正品でないと困るよ、とこっそり思わせるために、プリンタにインク残量の警告が出る前にときどきこのエラーを表示するようなプログラムが仕込んであるということはないのでしょうか。

インクカートリッジのメーカー間の互換性をなくし、プリンタ自身は安値で売っても交換インクで儲かるというのがプリンタ事業のしくみという話も聞きますのでありえないことではないかもしれないな、と想像力をたくましくしてみました。


冷静に考えてみると(当初は純正品をつけた状態でのエラーメッセージだったので)そもそも純正品へのクレームにつながりかねないようなことをするわけはないでしょうが、どうもタイミングがよすぎたもので。

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新書のお手本

2007-09-24 | 乱読日記
今回はちょっと毛色が変わって『モバゲータウンがすごい理由 ~オジサンにはわからない、ケータイ・コンテンツ成功の秘けつ~』


新書がヒットする要因としては
 ① タイトルがキャッチー(さおだけ屋、などは典型ですね)
 ② テーマがタイムリー
があり、さらにロングセラーになるには
 ③ 内容が面白いand/orわかりやすい
というのがあると思うのですが、この本はその三拍子がそろっています。

私はケータイ(そもそもこうやってカタカナで書くこと自体抵抗があるw)でネットに接続することもあまりありませんし(野球速報、天気予報、乗換案内くらい)、「モバゲータウン」も知りませんでした(この本を読んでいたときに電車の扉面広告を見つけたのですが、今までは関心を持っていなかったので見過ごしていたのでしょう)。

そんな「オジサン」にも、携帯電話のネット接続をめぐる環境、キャリア間の競争におけるネット接続の意味合いとコンテンツ・プロバイダとの関係などをわかりやすく解説してくれています(ここに本書の前半分が割かれているのはありがたかったです。)。

後半はケータイコンテンツの勝ち組の代表であるモバゲータウンの成長の過程と戦略について書かれています。
ひとこと言うと「市場における自分の会社のポジションや経営資源の長短を的確に分析し、ユーザーフレンドリーなサービスを提供し続ける」といういわば教科書どおりのことを地道にかつ徹底してやった結果なわけですが、それは成功している企業を後付で分析すると多かれすくなかれそういう部分は共通しています。

ただ問題は今の選択肢をどのようにして見つけるか、というところなんですよね。
実際は机上の検討で正解がわかるなんてことはなく、試行錯誤のなかでどうやって「あたり」を見つけるかが難しいわけで、「あたり」を見つけて大きく育てた会社ははやはり「すごい」です。







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ひきつづき投資に関する本

2007-09-23 | 乱読日記

これも『ヘッジホッグ―アブない金融錬金術師たち』という副題の割にはまともな本です。
著者のバートン・ビッグスは1930年代の生まれで、モルガンスタンレーのリサーチ部門を立ち上げた人物です。 前のエントリで紹介した『ウォール街アナリスト物語』の中でもこのように紹介されています。

バートン=ビッグスという男がモルガン・スタンレーで最初のオールスター・アナリスト・チームを作ったのは、1970年代の終わりのほうだ。ボブ=コーネルと一緒に働いていたこともあるベン=ローゼンという切れ者のテクノロジー業界アナリストは、後にコンパックコンピュータを創業するのだが、彼もこのチームにいた。大型メインフレームをフォローしていたウルリッチ=ウェイルもこのチームにいた。さまざまな業界についてのトップアナリストがそこに集まっていた。

ビッグスはその後モルガン・スタンレーの経営メンバー、モルガンスタンレー・アセットマネジメントの会長を経て 70歳近くになって(周りからあきれられながらも)自分のヘッジファンドを立ち上げました。
もっとも著者は父親自体が有名な銀行家だったため元々資産家の一族のうえ、モルガン・スタンレーの経営メンバーだったので、生活を賭けてという感じではないようです。
なにしろファンドの立ち上げ時に資金集めに苦労しつつも自分と家族で1億ドル(円ではないですので、為念)投資しているくらいですから。
もっとも本書によると、成功したファンドマネジャーかどうかは資産5億ドルというのが基準らしいですが・・・

さて、本書はヘッジファンドの立ち上げの苦労、ヘッジファンドのファンドマネジャーや投資家などの実態、それに投資をめぐる逸話や経験談が豊富に書いてあります。

著者のキャリアを反映して、前の本より高い視点から投資というものを俯瞰していて、なぜ個人投資家はピークで買ってボトムで売る(これについては前の本も同じことを言っていますが)のか、また、投資判断を誤る原因は何か、ヘッジファンドの投資スタイルの違い、ヘッジファンド(やファンド・オブ・ファンズ)に高い手数料を払っても自分で運用するよりメリットがあるのか。、逆にファンドの選択を誤るとどんな目にあい、そならないためにファンドマネジャーを選ぶコツは、などを面白く語っています。

ここでいうヘッジファンドやファンド・オブ・ファンズ(日本で売られている「ファンド・オブ・ファンズ」と称する投資信託とはまったく別の富裕層からの大口資金を預かってヘッジファンドに投資するファンドのことです)に投資ができる顧客自体が限られているので、自分の資産運用にどこまで参考になるかは読者の資産規模によって相当違うと思いますが、真剣に自分で投資をしようとする人には参考になることも多く、また、一時の気分で投資をしようとする人(僕だw)には投資の世界はそんなに甘くない、とわからせてくれる本です。


面白かった話をひとつだけ紹介すると、ヘッジファンドを運用しているナッシム・ニコラス・タレブという人の著書の紹介で、ある優れた投資家が短期国債を年率で15%上回るリターンを稼げるとし、一方リターンの標準偏差は年率10%としてときに、この投資家は毎年93%の確率で国債を上回るリターンを稼げるが、時間の単位を短くしていくと(標準偏差によるぶれが原因で)国債を上回るリターンを得る確率は以下のように急速に低下します。

<超過リターンを得る確率>

  時間の長さ  確率
  1年             93.00%
  1四半期       77.00%
  1ヶ月           67.00%
  1日             54.00%
  1時間          51.30%
  1分             50.17%

・・・投資家が、毎日あるいは毎分での成績に焦点を当てるなら、(上の表)が示すとおり、気づかないうちに、苦痛を感じる時間を長く、喜びを感じる時間を短くしてしまっていることになる。・・・問題は(タレブはそう言ってはいないけれど)投資で苦痛を感じると不安になり、そのせいで投資家はよくない判断を下してしまうことがあるという点である。つまり、四六時中成績を監視しているというのは精神衛生上よくないうえに、ポートフォリオの将来にも悪影響を及ぼすのである。

実際、最近の新しい大きなビルだとエレベーターにディスプレイがあってbloombergなどの株や為替の情報が流れていますが、確かにあれを見ているだけでも変動が大きいときなどはちょっとどきどきします。

どうも私はデイトレーダーには向かないようです。






コメント (4)
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系統発生のおさらい

2007-09-21 | 乱読日記
邦題は『ウォール街アナリスト物語 - ネットバブルからの生還』という平凡な書名と陳腐な副題がついていますがとても面白い本でした。

原題は"Wall Street Meat: Jack Grubman, Frank Quattrone, Mary Meeker, Henry Blodget and Me"で、原題に出てくる3人は、ワールドコムの問題以降顕在化した証券アナリストの利益相反問題で罪に問われたスターアナリストです。
著者はATTのベル研究所の技術者からITアナリストとしてペイン・ウエバー証券に雇われ、その後モルガン・スタンレーに転職するなかで、くしくも3人とともに仕事をしながら、1980年代後半から90年代にかけて証券会社が投資銀行業務に傾斜していく中でアナリストの仕事が中立性を失い、投資銀行業務のサポートをするようになっていき、ネットバブルの際にそれが頂点に達したあと2000年に崩壊するまでの様子を描いています。

もともと証券会社は顧客からの注文を取り次ぐだけでなく取引相手のいない場合には自らがポジションを取ることで市場に流動性を供給し、そのトレーディング手数料が収益源になっていました。

ところが1987年のブラックマンデーの際に殺到する売り注文の中、証券会社のトレーダーが電話に出るのをやめてしまったことが契機になり、SECは小口注文処理システムを導入し、千株未満の注文は時価で自動処理されるようになりました。
これに目をつけたプログラマーがこのシステムを悪用し、小口の注文を何百回にも分けて自動的に行い、証券会社のトレーダーを狙い撃ちにする(これが出イーとレーダーのはしり)ということがおき、これを避けるためにトレーダー同士は大口注文を通すために証券会社同士のバイパスを作るようになりました。
このバイパスが1996年の大規模な暴落につながり、証券会社のトレーダーたちが一般投資家のマーケットへのアクセスを阻害しているという集団訴訟「ナスダック・マーケットメーカー反トラスト訴訟」が提起され(証券会社としてはデイトレーダーの攻撃を「阻害」したのは事実なので)ウォール街は10億ドルで和解しました。
この結果コンピューターによる注文のマッチングシステムにお墨付きが与えられ、証券会社のトレーディングのシェアがさがり手数料(利ざや)も低くなってしまいました。

その結果証券会社はIPO(新規公開)などの投資銀行業務を収益源とするようになり、アナリストの役割も新規公開株の公開後の価格維持・上昇をサポートすることに変質して行きます。
ちょうどそこに(またはそれをひとつのきっかけとして)ネットバブルが起き、投資家は新規公開株の割当てを受けるために証券会社に手数料を落とし(それは不正なキックバックです)スターアナリストは株を推奨する預言者になってしまいました。

そこにネットバブルの崩壊、ワールドコム問題などが起き、出世欲に燃える無名のニューヨーク州司法長官スピッツァーがスターアナリストの3人を標的に訴追をし(結果的にメアリー・ミーカーは訴追を免れる)、彼らは一転してすべての張本人とされてしまいます。


この本を読んで思うのは、今や日本でも盛んになっているネットでの証券取引などはアメリカでもたかだか10年前に始まったもので、ただいちど出来上がった仕組みを導入するのは簡単なので、だんだん時差がなくなっていく、ということです。
しかし一方で上のような、そのしくみの導入に至る経緯は逆に圧縮した形で現れるわけでそれが混乱を増幅することになります。

それはデイトレーダーや先般の急激な円高におけるFX(外国為替証拠金取引)を利用している個人のパニックとか、「J-Sox」の導入への対応に大わらわな企業とか、もっと広げれば中国の公害問題などもその一種ですね。

これを「個体発生は系統発生を繰り返す」と見るのか、「歴史は繰り返す、ただし二度目は茶番」と見るのかはその人のスタンスによると思います。

また、そういう出来合いの制度を導入した場合の混乱はビジネスチャンスでもありますが、「混乱の後にも十分耐えうるような先進的なビジネスモデルを作ろう」とするのか「導入元ではもう禁止されてしまった抜け道がまだ違法とされならないうちに荒稼ぎしよう」とするのか、というのも、スタンスの問題ですね(往々にして全社はあまり儲からず、後者は短期的にはすごく儲かったりするところが悩ましいところなのですが・・・)。


PS
トレーディング手数料の減収を補うもうひとつの収入源がデリバティブ商品の提供でした。つまり、商品の仕組みを複雑にして、商品の価格の中にこっそり(かつがっぽり)手数料を忍ばせるというやりかたです。
こちらはサブプライムローンを組み込んだCDSなどに正常進化をとげて、これまたお茶の間を騒がせていますね・・・








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Asian Carp

2007-09-20 | 余計なひとこと
海外のニュースのコーナーで、最近アメリカで"Asian Carp"問題が取り上げられています。

これは中国産の鯉の一種で、元々は池などの藻などを食べさせる「生物農薬」として輸入されていたものが、養殖池の氾濫などで川に逃げて野性化し、大繁殖してしまったものです。

この魚(正式には数種類ある)はモーターボートのエンジン音などに反応し水面から飛び上がるのが特徴で、ボートに乗っている人にあたって怪我をさせることもあるそうです(動画はこちら)。

しかも雑食性で巨大化し天敵もいないために、他の魚を根絶し生態系にダメージを与えてしまうのが問題です。
生息地もミシシッピ川を遡り、イリノイ川から五大湖に迫っていて、イリノイ州では電気ショックの防護装置をつけるなどして五大湖への進入を防いでいるそうです。
(詳しくはNational Public Radioの記事などを参照。また当初の導入の歴史などはこちらが詳しいです。)


でも、そもそも現在のアメリカ国民のほとんどが「外来種」なわけですから、あまり自分のことを棚にあげていうのもな、などとも思ってしまいます。
しかも「当初外来種」の白人は「後発外来種」に対して30年位前までは人種差別を、現在では移民排斥運動などをしているわけで、従来の生態系への破壊的影響だけでなく自らを防衛する能力はAsian Carp以上かもしれません。


あ、Asian Carpへの敵意は実は近親憎悪だったのか・・・
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スギノキヤの破産

2007-09-19 | よしなしごと
アクセス解析を見ると「杉の木屋 破産」で検索している人がいるのでびっくり。

Yahooだとこのブログが(9/19 00:10時点では)なぜか2番目にヒットするようです。

しかもヒットするのがこんなヘタレなエントリなので、元はといえば検索エンジンの問題なのですが、なんとなく申し訳なく感じてしまいます。

帝国データバンクや東京商工リサーチなどの倒産情報は、大型事件については(新聞報道などもされるためか)公開のサイトに乗せているのですが、小型の倒産は会員しかアクセスできないので検索エンジンには引っかからないようです。


杉の木屋(正確には「スギノキヤ」とカタカナの社名らしい)は白金地区を地元にするスーパーマーケットなのですが、よほど競合店との競争が厳しかったのでしょうか(何か本業以外の事情があったのかもしれませんが。)。
いきなり破産する前に民事再生とか他のスーパーに営業譲渡するなどほかの手立てはなかったのでしょうか。

白金界隈はたまに車で通りがかるくらいなのですが、競合店のうち白金台の駅前にある食品スーパーの「ポロロッカ」自体、元の親会社のマイカルグループの経営危機によりマルエツの傘下に入った(関西地区の店舗は音通という会社の下で「F-Mart」という店になったようです)会社で、もうひとつの「ザ・ガーデン」は西武百貨店系で、その後ミレニアム・リテイリングからそのままセブン&アイHDGSの傘下に入ったいわば「再チャレンジ」(もはや死語?)組であることを考えると、昔からある地元スーパーがいきなりなくなるというのは、地元民でなくても何かちょっと残念な気持ちになります。
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タランティーノの「大人買い」

2007-09-18 | キネマ
タランティーノ監督の『デス・プルーフ in グラインドハウス』を観ました。

※ 以下ちょっとネタばれがあります

「グラインドハウス」というのはアメリカの都市の場末にあるB級映画を専門に2~3本立てで上映している映画館のことで、そういうところで上映するような映画をイメージして作ったものです。
もうひとつ、『プラネット・テラー in グラインドハウス』というのと二本立てで製作したようですが、(アメリカではどうだか知りませんが)日本ではそれぞれが単独で上映されています。
配給収入の関係で仕方ないのかもしれませんが、ちょっとケチですよね。


内容は一言で言えば、タランティーノが子供のときに見てドキドキした映画を大人になってお金もつくようになったので好きなように作った、という、いわば「大人買い」のような映画です。


映画の中の会話でも触れられ、オマージュとされているバニシング・ポイント(とにかく目的地まで突っ走るという映画のはしり。予告編の動画はこちら)やバニシング IN 60(これはタイトルくらいしか記憶にないのですが60セカンズとしてリメイクされました。予告編の動画はこちら)、
ダーティ・メリー クレイジー・ラリー
(ピーター・フォンダが暴走します。予告編の動画はこちら)などのカーチェイスものは、僕も昔テレビで観たことがあり、いずれも車を惜しげもなく壊しまくる派手なカーチェイスに感心した記憶があります。
その当時の日本の映画やテレビドラマは、カーチェイスで壊される自動車はだいたい年式落ちの中古車だったりするのとはえらい違いでした。

この映画も70年式のダッジ・チャ-ジャーなど今やビンテージ扱いの車をボロボロにしてくれます。

また上の3つの映画はベトナム戦争などの時代背景もあってか、だいたい主人公は破滅的な最後を遂げる(バニシング・ポイントとかダーティ・メリー・クレージー・ラリー)のですが、この映画でもカーチェイスのシーンで「行き止まりになるなよ、行き止まりになるなよ・・・」とつぶやきながらアクセルを踏むシーンがあったりと芸が細かいです。


『パルプ・フィクション』などと同様、タランティーノ流の無駄なおしゃべりが長々と続きます。しかも今回は女性の集団なのでガールズ・トーク炸裂。
さらにお得意のエロ&グロな演出(こういうの一度やってみたかったんだろうな、というシーン多し)もあり、そういうのに許容度の高い人でないとつらいかもしれません(そもそもそういうのが嫌いな人はタランティーノっていうだけで観ないですよね・・・)

ストーリーを言ってしまうとつまらないのでこのへんでやめときますが、カート・ラッセルの怪演ぶりと『キル・ビル』でユマ・サーマンのスタントを務めたゾーイ・ベルという女性のアクションは見ものです。


僕は昔の映画を思い出しただけでも十分楽しかったです。

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「内弁慶」のストレス

2007-09-17 | まつりごと
今朝のフジテレビの番組で、安倍首相の辞任の動機を探ろうと過去3人の首相(安倍、小泉、森)の行動を新聞記事の「首相動静」で比較するという企画がありました(久しぶりに民放で面白い話でした。)。


たとえば1日あたり面会者数や、夜の会合の数などは安倍さんはそれほど多くありませんし、帰宅時間なども早い方です。

ところが面会の内訳を見ると、閣僚・党関係者との面会が3人ともほぼ同じ(1日平均6.5:6.6:7.1)なのに対し、その他の議員・官僚との面会が安倍さんは他の二人の半分近く(3.2:5.9:5.0)になってしまうそうです。
また、会食95回のうち、塩崎官房長官、下村官房副長官、中川秀直幹事長との会食の占める割合がかなり高い(率はメモせず)く、またオフタイムのときに家族・友人と過ごした回数が圧倒的に多い(134:14:64、もっとも小泉さんは独身ですが)のが特徴だそうです。

ここから番組の結論として「外気に触れなかった」ことがストレスをためる原因だったのではないか、と分析しています。


もともと内弁慶・人見知りする性格なので「外に出ない」のも原因でなく結果なのかもしれませんが、いずれにしろ自分から外に向かって影響力を行使する、というタイプの人ではなかったようです。

話す相手が限られると煮詰まってしまうというのは政治家に限らずよくあることで、しかも相手がイケメン塩崎クンとかアッキーとかだとなかなかブレイクスルーは難しかったかもしれません。


見方によっては、いつものメンバーで居酒屋で仕事のグチをこぼし、家に帰れば帰ったで家族サービスに追われ、という(今でもホントにいるのかなというくらいの)サラリーマンの典型のような生活ともいえます。

それなら「俺もつらいんだよ・・・」などとボヤいた方が国民は親近感を持てて、自分のストレスも軽減されたのではないでしょうか。
(「それじゃ俺のスタイルに反する」などと思ってしまいそうなところがストレスを溜め込むもとになったのかもしれませんね)


安倍さんはともかく、自らの行動も省みる必要があるな、とも思った次第。
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平均への回帰

2007-09-16 | まつりごと
「売り家と唐様で書く三代目」というタイトルにしようと思っていたのですが雪斎さんのエントリですでに使われていて、専門家でもこれくらいのおふざけは許容範囲なのだなと安心しつつも先に書いときゃよかったなどとちょいと悔しかったりしつつ。


今回の自民党総裁選は辞めた安倍さんが岸信介の孫、麻生さんが吉田茂の孫、福田さんが福田赳夫の息子と自民党議員の世襲制をまざまざと感じます。

しかし安倍さんは岸信介氏とは対照的な退任をすることになりました。
三代前(といっても2ヶ月前ですが)の農相だった赤城宗彦氏も祖父の赤城宗徳氏の遺徳とははなはだ異なる振舞いを見せていました。

世襲議員とはいっても、選挙地盤は引き継ぐものの(注)、能力までは引き継がれないようです。
(注)今週号の週刊現代で安倍氏が父親の安倍晋太郎氏の政治資金団体をそ多額の政治資金ごと引き継いで相続税逃れをした、という記事が載っていました。これが辞任の引き金になったと週間現代は自画自賛していますが、実際のところどうなんでしょうか。


たとえ「政治家向きの遺伝子」というのがあるとしても、世代を経るごとに交配により遺伝子はランダムに組み合わされる結果、そして何代か後には数代前が持っていた特徴は薄まってしまいます。
「長期的には平均へ回帰する」などと言われます。

余談ですが平均への回帰は、ファンドマネジャーの運用成績などにも見られ、勝ち続けているファンドマネジャーに投資するよりは負けが続いているファンドマネジャーに投資する方が投資のタイミングとしてはいい結果が出るそうです。


また、二代目三代目くらいであればまだ「政治家遺伝子」が残っているとしても、初代の頃とは時代背景も変わるため、初代の遺伝子が時代に適合したとしても、その遺伝子が孫・子の時代に優位に働かない可能性もあります。
また、家庭環境が性格や知識の習得などに与える影響も大きいでしょう(それは「家業」という意識を持つことでプラスに働くかもしれません)。


いずれにしろ安倍氏や赤城氏は政治家としては祖父には及ばなかったようです。


麻生氏と福田氏はどうでしょうか。




ところで、私の親はちょうどこの前、安倍氏が入院したのと同じ病院で検査をしたらしく、安倍氏が入院したところを映したテレビを見て、「確かにあそこに自動車を停めると検査の部屋に行くのに便利なんだよね」などと得々と話していました。
VIP用の場所は別にあると思うんですけどね・・・


私が受け継いだDNAは所詮この程度ですw

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