玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(16)

2019年01月28日 | ゴシック論

●ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』①
ヴィクトル・ユゴーは小説『ノートル=ダム・ド・パリ』の決定版覚え書きに、「諸芸術の王である建築術の死」を前にした所感を述べている(〝建築術の死〟については後述)。

「だが、将来の建築がどうなるにせよ、我が国の青年芸術家たちが、彼らの芸術の問題を将来どんなふうに解決するにせよ、とにかく、これからつくられる新しい記念建造物を待ちうける一方、昔からある記念建造物をもまた大切に保存していこうではないか。できれば、民族生粋の建築を愛する精神を、フランス国民の胸に吹き込もうではないか。はっきり申しあげるが、これこそ、この本を書いた目的の一つであり、私の一生の主な目的の一つでもあるのだ。」

 事実このユゴーの歴史的建造物保存への熱意が、パリのノートル=ダム大聖堂修復事業へとつながり、ヴィオレ・ル・デュックによる修復が20年後には完成することになるわけだから、この小説のもたらした社会的影響には計り知れないものがある。
 この小説がなければ、パリのノートル=ダムがエッフェル塔と並ぶ観光地として、世界中から観光客を集めることもなかっただろうし、私がパリで10日間過ごしたことの意味もはるかに小さなものになっていただろうことは確かである。
ユゴーは『ノートル=ダム・ド・パリ』の第3編で、大聖堂の歴史とパリの街それ自体の歴史について2つの章を費やしているし、さらには第5編の「これがあれを滅ぼすだろう」の章で、建築術と印刷術の歴史についての考察を行っている。これらの章は『ノートル=ダム・ド・パリ』の」小説のストーリー展開に直接寄与するものではないが、覚え書きの言葉が真正のものであったことを証拠立てている。
「建築としてのゴシック」というタイトルを付けた以上、この小説についても建築的な側面から考察するのでなければならないが、第3編と第5編の第2章は後回しにして、まず小説としての『ノートル=ダム・ド・パリ』について先に考えてみることにしたい。まずこの小説がゴシック・リヴァイヴァルの流れの中にあるものだとしたならば、それをゴシック小説として捉えてみることも無駄ではないだろう。
 この小説を読んで最初に思ったのは、M・G・ルイスの『マンク』の影響である。まず『マンク』に登場する修道士アンブロシオと、この小説のノートル=ダムの司教補佐クロード・フロロの類縁性を言わなければならない。アンブロシオもフロロも聖職にありながら若い女性の肉体に異常な情欲を燃やす悪徳の化身である。
 それだけではなく、彼らの邪悪な欲望が小説の基本的なプロットを廻す大きな要素となっているところにも共通性がある。一方はスペイン、もう一方はフランスではあるが、その背景にはキリスト教=カトリックの腐敗した教会権力があり、どちらの作品にもそうしたものに対する糾弾の姿勢が見られるのである。
 もう一つは純真な若い女性の受難という、これまたゴシック小説によく見られるテーマの共通性である。『マンク』に登場する主要な女性アントニアとアグネスはアンブロシオの魔の手ばかりでなく、いくつもの理不尽な悲惨な境遇を体験し、アントニアの方は兄であるアンブロシオに犯されて死んでしまう。『ノートル=ダム・ド・パリ』の女主人公、ジプシー娘でありながら純情な心を持ち続けるエスメラルダの方は、クロード・フロロの執拗な求愛に苦しみ最後はその純情があだとなって、フロロの犯した殺人の罪を被せられて破滅する。
 さらに教会への民衆による襲撃の場面を大団円に持ってきていることも共通点になる。『マンク』では主人公ロレンゾの妹アグネスが幽閉された尼僧院を、尼僧院長を糾弾する暴徒が襲撃し、それによってアグネスは救出される。『ノートル=ダム・ド・パリ』では、カジモドによって匿われたエスメラルダを救出するために、ジプシーの仲間がノートル=ダムを一斉襲撃する。ただし、エスメラルダがそれによって救われることにはならないが。
 またゴシック小説特有の閉鎖空間も二つの小説は完備している。『マンク』の場合にはアントニアが幽閉される修道院と、アグネスが幽閉される尼僧院がそれであり、『ノートル=ダム・ド・パリ』の場合には、エスメラルダが匿われるノートル=ダムそのものである。ただし、エスメラルダは幽閉されるわけではなく、そこはカジモドによって「避難所だ!」とされるのだが……。

ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』(2016、岩波文庫)辻昶、松下和則訳