さて、そんなわけで、実はコメント欄でこの冒険のオチがついてしまっていたわけなのですよ、こんばんは。
「アリとキリギリス」の話がフランスに入って来たときに、なぜ「セミ」になってしまったのか。日本語でラ・フォンテーヌの「寓話」を読んでいたときから疑問でした。
答えの根幹は、前回Nancyさんのコメントタイトルなんです。そう、「せみもカエルもここにはいません・・・」。
Nancyさんのところと同様、北フランスにはセミがいません。だから日本人が夏に北フランスの森に行くとちょっと不思議な気がするんです。「え、音がしない………あっ、セミ鳴いてない!」
セミの鳴かない夏の森。初めて体験するとちょっとびっくりです。
で、北フランス出身のラ・フォンテーヌはセミを見たことも聴いたこともない。だから、鳴く虫として書かれた「Cicada」をなんの疑いもなく「Cigale」と訳してご満悦。それが全フランスに広まって、今ではあの小理屈っぽいはずのフランス人が「セミとアリ」(順序もセミ先の順番でした)の寓話を子どもの頃から親しんでいる、と(でも挿し絵入の本ではバッタみたいな、第九地区みたいな絵が書いてある)。
で、そんなことを考えていたら、ふと思ったわけです、「閑さや岩にしみ入蝉の声」って、北フランス人には理解しがたい情緒なんだろうな、と。
で、「Cicada」と「Cigale」と同様、翻訳の問題ってあるよなあ、と。
そんな風にして、次回ようやくカエルも登場します。
「アリとキリギリス」の話がフランスに入って来たときに、なぜ「セミ」になってしまったのか。日本語でラ・フォンテーヌの「寓話」を読んでいたときから疑問でした。
答えの根幹は、前回Nancyさんのコメントタイトルなんです。そう、「せみもカエルもここにはいません・・・」。
Nancyさんのところと同様、北フランスにはセミがいません。だから日本人が夏に北フランスの森に行くとちょっと不思議な気がするんです。「え、音がしない………あっ、セミ鳴いてない!」
セミの鳴かない夏の森。初めて体験するとちょっとびっくりです。
で、北フランス出身のラ・フォンテーヌはセミを見たことも聴いたこともない。だから、鳴く虫として書かれた「Cicada」をなんの疑いもなく「Cigale」と訳してご満悦。それが全フランスに広まって、今ではあの小理屈っぽいはずのフランス人が「セミとアリ」(順序もセミ先の順番でした)の寓話を子どもの頃から親しんでいる、と(でも挿し絵入の本ではバッタみたいな、第九地区みたいな絵が書いてある)。
で、そんなことを考えていたら、ふと思ったわけです、「閑さや岩にしみ入蝉の声」って、北フランス人には理解しがたい情緒なんだろうな、と。
で、「Cicada」と「Cigale」と同様、翻訳の問題ってあるよなあ、と。
そんな風にして、次回ようやくカエルも登場します。
翻訳の勘違いではシンデレラの「ガラスの靴」が有名ですね。
実はお恥ずかしながら、シンデレラの翻訳勘違いの話って知らないんです。よろしかったらお教えください。