一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ホテル・ルワンダ』

2006-10-02 | キネマ
病み上がりということで今日は早めに上がって、『ホテル・ルワンダ』のDVDを借りました。


1994年のルワンダにおけるフツ族のツチ族大虐殺において、欧米各国が介入を見送り、平和維持軍も大量の民兵の前で無力になる中で、ホテルの支配人である主人公がツチ族の妻やホテルに非難したツチ族難民を知恵を絞り身を挺して守り抜いたという実話を元にした映画です。


ルワンダにおけるフツ族とツチ族の対立は『絵はがきにされた少年』のエントリでもふれたのですが、どう所に沿っておさらいすると、

コンゴやルワンダのアフリカ内陸部は長く植民地化がなされず、19世紀末にドイツ人がタンザニアからやってくるまではツチ族の王制で鎖国をしいていた。
ドイツが第一次世界大戦に敗れた結果、ルワンダはベルギーに譲り渡された。

ベルギー政府はより多く人頭税を集めようと、1930年代から40年代にかけ国勢調査を行ない、身分しょうが取り入れられた。そのときはじめて「ツチ、フツ、トゥワ」の3つの集団から1つを選ぶ欄が設けられた。
身分証を発行する際、出身のはっきりしない者には、ベルギーの担当者が頭の形や身長から判断し、三つのうちのどれかに決めたという。

1950年代になるとベルギー本土で民族差別を受ける宣教師たちを通じて極端な平等主義や革命思想が広がり、王族を起源とするツチと民衆を起源とするフツとの対立が広がった。
1957年、欧州帰りのフツのエリート9人が人間の平等をうたう「フツ宣言」を打ち出し59年には「フツ革命」が成立、王族などツチ族が国外に逃亡し、国内ではフツ族によるツチ族虐殺(だけでなく村レベルではツチ族によるフツ族虐殺もあった)により62年までに約10万人が殺された。

ツチ族は亡命先のウガンダで武力をたくわえ(60年代には社会主義革命を広げようとコンゴで運動していたチェ・ゲバラの指導も受けた-それ自身はさほど奏効しなかったようですが)、90年についに母国ルワンダに先入し、反政府軍(革命軍)として侵攻を開始した。

そして、1994年にツチ族に政権を奪われるのをおそれたフツの政権幹部らが大衆を動員し、3ヶ月間で80万人(人口750万人なので9人に1人)もの住民を虐殺した。
これが今回の映画の舞台です。

また、大虐殺の後ツチ族の政権下では身分証から民族の分類はなくなりましたが、民族意識は依然として残り、(著者が取材した1998年当時は)特にツチ族が政権をとった後に外国から帰国したツチ族のフツ族に対する差別意識が強く感じられたそうです。


さて、映画の話。
何一つ特殊な能力があるわけでなく、あるのは4つ星ホテルの支配人としての矜持と家族への愛情だけをテコに、追い詰められた状況下であきらめることなく家族や避難民の生存のために交渉・賄賂・威嚇・ウソとあらゆる手段を取る主人公をドン・チードルが熱演しています。
(「神に祈る」というのが1回(それも「今までの人生を神に感謝」という文脈で)しか出てこなかったのも好印象でした。)


もちろんこの映画の最大のテーマは、こういう事実があった、ここで勇敢に人々の命を救った人がいた、ということでしょうが、主人公を免罪符にして悪行はすべて野蛮なフツ族民兵のせいにし「人間はこういう虐殺をしうる」ということを忘れてはいけないと思います。


多分、実際の人生においては、主人公や避難民の立場にいきなり追いやられることもあるでしょうが、その前の段階で民兵組織(虐殺側)に身を置くという選択肢を持つこともあると思います。

そのときに(自らは手を下さなくても)虐殺(を座視)する側に身を置くか、あえて承知で虐殺される側に身を置くことが出来るか、本当の重要な選択はそこのところにあるように思います。


エピローグでは、現在主人公のモデルとなった人物はベルギーで家族や身寄りのない親戚の子どもを養子にして暮らしているそうです。
ツチ族の政権下のルワンダには戻っていない、ということです。








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