台風の 届かぬ夏の 蝉しぐれ
梅士 Baishi
久し振り、博多に届くかと思われた台風12号だったが、
小雨とそよ風に終わってしまった。
クマゼミがラジオ体操に交じって大いに鳴いている。
刻一刻、七月が過ぎてゆく。
さて、太平洋に台風がいなくなると、お客さんが帰った後
のように、なんともつまらなくなる。
危機感なくしては、人はその所在を見失う。
国家的危機なくしては、国民は国民の自覚を見失う。
危機が必要とされる時代である。
食肉の環境倫理問題という議論がある。
日本でも肉食が盛んになった。
メタボになるほど牛肉を食っているのはアメリカだけでは
なく、日本も追随している。
牛丼文化、ハンバーグ文化が日本人に定着して久しい。
結果、みっともなく腹の膨らんだ子供や紳士を多く見かけ
る。
その肉食を供給するために、工場型大量生産の畜産が
主流になり、穀物の40%近くを飼料とし、牧草地を確保す
るための森林伐採という環境破壊問題も起こっている。
なによりも心を痛めるのは、食料用家畜とは言っても、命
があり幼いながらも心があるというのに、物扱いの畜産の
実態である。
その反作用として起こったのがBSE問題でもあろう。
養鶏も、一羽あたりB5判の狭い所に押し込めるというブロ
イラー生産工場もひどい。
鶏もストレスのために殺し合いを起こすという。
それを防ぐために、雛のときから嘴を削り取っているという。
随分ひどいことをするものだ。
そうした生命に対する残虐は、その肉や卵に毒素を含ま
せることになるし、鳥インフルエンザのような恐るべき疫病と
なってしっぺ返しをすることになる。
食の安全性という観点からも、残酷な養鶏、畜産のものは
食べたくはない。
そのためにも、食品表示として生産方法の表示を強制する
べきである。
牛肉輸入の自由化は結構だが、食の倫理をしっかりと確立
することが先決である。
日本人は、魚食、納豆食、米食でよいのである。
食料とはいっても、命あるものを大切に思う心を見失いたく
はないものである。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党