玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(3)

2019年01月12日 | ゴシック論

●ノートル=ダム・ド・パリ③
 Conciergerieを過ぎてまっすぐ進むと、右手に植木市のようなものが見えてくる。面白そうだと思って寄り道することにした。右に折れて細い道に入る。なかなか大規模な植木市で常設だという。花の季節は過ぎていたとはいえ、品揃えも豊富で花は日本のものとそれほど違いはない。パリに来てこんなところを散策しようとは思わなかった。
 花だけでなくサボテンもあれば花卉もあり、園芸用品も充実している。ゆっくり見たかったが買って帰るわけにも行かない。植木市を抜けると三叉路に突き当たって、左に曲がりしばらく歩くと広い通りに出る。大きな病院の建物の側面に出る。この病院はパリ最古の病院だそうで、ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』にも、パリ市立病院として名前が出てくる。最後の襲撃シーンで負傷者が担ぎ込まれる病院である。つまり15世紀にはすでにこの病院はあったということだ。
 この病院を左手に見て建物の角を左折すれば、目的のノートル=ダム大聖堂だと地図で確認してある。左に曲がると前庭とその奥に大聖堂の正面が見えてきた。双塔の威容を誇るあのノートル=ダムである。
 私は教会自体に興味があったわけではなく、塔の上に配置されているというキマイラ達を見たいという気持ちで来ているので、大聖堂の正面を見て格別の感慨に浸った記憶はない。ただ、「とても立派な建物だな」と思い、「はるか遠くの国から来たんだな」という思いであったに過ぎない。


夕刻となり大聖堂に別れを告げる時に撮った正面写真

 まず、右側の扉口(聖女アンナの扉口、アンナは聖母マリアの母)から聖堂内部に入り、左から右回りに見て廻った。しかし、私は内部では写真を一枚しか撮っていない。私は無神論者であり、神も仏も信じていない。だから聖堂内部も美的な観点からしか鑑賞することができない。正面と北側、南側にあるあの巨大なバラ窓のステンドグラスの美しさや、ゴシック建築特有の途方もなく高い天井には驚嘆したが、各所におかれた聖人達の彫像や内陣最深部の聖母像などに特別の興味を覚えることもなかった。
 とにかく早く塔の上に登りたいという気持ちにせかされて、聖堂内部には30分もいなかったかも知れない。一旦外に出て正面左側(北側)にある塔の登り口に向かう。北側の歩道には行列ができていて人々が順番を待っている。私は行列に並ぶのが大嫌いなので、大聖堂を一周しようと思いそのまま進みかけるが、すぐに順番が来るのが分かって、先に塔に登ることにした。
 キマイラの回廊は地上46メートルの地点にある。13階建てのビルほどの高さである。エレベーターなどは無論ない。狭い螺旋階段をひたすら登るしかないのである。こちらはルーブル美術館で3時間は歩き、ルーブルからここまで30分近くは歩いてきた身である。登りながら途中、目的を完遂できるのだろうかと危ぶんだこともあったが、後ろからも続々と登ってくるから立ち止まって休むことができない。
 途中小さな窓が(と言うよりも石の穴)時々開いているだけの薄暗い階段をひたすら登っていく。何度も「もう限界だ」と思い、息が苦しくなり、顔面が蒼白になって、足が止まりかけたこともあったが、ようやく最初の踊り場にたどり着いて一息入れることができた。後で図面を見ると地上から一気に35メートル地点まで休まずに登ったことになる。
 生気を取り戻してさらに10メートルの階段を登り、なんとかキマイラの回廊にたどり着く。回廊は極端に狭く人一人通るのがやっとで後戻りもできない。極度の高所恐怖症の私は、身動きできなくなるのではないかと怖れていたが、回廊の上部にまで張りめぐらされた丈夫な金網が恐怖をやわらげてくれる。結局最後まで高所恐怖の発作(本当に身動きできなくなる)に襲われることはなかった。


こんな獰猛な怪物も

 怪物達は回廊から突き出た展望台の角かどの欄干に置かれている。不思議なことに彼らは皆下を向いている。中には身を乗り出して下界を覗き込んでいる怪物もいる。どう見ても彼らは大聖堂を悪魔の手から守っているというのではなくて、我々人間を観察し、あるいは我々に対して威嚇の姿勢をとっているようにしか見えない。
 お目当てのメリヨンの〈吸血鬼〉のモデルとなった彫像もすぐに見つかった。この像だけはそれほど威嚇的ではなく、下界を見下ろしながら沈思黙考しているように見える。両肘を欄干の手すりに載せ、顎を両掌で支えている。どう見ても思索者のスタイルであり、塔の高みから下界の人間共の愚行を見届けてやろうという意志さえ感じられる。
 そうでなければメリヨンがこの像を銅版画に刻むことはなかったであろう。しかし、メリヨンの銅版画に比べて実物は荒削りで繊細さに欠ける。メリヨンはこの像に自分自身の壊れやすい魂を吹き込んだのである。

メリヨンの〈吸血鬼〉 

メリヨンの版画には見えるサン・ジャック塔が写っていない