玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(14)

2019年01月25日 | ゴシック論

●酒井健『ゴシックとは何か』⑧
 エッフェル塔が「ゴシック・リヴァイヴァルの一頂点であり精華」だって? そんな見方もあったのか。1889年、第4回パリ万博のために建造され、当時は多くの芸術家たちに忌み嫌われた塔、モーパッサンなどは「私がパリで塔を見ないですむ唯一の場所だから」といって、エッフェル塔のレストランでよく食事をしたというあの塔が、「ゴシック・リヴァイヴァルの一頂点であり精華」とは!
 私が昨年11月にパリを訪れた時、エッフェル塔は私の観光ルートの中には入っていなかった。パリ随一の観光スポットとして多くの観光客が訪れ、塔に登るのに4時間待ちとかいうことを聞いていたし、そもそもエッフェル塔という近代建築の象徴のような建造物に対する興味を持っていなかったのである。
 パリで世話になった友人には、夕刻にエッフェル塔を見るとライトアップされていて綺麗だから、一度見るようにと勧められていたが、私は滞在中ライトアップされたエッフェル塔を遠望することさえしなかった。私もモーパッサンのようにエッフェル塔を見ないですませたい人間であったのだ。
 11月17日に私は、エッフェル塔近くのケ・ブランリー美術館という世界民族博物館を訪れた。ケ・ブランリーの建物が面白いということを聞いていたし、世界中のプリミティヴ・アートを集めた凄いところだとも聞いていたからだ。
 鉄筋コンクリート製のその建物は、カヌーのような細長い舟を巨大化した、その脇腹のいたるところに箱型の展示室が突き出しているといった現代アート的なもので、その奇抜さにすっかり驚いてしまった。外壁に植物を植え込んだ「生きている壁」の建物も十分に独創的だった。


ケ・ブランリーの展示室と生きている壁

しかし本当に驚いたのはその展示内容である。そこに無数の民族資料が展示されている。世界中の装飾品や壺、仮面や狩猟の武器、トーテム・ポールや石像など、写真でも見たことがないものが整理され、解説付きで展示されている。プリミティヴ・アートというよりは世界の民族に関わる全てのものがそこにはあった。
 私は彫刻の人物像にキュビズムの原型のようなものを感じ取ったし、異様に縦に引き延ばされた人形には、ジャコメッティの彫刻の原型を見る思いがした。ルーブルより、オルセーより、ポンピドーよりずっと面白かった。
 ところでケ・ブランリーはエッフェル塔の足下に位置しているのであった。5分も歩けば塔の真下まで行ける。行ってみることにした。エッフェル塔を見上げた時、私はそれが思っていたよりずっと美しくて、上品なたたずまいだったことに驚いたのだった。それまでの先入観は吹っ飛んでしまった。
 今、自分で撮った写真を見ても、脚部のアーチはノートル=ダム大聖堂の扉口を思わせるし、アーチを構成している部分の透かし彫りは、大きさの違いは無視できないにしてもバラ窓の外側に似ている。その上に見える先端の丸くなった長方形はステンドグラスの窓の外部にそっくりだし、第1展望台の四角い窓の連なりはノートル=ダムの王のギャラリーを思わせる。また細かな装飾部分も大聖堂の装飾彫刻にそっくりなのである。


エッフェル塔を見上げる

 ロラン・バルトは『エッフェル塔』で、次のように書いているのであった。

「コクトーはかつて、エッフェル塔を称して、左岸のノートルダム寺院だと言った。実際、パリの大聖堂であるノートルダム寺院は、パリの数多くの記念碑の中でもっとも高い建物ではないにもかかわらず、エッフェル塔とともに、一つの象徴的なカップル(中略)を形成している。エッフェル塔とノートルダム寺院は、過去(中世はいつも、ぶ厚い時間の層を描いている)と現在の対立をこえて、さらには、この世界と同じぐらい古い石と現代性の表徴である金属との対立をこえて結びつけられた象徴である。」

 またしても読まなければならない本が増えていくが、酒井が言っていることがそれほど奇矯なことではないということを、バルトの文章は証し立てている。
 確かにその昇高性と無用性(建造当初は電波塔として使われていたわけでもなく、まったく無用の長物であった)において、エッフェル塔とノートル=ダム大聖堂は共通点を持っている。昇高性については言うまでもないだろう。無用性については、革命によって破壊され荒廃のまま放置されていた大聖堂は過去の遺物であり、無用の長物でもあったということが言える。