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政権交代の効用

2012-07-24 22:42:47 | 現代日本政治
 10日付朝日新聞朝刊は、野田首相が集団的自衛権の憲法解釈について「政府内での議論も詰めていきたい」と述べたことを1面トップで報じた。

集団的自衛権の解釈見直し
首相「政府内で議論」

 野田佳彦首相は9日の衆院予算委員会で、政府が行使を禁じている集団的自衛権について「政府内での議論も詰めていきたい」と述べ、憲法解釈の見直しを検討する意向を表明した。野田政権の有識者会議「フロンティア分科会」が憲法解釈の変更を提言したことを踏まえた発言だ。ただ、民主党内には慎重論も強く、合意形成は難しそうだ。

自民と協議 意欲

 分科会は集団的自衛権について「解釈などの見直しを通じ安全保障協力手段の拡充を図るべきだ」と6日に提言。首相は就任後は「解釈を変えないが議論はあっていい」と述べるにとどめていたが、この日の答弁では「解釈見直しの提言もあった。政府内での議論も詰めていきたいと考えている」と述べた。

 集団的自衛権の行使容認は首相の持論で、就任前の2009年の著書では「この問題をクリアしない限り自衛隊を海外に出す話などしてはいけない」と主張。分科会関係者は「首相の考えを踏まえて議論し、提言ができた」としている。

 ただ、民主党内には自衛隊の海外活動の拡大に慎重な勢力もあるうえ、低支持率の野田内閣が集団的自衛権の解釈変更に踏み込むのは難しい状況だ。藤村官房長官は9日の会見で、分科会の上部機関に当たる国家戦略会議での取り扱いについて「一つを取り上げてどうということはまったくない」と慎重姿勢を示した。
 また、首相は9日の答弁で消費増税法案での自民党との修正合意を評価した上で「先延ばしにしていたテーマで結論を出せるようにすることは国民にとってプラスだ」と強調。「憲法も含めそういう姿勢で臨んでいくべきではないか」と述べ、改憲を掲げる自民党との協議に意欲を示した。


 さらに、11日の政治面には、「首相、強める保守色」との見出しで、集団的自衛権の解釈見直しのほか尖閣諸島の国有化、武器輸出3原則の見直し、PKOでの武器使用基準の緩和についても自民党の政策を後追いしている、しかし寄り合い所帯の民主党にとって外交・安保政策での強硬姿勢が党の結束のプラスに働くとは限らないとする記事が掲載されている

 朝日が挙げる自民党と野田政権の諸政策――集団的自衛権の解釈見直し、尖閣諸島の国有化、武器輸出3原則の見直し、PKOでの武器使用基準の緩和――は、別に「強硬姿勢」とは言えないし、「保守色」とも言えないように思うが。
 これらは本来、保守と革新、あるいは保守とリベラルという対立軸とは関係ないはずだが、こういった政策に「保守」のレッテルを貼り危険視するのが相変わらずの朝日流。
(ちなみに、記事中に「保守色」との表現はない)

 古くは単独講和や安保改定、後にはPKO協力法や有事法制など、外交・安保政策で朝日が否定的に報じるならは、だいたい肯定的に見るべきものと考えて間違いはない。

 この野田の答弁を受けてか、大阪市の橋下徹市長は10日、これまでの政権批判から一転して「野田首相はすごい。税を上げて、社会保障の議論もしていく。確実に『決める政治』をしている」「民主党の支持率は急回復すると思う」と評価するとともに「首相の考えに近い自民党の中堅、若手がいっぱいいる。このまま進めば新しいグループができて、ものすごい支持率が上がると思う」と政界再編を期待したと伝えられ、その豹変ぶりが注目された。
 私は消費税増税にも大飯再稼働にも賛成なので、そうした点からの橋下の政権批判には同意しないが、今回の高評価はわかる気がする。
 民主党の支持率が急回復するとはとても思えないが、政界再編には期待したい。

 55年体制の下、野党第1党の社会党は自衛隊は違憲であるとし非武装中立論を唱え、日米安保体制にも反対であった。それは1993年、細川内閣の連立与党として久々に(自衛隊発足後は初めて)政権に参加しても、変わることはなかった。
 社会党が明確に自衛隊は合憲であると認め、日米安保も容認したのは、自党の党首が首班となった村山内閣が成立してからのことであった。
 社会党は、日本新党や新進党といった新興勢力に対抗できず議席を減らし、党刷新も実行できないまま、1996年に社会民主党に改称したが、同年の衆院選に際し鳩山由紀夫と菅直人が主導して結成された民主党に約半数の議員が移った。
 民主党は、新進党解党後の勢力を吸収するなどして拡大し、2009年にはついに政権交代を実現させたが、横路孝弘をはじめとする社会党出身者が非武装中立論や自衛隊違憲論、日米安保否定論に回帰することはなかった。

 一方、民主党に加わらなかった議員が残った社民党は少数政党に転落し、やがて自民党との連立を解消した。そして非武装中立論や自衛隊違憲論、日米安保否定論に回帰したが、もはやその主張が国民の多数から顧みられることはなかった。
 2009年の政権交代では連立与党の一角を占めたものの、翌年には鳩山内閣の「最低でも県外」の公約が実行されなかったとして政権を離脱した。

 誰だったか忘れてしまったが、ある長老政治家が、野党の仕事とは、とにかく何が何でも与党から政権を奪うこと、それだけに尽きるという意味のことを若手議員に語ったというエピソードを記憶している。
 民主党はその教えに忠実に従い、ついに政権を奪取した。
 その主張の中には、いわゆる反対のための反対もあったことだろう。自民党の看板政策(郵政民営化)であるから、あるいは自民党政権下で批判的に論じられた(後期高齢者医療制度)からといった理由で、反対することになったものもあるだろう。

 しかし、いざ政権を担ってみると、できることは限られており、単純な反対論だけではどうにもならないことがわかってくる。
 だから、仮に民主党が次の総選挙で下野したとしても、もう単純な全面対決の姿勢に回帰することはできない。

 そういう事態になってこそ、改憲のための3分の2のハードルをクリアできるのではないか。
 逆に言えば、そうでもならない限り、3分の2をクリアすることなどできっこない。

 政権交代の効用と言えるだろう。


(関連過去記事 民主党政権は安保政策の見直しに踏み込め


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