(承前)
ところで、私はこの阿部の「たくさんのご意見をちょうだいして」を読んで、この人は当時神戸に行っていたのかと驚いた。
私は、最初に阿部のメルマガが問題になった時、
《実情をよく知らずに、うろ覚えの記憶を元に書いたのだろう。当時関東にいた人間の感覚とはこんなものかなとは思う。》
と書いたように、阿部が神戸に行っていたとは思わなかった。それは、阿部の前回のメルマガにそのような記述が一切なかったことに加え、阿部のホームページ上のプロフィールに、当時関東の病院に勤務していたとあったからだ。
と思って、プロフィールを確認してみると、
《1994年~1999年 大和徳洲会病院、千葉西総合病院、湘南鎌倉総合病院勤務。》
とある。
あれ? 「大和徳洲会病院」とはどこにある病院だろう? 奈良県?
私が前回見たときには、一目で関東とわかる病院しか載っていなかったはずだ。「大和徳洲会病院」ではどこの病院かわからないので調べるはずだが、そんな記憶はない。おかしい(検索したら、神奈川県の病院と判明)。
不思議に思っていたら、もあいさんの「おやじの独り言」というブログで、阿部のプロフィールが修正されていることがわかった。
《1994年~1999年 湘南鎌倉総合病院勤務。》
とあったのが、上記のように修正されているそうだ。
阿部は今回のメルマガの記事で、阪神大震災当日のことについて、
《この日、私自身は千葉県内の病院で小児科の仕事に追われながら、》
と書いているが、プロフィールにはその期間は湘南鎌倉総合病院勤務とあるので、矛盾を突かれるのをおそれて修正したのだろう。
この点について、もあいさんは、阿部は本当に神戸に行ったのかと疑問を呈している。
これで、もし行っていないということにでもなったらさらに大問題なので、おそらく行ったことは行ったのだろうとは思う。
しかし、ならば上記の経歴の修正は何なのか。何故最初は大和徳洲会病院と千葉西総合病院を伏せる必要があったのか。そして、矛盾しないようにするためには千葉西総合病院だけ出せばよいのに、何故大和徳洲会病院も出す必要があったのか。疑問は残る。
この件についてのまとめサイトがリンクしている、徳洲会の「徳洲会グループの阪神大震災における医療活動報告」によると、長田区で巡回診療を行ったとか、須磨区の大黒小学校に診療班が常駐したとあるが、阿部が挙げている「垂水病院」の名はない。
この報告者のグループとは別のグループに従事したのかもしれないが。
「垂水病院」を調べてみると、神戸市垂水区ではなく神戸市西区にこの名の病院がある。西区の中でもかなり北部、三木市に近いあたりにある。神戸ではかなりの奥地になる。しかも、神経科・精神科の病院だ。ここに医療チームが置かれたとは考えがたい。
と不審に思ったのだが、試しに阿部が勤務していた徳洲会系の病院が垂水区にないか調べてみると、まさに「神戸徳洲会病院」が垂水区にある。人口密集地だし、ここのことなら納得がいくが、この病院の人や地元の人は、ここを「垂水病院」と言うのかなあ?
阿部は、上記の大黒小学校に常駐したのかもしれない。
医療支援に従事していたのなら自衛隊の活動ぶりは知らないのかもしれないし、仮に知っていたとしても認めたくないのだろう。イデオロギーが全てに優先するのだろう。
ところで、私はこの阿部の「たくさんのご意見をちょうだいして」を読んで、この人は当時神戸に行っていたのかと驚いた。
私は、最初に阿部のメルマガが問題になった時、
《実情をよく知らずに、うろ覚えの記憶を元に書いたのだろう。当時関東にいた人間の感覚とはこんなものかなとは思う。》
と書いたように、阿部が神戸に行っていたとは思わなかった。それは、阿部の前回のメルマガにそのような記述が一切なかったことに加え、阿部のホームページ上のプロフィールに、当時関東の病院に勤務していたとあったからだ。
と思って、プロフィールを確認してみると、
《1994年~1999年 大和徳洲会病院、千葉西総合病院、湘南鎌倉総合病院勤務。》
とある。
あれ? 「大和徳洲会病院」とはどこにある病院だろう? 奈良県?
私が前回見たときには、一目で関東とわかる病院しか載っていなかったはずだ。「大和徳洲会病院」ではどこの病院かわからないので調べるはずだが、そんな記憶はない。おかしい(検索したら、神奈川県の病院と判明)。
不思議に思っていたら、もあいさんの「おやじの独り言」というブログで、阿部のプロフィールが修正されていることがわかった。
《1994年~1999年 湘南鎌倉総合病院勤務。》
とあったのが、上記のように修正されているそうだ。
阿部は今回のメルマガの記事で、阪神大震災当日のことについて、
《この日、私自身は千葉県内の病院で小児科の仕事に追われながら、》
と書いているが、プロフィールにはその期間は湘南鎌倉総合病院勤務とあるので、矛盾を突かれるのをおそれて修正したのだろう。
この点について、もあいさんは、阿部は本当に神戸に行ったのかと疑問を呈している。
これで、もし行っていないということにでもなったらさらに大問題なので、おそらく行ったことは行ったのだろうとは思う。
しかし、ならば上記の経歴の修正は何なのか。何故最初は大和徳洲会病院と千葉西総合病院を伏せる必要があったのか。そして、矛盾しないようにするためには千葉西総合病院だけ出せばよいのに、何故大和徳洲会病院も出す必要があったのか。疑問は残る。
この件についてのまとめサイトがリンクしている、徳洲会の「徳洲会グループの阪神大震災における医療活動報告」によると、長田区で巡回診療を行ったとか、須磨区の大黒小学校に診療班が常駐したとあるが、阿部が挙げている「垂水病院」の名はない。
この報告者のグループとは別のグループに従事したのかもしれないが。
「垂水病院」を調べてみると、神戸市垂水区ではなく神戸市西区にこの名の病院がある。西区の中でもかなり北部、三木市に近いあたりにある。神戸ではかなりの奥地になる。しかも、神経科・精神科の病院だ。ここに医療チームが置かれたとは考えがたい。
と不審に思ったのだが、試しに阿部が勤務していた徳洲会系の病院が垂水区にないか調べてみると、まさに「神戸徳洲会病院」が垂水区にある。人口密集地だし、ここのことなら納得がいくが、この病院の人や地元の人は、ここを「垂水病院」と言うのかなあ?
阿部は、上記の大黒小学校に常駐したのかもしれない。
医療支援に従事していたのなら自衛隊の活動ぶりは知らないのかもしれないし、仮に知っていたとしても認めたくないのだろう。イデオロギーが全てに優先するのだろう。
阪神大震災では、私も被災しました。
とはいえ、被災地としては周縁部でしたので、それほどひどい被害はなく、電気・ガス・水道なども数日で復旧したように記憶しています。
単身でしたのでしばらく食糧の確保に往生しましたが、それも鉄道で買い出しに行くこともできましたし。
幸い、知人が亡くなることもありませんでした。
それでも、正直あまり思い出したくない記憶ではあります。
>ですから、阿部さんの発言は意図的に耳を塞いだとしか思えません。
>もっとも、自衛隊が震災で大変役にたったとは思えません。
しかし、それは、自衛官のせいではなく、自衛隊の装備や法制に問題があったのだと思います。
>イデオロギー大いに結構。
しかし、公人として発言するからには、やはり、きちんと調べて発言して欲しいです。
おっしゃるとおりだと思います。
そもそも、多くの方が指摘しているとおり、自衛隊の出動の遅れを批判するのなら、当時の村山首相の責任も当然問われてくるはずなのに、その点に思い至らない、あるいは無視してもスルーされるだろうと考えたという時点で、あまりにも軽率なふるまいだったと思います。
結局その点についての謝罪はありませんし。
今後ともよろしくお願いします。
はじめまして。ひょんなことから貴ブログを知ることになり、その後折りに触れ拝見しています。
最初にお話しておきますと、私は、当時西宮市の仁川という場所で被災しました。
とは言え、中学~大学と神戸市東灘区にて暮らしましたので、知人を多くなくしました。
(中には、震災の数時間前に一緒に飲んだ友人が亡くなり、生命のはかなさを感じました。)
さて、件の阿部氏の発言ですが、非常に腹ただしく感じています。
当初自衛隊は、陸路が使えず、ヘリによる輸送が中心でしたし、活動の中心は西宮~神戸市中東部が中心でした。
阿部氏が救助活動をした垂水地区は他の地域に比べると被害は多少マシでした。
ですから、自衛隊の活動を間近で目にすることがなかったと思います。
それでも、テレビ中継では、東灘区の小学校(本山第三小学校や第二小学校など。ちなみに僕の弟はここで避難生活を送りました。)
の校庭に張られた自衛隊の暗緑色のテントを延々映しましたし、空を飛ぶ無数のヘリも目撃しているはずです。
その気になれば、いくらでも自衛隊の活動を知りえる立場にあったはずです。
また、当時は、携帯電話がほとんど機能せず、医療機関の通信は、無線に頼っていました。
危険地域での救助をする自衛隊からのコールはひっきりなしに入っていたはずです。
加えて、自衛隊は普通科などの戦闘部隊だけでなく、防衛医大や各地の救護部隊も派遣されていました。
医療従事者として、彼らと連絡を取ることもあったはずです。
ですから、阿部さんの発言は意図的に耳を塞いだとしか思えません。
阿部さんが神戸で救助活動に献身されたのは事実だと思います。
何せあの猛烈医師 徳田さんの下で働かれていたのですから。
しかし、無数の自衛官も同時に懸命にがんばっていたことは間違いないです。
危険な場所で遺体を堀り、糧食を渡し、テントを設置し、、、
事情を知らない人から出動の遅さをなじられても黙って仕事をしていたのです。
もっとも、自衛隊が震災で大変役にたったとは思えません。
しかし、それは、自衛官のせいではなく、自衛隊の装備や法制に問題があったのだと思います。
イデオロギー大いに結構。
しかし、公人として発言するからには、やはり、きちんと調べて発言して欲しいです。
そして、無数の自衛官が歯を食いしばって救助活動にいそしんだことを知って欲しいです。
ついつい感情に任せて長い文を書きました。乱文どうぞご容赦願います。
貴ブログは、何がきっかけだったかもう忘れましたが、以前から読ませていただいておりました。
今後ともよろしくお願いします。
以前もご紹介いただきながら、ご連絡が遅れましてすみません。
阿部さんの神戸での救援活動そのものは事実であると思うのですが、しかし、残された記録からすると。。。
『あんた、もうちょっとしっかりしてよ』
ってな感じですね・・・(^^;)
この件に関して『無知は罪なのか?』と、書かれている方を見かけたのですが、国会議員という立場の方については、『無知は罪』と言わざるを得ないのかと思います。