これまでにも何度か書いたが、ウチのじいちゃんは現役バリバリの認知症。
一昨日の夕ごはんの時、
じいちゃんが箸ではさんだ芋の煮ころがし、
ツルン!と箸から落ちた。
お陰でじいちゃん大慌て!
やおら立ち上がり、血相変えて、
テーブルの隅から隅までを凝視しつつ
「芋がなくなったぞ!何処に行ったんだ!」
と、ワラワラワラ・・・
「じいちゃん、芋はお鉢の中だよ。元の場所に戻っただけだよ」
と言ったら、強張った顔が一気にほぐれて
「お~、そうかそうか。ところで、俺の芋はどれだ?」
「多分、コレ」
「コレか。そうかそうか・・」
と、目出度く芋を口に運んだのであった。
受けるわ~
またある日は、TVに映ったダライラマ14世を見るなり
「○○(ツレアイの名前)が出てるぞ!○○がTVに出てる!」
おいおい、幾ら同じ坊さんとは言え、
自分の息子がダライラマ氏に見えるとは・・・
しかし、楽しみの少ないじいちゃんに
少しでも夢を見せてあげようと ヾ(ーー )コラコラ・・
「ホントだ!TVに出てる!すごいね~」
などとテキトーなことを言ってたら
「コラッ!そんなこと言うと益々混乱するでしょ!」
とばあちゃんに叱られた。
ヾ(´▽`;)ゝ ウヘヘ
それにしても、脳みそあっての人間なんだなぁ・・・
と、つくづく感じ入る今日この頃。
これからじいちゃんは何処に向かってしまうのだろう。
人は死ぬ間際に一生分の回想をするとも言われるが、惚けてしまうとそれも叶わないのだろうか。
冥土の土産すら持てないのか。
何だかなぁ・・・
おっと!そーゆう時のための仏教じゃないか!
・・・大汗
それは、オウムの麻原が第6サティアンの隠し部屋で逮捕される時の様な
警察:「おい!誰かいるな!そこで何をやっている!!」
尊師:「・・・瞑想している・・・」
宗教家とはかくなる様でなくてはならない。
そこに神秘性を求め神仏に近づきやがては生きながらにして菩薩の位に達しようとしているのだ。
瞑想中の観音院大阿闍梨の本意は今現在そこには在らずして、辛うじて現世をさまよっている。 しかし、大阿闍梨の開眼は間近である。
今まさに眉目に“第三の目”を持とうとしているのだ。
そうなってしまえば鬼に金棒の大阿闍梨。 嫁の行動を一分一秒も逃さず監視する事はたやすく、毎日ホイッスルで「ピーッ!!」と笛を吹かれ掃除洗濯、庭掃除、Etc・・・これ以上はやめておこう。
おいおい・・・
眉目に第三の目を持ちうるほど修行して、やることは嫁の監視かいっ!
・・ってか、そんくらい嫁がウワテだってことよのぅ。うんうん
貴殿のコメントで思い出してしまいましたが、松本が逮捕された朝、サティアンは濃い霧に包まれておりました。そこに居並ぶ機動隊。見ようによっちゃ「まさに捉えられようとするキリスト」で・・・
その辺のところで松本が神格化されてしまったのか、未だにアレフは信者数を伸ばしていると言う脅威の事実。
アレフが再び何かをやらかしたとすれば、それは丘騒ぎ報道のマスコミと、正面切って物申さなかった仏教会の責任であります。
・・・と、話が逸れてしまいました。
何せ根が真面目なもので。うんうん
すんまそん