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セミをめぐる冒険3 カエルもあるでよ

2010年07月22日 23時56分46秒 | らくがき
 前回「閑さや岩にしみ入蝉の声」って書いたじゃないですか。あれ、日本語ですよね。ということは、、あの俳句を英語なりフランス語なりに翻訳する場合、日本語にはない名詞の単複という問題が生じるわけです。つまり、「セミ」を単数にするか複数にするか、そこにすでに翻訳者の解釈が入るんじゃないか、と。
 森で鳴いているセミを知っている日本人の多くは直感としてあの「セミ」は複数だと感じるのではないかと思います。でも、今まで一度もセミの鳴いている森に入ったことのない北フランスの人たちは、最初の「閑さや」に引っ張られるんです。「セミ」、単数だ、と。
 逆に考えると、そこに芭蕉の妙味があるんですね。
 耳を聾せんばかりにワンワン鳴いているセミの声を聴きながら、それを「閑さや」と表現する。芭蕉、すげえ、と。昔から何度も聞いたあまりにも当たり前の俳句だから思わないけれど、一度外国語を通して考えるとその凄さが実感できたりします。
 で、「古池や蛙飛び込む水の音」。この「蛙」。おお、ようやく出てきましたカエル。実は、ぼくカエル大好きなんです。かわいいし、きれい。特に毒を持ったカエルの美しいこと。食用のやつは食ってもうまいしね(かわいい言いながら食うんかい? はい、食います)。
 このカエルを複数形として考える欧米系の留学生が多いとある本で知りました。カエル1匹飛び込んだところで、音などかすかで聞こえたもんじゃない、複数形だろう、と。脳内でカエル次々集団飛び降りの様相が浮かびます。マーケットガーデン作戦でのアメリカ第101空挺師団みたいな感じと言えばわかってもらえるでしょうか? 
 翻訳という作業は、ものすごく大変な作業であり、言葉一つ訳すだけでそこに作者の生きてきた経験すべてが入っていたりするわけです。そう考えると、どの外国文学を読もうかなと迷った場合、作者ではなく翻訳者で選ぶというのも一つの手なんじゃないでしょうか。たとえば、岸本佐知子さんが訳した本を読んでいくなんてことも面白いかもしれません。
コメント (2)
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