民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

善光寺道を歩く 1

2013-04-19 15:33:27 | 民俗学

 善光寺道を踏破したいとかねてから思っていましたが、いよいよ始めました。善光寺道(北国西街道)は、塩尻市洗馬で中山道から分かれます。今回は手始めとして、洗馬から広丘まで歩きました。
 洗馬の分かれ道は何度も車で通っていたのですが、今回初めて歩いて見学し、自分が今まで分岐点と思っていた場所は、新道ができてから移動した追分であることがわかりました。では本当の追分はといえば、善光寺道に入って50メートルばかりの場所に、常夜灯がある場所でした。

           

  この常夜灯は大変優美なものです。近くの家の方の話によれば、この宿場のK家という山持ちの裕福な家で、子供が病気になったか死んでしまったかして、その子のために造ったものだといいます。安政四年と彫られています。石を刻んでほぞを作り、組み合わせてありました。同じよう常夜灯を、会田宿のはずれでも見たので、追って紹介することになりましょう。このことから、常夜灯というものは強い祈願の念をもって献上されたものであることがわかります。今そうした石造物を見ても、なかなか献上した人の思いは伝わらないのですが(といっても、裕福な者のしたことだといわれるかもしれませんが、お金さえあれば誰もがやろうと思っていた。つまり価値観を共有していたものと思います。だから、その後現在に至るまで、本棟造りの家が作られている)、過去に作られた物を見るときは、当時の価値観を見る側も共有しないと、その価値には迫れないと思います。
 途中の郷原宿は、何度もきていたのですが、美しい街並みです。古い家としては、本棟造りの家が何軒かあるのですが、

これは一部の上層の家に限られるはずですから、一般の家の造りが気になるところでした。

 


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