
8月20日、前橋済生会病院で亡くなる。享年84歳。
昭和45年、当時の福島建築設計計算事務所への入所という形で実社会に足を踏み入れた。実に46年にわたる建築人生において、ひとつの指標であり。目標でもあった。
昭和47年、代表取締役に就任以来あの大きな組織を維持発展させていくということは並はずれた努力であったことが察せられる。
建築主に対するきめ細かな心使いや施工者に対する厳しい姿勢を今さなながら思い出される。
一昨年の暮れには多賀谷正一所長を招いて退職者を中心に同窓会を持つことができた。
育った人材が各方面で活躍していることを考えるとこれも一つの功績であったと思う。
長年糖尿病を患いながらも健康管理に気をつけておられたのでまさかこんなに急に亡くなるとは予想がつかなかった。
退職してからは夏と冬の挨拶は欠かさなかったが昨年暮れにご挨拶に伺ったのが最後となってしまった。今年は体調が優れないとはうかがっていたので直接の挨拶を見送ってしまったことが少々悔やまれる。
最期は眠るように苦しいという気配なく息を引き取られたとのこと。
岩崎さんも、五十嵐さんもすでに無く、同僚の何人かもすでに旅立ってしまった。さびしい限りだ。
ご冥福を祈る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます