民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

気を感ずる

2017-06-07 17:26:30 | その他

週に1回の太極拳の教室通いは続いています。もともと運動オンチで運動嫌いな自分です。筋力が乏しく柔軟性や巧緻性に欠けるため、大概の運動はうまくできません。鉄棒にぶら下がって自分の体を持ち上げる「懸垂」の回数は0です。小学生のころ、ともだちはウンテイというやつに列を作ってとりついていましたが、自分は教室にいました。かけっことなったいつもビリですから、運動会は憂鬱でした。運動は大体が競争になっていますから、大勢の前でビリだという自分の順位をさらすことは、テストの点数をみんなの前にさらすようなものじゃないかと、いやでした。運動嫌いが増えているといいますが、そんな子供たちの気持ちはよくわかります。そんなんですから、積極的に体を動かすような運動はこの年になるまでほとんどしてきませんでした。ところが、だんだん老い先短くなりますと、寝たきりになって他人に迷惑をかけたくないという思いが湧いてくるのです。そのためには、できるだけ体を動かし筋肉もつけておかないと、衰えるばかりだと各方面から教育されます。それで始めたのが、市でやっている「熟年体育大学」という、老人向けの体力作り教室と太極拳なのです。塾大のことは別に書くとして、今回は太極拳。

以前にも書いた気がしますが、太極拳を教えてくれる先生は子どものころから太極拳をしている中国人です。この先生の教えは、むろん武術、運動としての太極拳もありますが、形ばかり習ってもだめだといいます。一度は形を覚えなければいけないが、覚えたら今度は自然と一体化し気を感ずるままに自由に体を動かすことだといいます。まあ、そんな境地は何十年も先だろう。まだ24ある型の18までしか進んでいないし、18までもお手本を見ながらでなければ、満足に体を動かすことができないのですから。

ところが、「気」を感じたのです。まず体をほぐします。中国式ストレッチといえばいいでしょうか。体をひねったり、ツボを押したりして体を温め柔らかくしてから、重心を落として両方の腕を前にだし、指を広げて左右の指がくっつくほどにして、3分ほど瞑想しました。始めて1分ほどでしょうか、じっとしていると指先が熱くなってきました。その熱さは瞑想の間続きました。終わって、どうだったか先生にきかれ、指先が熱くなったというと、それが気だといわれました。もっと感ずるようになると、指が重くなったり体に気の流れを感じたりするのだそうです。体をほぐして何も考えずに目を閉じて立ち、左右の指先がふれるか触れないかの程度に体の前に出していただけのことです。その後の型の練習では、型を覚えて動作をするのに精いっぱいで、気を感ずるどころではありませんでした。しかし、不思議な体験でした。