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流出雑記 

春猫 春蕎麦 春霞

2012年04月16日 | Weblog

春になるとあちことで猫をよく見かける。今日は背中に昇り龍みたいな黒い柄の入ったミケとずんぐりした茶トラを見た。ミケ猫はほとんどの場合メス。サビ柄もメス。

春恒例、母校の高校で彫刻科の首モデル。学校に着くとちょうど会議を終えたらしい学生の頃を知っている先生方とたくさん出くわす。仕事?ご苦労さんよろしくと労われると嬉しいようで気恥ずかしい。
新学期はじめての実習授業のモデル。新2年生たちの初々しい感じ、新任の先生のまだ板につかない生徒に向けた言葉を聞きながら、台の上でその場の空気を吸ったり吐いたりして座っている。

仕事帰りに自転車で通る園芸店が色の洪水で夕飯の準備までに余裕があるといつも寄り道する。

そんなことをしていた折ついに見つけてしまった。ばらをもしひと鉢置くなら何にするかとここ数年ずっと考えていた。考えていて手を出していないのはばらにはまり込むと深みにはまりそうだと思ったのと、我が家の経済状況から考えると園芸にかける費用としてはかなり贅沢な買い物になるので、植物園や他所の家のを見たり嗅いだりして満足することにしていた。

いつかのばら候補はヘリテージ、ブラザー・カドフィール、クイーン・オブ・スウェーデンなどだが、それらは一度どこかで咲いているのを見て嗅いだとこがあって惹かれたものだった。一度も見たことがなく、最も興味のあったのはディオレサンスというばらで、その苗についに出くわした。ばらの品種は数限りないので、仕入れの時点でその中から数十種に絞られているわけだし、どれに出会うかは運だと思っていた。もちろんネットで欲しい品種を手に入れることもできるけれど、ばらとの運命は出会いに任せたかった。ディオレサンスは咲いていくにつれてモーブ、緋色、オフホワイトと少しずつ色がうつろう。何色のばらと言い難い微妙な表情をしている。ベルガモット、ゼラニウム、モスをブレンドしたようなとても均整のとれた香りがする、と本で見て以来惹かれていた。

 

他にも手を出すとはまり込むとブレーキをかけていたのは器。我が家で使っている器はほとんど実家から持って来たものだ。祖父が陶芸、祖母が茶道のお稽古をしていた実家にはやきものがたくさんある。物置の箱という箱を探して選りすぐったものを我が家の器にした。それで不足なわけではないのだからこれも道楽になってしまうのだが、最近骨董市に行きたくて仕方ない。言い訳をすると、今抹茶茶碗でごはんを食べているが、それがすこし大きいのでごはん茶碗は薄い平茶碗がいいなと思い、主にそれが目当てである。年季の入った器に馴染みのあるせいか最近のなんにでも使い回せるようなシンプルな白い食器はなんとなく落ち着かず味気なく感じる。

清水焼の玉網模様を画面越しに眺めながら夜が更けていく。

 

と、なんだか呑気にあれがほしいこれがほしいと言っているようだが、春特有の焦燥感も伴った日々を過ごしている。