郊外はこれからどうなる? - 東京住宅地開発秘話 (中公新書ラクレ) | |
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中央公論新社 |
☆明治初期までは、東大のあるエリアが第一山の手ゾーン形成期。
☆東京市成立から大正デモクラシーぐらいまでが第二山の手ゾーン形成期。
☆関東大震災前後から東京オリンピックぐらいまでが第三の山の手ソーン。
☆目黒、世田谷、杉並と拡大した時期。つまり、西武と東急が戦前戦後形成してきた
☆電車網の確立期である。もちろん、小田急、西武、京急もそれに続くが。
☆ここから国土計画、つまり開発土建国家が邁進する。
☆この風にのったのが第四の山の手ゾーンの拡大。
☆しかし、バブルがはじけ、4回までの国土計画の大反省をして
☆1998年に最後のいわゆる「五全総」から、田園都市構想が本格化する。
☆本書は、この田園都市構想、つまり大名庭園構想を追うように、
☆郊外が広がった時代の流れを追っている。
☆しかし、もともとパルコの戦略が第四山の手ゾーンであると三浦氏は
☆告白しているから、
☆東急の田園都市構想と西武の軽井沢構想に
☆百貨店のマーケティングを重ねてきた開発の結果が第四山の手ゾーンで
☆あったことが了解できるのである。
☆東急線は、最後のこのマーケティングにかけ、
☆田園都市線や東急線の駅ビルを活性化している。
☆もともと五島慶太は、渋沢栄一に頼まれ
☆田園都市構想をサポートし、阪急の小林一三や西武の堤と違い、
☆軽井沢構想のようなリゾート戦略をとらなかった。
☆生活空間に、衣食住と学校とテーマパークをセッティングするという戦略。
☆なるほど田園都市的発想である。
☆しかし、テーマパークはあきらめた。
☆結局衣食住と大学や私立中高一貫校の環境を設定。
☆それが田園都市線や東急線沿線の私立学校が今も活況を帯びている
☆ことにつながっている。
☆ところが、1998年以降は、そうはいかない。
☆どんなに巻き返しても、東京以外は人口が減る。
☆山の手ゾーンは、潮が引くように縮小していく。
☆再び、山の手ゾーンの外周は、
☆南武線、大井町線になる。
☆第三山の手ゾーンに縮小し、
☆田園都市のようなグローバル発想のあるエリアが
☆飛び地になって残る。
☆すでに豊洲が活況を帯びているのは
☆論より証拠ということだろう。
☆かくして、第五山手ゾーンは、
☆リアルには第三山の手ゾーンになり、
☆グローバルには、第三山の手ゾーンのようなグローバルシティ
☆二子玉川では、クリエイティブシティ(やがて大大阪も含まれるだろう)と呼んでいるが、
☆そのような都市と安価な飛行機とサイバースペースで
☆高密なマーケット空間を創る。
☆そしてこの第五山手ゾーンは、
☆スマイルカーブの両端(川上・川下)で活動する
☆クリエイティブクラスがデジタルエンジェルとともに暮らすのである。