豊臣秀吉の側室「淀君」菩提寺である養源院(ようげんいん)です。
豊臣家側室「淀君」がまつられているにもかかわらず、ここは徳川家の菩提所だそうです。
ここは淀君が、父浅井長政の追悼のため、長政法号「養源院」をとって寺名として建立しました。その後、淀君の妹君である、徳川二代将軍秀忠の正室崇源院(すうげんいん)により再興されたため、以来徳川家の菩提所となったのだそうです。
また、ここには江戸末期鳥羽伏見の戦いで伏見城にて自刃した徳川家武将の、遺骸の出血による板の間に残された文様を、そのまま天井に利用したため、血天井と呼ばれてるところが保存されています。
さらにこの源養院には、俵屋宗達の筆になる重文の杉戸絵が何点か保存されています。これらはすべて、現在特別公開されています。
写真は、入り口を撮ったものですが、満開の桜をイメージしながらご覧ください。そのうち本物の桜も見てみたいものです。
豊臣家側室「淀君」がまつられているにもかかわらず、ここは徳川家の菩提所だそうです。
ここは淀君が、父浅井長政の追悼のため、長政法号「養源院」をとって寺名として建立しました。その後、淀君の妹君である、徳川二代将軍秀忠の正室崇源院(すうげんいん)により再興されたため、以来徳川家の菩提所となったのだそうです。
また、ここには江戸末期鳥羽伏見の戦いで伏見城にて自刃した徳川家武将の、遺骸の出血による板の間に残された文様を、そのまま天井に利用したため、血天井と呼ばれてるところが保存されています。
さらにこの源養院には、俵屋宗達の筆になる重文の杉戸絵が何点か保存されています。これらはすべて、現在特別公開されています。
写真は、入り口を撮ったものですが、満開の桜をイメージしながらご覧ください。そのうち本物の桜も見てみたいものです。