小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

戦後77年の終戦記念日に

2022年08月17日 | 戦争と貧困
■8月15日。
終戦記念日。

この夕焼けは8月15日のものです。
圧倒的なこの焼けを見ながら、色々思うことがありました。

今この瞬間もロシアによるウクライナ侵攻で戦争が続いているし、
報道されない紛争や略奪、不当な苦しみで過ごしている地域があります。

最近ではチベットやウイグルの人たちの祖国と文化を奪われる悲惨な本などを読んだりして、
世界は全然平和じゃないと落ち込んでしまったりもします。

ロシア、ウクライナについても様々な情報が飛び交い、
ロシア側のプロパガンダ的な発信は信用できないと思うし、
西側メディアの情報も鵜呑みにできないと思っています。

核の保有や軍の配備、どちらかに従う事などで戦争がなくなるワケがないのは百も承知です。

でも、やっぱり世界平和は多くの人が強く願っていることだと思うのです。

昔、山梨と新潟が本気で戦争して殺し合いをしていたのに、
ヨーロッパなどの王国や国々が戦争をし続けていたのに、
EUや時代で今では戦争が相当起こりにくい状態になっています。

そんな状態が地球規模で成り立ったら、どんなに素晴らしいのだろうと思っています。


■今年も小笠原では戦没者追悼式典が行われました。
僕は父島に住んでいたころから、すっとこの式典に参加していました。
家族もコロナ禍の前まではできる限り参加していました。
とても大事な事を思い出させてくれる場所なのです。
近年は招待されて出席する場合も多くなりました。

村長、議会、総合事務所所長、東京都小笠原支庁長が来賓としてスピーチしていました。
現在の戦争や紛争、そして太平洋戦争で失われた命に対して追悼の言葉を述べていました。

毎年、その言葉を聞きながら、
戦争を実体験として経験していない自分にとってできる事はなんだろうか?
今を生きる、未来に生きていく子供たちに戦争や紛争のない世界をどうやって作っていけるのか?
をずっと考えていました。

力ではなく、対話を。
といっても侵略されてしまったら?
今回のウクライナ侵攻で、北方領土をすぐ数十キロ先に構えているリアルさを痛感しながらも、
インドネシアから独立した東ティモールの行動が痛烈に思い出されました。
家族が無残に殺されてもなお、復讐ではなく、
27年もかけて説いて理解を求めていったという行動
を強く思い出しました。


■これは硫黄島の摺鉢山です。
手前の海岸は米軍が上陸してきた海岸です。
2016年の硫黄島訪島事業の時に始めて訪れることが出来ました。
太平洋戦争が終わってもう77年経つのに、未だに故郷に島民が帰れていない、埋まったままのご遺骨が1万以上も眠っている…
そう、小笠原はまだ戦後が終わっていないのです。

77年前、太平洋戦争があった時、今私たちが住んでいる小笠原諸島は日米両方にとって、とても重要な位置として考えられていました。
その中でも平らで空港を作れる地形の硫黄島は最重要軍事地点として定められました。
ここから日本本土へ直接空爆に向かえるからです。

その為に硫黄島は地下に何十キロと壕を掘り、島全体が要塞となりました。
沖縄とは違い、一般島民は日本本土に強制疎開となりました。
硫黄島は米軍が上陸してきて、激戦地となりました。
幾人かの島民は軍に所属して、硫黄島でも多く亡くなっています。

父島や母島は上陸して戦闘になる前に終戦を迎え、
空襲などで済んだそうですが、上陸戦に備えて、要塞化されていて、
今もその戦跡がいたるところに残っています。

小笠原はそんな歴史的な背景から、平和都市宣言を行っています。
僕はそんな小笠原だからこそ、平和に向けてできる事がもっとある気がします。

戦争を直接体感していない世代の僕たちは、
もっともっと戦跡や硫黄島の今も弾痕だらけの岩壁を見て、
戦争の事を考えなければいけないと思うのです。

~小笠原村平和都市宣言~

平和で豊かな自然の中で暮らす我々小笠原村民は、世界中の人々が平和を分ちあえることを願う。
この願いは、小笠原の生い立ちが物語つている。

我々の先人が築いた文化を、歴史的に分断した強制疎開。
今なお一般住民の帰島が許されず、遺骨収集もままならぬ玉砕の地硫黄島。

このような地小笠原に生きる者として、戦後50年を迎えるにあたり、
不戦と恒久平和を誓い、豊かな自然を後世に残すために、
小笠原村が平和都市であり、またその使命を全うすることを宣言する。

平成7年8月15日
小笠原村




■広島に原子爆弾が落とされた8月6日に平和記念式典がありました。
そこで核について、とても心に染みる言葉で否定した湯崎英彦広島県知事。
ここに紹介したいと思います。

本日、被爆77年を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げます。
そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や、御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

あの時、川土手で、真っ赤に燃え盛る空の下、中学生らしい黒い人形の様な人達がたくさんころがっていたお母さん。
その声もだんだん小さくなり、やがて息絶えていった。

生き延びても孤児となった子どもは、転々と身を寄せた家に居場所もなく、廊下に風呂敷を置いて着替え場所とし、被爆者の病気はうつるなど、差別に苦しんだ。
被爆者が、人生をかけてまで核兵器の廃絶を訴え続けるのは、人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、この原爆の、核兵器使用の現実を心と体に刻みつけているからです。

その思いが原動力となり、今年6月、核兵器禁止条約第1回締約国会議が開催されました。
被爆者の切実な思いが、世界をもう一歩前に進めた瞬間でした。

他方で、東欧では侵略戦争が勃発し、あまつさえ、その侵略国は核兵器の使用も辞さないとあからさまな脅しを世界にかけるばかりか、当事者でない国の人々さえ、身を守るためには核兵器が必要だと言い始めています。
我々の多くが、侵略者の脅しが単なる虚勢ではなく、実際に核兵器が使用される危険として認識したのではないでしょうか。
つまり核兵器は、現実の今、そこにある危機なのです。

ウクライナ侵略で世界が突然変わった訳ではありません。
世界の長い歴史の中で、理不尽で大量の死を招く暴力は、悪により、しかし、時に正義の衣をかぶりながら、連綿と繰り返されてきました。
現在の民主国家と言われる国でさえ完全に無縁とは言い難いかもしれません。
人間の合理性には限界があるという保守的な見方をすれば、この歴史の事実を直視し、これからもこの人間の性(さが)から逃れられないことを前提としなければなりません。

しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。
本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。

今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性(さが)に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。

実際、ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。
今後、繰り返されうる対立の中で核抑止そのものが破られる前に手を打たなければなりません。

地球温暖化は200年、パンデミックは2年超かけて、人類の持続可能性に疑義を突き付けました。
核兵器は、誰かがボタンを押せば人類の持続可能性は30分かもしれません。
核兵器廃絶は、人類の持続可能性のために最も喫緊の課題であることを認識し、最後の核弾頭が解体・破壊され、この地球上から核兵器が完全になくなるまで休むことなく全力を尽くすことを改めてここに誓い、平和へのメッセージといたします。

令和4年8月6日 広島県知事 湯崎英彦



■「戦争は究極の自然破壊行為です」
鳥類学者の川上和人さんが島のガイド講習で言っていた言葉を思い出します。

固有種や貴重な動植物を抱える小笠原。
今もその保全活動に莫大な予算と手間がかかっています。

だけど、戦争になればそんなものを保護するゆとりなんて無くなります。
自分たちの命がかかってくるからです。

その証拠に火山列島の北硫黄島、南硫黄島は山ばかりで戦争の舞台になりにくかったことからか、
貴重な動植物が沢山残っていますが、
一番大きくて豊かなはずの硫黄島はその貴重な動植物がほとんど残っていません。
(飛べたり、風で飛来できるコウモリやハトはいます)

島で畑で普通にライフルの弾や砲台を見る時、
山の中の戦跡を見る時、
こうして終戦記念日に黙とうをして、戦没者に追悼するときに、
追悼だけでなく、自分たちが未来の平和にないして何ができるかをさらに考えるようにしたいです。

最後に僕は歴史や戦争に全然疎かったのですが、
高校の時の歴史の先生が
「君たちに一番大事なのは近代史、戦争の事だ。
 教科書に載ってない戦争の本当の姿を教えるからな!!」
と熱く授業をしてくれた恩師のお陰で一気に戦争に対して学ぶことが出来ました。

今回の資格取得旅で仙台に行き、久しぶりにその恩師に再会できて、
すごく嬉しかったです。
あの教えがなければ、あの年齢の頃から戦争について前のめりになれなかったと思います。
今でも深く感謝しています!
本当にありがとうございます!

※最近の参考
田中優さんのウクライナ紛争の記事が色々と勉強になっています。