午前中、京都縦貫道京都第二外環状道路(通称:にそと)の開通式に出席するため、長岡京市に行った。
念願の開通であり、これによって南部と北部の距離が飛躍的に短縮される。
長岡京から亀岡まで、今まで1時間近くかかっていたものが15分くらいで行けるようになるのではないだろうか。
あとは、残された丹波ー和知間の開通(平成26年度)と、これからの課題である京丹後から豊岡、鳥取に向けての新路線の開通を目指して頑張ります。
綾部は「北近畿の交差点」として重要な交通結節点となり、今後の発展が期待されます。
12時に、亀岡市の大本天恩郷に行った。
世界救世教いづのめ教団鎌倉教会の松田妙子教会長とオウム真理教被害対策弁護団で名を馳せた紀藤正樹弁護士などのご一行をお迎えし、大本本部の見学に同行させていただいた。
大本の亀岡本部には何度か行ったことはあるが、弾圧の痕を見る機会はなかった。
今回、弾圧でつぶされた歌碑や首を落とされた「いづのめ観音」さんなどを直接見て、その凄まじさ、執念、怨念を強く感じた。
紀藤弁護士は「大本の弾圧を若い人は知らなくなっている。大本は“事件”をもっと広報するべきだ。それが人権を守ることにつながっていくのだから」とおっしゃっていた。
綾部に移動し、天王平の奥津城を参拝。鹿子木さんに来ていただいて、案内していただいた。
こちらでも大本の痕跡が削られた墓石や開祖の墓が暴かれて移動された場所などを見た。その場所は、通行人に踏みつけられるような位置にあった。
松田教会長は「なおさんと茂吉さん(世界救世教の岡田茂吉開祖。元は大本の幹部だった)が天界で嘆いてらっしゃる。私は大本の皆さんに厳しいことを言うように天界から動かされている気がするの」とおっしゃっていた。
続いて、長生殿を参拝して、下八田町にある上谷厄神神社を参拝した。
上谷の厄神さんは有名だが、ここと大本との関係はよく知らなかったので、今回、初めて解説していただいた。
出口王仁三郎聖師が大本に入信し、最初に山家の鷹栖町や西原町で修行をしたが、神がかると大きな声を出し、暴れて床などを壊すので、次から次へと追い出された。
この上谷の厄神神社にたどり着いて、祭られている武内宿禰(審神者の神)に神様を下ろしたら、良い神も悪い神もすべて出てきてしまった。
それを浄めるために王仁三郎聖師の次の修行が始まっていく、という大本の最初に関わる重要な場所だそうだ。
戦後、出口王仁三郎、すみ夫妻が久しぶりに上谷を訪問したのが、4月8日だったので、今でも4月8日には大本の信者さん達がお参りをされるそうだ。
夜は、ご一行をお迎えしての歓迎会をあやべ魅力の会が主催して、京綾部ホテルで行った。
いろんな人が集まり、みんなが魅力ある人達で、本当に楽しく充実した時を過ごした。
松田教会長は石原慎太郎氏と遠縁で親しく、紀藤弁護士や学者、芸術家など、様々な方々とのお付き合いがあって、日本を建て直すための大きなうねりを創り出そうとしておられる感じがした。
そのためには「まず、綾部からしっかり良い型を出していただかなくちゃダメなのよ」とおっしゃっていた。
綾部の責任は大きい。