堀江社長の社長日記
には、まだ昨日までの選挙出馬に関する
記事がアップされていない。(17日朝7時の段階では)
ほぼ毎日書いているのに珍しい。
悩んでいるというパフォーマンスか
書けない高度な政治上の問題が
あるのか。
自民と民主の争奪戦は
例によって堀江社長のマスメディアを
逆利用した大PRという見方もあるだろう。
金融関連や通信関連、税金関連、商法関連の法律の
障壁を突破して、自社に有利な展開を
促すには絶好のチャンスという見方もあるだろう。
しかし、堀江社長がやるまでもなく、
ファンド資本主義は進化する。
政治で費やす時間コストを考えると
堀江社長には政治は無用ではないか。
商業資本主義→植民地化→第1次原始的蓄積→産業革命→
農地独占vs.過剰労働→第2次原始的蓄積→製造業→
化石燃料争奪戦争→産業資本主義→第3次原始的蓄積→
サービス業→知識(ファンド)資本主義→第4次原始的蓄積→
→平和維持→クリエイティブ・クラス→第1次協働的蓄積→・・・
上記のように資本主義が戦争を生み出してきたのは
資本主義のプロセスであって、
最終的には経済という紛争解決手段が平和を創りだす。
アダム・スミス、ヘーゲル、アインシュタイン。
徹底的に自立/自律した個人の経済活動が、
大きな平和のベクトルを生み出すという
ブラウン運動市場時空の保障が21世紀の政治だ。
このような市場時空の保障には、対話的な経済交渉
が持続可能でなければならない。この保障形成に向けた
政治については堀江社長は
誰かに任せ、その間に自分は大いに儲けるというのが
資本主義家の真骨頂ではないだろうか。
21世紀の政治はNPO的にならざるを得ない。
政治はあくまでも平和的な紛争解決手段としての
経済が機能するように保障するだけだ。
それが「小さな政府」であり、ニュートン金融
からアインシュタイン金融に徹底的にシフト
するのである。
もっともNPO的政治家を選択するか
真の資本主義家でい続けることを選択するかは
堀江社長の
意志決定の問題である。
には、まだ昨日までの選挙出馬に関する
記事がアップされていない。(17日朝7時の段階では)
ほぼ毎日書いているのに珍しい。
悩んでいるというパフォーマンスか
書けない高度な政治上の問題が
あるのか。
自民と民主の争奪戦は
例によって堀江社長のマスメディアを
逆利用した大PRという見方もあるだろう。
金融関連や通信関連、税金関連、商法関連の法律の
障壁を突破して、自社に有利な展開を
促すには絶好のチャンスという見方もあるだろう。
しかし、堀江社長がやるまでもなく、
ファンド資本主義は進化する。
政治で費やす時間コストを考えると
堀江社長には政治は無用ではないか。
商業資本主義→植民地化→第1次原始的蓄積→産業革命→
農地独占vs.過剰労働→第2次原始的蓄積→製造業→
化石燃料争奪戦争→産業資本主義→第3次原始的蓄積→
サービス業→知識(ファンド)資本主義→第4次原始的蓄積→
→平和維持→クリエイティブ・クラス→第1次協働的蓄積→・・・
上記のように資本主義が戦争を生み出してきたのは
資本主義のプロセスであって、
最終的には経済という紛争解決手段が平和を創りだす。
アダム・スミス、ヘーゲル、アインシュタイン。
徹底的に自立/自律した個人の経済活動が、
大きな平和のベクトルを生み出すという
ブラウン運動市場時空の保障が21世紀の政治だ。
このような市場時空の保障には、対話的な経済交渉
が持続可能でなければならない。この保障形成に向けた
政治については堀江社長は
誰かに任せ、その間に自分は大いに儲けるというのが
資本主義家の真骨頂ではないだろうか。
21世紀の政治はNPO的にならざるを得ない。
政治はあくまでも平和的な紛争解決手段としての
経済が機能するように保障するだけだ。
それが「小さな政府」であり、ニュートン金融
からアインシュタイン金融に徹底的にシフト
するのである。
もっともNPO的政治家を選択するか
真の資本主義家でい続けることを選択するかは
堀江社長の
意志決定の問題である。