玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(1)

2015年04月11日 | ゴシック論
「夜のガスパール」をインターネットで検索すると、フランス20世紀の作曲家モーリス・ラヴェルのピアノ曲のことばかりが出てくる。ラヴェルの「夜のガスパール」は〈オンディーヌ〉Ondine〈絞首台〉Le gibet〈スカルボ〉Scarboの3曲からなるが、もちろんいずれも、アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール』に収載された3編の作品(正確には3編とは言えないが)に着想を得て、作曲されたピアノ曲である。
 ベルトラン(1807-1841)はフランス19世紀の小ロマン派に位置づけられる詩人で、前に取り上げたペトリュス・ボレルとは同時代人である。生前この『夜のガスパール』という世界で初めての散文詩集の執筆と推敲に全力を注ぎ、出版のために奔走したが、果たせなかった。死後出版されたこの詩集も、たったの21部しか売れなかったという。ベルトランは悲運の詩人であった。
『夜のガスパール』は巻頭に「夜のガスパール」という一文を置いていて、その署名はルイ・ベルトラン、アロイジウス・ベルトランの本名である。正確にはジャック・ルイ・ナポレオン・ベルトランというが、父親がナポレオン軍の中尉であったとはいえあまりにも凄すぎる名前だ。父は彼を詩人になど育てるつもりはなかったに違いない。
「夜のガスパール」によればこの詩集は、ベルトランがディジョン(ベルトランが居住したフランス中東部の町)の公園で出会った詩人風の男に託された原稿ということになっている。
 こうした設定がゴシック小説の常套的な仕掛けであることは今まで見てきたとおりであり、ベルトランはここでゴシックの伝統に則っているのである。なぜそんなことをする必要があったのか?
 それについては巻頭の「夜のガスパール」を読んでみることによって理解されるだろう。詩人風の男は芸術を極めんがために、感情に身を委ね、思想を探求し、自然と人間の事績を研究し、さらには悪魔の探索さえ行ったのだという。彼は『夜のガスパール』の原稿を残してベルトランのもとを去る。
「夜のガスパール」とは何ものか? 「そうさ…! 悪魔だ!」と人に言われてベルトランは理解する。『夜のガスパール』は悪魔の残した詩集として位置づけられるのであり、そのためにベルトランは著者を「夜のガスパール」とする仕掛けを施すのである。
 ガスパールの名は、聖書にある東方の三賢人の一人カスパールCasper(死の象徴とされている)から採られている。それが“夜の”と形容されるからには、ガスパールは悪魔そのものであるか、少なくとも悪魔を探索する者でなければならない。
アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』(1983、水声社)及川茂訳


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高橋和久『エトリックの羊飼... | トップ | アロイジウス・ベルトラン『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゴシック論」カテゴリの最新記事