民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

郊外の消滅

2013-11-08 10:25:42 | 民俗学

このところ色んな講演会などに出席し、考えることも多かったのですが、もう少し調べてからなどと思っていたら、別の仕事も重なってきたりして徒に時が流れてしまいました。10月29日に日野原重明氏の講演を聞きました。102歳でも椅子に座らず、立ちっぱなしで話したことにまずは驚きました。そして、その楽観的な自信がすごい。翌10月30日に日光へ行き、11月4日には岩波書店創業100年記念講演会で中島岳志氏の岩波茂雄にまつわる話を聞きました。6日には善光寺道の麻績から猿ヶ馬場峠を越えて稲荷山宿まで歩いてきました。その中で、日光へ行って考えたことを今回は書きます。

群馬を経由して栃木の日光へ行ったのです。群馬へは20年ほども前に行って以来でしたし、もちろん日光は初めてです。東照宮は多くの人々が訪れているでしょうし、その建築はまさにぜいを尽くした一見の価値のあるものでした。しかし、それよりも印象に残ったのは途中の群馬のあたりで、道路沿線でシャッターを閉じたり、さびた鉄骨を無残にさらしている建物の数々でした。以前に見た群馬の新しくできた道路沿線は、大型店が次々と並び、ここがどこなのかわからない、アメリカの地方都市もこんな景色ではないかと思わせられるような、異様なエネルギーと無秩序さが同居したものでした。大都市近郊の新興都市はどこでも多分そんな雰囲気ではなかったかと思われます。近郊都市の景観は好奇心をそそるようで、社会学者は「近郊」をキーワードに何人もが研究しています。民俗学でも、団地の民俗など、そうした流れに沿ったものだったと思います。もう少し勉強してからと思ったのは、近郊についての研究をあまり読んでなく、『団地の空間政治学』(原武史著)を今年になって読んだくらいでしたので。20年ほども前は、スプロール化現象などと言われて、増殖する都市が郊外を虫食い状態のように蚕食していくことをいいました。大都市周辺の郊外化、無秩序な開発がどんどん進んでいました。ところが今や人口減少社会に突入しています。郊外にできた大型店や飲食店、作りさえすれば人が集まる時期は遠い昔で、次々と倒産し無残な姿をさらしています。それも開発時の無秩序さをそのまま反映して、街並みの中に歯が抜けるようにそうした建造物があるのです。街としての景観など当初から無視されていたのかもしれませんが、今や全くそうしたものはなく、文化というものが感じれれない荒廃した景観です。多分デトロイトなどはもっともっとひどいのでしょうが、こうした景観が進行していくと恐ろしいことです。逆スプロール化現象が、じわじわと郊外の地方都市に広がりつつあるのです。真剣にコンパクトシティーを目指さなければならないのに、アベノミクスとやらで、ありもしない高度成長の夢よもう一度と人々は踊らされています。


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