一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

あずさ2号

2008-07-30 | よしなしごと

「あずさ2号」といえば


8時ちょうどの あずさ2号で
私は 私は あなたから 旅立ちます

というサビで一世を風靡した狩人の大ヒット曲です。

ところが、そのあと国鉄(の頃だったと思います)のダイヤ改正で下り列車は奇数の号数がつくようになり、 「あずさ2号」は上り電車になってしまいました。
(まあ、松本での別れ話でいけない、ということもないのですが、発車時刻も8時ちょうどではなくなってしまいました。)

今は8時ちょうどに新宿を発車するのは「スーパーあずさ5号」です。


ところで「あずさ2号」の歌詞で


さよならは いつまでたってもとてもいえそうに ありません

というところが「言えそうに」なのか「癒えそうに」なのかというのがずっと疑問に思っていました。
前者なら別れも告げずに去ってゆく姿ですし、後者だと別れを告げて去ってゆくことになります。
今さらながら調べてみると(参照)「言えそうに」というのが正しいみたいです。

てなわけでちょっとすっきりしたところで、今日からしばし夏休み。


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Another "White Knight"

2008-07-29 | あきなひ


Branson unveils space tourism jet
(Monday, 28 July 2008 21:42 UK BBC News)

ヴァージングループの総帥リチャード・ブランソン氏が公開した宇宙旅行会社"Virgin Galactic"の宇宙旅行のための母船です。

これに宇宙船を吊り下げて成層圏まで上昇し、そこから宇宙船が切り離され自分エンジンで高度100kmまで上昇するそうです。
母船の試験飛行は秋からで、宇宙船本体は70%完成した状態とのこと。

母船を吊り下げてバランスをとるためでしょうか、細身双胴の機体と細身の主翼に大きな4発エンジンと非常に斬新なデザインです。
双胴の飛行機というのは微妙なバランス感があってなんとなくわくわくさせられますね(宮崎アニメにもよく出てきます)。

この母船、名前がWhite Knight Two "Eve"と名づけられています。
"Two"というのは試作2号機(2代目)なんでしょうか。
Eveというのはブランソン氏の母親の名前だそうです。


たまにはこういう夢のあるWhite Knightもいいものです。



ところでこの人も宇宙旅行ビジネスを目指していました。

ライブドア事件 堀江被告、6億円で再保釈
(2008年7月28日(月)13:47 朝日新聞)

堀江氏は「出る杭を打つ」国に生まれたのが不幸だったのか、悪い友達を選んでしまったのがいけなかったのか、そもそも人間の器の違いが大きかったのかはわかりません。



ヒーローと大法螺ふきと詐欺師は紙一重なだけに、ユニークな試みを支援する風土と「紙一重」を律するルールのバランスは重要だなと改めて思いました。



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乗っていいバス、悪いバス

2008-07-28 | よしなしごと

警察の「民事不介入の原則」は最近緩くなったのでしょうか。

大分教員汚職:「本来の合格者」特定へ 県警がデータ復元
(2008年7月27日 2時30分 毎日新聞)

県警は押収した県教委参事(当時)らの公用パソコンから消去された採点データの復元作業をほぼ終えており、県教委と連携し“被害者”の何らかの救済に役立てたい考えだ。

捜査情報の第三者への提供、という意味で問題はないんでしょうかね?



ところでこの件で印象的なのは、他の都道府県で同様の話が出てこないこと。

多分20~30年前の頃は、議員の口利きなんて日常茶飯事だったと思いますが、他の都道府県の問題は全く出てきませんね。
結局大分県だけが「バスに乗り遅れた」(この場合「降りそびれた」が正確かも)ということなのでしょうか。

本件は世論や社会常識の「潮目の変化」を見誤るとエラい目に逢うという見本になるように思います。
確かに社会常識とその変化を意識するというのはCSRとかコンプライアンスでも重要だといわれています。確かに大分県の不正はあまりに「昭和的」すぎる感じもします。
しかし、あまり潮目の変化にばかり気をとられて戦々恐々とするのもどうなんでしょうか。

「KY」などという流行語がありましたが、じゃあその「空気」ってのは多数が常に正しいというところに違和感があります。特に福田内閣を「KY」などと言っているマスコミが一方で小泉政権時代を批判するというあたりは何なんだよという感じです。

結局やったことの客観的重要性(まあ、この「客観的」というのが何よ、という議論もありますが)を抜きにして目立った、気に入らない対象をバッシングする、というのが続くと(落書き問題なんかはその典型だと思います)、結局「目立たないように目立たないように」というのが行動原理になってしまいます。
結局これってイジメの構造に近いですよね。


エコだのクールビスだのと言うのも乗り遅れちゃいけない「バス」のひとつ、という感じがしています。
温度設定が26度はダメで28度がいいとか目に見える細かいことばかり気にしている反面、アリバイ作りのようなそれこそ生ぬるい施策が多いような気がします(あ、こんなこと前にも書きましたね(参照))。



いっそのこと真夏は会社を休むのが一番エコなんじゃないかと思う月曜の朝でした。

 

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「相互理解と意識改革」が必要

2008-07-27 | 法律・裁判・弁護士

このニュース自体はつまらない言い争いなのですが。

法曹人口増員めぐり舌戦 日弁連会長VS官房長官
(2008年7月26日(土)08:15 産経新聞)

 舌戦勃発の発端は、「法曹人口の急激な増大は、司法制度の健全な発展をゆがめる」とする今月18日の、日弁連の緊急提言だ。
(中略)
 提言発表の当日、町村長官は定例会見で日弁連批判を展開した。  
 法曹の質の維持は重要だとした上で、「自分たちの商売の観点で、急にそういうことを言い出すのは、私は正直言って日弁連の見識を疑う」と批判。日弁連を「今まで司法制度改革に携わってきた立場をかなぐり捨てた」ときって捨てた。  
 これを受け、宮崎会長は25日になって反撃。町村長官の地元でもある札幌市で行った会見で、「官房長官の発言が、やや不見識ではないかと思っている」と“ジャブ”を放ち、続けて「司法改革を後退させる気はなく、提言の趣旨が伝わっていない」と官房長官の理解不足を指摘した。

件の日弁連の提言がこちら法曹人口問題に関する緊急提言(2008年7月18日)

まずは「1.本提言の意味」から

本提言は,(中略)現時点における「新たな法曹養成制度の整備の状況等」に鑑み,目標数値自体にこだわることなく慎重な審議を求め,当面の法曹人口増員のペースダウンを求めるものである。

なぜかというと上で言う「現時点における「新たな法曹養成制度の整備の状況等」」は不十分だと「2.新しい法曹養成制度について」で言っています。

現在,司法研修所における大量の考試(二回試験)不合格者が出ていることを契機として,「法曹の質」の低下が指摘されている。

法科大学院間での教育内容・水準のばらつきはかなり大きく,また,多くの法科大学院の現行カリキュラムと司法修習との連携不足から,プロセスとしての新しい法曹養成制度は,未だシステムとして確立しているとは言い難い。
そもそも,法科大学院修了時及び司法修習終了時に備えるべき「法曹の質」が未だ明確にされてはおらず,このことが法曹養成の現場に混乱をもたらしているとも言われている。法科大学院を修了して司法試験に合格した者の法曹の質の検証は,まさにこれからである(注3)。

また、従来のOJTによる弁護士育成システムについて

ところが,新規登録弁護士の増大に伴う採用問題(法律事務所に勤務弁護士として採用されることが困難な事象を指す-注2)は,OJTによる弁護士育成を困難としつつある。(中略)新規登録弁護士の採用問題が深刻化する今日,勤務弁護士として採用されない新規登録弁護士は,即独(新規登録と同時に独立開業する)弁護士とならざるを得ないが,即独弁護士のかなりの部分は,法曹倫理を含む法実務教育の補完・強化の機能を有するOJTを経ることのないまま単独で実務に当たることとなり,このような即独弁護士が急増した場合,市民,国民の権利擁護に支障が生じないか憂慮されるところである(注3)。

といってます(「即独弁護士」というのは初めて聞きました。「速読」じゃないんですね・・・)。

ただ、「だから合格者を減らせ」ということに直結する理由は私にはよくわかりません。
以前誰かが言っていたのですが、「司法試験は就職試験でなく資格試験なのだから、資格を取っただけで当然に仕事が得られると考える方がおかしい」という考えの方が筋が通っていると思います。


二回試験の不合格者については不合格にしているんだからそこでスクリーニングが効いているという考え方もできますし、不合格者(率)が増えたことがすなわち全体のレベルの低下につながっているとは当然にはいえないと思います(逆に今まであまりに司法試験の合格率が低かったので受験しなかった優秀な人材(弁護士以外でも成功できそうな人)も入ってきているかもしれませんし)。

法科大学院についてはそこまで問題意識が明確で、しかも

当連合会も法科大学院を中核とする新しい法曹養成制度に期待し,実務家教員の派遣やエクスターンシップの受入れなど,法科大学院教育を支援してきたし,その一層の充実を目指して,今後とも支援するものである。

というのであれば、まずは法科大学院に対して「緊急提言」をしたほうがより効果的だと思います。

また「法曹の質」について

日弁連法務研究財団と当連合会の研究チームは,法曹の質の要素として,人格識見,法実務能力,法創造能力,事務所経営能力,公益活動意欲の5つを掲げ,その検証を実施している(注1)。

とありますが、注1を見ると「どんな能力が必要か」の検証作業にとどまっています。
これについては、ぜひ法科大学院卒業生だけでなく、既存の弁護士全員の質の検証を行なうのがフェアではないかと思います(特にご高齢の方の問題など)。

「即独」問題についてはそれこそ日弁連の仕事じゃないか、と突っ込まれることは当然予測してかそのあとで言い訳めいたことを書いています。

また,即独弁護士に関しては,開業支援プロジェクトチームを新たに設置し,即独弁護士に対し,OJTに近づくべくe-ラーニングの研修(注4)を立ち上げるなどの努力を続けてはいるものの,OJTの代替としては限度がある。いずれにせよ,これらの新規登録弁護士の法曹倫理を含む法実務教育を補完・強化するOJTに近づける研修制度,態勢の構築・整備には,なお相当程度の時間的猶予が必要である。

ということは、人口の高齢化で年金問題が顕在化することは人口統計を見れば昔からわかっていたじゃないか、と厚生労働省を批判したりはしない、ということでしょう。

最後に

3.司法改革の統一的な実現を目指して
本提言は,司法改革全体の統一的な実現を目指すという視点から,法曹人口とりわけ司法試験合格者の約90%が登録する弁護士人口の急増ペースについて,再検討を求めるものである。法曹人口の増加は,司法制度改革審議会等が提言した諸般の基盤整備と一体となって有機的関連性をもって統一的に行われなければならない。(下線、太字は筆者)

町村官房長官は(この提言をきちんと読んだうえでの批判だとすれば)ここのところ(特に「も」)に引っかかったんじゃないでしょうか。
「結局、弁護士が増えて困る、ということかい」と。

この基盤整備の状況についての分析を読むと、けっこう他人任せの印象がしてしまいます。
たとえば

⑤ 国選弁護報酬は,法テラス設立以降成果主義を加味するとはいえ,平均的に低減化している(資料11)。日弁連は全力を挙げて回復と増額に向けて働きかけをしているものの,未だ実現されていない。国選弁護報酬適正化は,裁判員制度の実施や被疑者国選弁護制度の拡大にあたっても不可欠である。

と大上段に構えているので「低減化」の度合いはいかばかりかと「資料11」を見ると、



これが制度に影響を与えるレベルの「低減化」だといわれたら、民間人としては「呑気な商売ですなぁ」と言うしかないですね。
絶対額が問題なのかもしれませんが、10年前よりは高い(ということはそれ以前よりはもっと高い)ですし、そうだとするなら以前は本気で国選弁護に取り組む人はほとんどいなかったのでしょうか。

あと、

一般企業における組織内弁護士の活用についても,徐々に増加しているものの,当初の想定とはほど遠い状況にあり,弁護士側・企業側双方の相互理解と意識改革を含めた努力が求められる。

これについては東京など個別の弁護士会レベルの動きは若干あるものの、日弁連はアンケートとか以外に今まで企業側に積極的に働きかけたということ自体がないように思います。
特に企業側としては何を理解してどこを意識改革すればいいのかご教示いただければと思います。

結局今回の舌戦も「相互理解の不足」が原因ですよね。
そしてお互いに相手を非難するのでなく、司法制度改革に向けて建設的な議論をするべく「意識改革」も必要なように思います。


最後に

人的基盤整備と司法改革全体の統一的かつ調和のとれた実現を図るために,当連合会は・・・関係者に対して,改めて強くその実現に向けた具体的取組みを求めるとともに,自らも全力を挙げてその実現に取り組む所存であることを述べ,結語とする。

とあります。


ホント、政治家にくさされたりしないように、全力を挙げて取り組んでいただければと思います。

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『暗流―米中日外交三国志』

2008-07-25 | 乱読日記
この分野については知見がまったくないので、なるほどなぁ、と読みました。

筆者は日本経済新聞の記者で、北京とワシントン駐在の中でそれぞれの政府高官とのインタビューなどをもとに、米中日の過去・現在・未来の関係を俯瞰しています。
確かに個別に新聞や雑誌で報道されることを体系的に理解するのには役立ちます。


安全保障・外交という面から見ると、筆者が言うように日本は米中という「巨大変数」に翻弄されながら連立方程式を以下に解くかという課題に常に迫られているわけです。
ただ、素朴な疑問として、軍事力とか外交面よりは本書ではほとんど触れられていない経済の側面では日本の存在感があると思うのですがそれを加味すると若干連立方程式の見方が変わってくるのかな、ということ。

それともほとんど変わらないのでしょうか。




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『法廷会計学vs粉飾決算』

2008-07-24 | 乱読日記

同じ著者の前著を一緒に買ったのですが(参照)本書を紹介するのが遅れてました。

本書は細野氏がキャッツの有価証券報告書虚偽記載に関して二審の有罪判決を受けた頃からの支援者相手に発行していたレポート(メルマガ?)を本にしたものです。
 メルマガとは言いながら、日興コーディアルの連結隠し問題などを鋭く追及し、日興コーディアル事件の捜査の端緒になったといういわくつきのものです。

前著は本人の法廷闘争という意味合いが強く、肝心のところはぼかしている感じもするのですが、本書は(その反動もあってか)すぐれた問題提起をしています(逆に舌鋒鋭すぎ、という表現も随所に見られますが)。
特に、中央青山の解体から「監査難民」の発生のメカニズムの分析のあたりは、公認会計士の内情を知っている筆者ならではのするどい分析を見せます。

ドラマ「監査法人」で取り上げられた話題や問題意識も随所に顔を見せます。
特に、新規上場企業の審査について印象的なところは

上場を目指す非上場の経営者に金などあるわけがない。金があればもとより上場などするわけがない。非上場会社は、会計監査がなければこれらの粉飾や見せ金を当然のことのように行うのであり、それを防止し、適正・適法な決算に指導しているのが公認会計士なのである。現在の風潮は、公認会計士がその社会的機能を果たしていないかのごときものがあるが、とんでもないであろう。公認会計士なかりせば、上場会社も皆こうなってしまうのである。


上場会社の中で、公認会計士の指導的機能がなければ適正な財務諸表を作成する能力がない会社はかなり多い。新興市場を中心とするベンチャー企業の多くは、公認会計士に手伝ってもらわなければ有価証券報告書そのものさえ作成することができない。(中略)ベンチャー企業の多くは、何も意図的に誤った財務諸表を作成しようとしているのではなく、企業会計原則の知識が不足しているため、どうしてよいのかわからず、結果的に適正な財務諸表の作成を誤ってしまったに過ぎない。その指導矯正を行うことなく、間違いは間違いだとしていきなり限定意見や不適正意見を出して本当にかまわないのか?

財務報告における誤りを発見し、その原因を追究するとともに、再発防止対策を講じつつ、適正な財務諸表の作成を指導するというのは、まことに骨の折れる仕事である。そんなウザッタイことなどせず、出来上がった財務諸表を見て「駄目なものは駄目」などといって、不適正意見を出すほうがはるかに簡単で手間はない。現在の日本社会は、公認会計士の指導的機能なき監査を選考しようとしているのである。

最後の部分は監査の独立性を推し進め、指導的機能は別途公認会計士的な能力を持っているコンサル(っていうのはつまり会計事務所のコンサルティング部門ですが)に頼むべき、という思想ですね。
J-Sox対応などはまさにこの考えで、会計事務所に特需が起きているわけです。

確かにこのように「基本的に善意を信頼しない」というアメリカ的なたてつけもひとつのスタイルとしてはありだと思うのですが、さらに「その前提となっている部分は本当に大丈夫なのか、それを検証しなくていいのか」と心配しだすとタマネギの皮をどこまで剥くかというような際限のない連鎖に陥ってしまいかねません。


このあたりは時代時代で振れを繰り返しながら進めていくのでしょうが、金融庁の大森泰人総務企画局企画課長の金融法務事情での「猿にマシンガン」記事が、日経ヴェリタスでなどで「問題提起」として評価されるご時勢(その前にあんた内部の人間なんだから是正するのが仕事だろう、と突っ込む人があまりいない=それこそ検査官だったら「問題を認識しながら是正を怠った」と言われてしまいますよねぇ。それとも単なるアリバイ作りなのか、実態が「外部告発」をするしかないほど深刻なのでしょうか。)なので、当分は右(だか左)だかに振り切った状態が続きそうですが・・・


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必要なのは理由より方法なのかも

2008-07-23 | よしなしごと

硫化水素による自殺が後を絶ちません。
我が家にあるアルカリ性洗剤を見ると

まぜるな危険

と大書した下に

酸性タイプの製品と一緒に使う(まぜる)と有害な塩素ガスがでて危険

と説明書きがあります。

かえって自殺をしようとする人にはとってもわかりやすい解説になってしまっていますね・・・



さて、昨日に引き続いて今度はその翌日7/17の朝日新聞夕刊のコラム「底知れない『孤立貧』-自殺者10年連続3万人超過-」筆者は大阪大学総長で哲学者の鷲田清一氏。

コラム全体の内容には同意しかねる部分が多い(というかそもそも論旨がいまひとつ理解できない)のでそれについてのコメントはしませんが、頭に引っかかったのがつぎの部分

昭和のはじめ、自殺者の数が毎年一万数千となったころ、柳田国男はこう書いた。「われわれの生活ぶりが・・・・・・個人の考え次第に区々に分かれるような時代が来ると、災害には共通のものが追い追いと少なく、貧は孤立であり、従ってその防禦も独力でなければならぬように、傾いて来る」

経済発展による世の中の複雑化で単純なセーフティーネットが機能しなくなることと、価値観の多様化で「貧」(不幸)の様相も多様化しているということを示唆しています。

ところで昭和初期の日本の人口は7,000万人弱とちょうど今の約半分でした(参照)。
ということは、自殺者の割合自体はその頃とあまり変わっていないことになります。
割合が同じなら単純に原因も同じとは当然には言えませんが、自殺の背景や原因が多様であることが共通しているとするなら、現代は柳田国男の頃以上に原因が多様で、その予防の困難さも倍以上ということになります。

柳田国男からもう少し時代を遡ると、トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1875-77)の冒頭のフレーズに行き当たります(うろ覚えですが)。

幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸のかたちがある。

そういえば近代日本文学においても、自殺はかなりの頻度で描かれています。

では江戸時代はどうだったのか、と考えてみると、江戸時代も近世文学では自殺といえば心中とか色恋沙汰、それに武士の沽券とか商家の身代をつぶした人の自殺というのはありますが、「貧しさ」を理由にした自殺というのはあまり聞きません。
貧しさに直面すると、姥捨て山や間引き、里子に出したりと他人の口減らしはしたものの、自殺した例というのも聞きません(極端な貧困は自殺する前に餓死してしまったからかもしれませんし、民俗学の大家の柳田国男が自殺の論考に「貧」を引き合いに出しているので、実際は貧しさによる自殺というのも昔からあったのかもしれませんが)。

そうだとすると、自殺には貧しいという状況だけでなく、その状況を「不幸」と自覚するというワンクッションが必要なのではないでしょうか。
そして自覚するには「不幸の類型」が必要で、それが昔は比較的定型的ないくつかのパターンに限られていたものが、近代文学やマスコミなどを通じて様々な「不幸の形」が大量に供給され、それが柳田国男が上の文章を書いた時代からさらに加速度的に拡大して今に至っているのかもしれません。

冒頭の硫化水素自殺に代表されるように、(本人にとってはそんなことはないのかもしれませんが)比較的簡単に自殺を選択する人が増えているのだとしたら、現代の情報洪水下においては「不幸だから自殺する」という因果関係の構図自体が崩れて、「自殺することで不幸を検証する」という状況になっているのかもしれません。

では自殺に理由が必要か?と問われたら、僕自身は返事に詰まってしまうと思います。

必要なのは方法だけ、なのかもしれません。
ある意味「お金を稼ぐこと」と同じように。


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「有機栽培」≠安全

2008-07-22 | よしなしごと

朝日新聞の水曜(7/16)の記事なのですが、しばらく待ってもネットに出ていないようです。
(けっこう良質の記事だと思うのですが、こういうのがあまりネットに載らないんですよね・・・)。

「環境エコロジー」というページでの「粗悪な堆肥にご用心」という記事

堆肥の流通量は年々増加している
(中略)
だが、ブームに乗じて、粗悪な堆肥も出回っているようだ。堆肥の原料となる家畜のフンや残飯には、サルモネラや病原性大腸菌O157など、食中毒を起こす病原菌が含まれていることがある。堆肥はきちんと発酵させて作れば、60~70度の発酵熱で病原菌は死滅するが、発酵が不十分だと、菌は残ってしまう。
(中略)
気になるデータも出ている。厚生労働省の食品汚染調査で、野菜の一部からサルモネラが散発的に見つかっている。野菜は主に「有機栽培」「水耕栽培」が調査対象だ。病原性はないが、汚染の指標になる大腸菌の検出率も、レタスでは05年の6%から07年の13%へ、カット野菜では9%から15%へ、ミツバも26%から39%へと、軒並み上昇している。

中国製の野菜は、人糞を肥料にするためにいきなり畑にまいているから、中国人は生野菜を食べないんだ、などというウソかホントかわからない話を聞いたことがありますが、いい加減に作った堆肥だと似たような話ですね。

昔(高校生の頃?)題名はうろ覚えなのですが『トイレの科学』という本(確か講談社ブルーバックス)を読みました。(あいにく手元には既になく、amazonでも売っていないので絶版のようです)
内容的には全般はトイレ全般の科学だったのですが、後半はコンポスト(堆肥)トイレ(要は汲み取り式でしかもそれを堆肥に作り変える)の作り方とそれがいかにエコであるかに紙面を割いていました。
うろ覚えな記憶を辿ると、やはり発酵の熱で大腸菌が死滅するところがポイントで、そのためには糞を置いておいたりかき混ぜるだけではダメで、適度に藁をかぶせて自然の発酵に任せることが大事だったように思います。


自然の力に任せる以上、「有機農法」もブームだからといっていきなり流通量が増えるのはどこかで無理があるということでしょう。

「無農薬」「化学肥料不使用」でも、危険だったらシャレになりませんね。
 

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割れない試験管

2008-07-19 | よしなしごと

NHKドラマ「監査法人」の最終話を見ました。
途中一部見逃した部分もあるのですが、なかなか楽しめました。


前回(第4話)を見ながら思い出だしていたのがイギリスのベストセラー作家のアーサー・ヘイリー
彼は『ホテル』や『マネー・チェンジャーズ』『ストロング・メディスン』など、大組織が腐敗から自壊していく様子を描くのが得意でした。

アーサー・へイリーの(国内で翻訳されたものとしては多分)最初の長編小説に『最後の診断』という作品があります(まだ絶版になっていなくてちょっとびっくり)。
これは、アメリカの医学部で病理学教室で学ぶ主人公のガールフレンドの膝の腫瘍を教授が悪性と診断し、彼女は脚を切断することになったものの、術後の病理検査の結果腫瘍は良性で誤診であったことが判明するというストーリーです(単純化してしまって作者には申し訳ないのですがプロットの積み重ねがとても上手で楽しめる本です)。
そして最後に教授が主人公に述懐する科白に

教授になって、やっと自由に研究ができると思った瞬間に、「割れない試験管」だのを売り込む業者の相手に忙殺されて、結局自分の研究ができなくなる。

というのがあります(うろ覚えですが)。
この「割れない試験管」というフレーズが、当時中学生だか高校生だかだった僕の脳味噌に妙に深くひっかっかっていて、実質上は価値がない仕事だけどなぜか忙殺されざるを得ない「身過ぎ世過ぎ」(=組織なり権限を維持する)のための雑務の代名詞のようにinputされていました。 

会社に入って中間管理職になると、ホントに「割れない試験管」仕事というのは多くて、しかもそれが業者からの売り込みでなく、会社の中のルールや許認可の手続きでも異常に多いということを実感しました。

また、アーサー・ヘイリーはその硬直化した大組織(とそれを象徴する権威・権力者)とそれに対抗する若手、という構図が得意でもありました。
そして、権力者を倒して入れ替わった若手改革者がまた組織維持(「割れない試験管」)に追われて倒される側に回る、という無限連鎖をも示唆しています。


ドラマ「監査法人」でもエスペランサ監査法人の理事長になった小野寺氏がまさにそれで、小野寺氏の不正を正す更に若い主人公の若過ぎ杉会計士とが最終回で対決します。

そういう意味ではオーソドックスな構成をとったドラマではあります。


ただ、このドラマは「真実」とか「正しさ」という言葉を使いすぎているところが気になります。
会計処理が「正しい」か否かは「公正なる会計慣行」にしたがって決められるわけで、それはあくまで「慣行」である以上(特に時の経過に対しては)相対的なものであるにもかかわらず、若杉会計士はやたら「真実」とか「正しい」を乱発します(最後家族との関係で多少自分の姿勢を考え直すのですが基本スタンスはほとんど変わっていないように思えます)。
この部分については、ちょうど昨日、粉飾決算 最高裁判決 旧長銀元頭取ら逆転無罪という、「公正なる会計慣行」の判断に係る最高裁判決が出たのもなにかの因縁を感じます。

それから、最後で若杉が尾張部品の経営改善を託されるあたりですが、本来会計士は問題点や改善効果の高い部分を指摘したり、改善効果を検証することは得意でしょうが、どうやったら経営改善ができるかについては、本来経営陣が考えることだと思います。
それまで会計士に委ねてしまったら、それこそ何のための経営者かわかりませんよね。
尾張部品の会長(大滝秀治)もいきなり若杉を引っ張ってきた経理担当役員のうじきつよしに社長をまかせようとしますが、それも経営建て直しのための後継者選びとしてはどうなんでしょうか(ちなみに、JALの西松社長は経理畑出身だそうですが・・・)

NHK名古屋放送局の製作なので「終わり部品」じゃなく「尾張部品」なので、続編がもし作られたらしっかり復活していることと思います。
そしてうじきつよしが

会計監査人の引き受け手がいないから足元見ようったって、その手は桑名の焼き蛤よ!

などと見栄を切っているのではないでしょうか。


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サマータイムについての考察

2008-07-18 | ECO・環境問題

最近どこかしこで「エコ」が叫ばれています。

「それなら会社を休むのが移動手段も使わないし一番のエコだから有給休暇を増やせばいい」などと放言していたものの、私も地球市民としてもうちょっとまじめに考えてみました。


「エコワーク月間」の実施について
(2008年7月15日(社)日本経済団体連合会)

日本経団連事務局では、地球温暖化防止のためのエネルギー消費の削減やワークライフバランスの実現などを目指し、昨年に続き、本年も8月の1カ月間、「エコワーク月間」として、勤務時間を午前8時30分~午後4時といたします。

俗に言う「サマータイム」というやつですね。
洞爺湖サミットにあわせてライトダウン・キャンペーンなどもやっていましたが、素人としての素朴な疑問は、

そもそも真夏の昼間に働くから冷房などの電気代がかかるのではないか?

ということ。
たとえば発電設備は真夏の日中の電力消費のピークにあわせて設計されているので、ピークを平準化させればそもそも発電設備をそれほど多く作らなくて済みます。
また、そもそも業務用の深夜電力は割引になっているくらいですから、自動車だと加速・減速を繰り返すよりは一定速度で走ったほうが燃費がいいのと同様、発電所も安定的で無理のない稼動を24時間するほうがいいのではないでしょうか。

昼間に働くのでなく夜に働くほうが冷房にかかる電気量も安く済むので、サマータイムより効率的だと思います。
電車なども日中は間引き運転することもできます。
飛行機も客が分散すれば、朝夕の滑走路の順番待ちの無駄な燃料も節約できます。

昼夜完全逆転が嫌な人もいるでしょうから、たとえば11時から17時までは一律休みにして早朝番(3時から11時)と夕方番(17時から1時)に分けるとか、通勤時間が短い人はそれぞれ4時間ずつ勤務して昼はシエスタにしてもいいですね。

そしてデパートやコンビニなども11時から4時までは閉店すれば、やたら日中出歩いて熱中症にかかる人も減るはずです。
当然高校野球もナイターにすれば、選手の負担も軽減されます。

日中の家庭の冷房代が増えるとは思いますが、日中の業務用電力消費量が激減するのでトータルの電力消費量が減るとともに昼夜の変化が平準化してより効率的になるのではないかと思います。


サマータイムで1時間繰り上げたりコンビニの深夜営業規制よりは効果は絶大だと思うのですが・・・

 

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「ごめん」で済むなら弁論部も法学部もいらない

2008-07-17 | よしなしごと

弁舌さわやかどころか意味不明なので記事を全文引用して考えます。

「在日だから不安」と日大弁論部が入部拒否 大学側が学生に謝罪
(2008年7月16日 13:13 産経新聞)  



 日本大学の在日韓国人3世の女子学生が、「在日だから不安だ」などの理由から法学部公認の弁論部への入部を拒否されたとして、大学側が女子学生側に謝罪していたことが16日、分かった。弁論部は6月下旬に活動を自粛した。  
 学部によると、女子学生は今年4月、日大法学部に入学し、弁論部の新入生向けの説明会に参加。女子学生が「自分は在日韓国人だ」と説明すると、説明会後、同サークルの幹部3人が集まり、「在日だから不安だ」「外国人は文化の違いがあり、なじめるかどうか分からない」などと話し合った上で、入部を断ったという。  
 女子学生に対しては「司法試験の研究室に入っているため、学業が忙しくなるだろう。部活動がおろそかになる可能性がある」などと説明。その後、6月初旬に別の部員を介して、「在日」が理由の一つだった可能性があることが分かり、女子学生の母親が、同大の人権救済委員会に訴えた。  
 3人は「在日だから入会を断ったわけではない」などと弁明したが、大学側は「女子学生を傷つけた」として謝罪。3人も「迷惑をかけた」と女子学生を含む関係者に謝罪した。  
 日大の坂田桂三法学部長の話「(弁論部の幹部には)女子学生に対する差別意識はなかったと思うが、傷つけてしまったので学部長名で謝罪した」


弁論部の活動がどんなものか私は知りませんが、「弁論部」と名乗るわりに「幹部」が入部拒否の意思決定に当たっても反論に耐えられる理屈付けができてないうえに、本人には違う説明をしている時点で部としてダメなような気がします(堂々と「在日韓国人は入部させないし、それは不当な差別ではない」と主張できたらそれはそれで立派だと思いますし、それくらいでないとどこかの案件における経産省官僚のようにはなれませんね。)。

その意味ではこの女子学生は変な部に入らなくてよかったですね。

学部長の説明も、「差別意識はなかったが傷つけてしまったので謝罪した」という変なもので、①「公認」とはいえ学部の活動でないものについて大学が謝罪する必要があるのか②「傷つけてしまった」ら一律に謝罪するのか③活動自粛ということだが、正式な処分はないのか、というあたりよくわかりません。
それに、通常こういうときの回復措置としては「入部を認める」というのが基本線だと思うのですが入部は認めないんですね(本人が希望していないのかもしれませんが)。

とりあえず頭を下げてその場をしのごう、という考えが見え隠れしています。


せっかくの経験なのですから、不祥事への対応のケーススタディとして(法学部ではないかもしれませんが)日大の講義で取り上げてみたらいいのではないでしょうか。
講師としては今回の対応をどう評価するのか興味があります。




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クビにできるの?

2008-07-16 | よしなしごと

<7月17日追記あり>

新聞記事を読んでふと疑問に思ったこと。

不正合格の教員採用取り消し、不合格者救済も…大分県教委
(2008年7月16日(水)14:00 読売新聞)

大分県の教員採用試験を巡る汚職事件を受け、県教育委員会は16日、臨時会を開き、成績改ざんによって合格した教員の採用を取り消す一方、合格圏内にありながら不合格とされた人については、希望があれば採用することを決めた。  

受験生本人が不正の依頼をせずに親などが勝手にした場合や、不正の依頼はしなかったものの口利きの事実を認識していた場合はどうなのでしょう。 
これらの場合、実力はあるとも言えるし、「セーフティネット」があるので受験生も緊張せずに本来以上の実力を発揮できたとも言えます。  

つまり処分対象者には、実際に改ざんがあった中で「不正の依頼をした」「不正の依頼の事実は知っていた」「何も知らなかった」かける「実際の試験成績が合格水準」「実際の試験成績が合格未満」の3×2の6通りのパターンがあるわけです。  

しかし、この件は商品やサービスの品質の信頼の根幹にかかわるという意味で、耐震偽装やウナギの産地偽装と性格が似ているため、信頼回復のためにもきっちりと「縁を切る」必要があるので対応としては「一律取り消し」というのもやむを得ないかなと思います(因果な親を持ったとあきらめてもらうということですね。)。  


もっとも受験生自身は改ざんを依頼しなかった場合、採用取り消しの根拠である改ざんは採用側の事情なので、一度結んだ教員との雇用契約を採用側の事情で終了させることができるか、という論点は残るように思います(これは採用面接に受かったけど、こっちの勘違いだったと言われて正式採用の後いきなりクビになるようなものです)。
少なくとも何らかの補償は必要ではないでしょうか。


そのへんどうなんだろうと他社の記事を見ると

教員採用汚職:不正合格は解雇、本来合格を救済へ 大分
(2008年7月16日 11時26分 毎日新聞)
あれあれ、もっとひどいや。「解雇」じゃないだろう、と思うのですが・・・
少なくとも本人が依頼したのでない限り解雇事由には当たらないですよね。

でも

不正採用取り消し、不合格者を救済へ 大分県教委
(2008年7月16日12時27分 朝日新聞)でも

県教委は、得点水増しなどによる不正な合格者の採用を取り消して事実上解雇する一方・・・

人権派のはずの朝日新聞でもこうです。  



これで、採用取り消しされた人が辞職を拒んで地位確認訴訟や国家賠償請求訴訟でも起こすと、むちゃくちゃバッシングされそうですね・・・


<7月17日追記>

やはりいきなり「解雇」というのは難しいのではという議論はあるようです。
「解雇」根拠は何? 大分・不正採用教員
(2008年7月17日  読売新聞)

公立校の教職員を含む地方公務員はいったん採用されれば、地方公務員法によって身分が保障され、解雇するには〈1〉綱紀違反や違法行為に対する懲戒免職〈2〉公務員としての適格性などを欠く場合の分限免職――の手続きを踏む必要がある。
 しかし今回の事件では、教員採用試験に合格した受験者本人の「不正の認識」が現時点でははっきりしないため、免職の手続きを取ることは困難。大分県教委は、採用試験の成績がそもそも基準に達していなかったとして、給与の返還は求めないものの、採用前にさかのぼって一律に合格を取り消すことにした。
 同県教委が根拠としているのが、地公法15条の「職員の任用は受験成績や能力に基づいて行う」との規定。地公法を所管する総務省も「受験成績の改ざんによる採用は、能力に基づいていないので違法な採用」との見解を示している。

ただ、法曹界の中には、この判断を疑問視する声もある。
(以下略)

上でも言ったように、受験生自らが不正を働きかけていなければ「違法な採用」の違法性の原因は採用した県側にあるわけなので、それを原因に採用を取り消すことができるとしても、取り消された側は正当な補償を受ける権利があるはずです。

大分県の教育委員会としては、ここまできたら、一度筋を曲げてしまうと筋を通したまま元に戻すのが如何に難しいかということを反面教師として全国に示すくらいの覚悟で臨んで欲しいものです。

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『クライマーズ・ハイ』

2008-07-15 | キネマ
レビューではありません。

先日昔の連中と会ったときに、当時の写真とかを持ち寄ってみると、皆シャツの裾をズボンの中に入れてました。

当時はそれが普通でした。

そこで誰かが、当時の日航機事故を題材にした『クライマーズ・ハイ』の予告編を見ると、ポロシャツの裾を出している人が多いのは時代考証がおかしい、と言っていたので、予告編を見てみたら(公式サイトはこちら)確かに堤真一は裾を出している(笑)

多分、製作にかかわっているのは若い世代の人が多いんでしょう。
ホント最近年齢を感じることが多いです。
(そういえば『バブルへGO』とかはどうなんだろう。今度観てみよう。)





日航機事故といえば、当時現地対策本部まで通信線などのインフラを設置する仕事をしていたという人に会ったことがあります。

その人の仕事は樹を伝って電線などを敷設するのですが、現場近くになると地上以上に遺品や遺体の一部が枝に引っかかっていて、凄惨なじょうきょうだったそうで、作業が終わった後、もう耐えられないと転職してしまったそうです。
今で言えばPTSDなのでしょうが、そのころはそんな言葉も一般には知られていなかったですね。


『クライマーズ・ハイ』という題名からは他人の事故でアドレナリンだかエンドルフィンが出ちゃうっていう新聞記者の性を描いたように思いますが、どうも最近新聞記者とかマスコミの人の「共感力」に疑問を感じることが多いので、実際に映画を観るかどうかはわかりません。



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卵かけご飯のコツ

2008-07-14 | 飲んだり食べたり

世間では常識なのかもしれませんが。

半年に一度まとめ買いをする、小豆島のヤマロク醤油さんからの案内の中に、こんな記事が。

~美味しい卵かけご飯の作り方~

① 熱々ご飯に、まず醤油をかける
  (ご飯の熱で醤油の香りが広がります。)
② その上から生卵を落とし、かき混ぜる。
③ 必ず笑顔で食べましょう!
【注意】直接卵に醤油をかけると、卵のまろやかさがなくなります!

僕もずっと「先に卵に醤油を混ぜてといたものをかけてかき混ぜる」という方式を疑いなくやっていたので、試してみました。
ただ、かけたのはあらかじめといた生卵で漸進的にやってみました。

①は子供の頃、ご飯に醤油をかけて海苔で食べるというのが好きで、親にあまり醤油をかけすぎるなと注意されたことを思い出しながら。
そこで卵をかける前に海苔でつまみ食いも楽しめます。
次に②ですが、確かに「卵と醤油をといたもの+ご飯」よりも「とき卵+醤油をかけたご飯」の方が、味の豊かさが出ます。
あくまでもご飯は脇役で、卵と醤油が主役なので主役同士の対決は後にしたほうがいい、ということですね。

それに、最初に醤油をかけることでご飯の熱が冷まされて、いきなり熱いご飯に卵をかけたときに卵が熱凝固してしまい食感を損なうことも防げます。


久しぶりの「目からウロコ」でした。

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久しぶり

2008-07-13 | よしなしごと
本日はなんと25年ぶり、という集まり。

一部仕事などで会っていたりするらしいけど、まとまって集まるのは初めて。
僕自身も最後に会ったのが17,8年前。


ということで次は今から25年後だと皆70歳(笑)
でもそのころは葬式とかでしょっちゅう顔を合わすことになるんだろうから、もうちょっとマメに集まろうということになりました。


真昼間から夜までずっと飲んでて酔っ払ってるのと、話の内容も公開できないようなバカ話ばかりだったので、以下省略。


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