一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ムハマド・ユヌス氏にノーベル平和賞

2006-10-16 | あきなひ

ノーベル平和賞のユヌス氏、出発点は74年の大飢饉
(2006年10月13日21時10分 朝日新聞)  

米国で経済学博士号を取得したユヌス氏は72年、前年独立したばかりの母国バングラデシュに。大飢饉を機に向かった農村で出会ったのは、わずか1ドルにも満たない資金に困ったり、高利貸から借りざるを得なかったりする人々の現実だった。  

人口約1億4000万人のバングラデシュは1人当たりの国内総生産が04年現在でも445ドル(約5万3000円)と貧困に苦しむ。貧しい人は返済ができないと信じられ、担保がなければ銀行は融資しなかった。貧しければ貧しいほど、貧困から抜け出す方法がない――。自らの手で、担保なしに村人が連帯責任をとることで融資が受けられる「グラミン銀行」を設立した。  

農村(グラミン)を意味する言葉を冠した銀行は、それまでの「常識」を覆した。人々からの融資回収率は9割を超えた。銀行として採算が取れることも分かった。「融資」という手法をとったことについてユヌス氏は、「返済が伴わない援助は人間の尊厳を傷つけ、人々は自助努力や自己責任を忘れがちになる」と強調した。  

グラミン銀行は現在、バングラデシュの約7万の農村で660万人以上に貸し付けをしている。少額融資の仕組みも世界各地の貧困対策に導入され、対象者は1億人以上と見積もられている。

グラミン銀行やマイクロクレジットについてはろじゃあさん47thさんのところで過去にも触れられているので、詳しくはそちらをご参照ください。
貧困層に対する高金利、頻繁な取り立て、連帯責任制度など、一見貸し手には高リスクで借りてにも負担の大きいしくみがうまく機能しているということは、日本における上限金利問題にも一定の示唆はあると思います。  


グラミン銀行やマイクロファイナンスについての文献を読んだわけではないので誤解しているかもしれませんが、日本の消費者金融との一番の違いは資金使途を確認するかどうかなのではないか、と思います。 

日本の消費者金融は、急な医療費であろうが遊興費であろうが個人の属性と信用履歴を元に貸し出しています。そうすると、貸し手と借り手の間に情報のギャップがあるために、貸し手は「計量できない信用リスク」の分までを金利に上乗せし、借りる方もそういう「定食」のような金利で満足するしかない(きちんと返済していくと低い金利が適用されるようですが)ことになります。 

多分、グラミン銀行の世界では、借り手は資金使途や事業計画を説明し、貸し手はそれに見合った適用金利や返済ルールを説明して、いわば「双方納得ずくの高金利」の融資がされているのではないでしょうか。  
しかし日本の消費者金融のように事業規模が大きくなると、そのような手間をかけていちいち審査していては拡大しませんから、借り手を増やして大数の法則と高金利でリスクヘッジするということになるわけでしょう。  

興味深いのが(マンガの世界ですが)『闇金ウシジマくん』や『ミナミの帝王』の萬田銀次郎のような闇金のほうが融資の前に使途を確認することです。信用情報を聞き出すため、ということもあるのでしょうが、使途によって融資の可否の判断や(ウシジマ君においては)適用する金利を決定しています(事業系融資中心の萬田銀次郎は金利は常にトイチ(10日で1割)なのですが、消費者相手の小口融資オンリーのウシジマ君はトゴ(10日で5割!)が基本ですがパチンコ資金目当ての主婦にはヒサン(1日3割!!)でないと貸しません。しかも利息は先に引いて翌日返済)。  


話が横道にそれてしまいましたが「使途自由・高金利」の融資は「双方納得ずくの高金利」の融資に比べて、自分の返済能力についてやそもそもの資金需要の妥当性について正常な判断力を欠いた借り手に融資しがちなのではないか、逆にいえば、返済の目処のある急場の資金需要に対しては「借り手も納得ずくの高金利」もありうるのではないか、というのが考えたことです。  

後者は「上限金利を引き下げることによる社会的厚生の損失」(要するに「高い金利でも借りたい」人が融資を受ける機会を奪ってしまうこと)などと言われている問題ですね。  

前者、たとえばギャンブル資金の融資を受ける人は、多分金利が30%でも15%でも返済不能になり、多重債務者化する可能性が高いと思われます(借りるときに「ギャンブル資金を貸してくれ」と融資を申し込んだら、大概のところは断られるか、ウシジマ君のように超高金利・超短期間(+いざとなったら・・・のおまけつき)でしか貸してくれませんよね)。  


このような借り手が多重債務者化するのを防ぐにはどうすればいいのでしょうか。  

① 「資金使途不問」と融資のハードルを下げ、債務者を誘い込んでいる消費者金融にコストを負担させる
ただ、上限金利を下げてもこの問題は解決しない(であろう)のと、すべての融資に資金使途の確認を義務付けるのも経済活動を必要以上に阻害してしまうという問題点があります。  

② 遊興費で多重債務者になるのは借り手の自己責任
これは「何の対策もしない」ということです。自業自得なので追い込みをかけられようとも守ってやる必要はない、という考えですね。
これはこれで一定の合理性があって、上限金利や取立て規制も撤廃すれば、「遊興費は手元資金の範囲で賄おう」という判断を促すのではないかと思います。
ただ、依存症のようになって自制が効かない人に対しては効果がないですね。

③ 依存性・習慣性があり、正常な判断ができなくなるような商品・サービスは禁止する
そう考えてみると、「元から絶つ」のが一番効果的かもしれません。
たとえば麻薬などはこの理由で禁止されてます。
でも、依存症になり、健康にも害のある酒やタバコは禁止されてません。
これも依存症が取りざたされるようになったギャンブルも公営とパチンコは認められてます。


この辺は結局は経済合理性と社会の価値判断、というところになるのでしょうか。

①の部分は、上限金利の引き下げだけでなく、返済シミュレーションなどの説明(これは特にクレジット販売などでは重要だと思います)、信用情報の共有化(多重債務化の防止)などが有効だと思います。
また、少額・短期間・使途の明確化による例外的高金利を認めてもいいようにも思います。

つぎに何を③で規制するか、ですね。
これも「なんでもかんでもダメ」というのではかえってアングラ化してしまいますし、「水清ければ魚住まず」という諺もあります。
この辺は国民の価値判断ですね(今のところパチンコ業界の政治力の方が消費者金融業界を上回っている、ということでしょうか・・・)。

また、禁止まではしなくても、射幸心を煽るような勧誘や霊感商法・催眠商法のような正常な判断力を失わせるような販売方法は規制したほうがいいかもしれません。
ただ、エステサロンや英会話学校など、詐欺ではなくても「その気にさせる」のが営業のポイントである商売をどこまで規制するかは難しいですね。
このへんは消費者契約法の世界ですが、クレジット販売とのセット営業などは特別の配慮が必要かもしれません。

で、最後の②ですが、「風俗通い」「ブランド品の購入」などの借金の人でしょうか。
消費者金融・上限金利問題を考える時に、こういう人をイメージする人もいることが、議論が混乱する一因だと思います。
個人的には①と③の規制が合理的なら、あとは自己責任でもいいと思います。


「俺は腎臓よりも金○を選んだんだ」という人生もそれはそれで潔いかと・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする