第5講座ともなれば、いよいよクライマックス・・・みたいな。
で、ドド~ン!と来たよ・・・・で、今回のお題は
(両界曼荼羅のうち)金剛界曼荼羅
兎角、曼荼羅と言うと曼荼羅=図説みたいに受け取られ、人生曼荼羅だのと一般用語としてまで使われているが、空海が唐より請来した両界曼荼羅のこと。
釈迦の教えが仏教となり、小乗・大乗とに展開し、大乗仏教が更に展開し金剛乗となり、それが密教へとつながって行き、その密教で最も大切なのが曼荼羅。
↑胎蔵界曼荼羅
↑金剛界曼荼羅
両界曼荼羅は「胎蔵界曼荼羅」「金剛界曼荼羅」が一対を成しており、胎蔵界は「大日経」を金剛界は「金剛頂経」から成り立っている。
前回の「胎蔵界曼荼羅&大日経」の講義は、「へへっ。ちょいと楽勝かもぉ~♪」などと余裕をかましておったが、今回の「金剛界曼荼羅&金剛頂経」は・・・・・。
(沈黙)
ツレアイにも「金剛界は難しいよ~。胎蔵界のようなわけには行かないよ~。」と、さんざ驚かされておったが、まさにその通り。
胎蔵界は慈悲を表し、金剛界は智慧を表すのだが、この智慧とは釈迦の悟りであり、世界で最も硬く尊いものである。
つまり、金剛界曼荼羅は釈迦が苦行に苦行を重ねてやっと辿り着いた悟りを教示しようって代物なのだ!
これが難解でなくて何であろう!
で、解った範囲で簡単にまとめてみると、
密教の基本的な考え方として「不二(ふに)」と言うものがあり、それは「相反するものは本来ひとつである」なる考え方。
聖と俗など。表裏一体なんてのもそうかな。
不二と同様の言葉に「即」があり、カメがだ~い好きな「煩悩即菩提」も不二の考え。
そして、聖と俗のように隔絶したものと言えば御仏と人であり、隔絶した御仏と人がひとつのものになるための実践=不二の実践が金剛頂経に説かれており(「五相成身観」)、それを大日如来を中心とした御仏の相互関係図で解き明かしたのが金剛界曼荼羅。
※「五相成身観」とは釈迦の悟りの物語であり、悟りを得ようとしていた釈迦の下に一切如来なる御仏が現れて悟りを得るための秘訣を説き、その遣り取りが経典となっている。そして、最後に釈迦は「一切如来と我は同一である」と言う不二の思想に行き着き、それが悟りとなる。
講義中、不ニの思想が教えられた時、即座にこれを思い出した。
「真夏に真冬を感じる。それが俺のやり方だ。」
by Jimmy Page
おおっ!これぞまさしく不ニの実践ではないか!
そうか、JimmyPageの音楽の源は密教にあるのだ!
・・・なんつって。
・・・にしても、難しいなぁ。でも、難しいからこそ惹きつけられる。
いやあ、勉強してますね。
参りましたです。
曼荼羅とJimmyPage・・・う~ん、面白過ぎます。
おツレアイ様が仰るように、金剛界曼荼羅は難しいです。
大学での曼荼羅の講義は夢うつつでした。今になって「こりゃイカン」と思ってますが、あの時ちゃんと勉強してればよかったのに・・と思います。
真言宗は体感する密教といいながら、これだけの理屈を並べる訳ですよね。
負けずに、私も勉強いたします。
何だかなぁ・・・。
ワタクシ如きが曼荼羅に関して述べるのはおこがましいと思い・・・いやそれよりも何よりも自信がないので、サラ~ッと流すつもりでいましたが、記事を書くにつれチョイとリキが入ってしまいました。
今考えるに、不ニの思想とは表裏一体なんてものじゃなくて、無でありながら無限でもある「ゼロ」のことですよね。
以前に受講した「密教への道」では、「生老病死」「愛別離苦」を超えた精神こそが「悟り」であると教えられましたが、この歳になってすらミニスカートなぞを購入し「老」を厭うワタクシは、悟りなんてぇものからはほど遠くて・・・。
美脚でもって男の心を惑わせば、煩悩即菩提を広めることにもなりましょうぞ。
ナムナム・・
もし、お檀家さんなどに聞かれたら、・・難しいでしょうが・・いや、寺庭さんにそう言うことを聞く人もおりますまい。
これだけのことが言えるということは、ホントに偉いと思います。
「仏の心」というところ、ちょっとわかりませんが、お釈迦様も、悟られた直後、これは人々には理解できないだろうと思われたといいます。
それでも、何とか人々に分かる言葉で話されたという意味では「飛び入り」さんの仰ることに通じるかもしれませんね。
難しいことを比喩を用いて分かりやすく話す、それが我々の使命と心がけてはおりますが・・
でも、それじゃミニスカートならぬ「見ぬスカート」になったりして!
・・・座布団5枚っ!(笑)
分かりませんか?
そりゃそうでしょうとも、だって分かってもらおうと思って書いているものではありませんから。(笑)
もし、難しいことを難しくしか言えないダメブログに腹を立て、「よし!それじゃカメみたいなアホに頼らず、もっと分かりやすい解説で仏教や曼荼羅を知ろうじゃないか!」と思い立ち、他サイトや文献を当たって下されば、このカメ、こんなに嬉しいことはありませぬ。
それこそが「発心」であり、通りすがりさんの発心の発露はこの駄ブログってことになりますから。
実際のところ、両界曼荼羅(特に金剛界)を誰にも分かるように書き綴るとなると、もうとんでもなく膨大な文章量になります。
ただ、ひとつだけ簡単に言わせていただけば、先のナムナムさんへのコメントに書いたように、仏教とは「0(ゼロ)」を発見したインド人の哲学が基本としてあり、そのエッセンスは真言密教に色濃く表れております。つまり、ゼロとは「無」であると同時に「無限」でもあるのです。大きなものとして宇宙がありますが、また宇宙的に小さなものもあるわけです。それを丹念に丹念に思想して行くと、大日如来の世界に踏み込んで行けるのではないかと思うのです。
それと、「中観」「唯識」なんて言葉を検索してみて下さい。きっと面白い世界がのぞけると思いますよ。
ってなわけで、仏教ワールドへようこそ!
しかし哀しいかな、自分が心から好きで、その好きなものを表現しようとすればするほど、何故か気持ちばかり焦ってしまって文章が先走りしてしまうのです。つまり、自分が見知った単語をフル使用しながら慣れた文体で書いてしまうのですね。
自分は寺庭のはしくれですが、この寺に来たと同時に仏像に魅了され、それ以来自主的に仏教の勉強を続けているだけに、仏教知識のベースは出来ているかな、と思っています。でなきゃ、宮坂講座には参加出来ません。
ただ、何時までも自分ひとりの知識として持っているだけでは寺庭として役立たずの自己満足でしかないわけで、自分がこうして得た知識(多少のお金と時間を掛けて得た知識)を、何時か必ず檀家さまにお返ししたいのです。有名な真言寺院巡りを企画し、そのガイドを務めても良いし、月に一度勉強会を開いても良い・・どんな形であれ、自分が学んで得たものを檀家さまと共有して行きたい。そう思っています。
今はその準備期間だと思っています・・・なので、この度お叱りを受けたような稚拙な文章表現しか出来ません。
もっと精進せねば!