玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

シャルトル大聖堂の崇高美(5)

2020年01月07日 | ゴシック論

 こうして大聖堂の周囲を一回りして西側正面に戻り、そこにたくさん残されている彫刻の数々を見ようとしていると、一人のフランス人が近寄ってきて、何ごとか説明してくれる。こちらはフランス語を聞き取れないので、何を言っているか分からないが、これらの彫刻の素晴らしさを私に伝えたいのであるらしい。

 左側の中央の扉口の方を指さして「モーゼ」がどうのこうのといっているのが、かろうじて聞き取れたので、ここにモーゼがいて、こちらに○○がいてと解説してくれているのだということが分かる。そのうちに……ストリュクチュール・トレ・フィンヌ……とか言って、細い柱を指さすので、近寄ってみるとその柱には他の太い柱には見られない、微細な彫刻が施されているのが見て取れた。

 まるで象牙細工のような細かく、装飾的な彫刻が柱一面に刻まれている。そんな細い柱が両側に数本ずつあるのだが、一本を除いて長い年月のためだろう、ほとんど風化してしまっている。12世紀当時の職人の腕の見せ所であったのだろう。およそ900年もの間、風雨に耐え昔日の面影を残す貴重な彫刻と見た。

 正面の彫刻群は初期ゴシック美術の特徴を残す、フランス随一のものだというが、聖書に詳しくない者には、それらがどんな意味を持っているのか分からないし、扉口と言っても高さが数メートルもあり、ドーム状になっている弧帯といわれる部分の彫刻は肉眼ではよく見えないし、タンパンの下の楣(まぐさ)といわれる部分の彫刻もなんだかよく分からない。

 パリ大聖堂を見学した後で、私は建物の外貌については触れたものの、彫刻についてはガーゴイルとキマイラ達以外のものには触れていない。というよりもそれらについて何も言うことができないのである。当然彫刻もまた、ゴシック建築の重要な構成要素であるにも拘わらず、私はそれについて語る資格を持っていない。

 ただし、たとえば中央扉口の柱に刻まれている8つの人像円柱が、北と南のそれと比較して明らかに違っているのを見てとることはできる。北と南の扉口の人像円柱は、実際の人体のプロポーションに忠実に造られているが、西正面のそれは全く違う。それは現実の人間ではあり得ない10~12頭身に造られていて、異様に細長い形状をしている。

 下部楣の部分を見ると、そこにはキリストの12使徒像がレリーフに刻まれているが、こちらは逆に6頭身くらいの寸詰まりの姿をしている。必ずしも像を実際の人間よりも細長く高貴に見せようという意図があるのではなく、建築上与えられたスペースに応じて人像は長くなったり、短くなったりしているのだと思われる。下部楣の12使徒像はその上のキリスト像に圧迫されるかのように短くなり、柱の人像は高い柱の構造に引っ張られて長身になっているというわけだ。

 南北の扉口の人像円柱ではそのようなことは起こっていない。それらは実際の人間のプロポ-ションを堅持していて、柱の高さに呼応するために台座が西側正面のものよりかなり高くなっている。これはやはり時代が進むと共にリアリスティックな造形が求められていったということなのだろう。

 しかし、現代の我々から見て面白いのは、人間のプロポーションを崩してまでも柱の高さに合わせようという、当時の職人の素朴な意志である。あるいはそれは職人ではなく設計者の意志であったかもしれないが、いずれにせよ人像円柱はアルカイックなイメージを湛えて、現代の我々を魅了するのである。

 

西側正面扉口と人像円柱

北側扉口と人像円柱

 馬杉の本によれば、それらの像は1194年の大火をくぐり抜け、「16世紀の宗教戦争、18世紀のフランス革命、20世紀の二つの大戦」などの災禍を免れて、今日なお生命を保っているのである。パリの大聖堂がフランス革命で大きな破壊を被ったのとは大きな違いである。

 


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