■2018年1月5日、小笠原消防団母島分団の出初式が執り行われました。
毎年、行っていることですが、
新年の最初の時期に
災害や火災に対しての意識を、その地域のみんなに知ってもらおうと
消防隊員・団員が一生懸命伝える行事です。

僕も父島に住んでいた頃から消防団に入り、
今年で勤続10年となり(まだまだ新人です!)、村長に表彰を受けました。

母島に来てからは大きな火災はありませんし、
山と海の遭難者救助・捜索も無事に終わっています。
父島にいた頃は、大火事や山で深刻な救助・捜索があり、
とても気を引き締める機会が多くありました。
と同時に無事に見つかったり、
助かった時には本当に良かったなと心底思います。
大変な時も多いですが、
とてもやりがいのある活動だし、得られるものもすごくあります。
そんな僕の消防団活動は、
過去に自分が救助された経験から始まっています。

■今から約15年以上前、
当時僕は20歳になったばかりで、
色んな夢を持って沖縄の西表島に住み込んで働いていました。
無知な若者である僕は
そこで仲良くなった人と一緒に、
人から借りた川用の手漕ぎボート(カナディアン・カヌー)で沖に出て転覆し、
3人で漂流するという苦い経験がありました。
僕の他はあまり泳げない2人にライフジャケットはたったの1枚。
今思うとなんて無謀だったんだろうと思います。
死ななかったことは奇跡でした。
海が荒れてきた日没直前、
たまたま通りかかったカツオ漁の漁師さんが見つけてくれ、
救助してもらい、近くの港に向かう途中、
友人が通報してくれた海難を聞きつけて、西表中のダイビングボートが沖に出てくれていました。
目の前で虹が出来て、トビウオのアーチをくぐって島に戻って、
事情聴取を駐在所で受けている時、
「きょっきょっきょ」と鳴くヤモリの声で、
ああ生きているんだな、と感じ、
それまで感じていなかった疲れがどっと出てきたのを今でも覚えています。
自分は死なないと思っていましたが、
それは周りの2人を支える為に、一生懸命に気を張っていたからだったと後から気付きました。
ヤモリの声を聞いたとき、自分の限界がすぐそばに来ていたことに気付かされたのです。
その後、島のダイビングショップ、もちろん助けてくれた船長にもお礼をしにいったのですが、
その時に決心したのが、
自分が出来る“お返し”として、これから“助ける側になろう”というおもいでした。
ギリギリの出来事で生き残ったこの命、
その有難い気持ちを忘れないで、
今は消防団として出来る限り、お返しをさせてもらっています。
ちなみに、長女が3歳の時に1年間家族で日本中の自給自足の家をWWOOFで周る旅をして、
その時に久しぶりに西表島を訪れました。
当時、救助してくれたM船長はもう引退していて、
高齢であまりよく覚えていないようでしたが(笑)、
家族を連れてきたことをすごく喜んでくれて、行って良かったと思いました。

■消防団というのは、
他の生業を持った人が有事の際に集まって消防活動する組織です。
消防署がない小笠原のような地域では、
村民の生命、財産を守るためにとても重要な役割をになっています。
毎週の車両や装備の点検を交代で行い、
毎年、内地の消防訓練所から教官を招いて定期訓練も欠かさず行っています。
山岳救助、家屋火災、海難捜索と活動は多岐に渡ります。
そんな中、もし緊急時、自分がもっと勉強していれば、この命を救えたのに!と後悔しない様に、
出来る限りの姿勢で臨んでいるつもりです。
訓練や実戦を行うたびに改良点や改善点がいっぱい見つかります。
もっともっと精進して、
少しでもレベルを上げていきたいと思っています。
いつもわざわざ遠い内地から教えに来てくれる教官たちに、
感謝の気持ちでいっぱいです。

■色んな活動の中で、
沢山の感謝の言葉を頂きます。
本当に有難いです。
やっていて良かったなと心底思う瞬間です。
人の暮らしってこうやってできているんだなと実感します。

最後に
いつも消防団を引っ張ってくれる団長、副団長、分団長、班長、団員の皆さん、
役場の職員、医療関係、警察、他関係者のみなさん、
本当にありがとうございます!
そしてその活動を支えてくれている家族のみんな、どうもありがとう!
自分の命はもちろん気をつけつつ、これからも頑張ります♪

毎年、行っていることですが、
新年の最初の時期に
災害や火災に対しての意識を、その地域のみんなに知ってもらおうと
消防隊員・団員が一生懸命伝える行事です。

僕も父島に住んでいた頃から消防団に入り、
今年で勤続10年となり(まだまだ新人です!)、村長に表彰を受けました。

母島に来てからは大きな火災はありませんし、
山と海の遭難者救助・捜索も無事に終わっています。
父島にいた頃は、大火事や山で深刻な救助・捜索があり、
とても気を引き締める機会が多くありました。
と同時に無事に見つかったり、
助かった時には本当に良かったなと心底思います。
大変な時も多いですが、
とてもやりがいのある活動だし、得られるものもすごくあります。
そんな僕の消防団活動は、
過去に自分が救助された経験から始まっています。

■今から約15年以上前、
当時僕は20歳になったばかりで、
色んな夢を持って沖縄の西表島に住み込んで働いていました。
無知な若者である僕は
そこで仲良くなった人と一緒に、
人から借りた川用の手漕ぎボート(カナディアン・カヌー)で沖に出て転覆し、
3人で漂流するという苦い経験がありました。
僕の他はあまり泳げない2人にライフジャケットはたったの1枚。
今思うとなんて無謀だったんだろうと思います。
死ななかったことは奇跡でした。
海が荒れてきた日没直前、
たまたま通りかかったカツオ漁の漁師さんが見つけてくれ、
救助してもらい、近くの港に向かう途中、
友人が通報してくれた海難を聞きつけて、西表中のダイビングボートが沖に出てくれていました。
目の前で虹が出来て、トビウオのアーチをくぐって島に戻って、
事情聴取を駐在所で受けている時、
「きょっきょっきょ」と鳴くヤモリの声で、
ああ生きているんだな、と感じ、
それまで感じていなかった疲れがどっと出てきたのを今でも覚えています。
自分は死なないと思っていましたが、
それは周りの2人を支える為に、一生懸命に気を張っていたからだったと後から気付きました。
ヤモリの声を聞いたとき、自分の限界がすぐそばに来ていたことに気付かされたのです。
その後、島のダイビングショップ、もちろん助けてくれた船長にもお礼をしにいったのですが、
その時に決心したのが、
自分が出来る“お返し”として、これから“助ける側になろう”というおもいでした。
ギリギリの出来事で生き残ったこの命、
その有難い気持ちを忘れないで、
今は消防団として出来る限り、お返しをさせてもらっています。
ちなみに、長女が3歳の時に1年間家族で日本中の自給自足の家をWWOOFで周る旅をして、
その時に久しぶりに西表島を訪れました。
当時、救助してくれたM船長はもう引退していて、
高齢であまりよく覚えていないようでしたが(笑)、
家族を連れてきたことをすごく喜んでくれて、行って良かったと思いました。

■消防団というのは、
他の生業を持った人が有事の際に集まって消防活動する組織です。
消防署がない小笠原のような地域では、
村民の生命、財産を守るためにとても重要な役割をになっています。
毎週の車両や装備の点検を交代で行い、
毎年、内地の消防訓練所から教官を招いて定期訓練も欠かさず行っています。
山岳救助、家屋火災、海難捜索と活動は多岐に渡ります。
そんな中、もし緊急時、自分がもっと勉強していれば、この命を救えたのに!と後悔しない様に、
出来る限りの姿勢で臨んでいるつもりです。
訓練や実戦を行うたびに改良点や改善点がいっぱい見つかります。
もっともっと精進して、
少しでもレベルを上げていきたいと思っています。
いつもわざわざ遠い内地から教えに来てくれる教官たちに、
感謝の気持ちでいっぱいです。

■色んな活動の中で、
沢山の感謝の言葉を頂きます。
本当に有難いです。
やっていて良かったなと心底思う瞬間です。
人の暮らしってこうやってできているんだなと実感します。

最後に
いつも消防団を引っ張ってくれる団長、副団長、分団長、班長、団員の皆さん、
役場の職員、医療関係、警察、他関係者のみなさん、
本当にありがとうございます!
そしてその活動を支えてくれている家族のみんな、どうもありがとう!
自分の命はもちろん気をつけつつ、これからも頑張ります♪
