最近政治ネタが多く、少しは民俗学についても考えておかなくては、頭のシンがなくなってしまうと思った次第です。吉川弘文館のPR誌『本郷』が届きまして、気になる文をみつけました。沢山美果子氏の「『江戸の乳と子ども』その後」という、1月に刊行された著書に寄せて、授乳について書かれた文章です。2017年1月の『朝日新聞』で、公共の場での授乳について論争がなされたという。公共の場での授乳は、ケープなどで隠しながらの授乳であっても「目のやり場に困る。授乳は授乳室でしてほしい」という女子大学院生の投書に対して、子を持つ会社員女性から「人目を遮るための授乳ケープを使っても、目のやり場がないと言われてしまうと、もはやなすすべもありません」との反論からはじまったといいます。この論争について沢山氏は、人目を避けて授乳しなくてはならなくなったのは、いったいいつからなのかと疑問をもったのです。自分が子どものころには、泣いている子に母親があわてて胸をひらいて乳をくれる姿は、当たり前のようにみられた気がします。もちろん田舎のことですが、授乳するのに気を遣うことはなかったと思います。妻の授乳のころには、さすがに大きく胸をはだけてということはなく、できるだけ乳房が表に出ないようにして授乳したように思います。そもそも、なぜ人前で授乳してはいけなくなったかといえば、性的な連想を招くことがいけないとされたからでしょう。。授乳器官としての乳房が、性的器官としての乳房として常に見られるようになったのはなぜでしょうか。沢山氏は「性」の問題に、あえてか、気が付かなかったのか触れていませんが、人前での授乳をはばからなければいけなくなったというのは、裸の見方が変わってきたということでしょう。女性の裸が商品として扱われるようになったのが、高度経済成長以後からだということでしょうか。前にも書いた気がしますが、近世と近代で人前で肌を見せることに対する人々の感覚が変わってきて、高度経済成長を境に大きく変化したといえるでしょう。日本人のセクシュアリティーの問題は、つまり「裸」と「性的欲望」の問題は民俗学でも取り上げなければいけないと思います。
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