本日、とても爽やかで晴れ渡った天気。
まるで好天気に誘われるようにして・・・いえいえ、上子カメの制服シャツを買う用事があったので・・・栃木市に行って来た。
で、買い物“ついで”の蔵の街散策。
ちなみに、買い物時間10分、散策時間3時間強。
(^∇^) アハハ!
メインの通り沿いにある蔵は大方観たので、今日は通りから入った所を散策。
すると、瀟洒な洋館が見えて来た。
↑栃木病院。
これは、足尾の宇津乃火薬庫と同じく国の登録有形文化財に指定されている。
大正2年の建設だって。
↑病院入り口には色々なプレートが貼られている。
↑中ではちゃんと診察が行われている。つまり、現役建造物。
病院内部はどうなっているのだろ・・・クレオソートが満たされた白い琺瑯洗面器があるのだろうか・・・猫足の滅菌庫はどうだろう・・・院長の机は威厳に満ちて大きいのだろうか・・・処方される薬は薬包だったりして・・・などと、果てしなく想像が広がるのであった。
嗚呼!此処の患者になりて~。
↑瀟洒な洋館は、通気口までもが凝った作り。
↑栃木病院の正面に建つこのお宅も素晴らしかった。
病院とは対照的な純和風建築。
↑病院脇の路地。
古い街には必ず路地があるよねぇ・・・良いなぁ。
今は、車が通れない道は造らないから。
↑栃木病院から北に向かって少しだけ歩いた先に、またまた洋館が。
↑正面2階のテラス部分を見ると、ガラスなどがアシンメトリーになっている。
それにしても、凝ったガラスだなぁ。
↑こぉんな床屋さんもあった。
こりゃレトロを超えてるわ。
↑年代モノの消防車、ハッケン!
↑レトロ看板、ニ連発!
↑味噌や醤油を扱う問屋さんの板壁に貼ってあったもの。
昔の勤務は厳しかったよなぁ・・・「2ちゃんねるユーザーの4割は勤務中に書き込みしている」って今とは違う。
↑この辺の商家の宣伝用看板かな?
琺瑯引きのレトロ看板以前のものだよね、きっと。
↑銅版の鬼・・・今じゃ珍しくなってしまった。
亡くなったカメの父親は、板金職人だった。
しかも、県下で5本の指に入る腕の良さ。
カメが物心付いた頃にはもう、銅版やブリキの細工物の需要が減っていたので屋根や外壁を張る建築板金を主な仕事にしていたけれど、現場に出られない雨の日や夜になると、父親はこの様な鬼や細工物を作っていた。
子供だったカメは、半田ごてを使う時のジュッとした音や塩酸の匂いの中で、金切りハサミを器用に使う父親の指先を飽きずに眺めていたっけ。
・・・などと、この鬼を見ながら父親のことを思い出していた。
そう言や父親は、栃木市で生まれ、終生栃木市を想い続けた人だった・・。
↑そして!「軍人病院」ハッケ~ン!
いや、ずっと場所が分からなくてねぇ・・・やっとだよ、やっと来られた。
窓と言う窓に格子がある不気味さから「軍人病院」とあだ名されているが、正式名は「栃木地方病院」って言うのだねぇ。
格子が木製ってところに時代を感じる。
精神病院だったのかな、多分。
↑驚いたことに、廃墟として知れ渡っているこの病院に布団が干されていた。
人が住んでいるのか?だとすりゃ、そっちの方が廃墟よりも怖い。
↑おいっ!軍人病院からフレンチの画像かよっ!変わりすぎだろ。
本日の散策は、見事訪問を果たせた軍人病院にて終了。
その足で友人と待ち合わせのフレンチの店に向かい、楽しいランチ♪
これは前菜のプレートで、キッシュと夏野菜のラタトゥイユ。
↑話が弾んで来た頃にメインのプレートが運ばれた。
これは、牛の頬肉を赤ワインとカシスで煮込んだもの。
とろける様なお肉が美味しかった。
↑デザート盛り合わせ。
・・・と、まぁ、制服シャツの買い物は予想外に内容盛りだくさんになって、と~っても楽しかった。
「確信犯だろ!」って?・・・うん、確かに。へへへ
帰り掛けに、今日散策したエリアの反対側を車で流してみたら・・・あるよ、あるよ、コッチにも!
流石は元県庁所在地だ!奥が深くてまだまだ観切れない。
近いうちに、また来よっと・・・何か用事を作って。
栃木病院の正面の家は、経営者のご自宅です。子供の頃中に何度かお邪魔したことがあります。
旧道にある大きな家は大体が石灰等で財をなした家です。
床屋の中に入ると昔の床屋の椅子とか古い自動販売機があります。
「栃木地方病院」は普通の病院です。私の母がかなり昔にかまぼこを食べて食中毒となり入院したことがあるそうです。
あの純和風建築のお屋敷は栃木病院院長宅でしたかぁ・・・。失礼は承知の上でシゲシゲと眺めさせてもらいましたが、造り全体もそうですが、屋根、庇、窓枠などの細部を見ても意匠が凝っているのです。
栃さん、あのお屋敷に遊びに行ったんだぁ・・・良いなぁ。
大きな蔵が立ち並んでいたのは、確か「嘉右エ門町」って名前だったような・・。
軍人病院は一般診療ですか。
栃さんのお母さんは、軍人病院に入院したんだぁ・・・良いなぁ。
開業年とか閉院年とかわかんないかなと思って検索したんですけど、BI(Before Internet)時代の資料ってほんっとWeb上にはないっすねえ。文献さぐればみつかるんだろうけどねーWebで済ませようと思うのが間違っているんだろうけどねー。
栃木もしかしなんだ、観光地化してきてますねえ。それが悪いとかいうつもりは全然ないしそれで潤って町が元気になればいいこっちゃと思うのですが、観光バスががんがん来てて旗持ったツアーガイドを先頭にじーちゃんばーちゃんがぞろぞろ歩いているのってなんだかなぁみたいな。千葉の佐原もそんな感じだったな。んでちょっと場所をはずすと観光客誰もいなかったりするその落差がすごかったっす(=^_^;=)。
ではまた。
ハハァ・・大抵の方は「軍人病院」って書いておられるのでしょ。
鉄格子がはめられた窓から通称・軍人病院となったのでしょうが、鉄ならぬ木、格子ならぬ網戸の枠でした・・・どんだお粗末。
旧栃木市内は「蔵の街とちぎ」で観光化されて潤っているのか・・・と思えば案外そうでもない様子で、最近ではメインストリートの蔵に空きが目立ちます。
観光客が落とすお金は微々たるもので、かつての商家としての賑わいには敵うべくもないでしょう。
それと、街の人達は観光化に馴染みきれない様子ですね。観光客が群れをなしてそぞろ歩くのに鳴らされるクラクションに、此処で生活する人達の苛立ちを感じて「何だかなぁ」と言った気持ちになります。
ところで、栃木地方病院は個人病院かと思われますので、正確な創立年月日を知る術は無いかも知れません。
医師会の記念誌とかには載っていないかな?