そのかわり、予定が速く終わってちょっとだけ時間の余裕ができ、しかも天気も良かったので、紀尾井町から市ヶ谷まで散歩がてらのんびりと歩いて移動しました。
これはちょうど今読んでいる『損料屋喜八郎始末控え』で気に入った山本一力さんの『深川駕籠』の影響もあります。
この本は深川の裏店に住む若い駕籠かきの2人組が主人公をテーマにした短編の連作です。
人情物としても、エンターテインメント(時代物といいながら現代に通じる着想があります)物としても楽しめるのですが、駕籠かきという職業柄江戸の町並みや沿道、坂の上り下り、川と橋や道標になる建物、祭りの賑わいなどが生き生きと描かれています。
第1話目の「鬼子母神」違いの客を入谷から雑司が谷まで定刻までに送るという話で、最後のクライマックスの大塚仲町の富士見坂から護国寺の「わずか三町(330m)で十丈(30m)も落ち込む急坂」を下るところが、昔実際にその坂を年中目にしていた身にはツボにはまってしまいました(今から三十数年前は、晴れた日には富士見坂から富士山が見えていました)。
実際、原田の耳かきを買いにとげ抜き地蔵に行ったときには、首都高の護国寺出口で降りて、この坂を登って行ったばかりです。
ホントここは急坂で、昔乗っていたボロ車では2速(もちろんマニュアルです)でないと登れなかったんですよね。
昔話はさておき、今日は寄り道するほどの時間はなかったので、麹町から「日テレ通り」(もはや「旧」かな?)を市ヶ谷までの最短距離を歩きました。
本当は半蔵門から三番町、大妻女子大のあたりを迂回していくとお屋敷の名残りに触れることができたのですが、歩いてみるだけでも道の高低差、坂の多さは実感できます。
麹町駅のある新宿通りは尾根筋で、南は紀尾井町から清水谷公園、赤坂見附に向かって下り、北は小さな谷を経て日テレの小高い丘を越えると市谷から外堀までは下りになります。
そして市谷駅から外堀を渡った先には「市谷左内町」「市谷砂土原町」のお屋敷町の小高い丘があり、その奥には「払方町」「納戸町」「箪笥町」など今でも昔の風情を残した町名があります。
昔は麹町から下って市谷見附に至ると、正面に市谷の丘の緑があり、今日のような天気だとお堀の水面に青空がきれいに映っていたりしたんだろうなぁ、などとちょいとのんびり気分にひたってました。
昔の地名を知ろうと調べていたらこんなものを見つけてしまいました。
江戸・明治・東京 重ね地図(DVD)
18,900円とちょっと値は張ります。
でも、欲しい・・・
(ほとんど買う気になってますw)