民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

民俗の発見

2017-12-04 16:04:49 | 民俗学

民俗事象は、日常的に目にするものを新しい視点から見つめ直し、研究者が再発見していくものです。科学のように、新しい実験をした結果、初めて露見する発見とは性質を異にしています。民俗事象はいつも目にしているのですが、見ようとしないと見えないものなのです。

長野県民俗の会では、『長野県道祖神碑一覧』の編集を進めています。初校ゲラまで出ましたが、『会報』の編集を優先させたため、しばらくストップしていました。その編集を再開したのですが、今は口絵写真の収集を重点的に進めています。雪が降る前に写真撮影を済ませてしまいたいのです。写真を収集のために何を撮ったらいいかという視点で、ゲラをながめました。口絵は長野県の4地区(北信・東信・南信・中信)の各地区2ページで、合計8ページとしました。1ページ5~6枚といったところでしょうか。そうすると、10枚以上は写真が必要です。その地区での一般的な道祖神碑はもちろんですが、珍しい物、美しい物、分布の意味があるものなど、多様な道祖神碑を集めています。特に、多様な石碑をと思ってみると、これまでほとんど取り上げられなかった道祖神碑がみえてきます。まずは写真を。

いくつもあげましたが、いずれもただの石を加工しないで道祖神として祀るものです。以前にもた気がしますが、今回広く歩いてみて、それが限られた地域の特異な信仰ではなく、かなり広く当たり前のこととしてみられるものだと思われてきました。これまでは、本来は文字か双体像、もしくは石祠に加工すべきだが、加工賃がなかったからか、そのまま祀った、程度にしか研究者は認識してこなかったと思います。ところが、石を石のまま祀るという習俗が存在するのです。石のまま祀っても神の姿がわからないので、道祖神信仰が流行ってきたときに、ああ自分たちが祀ってきたのはこれだったと思いいたり、道祖神とその時に名付けたのではないかと思うのです。今まで、ずっとそこにある石を、道祖神のできそこない程度にしか研究者が見過ごした信仰を、改めて「発見」したような気がするのです。(自然石道祖神の写真は友人の小原氏が撮影したものが多いです。すべて東信地区のものです。)このことは、自然石を祀る地区の道祖神信仰の習俗とともに報告しなければいけないと考えています。

最後にあげるのは、単体で刻まれ2体で一組だといわれる道祖神と夫婦と子ども3体が刻まれた道祖神碑です。面白いことに、佐久市の隣り合った集落にあるのです。珍しいですが、双体像だけが道祖神碑ではないことを実物が教えてくれます。

 

 


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