民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

野沢温泉の道祖神祭りー道祖神の家を焼く

2016-01-25 16:53:38 | Weblog

 野沢温泉の道祖神祭りでは、25歳と42歳の厄年の人たちが1日かかって、というより14日の朝から始まって完成させるまで夜中になっても作り続けた道祖神の社殿を焼いてしまう、というよりも焼くために社殿を作るのです。今年の燃え方がよかったとか、桁がいっきに落ちて良かったとかいって村人はその年の社殿のできを評価します。中信地方でも昔は子どもたちが小屋掛けをし、幾日も前からその中にこもって餅を焼いて食べたりして遊んだものだといいます。その小屋は三九郎と呼ぶ火祭りで燃やしてしまいました。なぜ道祖神をまつった社殿や小屋を燃やしてしまうのでしょう。

 辰野町から箕輪町にかけて、巻物をもった双体道祖神が建立されています。このいわれについて、『長野県中・南部の石造物』から引用してみます。

南小河内堰下の道祖神 この道祖神は高さ80㎝・巾70㎝くらいの石に、肩を組む神官姿の男女2神が浮き彫りになっている。男神は太刀を腰につけ、2神でで持つ巻物には「日月昇進」の文字が書かれている。上部に日月も施されて、慶応3年の銘もかすかに見てとれるが、巻物の内容について特別なことは言い伝えられていない。
 神野善治氏の著作『人形道祖神』には、巻物を持つ道祖神は静岡県伊豆半島周辺と長野県の辰野町から箕輪町に見られる特有なものだとある。巻物の由来として、疫病神が村人の悪行を天帝に報告するためのもので、出雲へ出かけている間道祖神に預けておいたところ、ドンドンヤキの火で焼けてしまったという話を伝える所もあるという。

 これによるならば、道祖神が預かっている村人の悪行を記した帳面を燃やしてしまうため、道祖神の小屋に火を放つのです。原初のできごとの追体験をするのが、道祖神の小屋を焼くという行為ですが、村人の悪事を隠すために焼かれてしまう道祖神はたまったものではありません。


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