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社民党が「リベラル」?

2013-02-12 00:58:00 | 現代日本政治
  1月25日付け朝日新聞デジタルの記事より。

さらば三宅坂 社民本部あす移転、会館解体へ 党の盛衰と共に半世紀

 社民党本部は26日、国会近くの「社会文化会館」から首相官邸裏の民間ビルに引っ越す。老朽化で会館が使用できなくなるためだ。一時は「リベラルの聖地を守ろう」と改築の動きもあったが、資金難で見送られた。新たな党本部の広さは現在の10分の1。老舗の護憲政党は存続の岐路に立つ。

 「ここで常任幹事会を開くのも最後。心新たにし、リベラル・護憲勢力の要として頑張っていきたい」。福島瑞穂党首は24日の常任幹事会であいさつし、さみしさをにじませた。


 社民党はいつから「リベラル」になったのか。

 「リベラルという語は時と場合によってさまざまな意味合いで用いられるので、明確な定義をすることが難しいが、近年のわが国においては、もっぱら、体制内での穏健改革派といった意味合いで、また、国家主義的、歴史修正主義的な動きを牽制する勢力といった意味合いで、用いられているように思う。
 例えば、河野洋平や加藤紘一は、典型的なリベラルだろう。
 『右でも左でもない政治―リベラルの旗』という著書(幻冬舎、2007年)のある中谷元・元防衛庁長官もリベラルだろう。
 谷垣禎一や古賀誠なんかもリベラルと言っていいのではないだろうか。

 古くは石橋湛山、芦田均、緒方竹虎、尾崎行雄などがリベラリストとの評価を受けている。

 民主党は、自民党に比べてリベラル寄りと見られるが、「保守」を自認する勢力も存在し、リベラルを正面から掲げてはいない。現在策定中の綱領に「リベラル」の語を入れることに賛否両論があると聞く。現代表の海江田万里はかつてリベラルを自認していたと記憶している。生方幸夫や岡崎トミ子らの「リベラルの会」というグループもあるが、いわゆるリベラルとはやや毛色が異なるように思う。

 対するに、社民党は、その名のとおり社会民主主義の政党だろう。
 現在、社民党のホームページには「社民党は、社会民主主義を掲げている政党です。」として、2006年の第10回全国大会で採択された「社会民主党宣言」が掲載されている。
 その宣言のどこにも「リベラル」の文字はない。

 社会民主主義という語は、これも時と場合によってその意味するところは変わるが、大きく言って、社会主義の一派だろう。
 社会主義の一派であるマルクス・レーニン主義がロシア革命によってソ連として結実したのに対して、そのような暴力革命によらず、代議制に基づいて社会の漸進的な改良を図る立場を指すのだろう。
 政策や主張がリベラルと社会民主主義とで似通ったものになるということはあるだろう。しかし、本質的には拠って立つ基盤が異なるのではないか。

 そして、社会党が社会民主主義を正面から唱えるようになったのは1980年代の末期のことにすぎない。それ以前には、マルクス・レーニン主義を奉じる左派が優勢であった。右派の有力者であった江田三郎は、朝日の記事で触れられているようにこの社会文化会館の建設に尽力したにもかかわらず、党内抗争に敗れて党を去った。
 石橋委員長時代の1986年に「新宣言」で革命路線からの脱却を図ったが、階級政党か国民政党かという問いには答えず「国民の党」とするなど、なお曖昧なものであった。
 1980年代末期の土井ブームに合わせて、社会党はようやく社会民主主義を前面に押し出した。かつての左派の理論家が、これからは社会民主主義の時代だと臆面もなく説いた。しかし社会党は党勢を伸ばすことはできず、やがて日本新党のような新興勢力や新生党、新党さきがけといった自民党離党派に押され、衰退した。 
 にわかに看板を掛け替えただけの旧勢力だと見抜かれていたからだろう。

 朝日の記事には、会館の1階入り口にある浅沼稲次郎・元社会党委員長の胸像の写真が掲載されている。

 浅沼と言えば、社会党委員長に就任する前年の1959年に訪中した際に、「米帝国主義は日中共同の敵」と演説したことで知られる。
 東京大学東洋文化研究所の田中明彦研究室のサイトから一部を引用する。

 今日世界の情勢をみますならば,二年前私ども使節団が中国を訪問した一九五七年四月以後の世界の情勢は変化をいたしました。毛沢東先生はこれを,東風が西風を圧倒しているという適切な言葉で表現されていますが,いまではこの言葉は中国のみでなく世界的な言葉になっています。

〔中略〕

中国の一部である台湾にはアメリカの軍事基地があり,そしてわが日本の本土と沖縄においてもアメリカの軍事基地があります。しかも,これがしだいに大小の核兵器でかためられようとしているのであります。日中両国民はこの点において,アジアにおける核非武装をかちとり外国の軍事基地の撤廃をたたかいとるという共通の重大な課題をもっているわけであります。台湾は中国の一部であり,沖縄は日本の一部であります。それにもかかわらずそれぞれの本土から分離されているのはアメリカ帝国主義のためであります。アメリカ帝国主義についておたがいは共同の敵とみなしてたたかわなければならないと思います。。(拍手)


 「米帝国主義」などという言葉を用いる者が何でリベラルなものか。

 
 最後に申し上げたいと思いますことは,一昨年中国にまいりましたさいに毛沢東先生におあいいたしまして,そのときに先生にこういうことをいわれたのであります。中国はいまや国内の矛盾を解決する,すなわち資本主義の矛盾,階級闘争も解決し,帝国主義の矛盾,戦争も解決し,封建制度の矛盾,人間と人間の争い,これを解決して社会主義に一路邁進している,すなわちいまや中国においては六億八千万の国民が一致団結をして大自然との闘争をやっているんだということをいわれたのであります。私はこれに感激をおぼえて帰りました。今回中国へまいりまして,この自然との争いの中で勝利をもとめつつある中国人民の姿をみまして本当に敬服しているしだいであります。

〔中略〕

 人間本然の姿は人間と人間が争う姿ではないと思います。階級と階級が争う姿ではないと思います。また民族と民族が争って血を流すことでもないと思います。人間はこれらの問題を一日も早く解決をして,一切の力を動員して大自然と闘争するところに人間本然の姿があると思うのであります。このたたかいは社会主義の実行なくしてはおこないえません。中国はいまや一切の矛盾を解決して大自然に争いを集中しております。ここに社会主義国家前進の姿を思うことができるのであります。このたたかいに勝利を念願してやみません。(拍手)われわれ社会党もまた日本国内において資本主義とたたかい帝国主義とたたかって資本主義の矛盾,帝国主義の矛盾を克服して国内矛盾を解決し次には一切の矛盾を解決し,つぎに一切の力を自然との争いに動員して人類幸福のためにたたかいぬく決意をかためるものであります。(拍手)


 わが国においても毛沢東流に資本主義の矛盾を解決して社会主義を前進させようと説く浅沼が、何でリベラルなものか。

 その浅沼は、戦中期には親軍派の代議士であった。以前にも取り上げたことがあるが、朝日新聞論説委員を務めた熊倉正弥は『言論統制下の記者』(朝日文庫、1988)で、松平恒雄(1877-1949)が初代参議院議長(任1947-1949、在任中に死去)を務めていた頃のエピソードを紹介している。

社会党の浅沼稲次郎がはでに活躍して、新聞にも好意的な記事がよく出た。ある時、松平がふとこういうことを言った。「浅沼君も今はああやっているが、戦前の排英運動が盛んなころ、デモが私の家の前まで押しかけてどなったり石を投げこんだりした時には、タスキをかけてその先頭にいたもんですよ。無産党なんて、そんなもんでした」

 排英運動とは、日中戦争最中の1939年、抗日テロリストの引き渡しを天津の英租界が拒否したため日本軍が同租界を封鎖したことに端を発する国民的運動。抗日を続ける蒋介石らの重慶政府を支援していると見られた英国の大使館への抗議にとどまらず、宮内大臣を務めていた松平ら親英米派をも攻撃した。英米流の自由主義者を排撃し、独伊との枢軸を進めるという当時言うところの「革新」派による運動であった。
 そんなものに従事した浅沼が、何でリベラルなものか。
 そんな浅沼を殉教者として崇めてきた社会党、その後身の社民党が何でリベラルなものか。

 「三宅坂」は「リベラルの聖地」などではない。社会主義の聖地だったのだ。そして社会主義の凋落と共に彼らはその地を去らざるを得なくなったのだ。
 にわか社会民主主義者からさらににわかリベラルへと転身した社民党。しかし、彼らが「勢力の要」となることはこれまで同様、ないだろう。



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3 コメント

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no philosophy (noga)
2013-02-12 15:31:55
ひと・人により意見は違う。
だから、社会のことは政治的に決めなくてはならない。
議場では、誰かが相手に意見を譲ることになる。
この場合、小異を捨てて大同につく。
無哲学・能天気では、大同はない。
大同がなければ、小異にこだわらざるを得ない。
いつまでたっても‘議論は、まだまだ尽くされていない’ ということになる。
政治家は、結党と解党を繰り返して、離合集散を本分のようにしている。
政治哲学の無いところに、政治音痴は存在する。
‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考える習慣がないと、政治は迷走する。

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Re:no philosophy (深沢明人)
2013-02-12 23:18:46
nogaさんからは、何度か似たようなコメントをいただいていますが、それが記事の内容とどう関係するのかよくわかりませんし、コメントの内容自体にも興味を惹かれません。
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リベラルという言葉の使われ方 (遅レス)
2013-02-27 23:11:21
こんにちは。大いに頷きながら読ませて頂きました。

そもそも日本のマスコミが「変なリベラルの定義」「変な対立軸」を作っているとしか言いようがないです。
「リベラリズム=自由主義」の対義語はどう考えても「保守」でも「タカ派」でもなく、左右問わず「国家主義」「全体主義」ではないでしょうか?
古典的自由主義、その後のニューリベラル(日本的な意味でのリベラル)、さらにリバタリアニズムと様々な自由主義の形態はありますが、過去「朝鮮労働党」とも友党関係にあり、現在も国外の全体主義的な勢力に迎合し続ける社民党は、少なくともリベラルとは言えないですね。むしろ「価値観外交」を主張する安倍晋三の方がよっぽどリベラルです。
日本のマスコミには、リベラルvs「保守」「タカ派」という対立軸を作ることで、「憲法改正派」を何でもかんでも「軍国主義」「全体主義」=戦前回帰といったネガティブなイメージに、「護憲派」を「自由+平和主義+民主主義」というポジティブなイメージにしようという「恣意」が感じられてなりません。

そんなことやってる場合じゃないと思いますけどね。
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