『ある婦人の肖像』は1881年(作者38歳)に書かれた、初期の代表作と言える作品である。このころ書かれた作品にはあの有名な『デイジー・ミラー』や、それほど有名ではない『ワシントン・スクエア』がある。
『デイジー・ミラー』については不十分な作品という印象があるが、『ワシントン・スクエア』は後期の心理小説につながる要素が強くあって、私の好きな作品である。
『ある婦人の肖像』の6年後に『カサマシマ公爵夫人』が書かれていて、私はそれがあまりヘンリー・ジェイムズらしくない作品であったため、それより前に書かれた『ある婦人の肖像』に対する不安というか、躊躇を感じてしまったのである。
初期の作品は『ワシントン・スクエア』を除いて、それほど質の高いものではないのではないか、という予想を立ててしまったのである。しかし、この作品を読んで私は、やはりこれはヘンリー・ジェイムズの傑作であるだけではなく、世界文学の名作であると思わざるを得なかった。
そして、ヘンリー・ジェイムズの小説を映画にすることへの疑問を呈した前言を撤回しなければならないと思った。この作品は1996年にジェーン・カンピニオン監督によって2度目の映画化がされていて、ニコール・キッドマンがイザベル・アーチャー役、ジョン・マルコビッチがギルバート・オズモンド役となっている。タイトルは「ある貴婦人の肖像」。もちろん私はそれを観ていない。
映画にしたらとてもいいだろうという場面がいくつかある。最初に三人の人物が登場する場面、引退した銀行家であるタチェット氏と、その息子で結核を患っているラルフ・タチェット、そして後に主人公のイザベル・アーチャーの求婚者となるウォーバトン卿が作者によって紹介される場面である。
この場面は映画にするなら、タチェット氏の屋敷とその周辺をカメラでパンしていって、まず三人の人物を遠景でとらえ、徐々に近づいていって、一人ずつクローズアップで撮っていくというやり方になるだろう。
最も重要なのはラルフ・タチェットであるが、ここではウォーバトン卿の美貌と健康に対して、ラルフの病的で、やせ細り、弱々しい姿が対照的に描かれる必要があるだろう。
老タチェット氏を含めてこの三人は、イザベル・アーチャーのその後の人生を大きく決定づける役割を果たすのであり、ヘンリー・ジェイムズが彼ら三人を最初に登場させることには深い意味がある。映画はそのことをなぞらなければならないだろう。
ところでこの三人の中でウォーバトン卿だけがイギリス人であり、後の二人はアメリカ人で、イギリスにやってきて成功した人物とその息子である。この後、タチェット夫人、イザベル、その友人のスタックポール嬢などが登場してくるが、皆アメリカ人で、この小説は主にアメリカ人が異境の地イギリスやイタリーで活動する物語であって、アメリカ人と典型的なイギリス人であるウォーバトン卿との対比もこの映画にとって欠かせない材料であろう。
ウォーバトン卿はタチェット氏が禁じた姪イザベルへの求婚(彼は息子のラルフとイザベルの結婚を望んでいたのだ)をするに至るが、その場面も映画に欠かせない。イザベルはウォーバトン卿の申し出を頑として受け入れない。その時のイザベルの表情は男性に惹かれながらも一抹の恐怖(性的なものに対する恐怖であり、それが「結婚なんかしたくない」という彼女の言い訳として表現される)を示していなければならない。
ここでの求婚への拒絶が彼女の未来を決定づける第一の場面であり、女優はその表情によって、彼女のすべての意思を表現しなければならない。ニコール・キッドマンにはそれができているのだろうか。
次は死の床にあるタチェット氏に対して、ラルフ・タチェットが、イザベルに6万ポンドの遺産を残してくれと頼む場面である。ラルフはイザベルの可能性のために、あるいはイザベルへのひそかな愛情のためにそうするのだが、死を運命づけられたラルフのこの時の感情を、俳優は余すところなく表現しなければならない。
父親は「まず最初に聞きたいことだが、6万ポンドももっている若い婦人は、財産目当ての男たちの餌食になるかもしれない、とは思わないのか?」と言うが、それは現実のこととなり、ラルフの善意と愛情は裏目に出てしまうのである。
ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』(1969、筑摩書房「世界文学全集39」)斎藤光訳
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