goo blog サービス終了のお知らせ 

figromage

流出雑記 

なんだかね

2007年10月23日 | Weblog
vっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっbg

小梅が打ちました。

時々いろいろ怪しくなる。
今は、望みであったかどうか。

花屋で働き始めた、その花屋が経営する飲食店があり、人手不足なので入ってほしいといわれた。夕方5時から夜10時までの時間帯。
やったことのないことだしやってみればいいと思える時と、バイトという雇われの身は便利屋のように使われるのだなという微妙な思い。身軽ではあるけれど。さすがに花屋朝8時から働いてからはしんどいのでかぶってない日に週3くらいって、そんなん花屋週4入ったら毎日になってしまう。

今19時16分。
私は16時30分にはあがらせてもらい家に帰って小梅をなでたり、サツマイモ蒸したり、洗濯したり、こうしているが、社員の人たちはまだ働いている訳です。社員のお休みはそれぞれ週一度で店自体は年中無休。

朝の込み合った地下鉄でも思う、みんな、生きている時間のほとんどを捧げながら毎日働いて、働いて。
そりゃ、車とか家とか10万のコートとか買えるわ。

仕事がやりたいことであるなら問題ないかも知れない。
養わなければいけない家族が居れば疑問に思わないのかも知れない。

でもよくわからない。
生きていくには何にせよ働かなければならない。
しかしなぜにそれほどまで働けるのか。
あれ、わたし今時の若者みたいですか。

ゆったりとした生活。
今これまでの生活とペースが変わろうとしてるから、これは郷愁のようなものか。
ひとりといっぴきの大切な家族との時間は減る、だからこそもっと大切に一緒にいる時間を過ごそうと思えるけれど。

いやいや、そういうことじゃなく本音はどこか。

花屋で働いていても、香水の学校に行ってても感じるそぐわなさがある。
そこにはっきりした欲望があるからだ。
将来的に身をたてるものを持っていようとか、スキルがほしいとか。
なんだかよくわからなくなる。
でもなにもしないではいられない。
いてはいけない気がしてなんか頑張ってる。


舞台は。
そこもまたそぐわない場所である。
でも他と違うのはそぐわないからこそ留まりたいと思う場所だということ。
ある意味そぐわなさの極地。
スペシャルである。

私にはどこかしら自発性の欠如した自分でも驚くほど物事に対してこだわりの無いスッカラカンなところがある。
あと運と反射神経が良い。
おかげでいろんなものと「出会い」やすい。
いつもとにかくやってくるもの次第で変形するようなところがある。
その性質は舞台上ではうまく機能した。

なんでもできそうなものだけど、そうでもありません。

今ひとつわかった私は

よく切れる役立たずでいたい。