秋晴れて 戻り残暑に 着替えたり
中村 梅士 Baishi
快晴の朝である。
気温は20℃を下回っている。
昔は、長崎くんちの最後の仕込みで各町内がぱたぱたと
仕込みをしている頃である。
長崎くんちの起源はキリシタン禁教令の歴史と深く関わ
っている。
島原の乱が連想されたので、島原を地図で検索している
と、懐かしい小浜温泉や雲仙温泉の現状が気になった。
コロナ禍の影響で雲仙国民休暇村が閉鎖されたのが残念
だったが、次に訪れるとしたら雲仙地獄に隣接する老舗ホ
テル「雲仙富貴屋」である。
とても気に入っていた。
ところが、これが地図上に見当たらない。
やっと見つけた記事には、コロナ以前の2018年に閉鎖
されたとあった。
なぜ、あの名門ホテルが・・・。
どうやら、施設の老朽化と耐震構造を余儀なくされたこ
とから営業継
続を断念したと言うことらしい。
観光産業はどんどん、追い詰められている。
日本の衰運を反映しているというべきかもしれない。
観光は日帰りか野宿で、というのが無資産階級の観光ス
タイルになりそうである。
長崎くんちは、7日から9日まで行われる、諏訪神社へ
の奉納行事である。
もうそろそろと言う時節だが、今年も中止が決まってい
る。
長崎には、生家も実家もなくなった今となっては、帰る
べき郷里ではないが、亡父の墓があることではあるし、や
っぱり郷里ではある。
くんちはないが、墓参を兼ねて見たい祭りではある。
おくんちの由来は、豊臣秀吉による伴天連追放令に反抗
するキリシタンの騒乱を禁圧するための、いわば踏み絵と
して参加強制された官製の祭りである。
起源において政治色の強い行事ではあるが、今ではそれ
自体が歴史的観光資源として定着している。
当時のカトリック伝道は、底辺の人々にとっては殉教の
イエスによって、人間としての誇りを認められたことが大
きな信仰のよりどころとなったに違いない。
無我の愛の感化力というべきであろう。
しかし、キリシタン大名は貿易利権のために入信したと
思われる。
これを餌に、伴天連は植民地化の先兵となったのである。
伝道によっても人種差別がなくならなかったのは、愛に
よる伝道ではなく、支配のための伝道だったからではない
のか。
長崎くんちを諏訪大社の氏子として継承することは、伴
天連による植民地支配を阻止した神事であり、誇りとする
べきことである。
現代においても、長崎くんちは、軍需産業都市を中華共
産主義の謀略から守る神事として、官民挙げて堅持するべ
き意義があると思う。
コロナで中止など、あってはならないことである。
長崎は国防の要である軍需産業都市としての政治的自覚
を持つべきだ。
反核運動のメッカのようになって、左翼政治家を知事に
選出するようであっては心もとないことである。
端島をミサイル基地として再生してはいかがか。
朝鮮に言いがかりをつけられるような炭鉱跡地を遺す
必要はない。
ユネスコ歴史遺産など、返上することだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party