倭人たり 冬の白刃の 波を行き
中村梅士 Baishi
志賀の荒雄の、玄海の海を心に刻んできた。
海に咲く花は白波である。
荒磯を見ていると、倭人のアイデンティティーが蘇る。
日常の中には海の風景は見えない。
山から遠くに輝く海の遠景をみても、それも山の風景
である。
たまには、まじかに磯の香りを呼吸したくなる。
子どもの頃の海は、佐世保港に停泊する米軍の艦船の
風景だった。
授業をエスケープして島の山頂から見たエンタープラ
イズ号の巨大な姿も印象に残っている。
輝く海の向こうを悠々と渡っていた。
安保反対闘争の盛んな時代の末期のことである。
それにしても、海上保安庁の船の小さいこと。
機関砲もなく、水鉄砲だけの装備で「保安」業務にあ
たるとは哀れなことだ。
むしろ、漁船の方が軍船に見えることである。
未だに、敵地攻撃能力を持ってはならないなどと議論
している日本の議会は不可解である。
どこの議会なのか。
習近平の監視下におかれた議会なのであろう。
監視役はNHKと朝日新聞である。
防衛能力がない自衛隊に何の意味があるのか。
防衛とは日本の領海内の治安で済むことではない。
アジア全域の治安と侵略国に対する優位な戦闘能力こ
そは防衛体制であることは議論の余地のないことである。
朝鮮戦争のとき、日本は国家の体をなしていなかった。
戦争特需の荒稼ぎをしたが防衛はしていない。
米軍への基地提供と兵站ビジネスをしただけである。
しかし、今迫っている朝鮮戦争は戦争特需のビジネス
チャンスと思ったら大間違いである。
背後には元寇の役を凌ぐ核武装の軍事大国・支那共産
軍が膨らんで待機している状況だからである。
半島に支那軍を入れてはならない。
そのためにも、維新革命の臨戦態勢が必要である。
日本人も、米軍に入隊して軍事訓練を受ける留学制度
が必要かもしれない。
軍事留学制度を準備することだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party