玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(19)

2019年01月31日 | ゴシック論

●ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』④
 続いて第2章「パリ鳥瞰」。この章は第1章でノートル=ダム大聖堂の歴史について、そして破壊される以前の大聖堂の素晴らしさについて語ってきたが、今度はそれをパリの街全体に拡げてみようとする試みである。それもまた15世紀の失われたパリを念頭に置いて。
 ユゴーはノートル=ダム大聖堂の塔に登って得られる眺望について次のように書いている。

「鐘楼の厚い壁を垂直に貫いている暗いらせん階段の中を長いあいだ手さぐりで登っていったあげく、日の光と太陽をいっぱいに浴びた二つの塔のどちらかの頂にいきなり出たとたん、目の前一面にぱっと広がる光景は、まさにみごとな一枚の絵であった。」

ノートル=ダムの北塔に登った最初の眺望(左手奥にルーブル宮、つまりこれはヴィル方面) 

この文とまったく同じ体験を私は昨年11月14日にしている。その日は11月だというのに暖かく、日差しも強くて、青空が広がっていた。400段の薄暗い階段を息を切らせながら登り切ると、いきなり(もうじき階段が終わるという予告などどこにもないから)パリの街の眺望が眼に飛び込んでくる。
 パリにはモンパルナス・タワーを除いて超高層ビルが存在しないので、全体がフラットに展望できる。そして建物のほとんどが石造りであり、歴史を感じさせる美しいもので、そんな中に教会のゴシック式尖塔や、ロマネスク式半円ドームが突き出て見える景観は、ユゴーの言うように「みごとな一枚の絵」に他ならなかった。
 しかし私の言っていることは間違っている。ユゴーは15世紀のパリこそ「他に比べようのない」ものであり、それは「無傷で、完全で、まじりけのないゴチックふうの都市」であったからだと言うのだ。しかし日本人である私にはそのような想像力はない。私はただ日本の首都東京の乱立する超高層ビル群に汚染された景観と比較することができるだけだ。
 ユゴーはまずシテ島に発するパリが次第に拡大していって、はっきりと特徴づけられる三つの区に分けられるようになっていった歴史を振り返る。この三つの区とは「中の島(シテ)と大学区(ユニヴェルシテ)と市街区(ヴィル)」である。
 中の島(訳者はシテ島をこう訳している)が一番古くてそこには教会があり、司教の管轄下にあった。そこから派生していった市街区には宮殿が建ち並び、そこはパリ市長の管轄下にあった。そして大学区には学校が「いやというほど」あって、そこを管轄していたのは大学総長であった。
 現在のパリで分かりやすく言うと、「中の島にはノートル=ダムがあり、市街区にはルーブル宮と市庁舎が、大学区にはソルボンヌがあった」ということになる。市街区はセーヌ川の右岸に広がり、左岸には大学区があった。今でも右岸・左岸という言い方はされるし、街の特徴もまだ残されている。
 ユゴーはここから、15世紀『ノートル=ダム・ド・パリ』の舞台となった時代のパリの全景を、三つの区に沿って描いていく。しかし、私にはこの部分を鑑賞する能力はない。パリの歴史的建造物、教会や修道院、王宮や貴族の屋敷についての知識がなければ、この部分を読んで15世紀当時を思い浮かべることはできないからだ。
 しかしルネサンス時代の到来とともに、パリの「まじりけのないゴチックふうの都市」としての景観は失われていく。○○方式とも呼べないような建物が各年代ごとに建てられていって、パリはすっかり統一感を失ってしまったというのだ。ユゴーは次のように言っている。

「こういうわけで、現在のパリには一般的な特徴というものがまったくない。要するに、現在のパリは数世紀にわたってさまざまな建築様式の見本を集めたようなまちだし、おまけにそのうちのもっとも美しい建築はなくなってしまっているのである。」

 私には現在のパリでさえ十分美しく見えるのだが、ユゴーは15世紀のパリを想像することができる位置にいた。都市の景観をいう場合、様々な時代の様式の混交というものは決してマイナスの要素とは限らない。我々はそこにさまざまな時代の痕跡を、あるいは生きている過去の諸相を見ることができるからだ。
 第一ユゴーはノートル=ダム大聖堂について、さまざまな時代の様式が混交した雑種建築であると言い、それ故に貴重な研究対象であると言っていたではないか。ここにはユゴーの論理矛盾があるが、その要因となっているのは過去への愛着、いわゆる懐古趣味であることを否定できない。
しかし最後にユゴーは大祭日の朝、15世紀のパリの街に響きわたるパリ中の教会が打ち鳴らす交響曲のような鐘の合奏がもたらす大きな感動について詳述している。この文章を読まずに『ノートル=ダム・ド・パリ』について語ることはできない。私にもこの部分から当時のパリを想像することはかろうじて可能なのであった。

コメント
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