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「アマルフィ 女神の報酬」

2010年07月09日 20時55分35秒 | 映画
 さ、始まりました、第1回新大塚ファンタスティック映画祭。駅前TSUTAYAさんで発表された2010年上半期邦画ベスト3。この3枚のDVDを借りて近所の友人と鑑賞するという、かなりこぢんまりとした二人映画祭。
 基本ルールは決してけなさないこと。映画のいい部分を見つめつづけること。それを我が身に課して映画を3つ見たいと思います。

 では、駅前TSUTAYAさん2010年上半期第3位に輝いたのは、「アマルフィ 女神の報酬」。
 DVDの説明:織田裕二、天海祐希、戸田恵梨香、大塚寧々、伊藤淳史、佐野史郎、そして佐藤浩市。声だけの出演で中井貴一。さらには特別出演に福山雅治という、かつてないほど贅沢で華やかなキャストがスクリーンを賑わせた。主題歌には“世界の歌姫”サラ・ブライトマン。壮大な世界観を後押しするだけではなく、日本映画初出演も果たしている。
 全編イタリアロケによる美しい映像と音楽。邦画のスケールをはるかに超えるサスペンス超大作が誕生!

 期待十分ですね。
 一言で言うと、この映画は、織田裕二と行こうイタリア観光旅行。織田裕二というのは、演技力のある人ではないので、基本的には大げさな顔で勝負です。映画俳優に演技を求めない、という斬新な演出によって、織田裕二は基本常にすごい顔です。すごい顔の織田裕二、すごい顔し続ける織田裕二。それに対抗するお魚のような表情と顔の天海祐希。顔と顔のぶつかり合い。血出ないかと心配になります。観客をストーリーとは関係のない部分でハラハラさせてくれる、まさにサスペンス映画の鑑ですね。そうしたすごい顔の織田裕二とめぐるイタリア旅行、ワクワクするじゃありませんか。
 さて、冒頭、通りに浮かぶフジテレビ開局50周年の文字の上を車が通りかき消していきます。開局記念を、ま、いわば土足で踏みにじるぞという決意あふれる象徴的シーンですね。で、サラ・ブライトマンの「Time to say goodbye」が鳴り響くんですけれど、この、なんというか遅れてしまってる緩めのダサさ感がいいですね。テレビドラマをつけたら、セリーヌ・ディオンの歌う「My heart will go on」がかかってた的な。今更使う感性が素晴らしいです。常人には恥ずかしくて思いつきません。さすが、映画を作るにはこの常人にない感性が必要なのですよ、きっと。
 で、この「Time to say goodbye」。使用料のもとをとろうとしたのでしょう。登場人物がTVを付けるたびに何度も出てきます。アマルフィという場所での信じられないだれたテンポでの天海さんの泣き演技のときにもピアノヴァージョンでこの曲が流れたときに、ああ、そうか、この映画はショーペンハウエルの「永劫回帰」も取り入れようとしているのだ、と。何度目だよ、バカの一つ覚えじゃあるまいし、などと思う観客はあさはかなのだ、と。
 だもんで、この映画、クライム&サスペンス映画だと思って見ようとした方、はっきり言って失望します。この映画は不条理前衛映画なのです。文芸大作なのです、きっと。
 だからクライム&サスペンス映画につきものの、アクションシーンはありません。で、アクションがない代わりに緊迫感を演出するため、駅をただ二人で走らせるシーンでカメラをおもいっきり揺らします。フジテレビ開局50周年記念の大作のはずなのに、そのチープな演出がたまりません。たぶん予算の多くが飲み食いに費やされたのでしょう。やべっ、アクションシーンに使う金もうねえよ、まあ、カメラ振っとっきゃなんとかなるか、という志の低い工夫、こうした工夫が随所に見られます。あと、誘拐犯が日本人に対して親切なのでしょう、いろんな観光名所を指定しちゃ、天海・織田コンビを走らせるので、お前ら、なかなかローマ来られないだろうから俺達が見せてやるよ、そんな親切なテロリストさんたちのおかげでストーリーと関係のない旅番組のようなそんな楽しみ方も提供してくれます、アマルフィだってストーリーとびた一文関係ないし、必然性もないけど、テロリストさんたちのご厚情で見られたわけだし。
 で、このテロリストさんたちが、親切な上にまたものすごい人たちで、天海さんの娘を美術館のトイレで待ち伏せして誘拐するんです。なぜ娘が美術館でトイレに行きたくなるのか、しかも美術館にはいくつもあるであろう中、そこのトイレに入ることを事前に知っていたのか、超能力者みたいなんです。おまけに自分が映っている部分だけ監視カメラの画像を入れ替えたりできるんです。もちろん、この映画は前衛不条理映画なので、そこら辺は一切説明してくれません。大いなる疑問を観客に投げつけるわけです。
 顔のお二人のみならず、役者さんたちも素晴らしいです。
 たとえば、戸田恵梨香さんは反映画的薄っぺらテレビドラマ演技をかまして見る者の目を覚まさせて下さいます。ドジっ子ぶりをさんざん展開後、「無駄遣いは外交官の特権か」という織田裕二のつぶやきに「えっ?」。いや、それ普通に聞こえてるから。あんた耳悪すぎでしょ的お約束演技。観客に対して、あれですね、「井上喜久子17歳です!」「おいおい!」的な、お約束の共有的な、いわば、戸田恵梨香さんは身を張って映画と観客との融和をはかってらっしゃるんですね。これ以降も戸田恵梨香さんは全身全霊込めて薄っぺらな演技に終始します。すごいです。女優生命かけてまでぼくたちのためにって感じです。
 で、テロリストさんたちは、わざわざ女の子を誘拐して、それを脅迫材料に、天海さんに警備会社のセキュリティを解除させようとするんですよ。自分が映っている間だけ警備会社の監視カメラに偽造の映像をすり替えさせられる技術を持ったテロリスト集団がですよ。自分でやった方が早えだろう、という普通の人間のツッコミは通用しません。前衛映画だから。しかもその誘拐方法がアレですから、どんだけ迂遠な、どんだけ急がば回れのテロリスト集団でありましょうか。
 で、セキュリティ解除のおかげで監視カメラに映らずテロリストは行動できるわけです。って、解除しなくてもできてたじゃん。すげえ、もう、ほんとすげえ、この映画。ぼくをどこまで連れていってくれるのだろう? 今まで結構映画見てきましたが、ここらへんはもう未知の領域、やばい、俺酸素足りるんだろうか、ですよ。
 で、いい加減このあたりから映画そのものがどうでもよくなり(それは言わない約束でしょ)、銃を振り回してイタリアの警官を人質にとった織田裕二をなぜ逮捕しないんだとかほんとどうでもいい話にする説得力。もう、他にもいっぱいあるツッコミどころをすべてなかったことに。それにしても、全然必要性ないとこで、なんで英語なのぉ? 映画が崇高すぎて、もう理解の範疇を超えています。
 で、気づいたんです、最後まで見て、この映画の崇高なテーマに。それは、美術館の中で携帯電話使っちゃいけないよってこと。それが言いたいがための豪華キャスト、オールイタリアンロケ。なあんだ、一言そう言ってくれればわかるのに、それをわざわざこの規模で教えてくれるなんてほんと親切な映画でありました。
 あ、タイトルと内容がぜんぜん関係ないなんてところは、全体が不条理前衛映画なので、観終わってからは気にならなくなりました。
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