民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

共謀罪

2017-06-09 09:07:38 | 政治

どれがテロ集団化わかないとき、テロ集団と認定するためには、その時点でどうなのかわかない多くの人々に網を張り、情報を認定する必要があります。そのためには、一般人(この定義もあいまいですが)を捜査の対象とせざるを得ません。これは少し考えれば誰でもわかることです。

私は活動家でも何でもない、いうところの一般人です。ですが、なかなかそうはみられず反抗的で、危ない人間とみられたようです。就職したころのことです、目上の者の命令は素直に聞くべきだ、聞いて当たり前という雰囲気が好きではありませんでした。職場で自由にものを言えというので、本当にこの雰囲気ではいけないという発言をしたら、それが問題となったようでした。校長に呼ばれて真剣にこういわれました。「京都で学生運動の活動家がつかまった。そのメモに君の名前があった。だから、これからの行動は十分に自重するように」 私はひ弱なノンポリ学生で、学生運動に加わったことはないし友人にも活動家はいなかったです。それでも、メモにあったと真顔で言えば、そうかなと思います。後で考えれば、管理職のいうことを聞かない若造を、何かの力で脅してやろうという姑息な手段であったと思います。その管理職には、飲み会の席でお前のようなズクナシ(このあたりの方言でやる気のない者とでも訳せましょうか、厳密にはニュアンスを伝えにくいですが)には、担任は持たせねえ といわれたこともありました。これも噴飯ものの発言ですね。若者はみんな担任したがっているが、それを持たせないと脅したのですが、できるなら担任はもたないで楽をしたいと今は思われていますし、当時の自分にとっても何の脅しでもなかったのですが。共謀罪が施行された場合、活動家のメモから君の名前がみつかったという発言が、現実に検挙されるかもしれないという具体性を帯びた脅しになります。政治や社会にたいして批判精神を持った人間を実際に排除する、あるいは怯えさせて自制させる手段になることは、目に見えています。そんな世の中はいやです。年が上、社会的地位が上の人に対しても、間違いは間違いとして意思を表明できる、そうした世の中でなければならないと思います。忖度が横行する世の中はいやです。