徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

四つ橋線延伸計画と阪急新大阪ビル

2007年11月10日 10時13分48秒 | 鉄道のよもやま話

2007年2月22日付けの当ブログ阪急新大阪駅実現か?という記事を載せましたが、2007年7月9日に阪急が新大阪駅の阪急所有地に阪急新大阪ビルの建設を発表しました。

それに寄りますと、新幹線新大阪駅の北部にバスターミナルを設け、ホテル、店舗、などが入る玄関口に相応しいビル2011年をメドに建設するものです。

 

そこで、同時に考えられるのが、地下鉄四ツ橋線を延伸して、十三を経由して新大阪駅にいたる路線の計画との兼ね合いがどうなるのかです。

阪急の新大阪ビルの建設開発計画には、新路線も同時に検討してゆくとしており、JR東海とも利用者の利便性も考慮して駅施設を総合的に協力してゆくとしています。
JR東海は、新大阪駅に引込み線2線~4線を増設して27番ホームを増設する計画があります。

      

それより以前の2006年12月8日には、阪急電鉄、大阪市、国土交通省が都市鉄道等利便増進法に基づいて、四つ橋線を延伸して十三から新大阪までの路線に関する原案を決め、2015年に開通すると計画されています。

これらを総合して考えると、この路線の開通北ヤード開発新大阪駅開発と連携してゆかなくてはならず、まだまだ実現に向けては、紆余曲折があるものと考えられます。
しかし、阪急新大阪ビル建設がこの広大なプロジェクトの開始となるものと期待したいものです。


「換気」を忘れずに・・・・・

2007年11月09日 09時29分14秒 | 今日は、何の日

早いもので、昨日は立冬で、いよいよ秋が深まってきました。
そして、昨日から神戸市の県民会館前のプロムナード「鈴懸の径絵画展」が開催され、早速見に行ってきました。
戸外での展示で、125点の作品がズラリと並び、青空の下「兵庫の風物を描く」をテーマに様々な景色が勢ぞろいしていました。

       
         手前が、僕の作品です。

1963年の今日の日は、1日で大きな事故が2件発生しています。
15時過ぎには、大牟田の三池炭鉱で爆発事故が、同じ日の21時過ぎには鶴見駅で電車の衝突事故が発生し、多数の死者、負傷者を出しています。

三池炭鉱の事故では、死者458名、839名が一酸化炭素中毒に罹り、鶴見駅での衝突事故では、死者161名で出ています。
それ以降もガス爆発や坑内火災などが夕張や福岡で発生しています。
が、まだ沢山の石炭が埋蔵されているそうですが、経営難から現在の日本では全ての鉱山が閉鎖されているようです。

  

そして、この日に事故があったからではないのですが、今日11月9日は、119番の日」でもあります。
消防署に直接電話が架かるようになったのは昭和元年で、その当時は112番だったそうです。
それまでは、電話交換手が、消防署に電話を繋いでいたようです。

また、11月9日は、い(1)い(1)空気(9)の語呂あわせで、「換気の日」でもあります。
1987年に日本電気工業会が制定しました。
ガス給湯器での一酸化炭素中毒で死者が出たの記憶に新しいのですが、これからの季節、特に最近の家は、密封性があり、小まめに換気が必要です。

事故は油断から、忘れた頃にやってくることを常日頃、考えておかないといけないのです。

余談ですが、トイレの芳香剤は、殆どが化学物質で使いすぎると身体に良くないそうです。
芳香剤は、臭いを消しているのではなく、より強い臭いで誤魔化しているに過ぎないそうです。
「寒気」があるからと言って「換気」を忘れないように・・・・・


秋の大和路ー薬師寺その2-

2007年11月08日 08時27分44秒 | 旅行・観光

今年も猛暑の影響でしょうか、まだ紅葉にはチト早いようです。
唐招提寺から薬師寺までの道のりも、秋とは名ばかりで、天気が良かった性もあるのでしょう、汗ばむほどでした。

  

唐招提寺が静とするなら、薬師寺は動です。
唐招提寺には、静寂のなかに尊厳さのようなものがあったのですが、薬師寺は再建されて間がない性か全てに派手やかで、伽藍の豪華さ、煌びやかく感じました。
しかし、中の薬師如来、月光菩薩、日光菩薩の薬師三尊像の凛とした顔立ちを見ると遠く奈良時代からの威風のようなものを感じました。

薬師如来は、またの名を医王如来ともいって、病の仏様だそうです。
死という人間の一番恐ろしいものを招くのも病気なら、不平不満をいうのも、欲が深くて疑い深いのも皆病気なのです。

        

白鳳伽藍の北側には、玄奨三蔵伽藍があります。
玄奨三蔵とは、「西遊記」のモデルとなった中国唐時代の僧侶の名前です。
その玄奨伽藍の北側に、大唐西域壁画殿があり、その中には平山郁夫画伯が30年の歳月をかけた壁画を見ることが出来ます。
この壁画は、玄奨三蔵の精神を描いたもので、その雄大さに圧倒されました。

  

  

 


秋の大和路ー薬師寺その1ー

2007年11月07日 09時01分24秒 | 旅行・観光

唐招提寺と薬師寺はどちらが先に建てられたのでしょうか?

唐招提寺が759年
に天武天皇の皇子新田部親王の旧邸地を賜ってこの地に建てられましたが、薬師寺は、697年に持統天皇によって飛鳥の地で本尊開眼し、平城遷都の718年にこの地に移されました。

 

と言うことは、薬師寺の方が40年ほど早く建立されたことになります。
しかし、室町時代に火災によって東塔を残してほとんどが焼失してしまいました。
昭和51年(1976年)に金堂が、昭和56年に西塔が、昭和59年に中門が、そして平成10年(1998年)に世界文化遺産に登録され、平成15年に大講堂が落慶されました。
つまり、薬師寺の建立は古いのですが、ほとんどの建物は、昭和以降に建てられて新しい建物なのです。
ただし、東塔は、白鳳時代のままの姿で国宝です。
東院堂は、鎌倉時代(1285年)に建立された国宝です。

  
    金堂                     大講堂

そしてまた、中に祀ってある薬師如来や月光、日光菩薩の薬師三尊像も、白鳳時代のもので国宝に指定されています。

  
    一見六重に見えますが、実際は三重の塔です。
 


秋の大和路ー唐招提寺その2-

2007年11月06日 09時51分29秒 | 旅行・観光

唐招提寺は、唐の国から来朝した鑑真和上招提仏教では寺院、寺の意で、仏の元で修行する人達の場)という意味で、我が国最初の律寺で今も南都六宗の一つで律宗総本山だそうです。

  南大門

隣接する薬師寺は、東西の塔がありますが、この唐招提寺にも創建当時は、東西の五重の塔があったそうです。
金堂の大修理の見学客は、南大門で入場制限を行なっていました。
その南大門をくぐると目の前に、工場かと思わせる大きな覆屋根が見えます。
ここが、金堂の修理されている建物で、このまま工場として使えるほど丈夫に出来ています。

  

金堂の修理されている3階から下を見れば宝蔵、経蔵が見えます。
これらの2棟も国宝です。

金堂の奥には講堂があり、この建物は和上の創立に際して、宮廷から平城京の東朝集殿を賜って移築されたものです。
この建物をもって当時の宮殿の片鱗がうかがい知ることが出来ます。

  

これらの建物が、ギリシャの神殿やインドの古塔を模したとされています。
境内を一回りして、思った以上に古の人の方が世界に目を向けていたようです。
現代の人の狭い料簡が、恥ずかしく思いながら、次の薬師寺に向かいました。


秋の大和路ー唐招提寺その1-

2007年11月05日 09時03分20秒 | 旅行・観光

昨日は、唐招提寺・薬師寺を巡ってきました。
携帯電話から、当ブログに動画のメールをしましたが、今日はその内容について書いてみます。

今、唐招提寺の金堂は、平成の大修理を行なっており、その工事現場を間近に見れるのが、4日までであると報道され、慌てて出掛けました。

唐招提寺は、聖武天皇・孝謙天皇の御願を受けた唐の高僧・鑑真大和人により、1200年以上前の天平3年(759年)に創建されました。

   

かの「天平の甍(いらか)」の呼び名で親しまれている金堂(国宝)は、過去4度の修理(鎌倉時代に2度、江戸時代、明治時代)を経てきましたが、平成7年の大震災の後に実施された調査で修理の必要があるとの結論から平成12年より大修理に着手されているものです。
平成21年(2009年)秋に、落慶法要
がいとなまれる予定です。

主な大修理の目的は、耐震性にあるようで、屋根に現在建築技術の粋を結集したものだそうです。

  
      補強の梁 (黒い部分)       補強の梁 模型(白い部分)

金堂を大屋根で覆い、その中で修理を行なっていますが、見学はその工事現場の中に入り、工事用の階段で3階まで上ると金堂の屋根が目の当たりに見ることが出来ます。
2階部分からは、金堂の屋根の下にある隅鬼も見ることが出来ました。

  
   3階からは、金堂の屋根が目線に  2階からは、梁の下の隅鬼が・・


「鈴懸の径絵画展」

2007年11月03日 08時33分25秒 | 芸術・水彩画

第22回「鈴懸の径絵画展」11月8日(木)から11日(日)まで開催されます。

僕の作品が「産経新聞社賞」に入選しました。
宝塚の清荒神での「おまいり」の様子を描いたもので、8月の僕の個展にも出展したものです。
この絵画展は「兵庫の風物を描く」をテーマにアマチュアを対象にした公募展です。

         
        「おまいり」(宝塚・清荒神)  F10号

「鈴懸の径絵画展」は、主催が兵庫県・兵庫県芸術文化協会・兵庫県教育委員会・兵庫県日本画家連盟などで、後援が兵庫県美術連盟・朝日新聞社・神戸新聞社・毎日新聞社・産経新聞社・NHK神戸放送局・サンテレビジョンなどの報道関係です。

会場は、下記兵庫県民会館前のプロムナードです。

  JR元町駅より北へ徒歩7分


なにしろ始めての出展ですので、戸外での絵画展がどのようなものになるのか、楽しみでもあります。
今回は、洋画・日本画の応募で125点あったようです。


変貌する大阪駅ーその4-

2007年11月02日 08時40分27秒 | 鉄道のよもやま話

昨日、述べました「なにわ筋線」の計画とは・・・・
なにわ筋の地下にJR線を通す計画があります。
まだ具体的ではありませんが、1989年の運輸政策審議会で、御堂筋線や梅田駅の混雑緩和や大阪の北部と南部を直結する都心貫通型ルートとして計画の推進が望まれていました。

大阪駅の地下からなにわ筋を通って玉江橋(京阪電鉄の中之島新線と連絡)を経由して、JR難波・汐見橋(南海電鉄)へと結ぶもので、現在、環状線を通っている特急はるかを通せば時間短縮も可能になります。

 では、なぜこの計画が進まないのでしょうか?
ネックになっているのは4000億とも言われている建設資金で、採算が出るのかどうかが疑問視され、ましてなにわ筋沿線の開発が遅れているということも大きな要因なようです。

汐見橋で南海電鉄と直結すれば、JR西日本と南海が相互乗り入れすることが出来るのですが、どうも南海電鉄があまり乗り気ではないようです
関西の私鉄で唯一地下路線を持っていない南海は、以前にも南海独自の大阪中心部乗り入れの計画をしながら断念した経緯もあり、もし、関西国際空港と京都が直結すれば、それでなくとも、JRの特急はるかに乗客を奪われている南海の特急ラビットの影が薄くなるのを懸念されているようです。

      四ツ橋線 延伸計画

これとは別に、地下鉄四ツ橋線の西梅田駅から北ヤードを通って、阪急神戸線と相互乗り入れして、神戸・難波間を結ぶ計画もあります。
阪急十三駅から新大阪を結ぶ計画もあり、実現すれば、難波から新大阪まで、神戸から難波まで直結され、神戸沿線の利便性は計り知れない効果が出るものと期待されています
なお、四ツ橋線と阪急の乗り入れ計画は2015年をめどに検討されています。
 詳細は、2007年2月22日付けの当ブログを参照してください。