玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『幻滅』(7)

2020年08月07日 | 読書ノート

 だが、リュシアンの破滅への行程はまだ終わってはいない。彼の破滅を決定づけるのは、親友ダヴィッドの名を騙った手形偽造である。ジャーナリズムというものをよく知らずに犯す失敗や、賭博上の失敗などは、まだ許せないこともないが、親友の名を騙った手形偽造というのは、明らかに犯罪行為であり、信義にもとる行為であるからである。

 それによってダヴィッドとその妻エーヴ(リュシアンの妹)が、どのような苦境に陥っていくかというのが、『幻滅』におけるもう一つの重要なプロットである。ダヴィッドは印刷屋の経営者としてよりも、新しい製紙法の発明の方に精力を傾けていき、もう少しで成功というところまで漕ぎつけるが、彼の周りではその発明による経済的利益を簒奪しようとする者たちが様子をうかがっている。

 そんな時に、リュシアンの偽造手形によって借金を背負ってしまったダヴィッドは、危うく投獄されそうになるが、エーヴの機転もあって隠れて研究を続ける。ダヴィッドもエーヴも、こんな仕打ちを受けてもリュシアンを憎むことはない。彼等はどこまでも善良で、献身的な人間として描かれる。それもまたリュシアンの悪行を際立たせるためとすら見えてくる。

 ところでここで登場してくる代訴人プチ・クローというのが、恐ろしくうまく描かれている。今でいう弁護士の仕事の民事を扱う職業として位置づけられると思うが、プチ・クローはダヴィッドとエーヴの味方の振りをしながら、ことある毎に請求額を増やしていくハイエナのような人物として描かれている。これでは借金した額を取り戻せても、代訴人に対する支払いで破産してしまいそうだ。その辺の事情が事細かに描かれる。

 今でいう悪徳弁護士のようなものではないかと思うが、プチ・クローの人間がうまく描かれているというよりも、彼の職能のあり方が詳細に描かれているといった方がいいだろう。つまりここでも、20世紀と当時の業界の一部が地続きのもものとして克明に描かれているということが言える。だからこの部分でもまた、バルザックのアクチュアリティは現在でも失われていないのである。

 私はこれまでに意図的にリュシアンの愛人コラリーのことに言及しないできた。この女性については『浮かれ女盛衰記』に登場するエステルとの比較なしには語れそうもないからである。二人ともいわゆる囲いもの〝浮かれ女〟でありながら、リュシアンに対しては純情を貫くのだが、バルザックはどうしてこんなにもよく似た女性二人を登場させたのだろう。『幻滅』がリュシアンの破滅の物語であるとすれば、『浮かれ女盛衰記』は、リュシアンのカルロス・エレ-ラによる再生と、再度の破滅の物語である。

 リュシアンはバルザックによって、性懲りもなく同じ失敗を繰り返す度し難い男として描かれているから、コラリーとエステルのケースもそのようなものとして設定されているのかもしれない。しかし、その場合には『幻滅』と『浮かれ女盛衰記』とを、連続した一つの小説として読むことが要求される。

 あるいはまた、コラリーにはカルロス・エレーラの影は射していないが、エステルの場合にはカルロスの圧倒的な支配の下にあって、それ故にこそリュシアンに再生のチャンスを与えることができるのである。しかしその場合にも『幻滅』と『浮かれ女盛衰記』を一つの小説として読むことを要求されるのは言うまでもない。

 やはりどうしてもカルロス・エレーラことヴォートランという人物を中心にして考えた時に、『幻滅』と『浮かれ女盛衰記』を切り離して考えることはできない。『幻滅』ではヴォートランは最後の最後に登場するに過ぎないのだが、『浮かれ女盛衰記』との連続性として捉えれば、『幻滅』はヴォートラン登場のための前史にすぎないとさえ言うことさえできるのである。

 



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